断想3 (伯父が死ぬ)
伯父が死ぬ。娘はもう葬式の準備をしている。子供のころ、目の手術で入院した時、大変世話になった。いつも若々しく、うちの親戚のなかでは一番の紳士だった。
急に涼しくなった夕暮れの草むらから虫の音が澄んで聞こえたり、雨のなか仕事をしていて、ふといま世界中が雨になっていると感じた時に、この世界もこの感覚も死と一緒に無になるのかと考えることがある。このリアルな体感はいったいどこから始まり、どこへ失せるのか。
だいたい感じ考えているあのひとやこのわたしがいなくなるとはどういうことなのか。ひとの意識というものは、何のために生まれ、失せるのか。この魂やあの魂は誰のものなのか。
ここで死後の物語や魂の不滅を語るのがひとつの方法。
死後も魂もなく、死んだらただの肉塊として腐敗する。
意味はない。ただ矛盾だけがある。それがもうひとつの方法。
残されたものとしてはひとつの現実がある。もう、死んだひとは老いない、死なない、心を揺らさない。
逝くものとしてもひとつの現実がある。わたしはもう(たぶん)わたしではない。
なぜ生まれ、なぜ成長し、なぜ死ぬのか。そしてなぜそのことを考えるのか。
この主体はどこからどこへゆく音なのか。
宇宙が宇宙を感じるために人間を意識体として進化させたのがこの宇宙なら、なぜこの宇宙はそうしたかったのか。
ああ、だがそんなご託はどうでもいい。伯父が死ぬ。
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