Happy Hour~南の島とダイビングとノスタルジー~

Scuba Diving

スキューバ・ダイビング

管理人とダイビング

 もともと海のない県で育った管理人は海への憧れこそありましたが、夏に海水浴にいく程度で、20代の頃はもっぱらスキーに熱中していました。
 ところが、30歳の時に行ったサイパンで体験ダイビングをしてからすっかりダイビングの虜になり、当時はやっていた「南の島でダイバーになろう」という海外ダイビングライセンス取得ツアーに参加して、サイパンでPADI Open Water Diverになりました(もっとも、当時はダイビング指導団体とかランクとか詳しいことはわからず、旅行会社の勧めるままに申し込んでいました)。
 その後、海外のダイビングツアーで潜っていましたが、ステップアップコースをサイパンで受け、その後ダイブマスタートレーニングに進んでPADIのダイブマスターになりました。
 日本に帰ってから地元のショップのお手伝いという形でツアーガイドをしていましたが、自分もインストラクターになって素晴らしい海の世界を教えたいと思うようになり、静岡のIDCセンターでIDC(インストラクター開発コース)を受けて、土肥で行われたIE(インストラクター試験)に無事合格してPADI Open Water Scuba Instructorになりました。
 インストラクターになったので、地元のショップで本業が休みの週末だけツアーガイドに加えて講習もしながら、さらにステップアップして、IDC Staff Instructorにまでなりました。

 

 一方、夏と冬は長めの休みを取って、相変わらず海外のあちこちの南の島に行ってはファンダイブを楽しんでいました。
 そのうち世間ではダイビングも下火になり、お世話になっていたダイブショップも閉店してしまい、インストラクターとして活動する機会はほぼなくなりましたが、海外ダイビングツアーには定期的に行き続け、その頃はシパダン/マブールに繰り返しいっては1日中潜っていました。
 その後シパダン/マブールが危険地域になってしまい、年齢的にもさすがに連日1日中ダイビングするのはきつくなってきたので、久しぶりに行ったバリ島が気に入ってバリ島に通うようになりました。はじめはバリ島でも毎日潜っていましたが、滞在中のダイビングもだんだんと日数が減ってきました。

 

 2019年12月のバリ島旅行では、ついにダイビングをしませんでした。しかし、その後始まった新型コロナ禍により2020年以降海外旅行ができない状況になり、「やっぱ、ダイビングして~」という気持ちが盛り上がってきています。

あのころのPADI


 「PADIは世界最大のダイビング指導団体である…」なんて私ごときが説明するよりも、PADIについて詳しくは「PADIジャパン」のサイトを訪れてください。[PADIジャパンはこちら]
 ここでは、管理人がPADIのプロフェッショナルコースに進んだ当時のPADIを掘り下げてみたいと思います。上のタイトル「あのころのPADI」をクリックしてください。

ステッカーコレクション

 管理人が今まで訪れたことのあるダイビングリゾートやダイブセンターのステッカーコレクションです。今はもう営業していないところの貴重な品(?)もあります。どうぞご覧ください。

海外ダイビングライセンス取得ツアー

 「南の島でダイバーになろう」というキャッチフレーズで、当時盛んに行われていた海外ダイビングライセンス取得ツアーの話です。

シパダン島

 マレーシアにあるダイバーズ・パラダイス「シパダン島」、その素晴らしい海に魅了され、通い続けていましたが、島からリゾートが撤去され、海賊による拉致事件が頻発し危険地帯になってしまったため行くことができなくなってしまいました。その素晴らしい海とリゾートの回顧録的な内容になっています。

その他のコンテンツは順次追加します

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