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断想

断想4 (病院で)

 いよいよ危篤だというので仕事を休んで病院へゆく。あちこちチューブで繋がれた伯父の意識は朦朧としている。訪れる親族に時折意識が戻るがすぐにまた昏睡する。膵臓ガン。手の施しようがないのでモルヒネで散らしているだけだ。それでも苦しがりチューブを嫌がる。娘はほとんど寝ないで看病している。まるで赤子をあやすように声をかけ身体を拭いてやる。呼吸が少しでもおかしければ目を覚まして様子をみる。それを毎晩毎晩続ける。そして親族への連絡、葬式の準備、法的手続き、全部自分でしている。母親を亡くしてから父ひとり娘ひとりで暮らしてきた。家族の最後の音を淡々と挽いているのだ。

 一晩伯父に付き添う。外は雨。夜勤の看護婦は嬉しいのでもなく悲しいのでもなく時間時間に回って来て、伯父の痰を吸引したり、点滴の袋を換えたり、血圧を測ったりする。それが仕事なのだ。こちらは伯父が嫌がって暴れるのを押さえる役目をする。伯父は時々うわごとを言う。会社時代の気がかりを言う。定年後も74歳の春まで仕事を続けた会社人間なのだ。
 それから伯父は「おふくろ」と言う。楽しげな歌をうたう。小便に立とうとして押さえつけられ抵抗する。伯父はオムツをはかされ、小便はチューブを通して袋にたまっている。そのことを知らず、便所に立とうとする。伯父は戦後ソ連の捕虜になり、3年間収容所に入れられて帰ってきた。そのことを伯父はあまり語ろうとはしなかった。伯父は大本教系の神道に帰依し、ときおり祝詞のようなものを唱えていた。私には、故郷を離れ東京住まいした伯父の、あり得ぬ村落共同体への郷愁にしか思えなかった。伯父の幻影の村はますます解体し、伯父の身体は末期癌に蝕まれ、連れ添った妻には先立たれ、娘はとうに婚期を逃している。
 雨があがり、夜が明ける。こんな晩を、介護するものはあと幾日続けるのか。娘は壁に身体をもたらせてうとうとしている。

2001/10/1