ショパン全作品を斬る
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この年ショパンは弟子達へのレッスンと創作に専念し、 サンドも小節書きに専念した。 二人ともずっとパリに居て毎日のように会っていた。 それにしては完成した作品が大変少ない。 前年完成した大量の傑作群(第2ソナタ、第2バラード、第3スケルツォなど)が軒並みこの1840年に出版されたが、 その校正・交渉で忙しかったのだろうか。 翌1841年はまた傑作が多く作曲され、 また二月に久々にコンサートが開かれたが、 その準備で1840年は多忙だったのかも知れない。
[187] マズルカ第42番(ヘンレ版第53番)イ短調(遺作)
1841年出版。 エミール・ガイヤールに献呈。 作曲後すぐ出版されているにもかかわらず作品番号がなく遺作となっている。 その点はマズルカ第43番(ヘンレ版第52番)も同様。
低い音程で寂しい旋律が奏されることや中間部で明るいが明るくなりきれないイ長調のトリオを持つ点でマズルカ第43番と似ている。 いずれもワルツ3番路線と言える。 右手和音のもとテーマが左手で奏される冒頭は、 後年の
マズルカ第34番ハ長調作品56-2
のイ短調トリオ部と似ている。 譜例1がこのマズルカ冒頭、譜例2が作品56-2トリオ:
譜例1
譜例2
また中間部イ長調の右手オクターブの連続は練習曲作品25-10中間部を思わせる。
[188] ワルツ第5番 変イ長調 作品42
1840年出版。献呈はなし。
ショパンのワルツの中で最高傑作の誉れ高い佳曲。 ワルツ中規模が最も大きく、 曲想は終始明るい。 3拍子伴奏に乗る2拍子主旋律の高貴なこと。 次の速いパッセージではショパン得意の音型
譜例1
が使われる。 付点リズムの重音旋律も元気がいい。 トリオ的に現れる旋律は少し重々しくハ短調から入るがすぐ変イ長調に戻る。 ショパンがよく使うチャイコフスキー的和声がここでも見られる:
譜例2
主題も他のテーマ群も基本的に全て変イ長調という珍しい調性構成だが、 そこかしこに展開部的エピソードが挿入され、 変化に富んだ充実感を味あわせる。 曲終結近くでまたまたチャイコフスキー的和声:
譜例3
が見られる。 最後のコーダは短いがさらに加速して華々しい。
[189] ワルツ 変ホ長調(パデレフスキー版になくヘンレ版第18番)「ソステヌート」(遺作)
自筆譜にはワルツでなく「ソステヌート」と書かれており、 サインとともに「パリにて1840年7月20日」と書き込みがある。 1955年出版。 正式な献呈ではないがエミール・ガイヤールに捧げられたと考えられている。
強拍のない伴奏は
マズルカ第6番
と同様。 素朴な間奏曲といった感じのごく短い曲。 AABB形式であるが、 Bがトリオ的風情なので最後にAにダカーポする演奏もある。 AABBでとめておく方がもともとのあっけない間奏曲のイメージが出ていいようにも思える。
[190] 歌曲「ドゥムカ」イ短調(遺作)
ザレツキ詩。1910年出版。献呈はなし。
ドゥムカとはドボルジャークのピアノ三重奏曲「ドゥムキー」と同じく、 スラブの悲歌のことである。
「異郷にて、全て失った。愛する人もいない。何もない。 あるのは孤独だけ」
ショパンはこの同じ歌詞に二つ歌曲を作曲している。 ひとつはこれ、 もう一つは晩年(1845年)の「
なくてはならぬもののなき
」である。 両方とも寂しい曲想だが、 同じ歌詞なので曲想が似るのは当然だろう。 それだけでなく両方ともイ短調で旋律も拍子も似た雰囲気である。 しかし両者の迫力は異なって感じられる。 両者の成立環境と年代を知るに及びそのことに納得が行った。 この曲は歌詞の心境を「想像して作った」のであり、 1845年の曲の方はまさに翌1846年そうなることが見えていた「自分のことを歌った」のだ。
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