ショパン全作品を斬る
1844年(34才)
次は
1845年(35才)
♪ 前は
1843年(33才)
♪
目次
♪
音楽の間
に戻る ♪
詠里庵ホーム
に戻る
夏はノアンのジョルジュ・サンドの別荘で過ごし天才的創作活動が 続けられるという生活も段々残り少なくなって来た。 ショパンの健康にも衰えが見え始め、 父ニコラス(ポーランドではミコワイ)も亡くなり、 ショパンにとってはつらい年であった。 しかしこの年、 一番親しかった姉ルドヴィカと実に出国以来初めて会うことができた。 次に会うのは自身の臨終の時になるとは予想するはずもない。 ルドヴィカに会ったこのときのショパンの喜びはどんなであったろう。
[212] ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58
1845年出版。エミリーエ・ド・ペルトゥイ伯爵夫人に献呈。
室内楽や協奏曲を含めショパンのソナタ楽曲はどれも力の入った作品あるが、 これも大作である。 第2ソナタの破天荒さに比べると幾分カッチリとした古典様式を踏襲しているが、 高度に発達した構成と聴く者に与える大きな感動は、 これをピアノソナタの最高ランクに入れることを躊躇させない。
第1楽章は序奏はなく、 少し後に作曲されるチェロソナタのように決然とした主題が冒頭から提示される。
譜例1
続くニ短調の推移モチーフはその後に来るニ長調の第2主題を予告する。
譜例2:上が推移モチーフ、下が第2主題
これはこじつけのように思われるかも知れないが、 上の推移モチーフが3回繰り返されて聞く者に暗に焼き付き、 続く第2主題の出現をごく自然なものにするのを意識の下で助けているように思えてならない。 譜例2に続いて出る美しい後半動機は、 そのエッセンスを見ると単なるトニック分散和音である。
譜例3:上が第2主題動機後半、下はエッセンス
ショパンはときどきこのように単純なメロディーからふくよかなメロディーを派生させる。 この第2主題は息の長い美しい旋律を心ゆくまで堪能させてくれ、 メロディー作曲家としてのショパンの面目躍如たるものがある。 比較的珍しい音型の分散和音による左手伴奏は非常に広い音域の跳躍を含むが、 これも人工的でなく自然な音型で、 メロディーを引き立てている。 続いて提示部終止に向けて次々と繰り出される経過句も、 魅力的なパッセージをこれでもかこれでもかと言わんばかりに盛り付けて来る。 並みの作曲家ならこんなにふんだんな材料を使うのはもったいなくて、 何曲かを作るために出し惜しみするのではないか。 そして提示部終わりの夢見るような小終止。 その麗しさは特筆に値する。 主題提示部が終わると繰り返し記号で最初に戻るが、 演奏によっては繰り返しを省くこともある。 続く展開部は第1主題と同様の緊張感で始まる。 肯定的な第1主題とは異なり、懐疑的に始まる。 ありきたりでない和声の推移、 主題の見事な料理、 次々続く起承転結のドラマ。 この展開部は秀逸である。 再現部で第1主題を省略し第2主題から始めるのはショパンの得意技である。 提示部でニ長調だった第2主題はロ長調で現れる。 普通なら提示部より複雑にしてさらなる盛り上げを図るところ、 むしろ装飾を簡単化し朗々と歌う。 策を弄さなくても既にゆるぎない傑作である曲の余裕というか、 かえって大人の感動を与える。 あとは定石通りだが、 提示部を単に移調したのでなく微に入ったところで変えてあり、 芸が細かい。 最後は流麗に波打つロ長調の分散和音が盛り上がり、 回想的とも言える短いコーダで情感の起伏を込めて終わる。
第2楽章のスケルツォはショパンが書いた中で最も本来のスケルツォ的センスに満ちた曲と言える。 ウィットと諧謔性に富み、 スケルツォ1〜3番や第2ソナタのスケルツォのような悲愴味はない。 細かくみるとユーモアある右手の速い走句は上下にうねり、 優美な波動を形作っている。 ロ長調のトリオはオルガンと合唱のコラールのよう。 ロ長調の第3音が変ホ長調の主音なので、 ごく自然に主部に戻り。 地に足の着いた充実のロ調で書かれた1、3、4楽章に挟まれたこの間奏曲風の急速な変ホ長調の楽章は、 どこか仮の世界に吹いた一陣の疾風のように終わってしまう。
第3楽章は遅い行進曲風のリズムに乗るロ長調のロマンス。 この主題、何かに似ていると思っていたが、 いずれも後世の作品だがワーグナー「タンホイザー」やスッペ「詩人と農夫」に多少似ている。
譜例4:上段ショパン、中段スッペ、下段ワーグナー
両端の主部に挟まれたホ長調の長い中間部はいかにも甘く美しい。 練習曲作品25-5の中間部やラフマニノフピアノ協奏曲第2番第2楽章を連想させる。 主部を回顧したあと最後に中間部の三連符を思いだし、 リスト的増三和音が効果的に鳴ってロ長調で終わる。
フィナーレは疾風の5分間マラソンのような、 いっときも息をつかせない音楽。 音符の量が多く楽譜のページ数が多いにもかかわらず、 全く休まず急速に弾き切られるので5分で終わってしまう。 この楽章には緊張感のある8小節の短い序奏がある。 これはフォルテで始まりそのままクレシェンドするように書かれているが、 ピアノで始める演奏も良くある。 個人的には、 第3楽章が静かに終わったあと大音響で始まるよりは、 ピアノで始まり大きくクレシェンドしてフィナーレへの期待感を持たせる方が好みである。 この序奏のエッセンスは次のようなものであろう。
譜例5
そして第1主題。 ヘ音記号音域で始まるうごめくような主題は押さえた音量で始まるも煽動力を持っており、 徐々に盛り上がるこの楽章の行く末を予想させる。 この主題が都合3回繰り返されるが、 その間に急速な音階に基づくきらびやかなエピソードが二回入る。 つまり構成としてはABABAコーダの簡単なものだが、 全く同じことの繰り返しは避けられていて変化を見せつつ徐々に盛り上がるので、 音楽としての迫力は凄まじい。 最後ロ長調のコーダは一層迫力が増し、 右手急速な降下音型にまとわりつかれるような形で謳歌される左手の高らかなファンファーレで華々しく終わる。
[213] マズルカ第33番 ロ長調 作品56-1
作品56の3つのマズルカは1844年に出版された。 カテリーヌ・マベルリー嬢に献呈。
ABAB'Aコーダ。 最初のAはパデレフスキー版では繰り返し記号により繰り返されていて、 ヘンレ版では実際にAが二回書かれて繰り返す。 その分ヘンレ版の方が小節数が多くなっているが、 全体で204小節の大きなマズルカになっている。 Aの出だしは「一音下がって繰り返す旋律」(
アンダンテスピアナート
参照)である:
譜例1:「一音下がって繰り返す旋律」がわかるよう、 右手は変えてある。 そのため現れている平行8度は気にしないこと。
[214] マズルカ第34番 ハ長調 作品56-2
作品56の3つのマズルカは1844年に出版された。 カテリーヌ・マベルリー嬢に献呈。
民俗舞曲の雰囲気が生々しく出ている元気なマズル。 空虚5度の単純伴奏に簡単な単音旋律が乗っているだけの一見幼稚に見える楽譜であるが、 不思議なことに荒々しい気迫がこもった音の動きになっている。
譜例1:右手下声部は省略しているが、 これだけでも十分効果的だ。
その秘密は3拍目のラからファ#に行くところであろう。 また、次の譜例に示すイ短調の中間部は
[187] マズルカ第42番(ヘンレ版第53番)イ短調(遺作)
の冒頭に似ている。
譜例3
もちろん弾き方は第42番のようなメランコリーを出すのではなく、 リズミックに奏されるべきである。 53小節目からのリディア旋法はマズルカ15番や50番(ヘンレ版48番)のようなエキセントリックさはなく、 自然な美しさを持っている。
[215] マズルカ第35番 ハ短調 作品56-3
作品56の3つのマズルカは1844年に出版された。 カテリーヌ・マベルリー嬢に献呈。
これは「大曲」の風情を示していないが220小節もの規模の曲で、 マズルカの中では25番に次いで長い。 地に足の着いていないような不安な動機に始まる。
譜例1
24小節ほどの主部を2回繰り返したあと、 チャーミングな曲想が次々と移ろい、 137小節目で主部に戻ったかと思うと、 173小節目から新しい楽想ともコーダともつかない部分になり、 それまでの動機を断片的に回想するように、 徐々に消え入るように終わる。
[216] ベルスーズ(子守歌)変二長調 作品57
1845年出版。エリーズ・ガヴァール嬢に献呈。
第2ソナタの葬送行進曲のトリオ部のような天国的美しさに溢れる、 印象派風の曲。 構成は極めて特異であり、 左手伴奏は小節前半がトニックで後半がドミナントで、 これが揺りかごの振れを表すように延々と繰り返される。 二小節の伴奏提示のあと、 右手四小節の単音旋律が入り、 この四小節の旋律がいろいろ形を変えて13回奏される。
譜例1
まるで高音旋律のためのパッサカリアといった風情である。 変奏が徐々に技巧的に盛り上がるところはラベル「ボレロ」の先駆のようであり、 一小節の伴奏音型を最後まで延々と繰り返すところはミニマルミュージックの走りのようでもある。 と、曲の四分の三ほど行ったところで和声が変わり、 夢見るような4小節のセブンス(変ト長調ドミナント)のあと2小節のサブドミナント(変ト長調トニック)、 さらに2小節のドミナントが続く。 そのあとは最後までトニックが長く続く。 ここは長い終結部であるが、 優しさに包まれた曲想そのものは主部と変わらない。 子守歌という題そのものに、 段々寝入ってしまうように終わる。
余談だがこの伴奏音型にチャイコフスキーピアノ協奏曲1番の2楽章旋律がよく合う。 旋律そのものも親近感があるが。
譜例2
次は
1845年(35才)
♪ 前は
1843年(33才)
♪
目次
♪
音楽の間
に戻る ♪
詠里庵ホーム
に戻る