Happy Hour~南の島とダイビングとノスタルジー~

Sipadan Island

マレーシア シパダン島
奇跡の島 ダイバーズ・パラダイス

Strong Diverの1日

6:00 ドロップオフにモーニングダイブ、カンムリブダイの朝の行列を堪能
7:30 軽い食事
9:00 ボートでバラクーダポイントに、バラクーダの大群に取り囲まれて幸せな気分に
10:30 朝ご飯
11:30 ボートでサウスポイントに、ギンガメアジの大群の後にロウニンアジの群れ
13:00 お昼ご飯
13:30 スタッフが昼寝をしている間に、軽くドロップオフに潜ってアケボノハゼを見る
15:00 ボートでミッドリーフに、きれいな珊瑚とたくさんの魚に囲まれて幸せ
17:00 ドロップオフでサンセットダイブ、ウミガメの求愛を見ながら夕焼け色に染まっていく海に黄昏れる
19:30 夕ご飯、ナイトに行くのでビールは我慢
20:30 ドロップオフでナイトダイブ、カンムリブダイが壁に張り付いて眠り、穴を覗けばエビやカニがたくさん、手を振れば夜光虫が青い光を発する

 1日最大7本、これがシパダンの無制限ダイブです。リゾートの宿泊代にダイビング代も含まれているので、いくら潜っても追加料金はなしです。潜らなくても減額、返金はないので「潜らにゃ損々」とばかりに潜りまくります。
 でも、お金の問題じゃないんです。ダイブポイントはすべて島の周りですが、どこで潜っても、何度潜っても毎回ハズレのない海なので、楽しくて「もう1本、もう1本」と潜ってしまうのです。

シパダン島を目指して

 はじめは躊躇していました、だって遠いんだもん。

成田~コタキナバル 週2日飛んでいた直行便なら7時間弱、そのほかの日ならマレー半島のクアラルンプール経由でボルネオ島のコタキナバルに着くのは19時すぎです。
コタキナバルで1泊 直行便ならホテルに入ってから町中を散策する時間もありますし、気に入ったレストランなどでゆっくりと夕飯を食べる余裕もあります。経由便なら夕飯は適当に済ませて、翌早朝の出発のためにさっさと眠ります。
コタキナバル~タワウ 朝5時、まだ暗いうちに迎えが来ます。コタキナバルから国内線でタワウまで45分、これで空路はおしまい。ボルネオ島の西から東に移動しました。
タワウ~センポルーナ ここからは陸路です。同じリゾートに向かう客と乗り合いのワゴン車に乗って、約2時間弱、一般道を飛ばしてセンポルーナの港に向かいます。ボルネオ島の東の端に来ました。
センポルーナ~シパダン島 港にあるリゾートのオフィスで手続きをしてボートの出航を待ちます。そして20人乗りくらいのボートでシパダン島のそれぞれのリゾートに向かいます。はじめは濁った緑色の海が、約1時間後、マブール島を過ぎるあたりから外洋になるので波も高くなってきてボートの揺れも大きくなってきますが海の色が藍色の美しい色に変わって、気分も高揚してきます。
 間もなく水面にぽっかりと浮かんだ小さい島が見えてきます。リゾートによって、ドロップオフの桟橋にボートを着けるか、リゾート前のビーチに着けるか違いますが、ほぼ毎回ウミガメがお出迎えをしてくれました。
 お昼ご飯を食べてオリエンテーションダイブ、元気があればこの後のダイビングにも参加できます。
帰路 最終日前日の昼前にリゾートを出発して、逆コースをたどります。帰りの飛行機のスケジュールにより、クアラルンプールで後泊して最終日に成田に向かうか、深夜便に乗って最終日の朝着くかになります。

 お金持ちはタワウからヘリコプターをチャーターして一気にシパダン島に入る(実際、シパダンロッジの先のビーチに板を並べてヘリポートが作ってありました)なんてこともできたようですが、普通は往きに1日半、帰りは1日半から2日かかりました。それでも管理人は1回行ってすっかりとシパダン島の魅力にはまってしまいました。ただ、ストロング・ダイバーではないので、毎回のんびりペースでシパダンの島と海を楽しんでいました。

 往復ともセンポルーナでの待ち時間の間、いつも貝殻で作ったペンダントを売りこみに声をかけてくるおじさんがいました。貝殻を磨いてマンタやイルカ、クマノミなどきれいに作ってあります。値段は交渉しだい、気をつけないとリンギットだと思って品物を受け取ってしまうと、USDだといわれてふんだくられます。

島の概要

 ボルネオ半島の北東の端からさらに東に向かって海を進み、外洋に出たかと思うと間もなく海底からぽっこりと隆起した小さな島です。島の周りは急激に落ち込んでいるドロップオフになっているので、ハウスリーフや島の周りでも大型回遊魚がたくさん見られるので、まさに「奇跡の島」と言われる絶好のダイビングロケーションを有しています。私が聞いた限りでは、ダイビングスポットとしてボルネオダイバーズが開発したとも、シパダンロッジのSKサンと仲間たちが見つけたとも聞いていますが、元々この島は漁師であった「アブディラおじさん」が住んでいた島で、ASP:アブディラ・シパダン・パラダイスの敷地内には、そのお墓がありました。

 島の大きさは歩いて1周20~30分で、真ん中部分のほとんどが木に覆われたジャングルです。元々椰子の木はなかったそうですが、ASPの敷地に後から植えて結構な本数がありました。なんとヤシガニもいて、スタッフが捕まえて見せてくれました。野鳥もたくさんいて、ガラパゴスほどではないですが結構な大きさのトカゲもよく見かけました。

 そして、この島はウミガメが産卵に来る島で、島の周りの海にはたくさんのウミガメが住み着いています。

 困った生き物もいて、南の島では「ゲッコー」と呼ばれるヤモリは部屋の中にも入ってきて、嫌いな人は「キャー」となりますが、虫を食べてくれたり、「ゲッコー」という鳴き声を連続7回聞かせてくれたときに幸せが訪れるなんて言い伝えもあったりして、管理人的には好きな部類なのですが、「ダニ」こいつが枕やベッドのマットレスに住み着いていて、刺されるとやっかいなことになります。
 さらに困るのが「サンド・ビー」蚊に刺されてかゆいと思ったらなかなか治らずに、刺されたところが化膿して皮膚が崩れてくるなんて症状が出たらこいつです。1~2mmの黒い、ハチを小さくしたような虫で、口がとがっていて皮膚に食い込むように刺します。これが、日中ビーチで寝転がっているときにやられるのでたちが悪いのです。ダニとサンドビーに刺されたところが半年くらい痒くて、やっと収まったと思ったらまたシパダンに行って刺されてくるのを繰り返していた時期もありました(汗。

 ドロップオフのところには直接波が当たるので、そのあたりの砂はパウダーのようにきめが細かい気持ちのいい珊瑚の白い砂でした。ASPやシパダンロッジのあたりは、リーフエッジが沖の方にあるのでそこが防波堤になり、波はほとんどないのですが、砂は砕けきらないざらざらした砂でした。ドロップオフのビーチは管理人が初めてシパダンに行ったときから比べても年々浸食されてきて、PSRの海に面したデッキの先端が崩れたり、SDCの食事用デッキを陸の方に下げたり、管理人がSDCに泊まっていた大潮の夜は、波が食事用デッキの下まで押し寄せていました。

シパダン島の歴史(出典:島に設置された看板,2010年7月)

 Sipadan Island got its name from the word SIPADAN, Which refer to a dead body of a person namely PARAN ( Si PARAN ) whom had been found restlessly on the beach of the island.

~1878  Under Sultan Sulu's territory.
1917  Turtle Preservation Ordinance 1917, Sipadan Island were made as the "Native Reserve" subiect to British North Borneo Company's Governor Jurisdiction.
1933  Sipadan Island was gazetted as Bird Sanctuary.
1961  Light House were built for navigation purpose.
1969  Negotiation started regarding the claim of power authority and ownership of Sipadan and Ligitan Island between Malaysia and Indonesia.
1986  Started building chalet for recreation and operating scuba sport activities by private party.
1997  Special Agreement Malaysia - Indonesia were signed, referring the solutin of ownership through International Count of Justice ( ICJ ); 30th May 1997.
2002  ICJ decided that the sovereignty right of Sipadan and Ligitan Islands were given ownership to Malaysia; 17th December 2002.
2004  All resort operaters were instructed to dismatle their structures and move their operations out of Sipadan Island by 31st December 2004.
2005  Sabah Parks Authority to manage Sipadan Island; 1st January 2005.

 2010年に撮ったリゾート撤退後の島の写真です。かつてのシャレーは撤去され、森に戻されています。桟橋とボルネオダイバーズだった建物の一部は管理小屋として残されています。SDC側の奥に屋根のかかった休憩所兼ランチスペース、その奥にトイレが作られました。
 休憩所の東側には、島を警備する軍が駐留する建物があって、自動小銃を持った兵士が常に監視しています。

リゾート・ライフ

 歩いて30分ほどで1周できる小さな島に5(後に6)軒のリゾートがありました。島の正面ともいえるドロップオフの前には、向かって右側にPSR:プラウ・シパダン・リゾート、真ん中にボルネオダイバーズ、左側にSDC:シパダン・ダイブセンターがありました。この3軒は間口が狭くなるので、島の奥の方に縦に敷地が伸びていました。
 SDCの左奥には、ASP:アブディラ・シパダン・パラダイスが、さらにその左奥にはシパダン・ロッジがあり、この2軒はドロップオフから遠くになりますが、敷地に余裕があって横に広がっていました。
 後から、PSRの右側にパジャウハット(だったと思いますが)というリゾートができました。

 どのリゾートも同性相部屋システムがあったので、一人で行っても追加料金はありませんでした(一人部屋追加料金を払えば一人で一部屋に泊まれます)。相部屋は同性なのはもちろんですが、基本的に同じ国の人とと組み合わせてくれます。シパダンロッジやASPは満室になることはなかったので、一人で部屋を占領できたこともありました。

 いずれのリゾートも、客室は木造のシャレーで、レセプション兼レストランとダイビングサービスが別にありました。基本的に客室は一つの棟に二部屋が左右対称に配置されいて、客室内にはツインベッド、テーブル、シャワールーム、洗面、トイレがありほとんどエアコンもついていました。トイレは水洗、シャワーは一応真水で、昔台所の壁についていた小さいガス瞬間湯沸かし器が電気式になったような温水器により、水量は少ないですがお湯のシャワーが浴びられました。バスタブ?もちろんありません。アメニティーセットもありません。バスタオルとシーツは滞在中1枚です。テレビ?チミは何をしにここへ来たんだね?(レセプションにはありました)

 発電機を使って電気を起こしているので、昼の間は客室の電気が止まっていたり、2台の発電機を交互に使うので、切り替えの時に電気が切れてエアコンが止まったりして、リセットするためのボタンが各部屋にありました。でも、似たような緊急通報用のボタンもあったので、間違って押すと大騒ぎになりました。

 食事はマレー風中華料理がメインでゲストに合わせてパスタや刺身がでることもありました。肉、魚、野菜料理が5~6品並び、果物、スープにデザートもついてビュッフェ方式なので、好きなものを好きなだけ食べられます。食事スペースのテーブルに相席で自由に座って食べるので、別のグループのゲストとも自然と話が進みました。ガイドスタッフも混ざってくるので、リピーターになると本当に仲良くなれました。
 コーヒー、紅茶、そして「マイロ」そう、日本では「ミロ(MILO)」がマレーシア人は大好きなようでどのリゾートにも置いてありました。そしてクッキーやトーストなども置いてあるので、ダイビングから戻って小腹が空いたときは軽くつまめます。リゾートによっては、3食以外のダイビング後に揚げバナナや手作りケーキでティータイムをするところもあって、ダイビングだけではなくおなかも常に満たされていました。

 食べるか、ダイビングをするか、寝るかの生活ですが、時々ダイビングを休んだときなど島の周りを散歩しました。波打ち際には貝殻がたくさん落ちていて、朝方は特にたくさんあるので、貝殻拾いをするのも楽しみでした。ナイトダイビングをしないときは、夕飯をゆっくりと食べます。たいていスタッフも一緒になってどんちゃん騒ぎになります。ギターの伴奏に合わせて歌うのが「シパダン・ソング」、日本の歌を披露する人もいました。

 一緒に潜って、水中での様子をビデオで撮影して、編集して、そのビデオを売るという商売をする人と提携しているリゾートもあり、夜は毎日夕飯時に上映会が開かれていました。

 そうこうしていると、「カメタマゴ、イク?」とレンジャーが声をかけてくれます。夜間はウミガメが産卵に来るために、リゾート前のビーチ以外は出歩いてはいけないことになっていますが、あらかじめお願いしておくと、ウミガメが産卵しに来たときに連れて行って見せてくれます。早朝、島を散歩していると、亀が這った砂のあとやレンジャーの方が夕べ産卵した卵を掘り起こして、孵化場に持って行くところが見られました。
 子ガメが生まれると夕方海に放すセレモニーが行われ、一生懸命に海に向かって歩いて行く子ガメの姿が印象的でした。

 ヨーロピアンなど長く滞在する人の中には、リゾートを渡り歩く人もいました。なので、前のリゾートにひょっこり現れて一緒に夕飯を食べているなんてこともあり、どこのリゾートもビュッフェスタイルなので、その辺適当に今夜はちょいと隣のリゾートの夕飯の味を見るか、なんてあまりうるさいことをいわずに交流していました。
 お酒や夜更かしが好きな人は、ドロップオフの桟橋にあるバーに行って飲んでいました。シパダンではオールインクルーシブで追加のものは最終日精算なので現金やカードを持ち歩く必要はないのですが、バーに行くときだけは現金を持って行きました。

各リゾートの概要はこちら

シパダン・ロッジ

 管理人が1996年7月に初めてシパダンに行ったときに泊まったところです。敷地はジャングルに囲まれて広々していましたが、ドロップオフから一番遠いせいか日本人には人気がありませんでした(というか、日本人だけではなくいつ行ってもすいていました)。1日3回のレギュラーのボートダイブと、リクエストで早朝、サンセットまたはナイトダイブに干潮時を除いてリゾート前からボートで行けました。というわけで、ここは、1日最大5回までというダイビングルールでした。

 当時は歌手の杏里に似た「カオリ」さんが日本人ガイドとして常駐していて、ダイビング以外にもサポートをしてくれました。ジリーという正統なクイーンズ・イングリッシュで話す英国人ガイドもいました。そこに、その後ガイドスタッフとしての能力をめきめきと向上させ、ガイド頭となる地元のダイブマスター、ジェフリーも働いていました。そして、圧巻なのは「SKさん(さんはsonかもしれません)」という、シパダンをダイビングサイトとして開拓したメンバーの一人が、この頃はリゾートに常駐してガイドもしていました(その後、忙しくなってあまり島にはいなくなってしましました)。カオリさんがいなくなった後は、ナオコさんが日本人ガイドとしてやってきましたが、入島制限でいられなくなって、同系列のマンタナニ・リゾートにジリーとともに移っていきました。

 SKさんのガイドは毎回はずれなく、特にバラクーダの群れを見つけることにかけては天性の能力を持っているシパダンガイド陣の柱の一人でした。リーフエッジからやや離れたところを泳いでいて、急に向きを変えたかと思うと「ついてこい」と合図、しばらく泳いでいったその先にはボヤーッとバラクーダの群れが現れてくる。どうしてこれがあの位置から見えるのだろう?毎回不思議でした。そして我々のエア持ちがいいこともあり、SKさんのガイドの時は、毎回1時間を超える潜水時間楽しませてくれました。

 好きなときにドロップオフでガシガシ潜りたいという向きには不便ですが、場所が一番端にあって、客が少ない(必然的にダイバーも少ない)ので、のんびり、ゆったり、静かに過ごしたり潜ったりしたい人には最適なリゾートでした。

 2001年に行ったときには、立て替えてきれいになっていました。

 

アブディラ・シパダン・パラダイス(ASP)

 敷地内に元々この島に住んでいたアブディラおじいちゃんのお墓があるリゾートです。ここもドロップオフから離れているので、基本、すべてボートダイビングでした。1998年7月に初めて泊まりました。ここも比較的ゲストは少なく、ゆったりと過ごせました。

 ガイディングが画一的で、どのガイドのダイビングも3段階深度、時間は45分の基本ルールに則って先導するだけという感じでやっていました。しかし、2003年に行ったときにジェフリーがシパダンロッジからASPに移ってきていて、ガイドの質が上がっていました。スーパーガイドになったジェフリーですが、ASPには、経営者の息子「ジェフリー」がいたので、ここでは「トム」と呼ばれていました。

 敷地はここだけ椰子の木がたくさん生えていて(植えたらしいです)南の島気分が味わえましたが、適当に生えていたので歩くときは「頭上注意」と言われました。施設は建て替えたばかりだったので、壁や床はきれいで、隙間もありませんでした。2004年にはレセプションにカラオケルーム(ミラーボール付き)兼シアタールームを作って、息子が気に入ったゲストを連れ込んでいました(管理人たちもなぜか一度連れ込まれたことがあります)。

 日本からの客も多く、かといってゲストの全体数は多くないので、こぢんまりと盛り上がれました。

 

シパダン・ダイブ・センター(SDC)

 2003年12月に1度だけ泊まりました。ドロップオフが目の前なので、3ボート以外は基本放置です。ドロップオフに潜るときは、ボードに書いて、自分で器材セッティングをして潜ります。なので、自己責任で1日何本でも潜れます。

 敷地は縦長で、手狭な感じで部屋が配置されていました。レセプション、食事スペースは砂浜に面したオン・ザ・ビーチなのですが、満潮時には波が軒下まで押し寄せていました。

 ヨーロピアンが多かったので、食事はパスタなども出てきましたが、中華風マレー料理も含め、全体的に味が薄い、パンチに欠けた味付けでした(以前はおいしかったけれど、シェフが変わったらしいです)。

 

ボルネオダイバーズ

 シパダンで最初にできたリゾート、島の出入り口の真正面にたつ、シパダンで一番有名な……でも管理人は泊まったことはありません。外側からですが、いつも大勢の客(ダイバー)がいて、賑やかで、夜も盛り上がっていて、客層は白人系が多く、ストロングダイバーだらけといった印象でした。

 追い出されるまでは日本人ガイドもいて、管理人が手伝っていたショップのツアーでは、いつもここに泊まっていました。

 ビーチフロントの部屋はとても景色がいいのですが、シパダンで唯一ケ所ドロップオフは波が直接当たるので、夜はうるさくて眠れない日があるといっていました。

 

プラウ・シパダン・リゾート(PSR)

 1998年12月に一度だけ泊まりました。ドロップオフの目の前でSDCと同じシステムです。

 シパダンロッジもASPも早朝ダイブはボートで連れて行ってくれたので、早朝もセルフで行けといわれて、はじめはカンムリブダイの朝の出勤に出会えませんでした。同じリゾートの人から、バラクーダポイントに向かってひたすら泳いでいけば会えると聞いて約20分、へとへとになった頃にいました、カンムリブダイの群れ!その後、20分かけて泳いで戻らなければなりません。
 というわけで、ドロップオフからは遠かったけれど、シパダンロッジやASPの方が楽だと思いました。

 敷地は、はじめは西側が開いていたので、西側に向かって開けていて、そこのシャレーでは目の前のビーチでゆったりすることができました。

 施設は他のリゾートと同様ですが、唯一、シャワーが電気温水器ではなく太陽熱で温めた水を使うシステムだったので、曇りや雨の日は冷たいシャワーしか浴びることができませんでした(こんな日こそ温水がほしいのですが)。でも、レセプションはドロップオフに突き出た2階のデッキになっていたので、そこから見る景色は絶景でした。

 このデッキですが、はじめのうちは海側から上がる階段の前に砂浜があったのですが、ある年から急に、地球温暖化による海面上昇の影響でしょうか、砂浜の浸食が進み、島が閉鎖される頃には階段の上り口まで海水につかってしまう状態になってしまいました。

 ここも、常にゲストが多く賑わっていました。

 

パジャウ・ハット(PSR)

 PSRの西側に位置し、シパダン・ハットとして紹介されているパンフレットもありましたが、幻のリゾートです。当時のどのダイビング雑誌や旅行会社の案内にも「シパダンには5つのリゾートがあり…」となっていて、ここの存在が示されていたのは、私が知る限りでは1つの旅行会社のみでした。

 管理人がここの存在に気がついたのは、島が閉鎖される2~3年前だったと思いますので、実際に営業開始もその頃からで認知される前に島が閉鎖され、リゾートが撤退してしまったと思われます。あるいは、PSRの一部だったのかもしれませんが、詳細は不明です。

シパダン島閉鎖後の各リゾート

シパダンロッジは、マンタナニ島にあるマンタナニ・リゾートに拠点を移しました。

アブディラ・シパダン・パラダイスは、クルーズ船セルベス・エクスプローラーでシパダンをはじめセルベス海のダイブクルーズをしています。

ボルネオダイバースは、マブール島に拠点を移し、シパダンにも潜りに来ています。

プラウ・シパダン・リゾートは、カパライ島に拠点を移し、シパダンにも潜りに来ています。

ダイビングポイント

 島の周りのリーフエッジ沿いがすべてダイビングポイントです。バラクーダやギンガメアジ、バッファローフィッシュの大群、ウメイロモドキやクマザサハナムロの群れ、サメやロウニンアジ、ウミガメやツバメウオなど大物、ワイドのイメージですが、珊瑚の上にはキンギョハナダイやスズメダイなどの小物が、棚の砂場にはニチリンダテハゼやアケボノハゼ、ヤギにはニシキフウライウオやクダゴンベ、各種ウミウシなどマクロな生き物もたくさんいました。
 ウミガメはあちらこちらにいて、ウミガメを見ないダイビングはできないほどでした。
 ハードコーラルにソフトコーラル、ドロップオフやカバーンなど地形も様々で、カバーンのタートルカバーンの中には、フラッシュライトフィッシュがいたりウミガメやイルカの白骨があったりと、いろいろと見所がありました。
 とにかく魚影が濃く、魚の大きさも大きく育った個体が多いように感じました。ただ、大物の仲間のマンタやジンベイザメなどはシパダンで見られたらラッキーという頻度でしか見ることはできませんでした。

ドロップオフ  ビーチを歩いて、桟橋脇のリーフの浅場でフィンをつけたらすぐ先が600mまで落ち込むドロップオフの壁になっています。私がシパダンに行き始めた頃は、この浅場にかわいい魚がたくさんいて、ギンガハゼやウミウシも見られました。ドロップオフの壁際は所々オーバーハングになっていて、朝夕はカンムリブダイが、昼はウミガメがはまって休んでいます。砂の棚になっているところには、ハタタテハゼ、クロユリハゼ、オドリハゼ、ニチリンダテハゼ、ネジリンボウ、そして比較的浅いところにアケボノハゼが群れで住んでいるところもあります。ギンガメアジ、バラクーダ、カスミアジ、サメ、ナポレオンなどの大物も普通に見られます。
 水深5mのところには水平にラインが張ってあります。安全停止用かと思いきや(もちろん安全停止に使ってもいいのですが)、なんとシパダンでオープン・ウォーターなどのライセンス講習が行われることがあるそうで、そのためのラインだそうです。
タートルカバーン  ドロップオフを右肩に見ながら進んでいくと、水深18m付近にカバーン入り口の目印になる棚が見えてきます。中は広い穴、その先は狭い穴が複雑に入り組んでいます。私がシパダンに行き始めた頃は、自己責任で自由に中に入れましたが、その後入り口に、立ち入り禁止のプレートが設置され、ガイドと一緒でないと入れなくなりました。その後さらに、ガイドもなるべく中にはダイバーを入れないようになりました(噂によると何人か死んだそうです)。
 カバーンの中は暗く、闇を好む魚が群れをなしています。中から外を見ると入り口から青い光が差し込んでいてとてもきれいです。奥の棚には、ウミガメやイルカの骨が横たわっています。まあ、本当に迷って死んだわけではなく、人間が置いたらしいですが。
 はじめの頃に、ガイドに連れられてかなり奥の方まで行ったことがあります。穴を進んで曲がっていくと、出口の光が見えなくなり、もう心臓はバクバクで、迷ったら死ぬなと本気で恐怖を感じました。
 珍しい魚としては「フラッシュライト・フィッシュ」を見ることができます。目の下に発光器官を持っていてフラッシュのようにピカピカ光らせます。ナイトダイブでは入り口の棚で待っていると、群れで出てきて、それはもうピカピカときれいな光の饗宴を見せてくれます。でもこれ、危険なのでガイドもスタッフも教えてくれません。穴の中にフラッシュライト・フィッシュがいるのを見つけたので、もしかしてと思って内緒で見に行って見つけたものです。今となってはシパダンでこんなナイトダイビングをすることはできなくなってしまったので、お話ししちゃいました。
バラクーダポイント  管理人が一番好きなポイントでした。エントリーして下の方を見ると、壁に沿って青い水と白い光がどこまでも続いていく、なんともいえない美しい光景がいつも見られました。流れが速いときは「ピュー」と流されて、あっという間にコーナーまで連れて行かれてしまいます。流されながら、ウメイロモドキの群れ、ハタタテダイの群れ…サメ、ロウニンアジなんかを眺めているとガイドからの合図、バラクーダの群れの出現です。
 やや沖の方を泳いでいることが多いのですが、追いかけると逃げてしまうのでじっと我慢です。うまくすると、管理人が「玉座」と呼んでいる内側のリーフの棚に入ってきてトルネードを始めるので、そうなったら近づいて写真を取り放題です。
 玉座にはネムリブカが水底に常にいます。バラクーダの他にツバメウオが一列でいつまでも途切れない群れで現れたこともありますし、運がよければ、ギンガメアジの群れもやってきて、バラクーダの群れと重なる「ギンバラ」という状態になったら大興奮です。
 シパダンの群れを見てしまうと、パラオやメナドのバラクーダの群れは、群れに見えなくなってしまいます。しかし、バラクーダが現れないと外れダイビングかと思いきや、この玉座を始め、注意して見ていれば、チンアナゴ、ニシキフウライウオ、ハダカハオコゼ、一度ウミテングが見られたこともあり、小物も楽しめるポイントです。
コーラルガーデン  名前のとおり、ソフトコーラルのお花畑が広がったポイントです。浅場には枝珊瑚やテーブル珊瑚などのハードコーラルもびっしり生えています。いかにも「南の島の海」といった魚がたくさん見られます。
ホワイトチップアベニュー  リーフの棚に真っ白い砂地が広がっていて、ホワイトチップが寝ています。ここも、きれいきれいなポイントです。
ミッドリーフ  ウミガメとキンギョハナダイが多いポイントです。
タートルパッチ  ここも名前のとおりウミガメが多い(シパダンはどこを潜ってもウミガメだらけですが)ポイントです。棚の上の方をい見ていると、巨大なロウニンアジやフグが悠々と泳いでいるのを見ることができます。
サウスポイント  バラクーダポイントにバラクーダがいないときはここにいることも、バラクーダだけではなくギンガメアジやロウニンアジが群れでぐるぐる回っていることもあります。管理人は、一度ここでギンガメアジの巨大なアジ玉に圧倒されたことがあります。
スタッグホーンクレスト  水深5m以下の浅瀬の珊瑚の棚に、ハードコーラル類がたくさん生えています。カスミチョウチョウウオ、ハタタテダイの群れが見られます。
ロブスター・レアーズ  ドロップオフのオーバーハングの壁のところにロブスターの住む穴がたくさんあることからこの名前がついたそうですが、昼間はロブスターがたくさん見られるわけではありませんでした。スタッグホーンクレストの隣で、同様にハタタテダイの群れが見られます。
ハンギング・ガーデン  オーバーハングの壁にソフトコーラルがたくさんつる下がっています。タカサゴが行き交い、キンギョハナダイやチョウチョウウオ類がたくさんいる華やかなポイントです。
ウエストリッジ  ドロップオフですが、垂直の壁ではなく、ほどほどの大きさの棚が折り重なるようになっていて、小物がよく見られます。ここで、ミノウミウシ多数、コウワンテグリを初めて見ました。
ノースポイント  ドロップオフのすぐ脇なので、ウエストリッジからここを通ってドロップオフにエキジットしたり、ドロップオフからここまで行って戻るコースで潜るくらいで、特別何がいるわけではありませんが、ノースポイント側はバラクーダポイント側と違って不思議な独特の雰囲気が感じられました。

ダイブスタイル

 ダイブポイントは、すべて島の周りなので島の裏側のポイントでもボートで10分かかりません。午前2本、午後1本のボートはガイドがついていろいろなポイントに潜りますが、それ以外はドロップオフでのセルフダイビングです。ASPとシパダンロッジはドロップオフから遠いので、モーニング、サンセット、ナイトも干潮でボートが出せないとき以外は、リゾート前からボートでガイド付きで潜りに行きます(ただし、サンセットとナイトはどちらか一方になります)。

 自分の部屋番号の棚に置かれたかごに器材とウエイトを入れて管理します。ウエットはハンガーに掛けておきます。ダイブセンターのスケジュールボードの自分の名前のところに○×で各時間のダイビングに参加するかしないかあらかじめ書いておきます。すると、スタッフが朝までにグループ分けをしてボードに書きますので、自分のグループのガイドとボートマン、出発時刻とポイントを確認します。通常は1本目のグループのまま1日過ごします。重器材はスタッフがボートに積んでタンクにセットしておいてくれるのですが、時々間違えるので自分で確認が必要です。

 タンクはアルミの14リットルです。かなり大きいので、エアが50を切ると急激に浮力が増してくるので、いつもより1kg重めのウエイトで潜るのが無難です。

 ウエットに着替えて3点とカメラ、コンピューターなど必要なものを持って自分のボートに乗り込みます。ポイントまですぐなので、マスクの曇り止めやウエイト装着などの準備はどんどんやっておきます(本当はいけないのですが、スノーケルは着けないスタイルです)。ポイントに着くとブリーフィング、続いてスタッフが順番にレギュレーターに貼った部屋番号のテープを見て、近くの器材から部屋番号を呼んで器材を持ってきて、着るのを手伝ってくれます。

 準備ができたら、ボートの縁に座ってバックロールでエントリー、全員そろったら一斉に潜行します。後はガイドについて行くのですが、島の壁を左か右に見ながらドリフとしていくのが一般的です。壁から離れすぎると沖だしの潮に巻き込まれてしまうので注意です。川のように速い流れの時もよくあるので、はぐれてしまうこともありますが、流れに乗って島から離れないようにしていると、流れの弱くなる合流地点に自然といけますので、そこで、合流できます。

 もし合流できなくても、適当な時間で浮上すれば、水面にはどのポイントにもシパダン島や他の島から遠征で来たボートがたくさんいるので、適当に拾ってもらえば、お互い様で自分のボートまで連れていってもらえました。なので、リピーターは水中ではぐれても、ガイドも本人も心配していませんでした(なるべく離れないでねとは言われますが)。

 リゾートに戻ったら、カメラとコンピューター以外の器材はボートに置きっぱなしで大丈夫ですが、1日の途中でやめる場合は、自分ですべての器材を降ろして片付けます。
 ダイブセンターにもお菓子やお茶が置いてあるのでそのまま休憩してもいいし、部屋に戻って一休みしてもいいし、小さいリゾートなので、好きなようにできます。疲れてしまって、午後も潜るつもりだったけどやっぱやめた、というときはガイドに一言いえば大丈夫ですし、ドタキャンもあり、逆に急に行きたくなったもありで、すべてが小さい島の範囲で終結してしまうシパダンならではの自由さでした。ボートに乗らないで、1日中ドロップオフでセルフダイビングというカメラ派もいました。

ダイビング以外にも

 日本からは遠いシパダン島ですが、マレーシアの人にとっては国内旅行、日帰りの海水浴場として家族、グループ、ツアーで来ている人たちがいました。海の家はないので、各リゾートを利用していたので、午前のダイビングから戻るとレセプションが人だらけ、なんてこともごくたまにありました。
 リゾート前の海でスノーケリングや磯遊び、島の散策などを特別料理を飲み食いしながら…ですが

 ドロップオフに近い3軒は、ダイバーで常に一杯だったので、このような客は受け入れる余地がなかったようです。ASPにいくと余裕があり、シパダンロッジでは夏にもかかわらず1週間管理人たちしかいないなんてこともありました。なので、ダイバー以外の客で稼ごうとしていたのでしょうが…、「今日は昼は海水浴のグループが来るので賑やかになりますよ」といわれていたのに、昼になってもそんな気配はない。聞いてみると「こっちに来る予定だったお客さんが、センポールナで他のリゾートに取られちゃったみたい」なんか適当でいいですね。というわけで、シパダンに何度も行きましたが、海水浴のグループと遭遇したのは、2回だけでした。

 日本人は旅程も短いこともあり、滞在中ダイビングしまくる、いわゆる「ストロング・ダイバー」が多いのですが、ヨーロピアンはゆったりした日程で来る人が多いので、ストロング・ダイバーもいましたが、のんびりしている人も多くいました。スノーケルしたり、ビーチで寝転がって日焼けしていたり、シパダンに通い始めた頃は白人女性が「トップレス」で寝転がっている姿もよく見られました。

入島制限からリゾート退去

 1日中潜っているから粗末な部屋でもかまわない、修行しているかのごとく何かに取り憑かれたようにダイビングさえできればいいというダイバーにとっての理想郷、まさにダイビングパラダイスなシパダン島でしたが、ある日魔の手が迫ってきました。自然保護のため?軍の施設を作るため?サバ州の王様がプライベートビーチにするため?様々な噂がありましたが、とにかく、シパダン島でダイビングができなくなってしまうらしいという噂が聞かれ始めました。
 そしてついに1999年から入島制限が始まってしまいました。

 1日に宿泊できるゲストは70名まで、1リゾートあたり14人です。リゾートスタッフやダイビングスタッフも減らさなければなりません。外国人労働者禁止なので、当時各リートにいた日本人ガイドも出ていきました。こんな状態で経営は大丈夫なのか?そう、たぶん、じわじわと真綿で首を絞めるようにして、リゾートが自分から出て行くように仕向けていたのでしょう。しかし、不思議なことにリゾートが撤退する様子もなくその後も予約は難なく取ることができ続けました。

 島に泊まるにはパーミッション(許可証)が必要で、ゲストが持っているわけではなく、ツアーエージェントが管理していました。しかし、1999年12月にシパダンロッジに泊まっていたとき、管理人はたまたま2本目のボートをパスしてリゾートにいたときに事件が起きました。時々入島制限違反がないか警察が取り締まりに来るのですが、この日もドロップオフに近いリゾートからがさ入れが始まったという情報がロッジに来ました。そして、オーナーの奥さんが「Mr.ホサカ、あなたは許可リストに載っていないので部屋に鍵をかけて静かに隠れていて」といわれました。「えーっ?」とにかく隠れてそーっと外の様子をうかがっていました。しばらくしてボートダイビングから帰ってきた、リゾートで合流した日本の方が警察と話をしていたかと思うと、身の回りの物だけもって連れて行かれてしまいました。

 結局彼ら(連れて行かれた人は複数)は一晩センポルーナで取り調べを受け、翌午前に島に帰ってきて、その後は帰国日まで普通に過ごすことができました。話を聞くと、別にひどいことはされなかったようです。まあ、もちろん彼も私も日本でちゃんとした旅行会社に正規の料金を払ってきているわけですが、たぶん現地のエージェントがごまかしたのでしょう。そりゃ、1日最大14人ではリゾートがつぶれます。

 その後も今年いっぱいで潜れなくなるという噂が毎年繰り返され、入島制限は続いているものの、取り締まりなどはなくこのまま細々とリゾートは続けられるのではないかと思われていました。管理人はいつ島が閉鎖されるかわからないので、今のうちと、せっせとシパダンに通い続けていました。

 2004年、ついに運命の決定がくだされ、12月31日をもって島は閉鎖、翌年1月にリゾートはすべて強制退去、施設は取り壊しが決まりました。管理人はこの最後に立ち会うべく年末までASPにいましたが、31日でシャットダウンされることはありませんでした。「1月まで予約が取れて来たよ」といってシパダンで年越しをした知り合いに後から聞いたところによると、年が明けてゲストがいなくなった部屋から順にベッドやタンスなど使えそうな物は無理矢理船に乗せて運び出して撤退の準備を始めたそうです。そして、建物も順次壊されて撤去されました。
 島が閉鎖されリゾートが撤退してからも、島への宿泊はできなくなりましたが、幸い島の周りのダイビングポイントで潜ることは可能で、ドロップオフ周辺の限られた区域だけ上陸してトイレを使ったりランチを食べたりすることは許されました。ドロップオフの桟橋の先にあったカフェバーは、管理事務所にかわりました(敷地の隣には軍の兵隊さんが常駐しており、立ち入り禁止区域に入ると撃たれるよといわれました)。しかし、1日120人までの制限があるのと、マブール島などの周辺の島からの遠征で潜るため朝から晩まで好きな時間に好きなだけ潜るといったことはできなくなってしまいました。

 島が閉鎖されてからも、管理人はマブール島やカパライ島に泊まって、滞在中1回、ラッキーなときは2回抽選に当たってシパダン島で潜ることができていました。しかし、島が閉鎖される前から海賊によるゲストの誘拐と身代金要求事件や閉鎖後も周辺の島で警備員が射殺される事件などが続くようになり、管理人は2013年7月のカパライ島を最後にこのエリアへの渡航を控えています。

 結局、島の閉鎖の理由は環境保護だったようですが、その後、島の施設を改修する資材を運ぶ船がドロップオフの珊瑚に激突して大ダメージを与えてしまったという話がありましたが、ダイバーも減って魚の数が昔のシパダンのように増えてきたとも聞きます。このダイビングパラダイスを一時満喫できて、管理人は幸せだったと思います。

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