ショパン全作品を斬る
1843年(33才)
次は
1844年(34才)
♪ 前は
1842年(32才)
♪
目次
♪
音楽の間
に戻る ♪
詠里庵ホーム
に戻る
この前後数年、 ショパンはパリをあまり離れず、 夏はノアンのジョルジュ・サンドの別荘で過ごし、 年に2〜3曲の傑作といくつかの小曲というペースをほぼ守って天才的創作活動が続けられた。
[206] バラード第4番 ヘ短調 作品52
作曲年の1843年出版。 ロスチャイルド男爵夫人に献呈。
バラード、スケルツォ、即興曲、ロンドをショパンは4曲ずつ作曲している。 ソナタも、チェロソナタを含めれば4曲である。 まだ33才のショパンは4曲ずつ作る人生設計を考えたわけではないだろうし、 ショパンを死に至らしめた病が深刻になるのはまだ先のことなので、 これが最後のバラードになると思ったわけではなかったはずである。 しかし、 まるでそれを予想したかのような、 素晴らしい最後のバラードになった。 これを前にすると、 バラード第1番ト短調などは −天才的大傑作には違いないが− やはり初々しい作品に見えてしまう。
その第4番も構成的には第1番のバラードに回帰しているところがある。 すぐには主調を確立させない導入。 静かに奏される第1主題。 徐々に動きを増して一旦クライマックスを築いてから静かに奏される第2主題。 新たなエピソードをつなぎ合わせたような展開部。 提示部より複雑に装飾された再現部。 派手な、しかし交響曲のように充実な響きをそなえたコーダ。 これらは第1番と共通しているが、 第1番がソナタ形式というよりカプリチオ的であるのに対し、 第4番はより古典的ソナタ形式を踏襲している。
第1主題提示から第2主題提示に至るパッセージ(第72、73小節)で版による違いがある:
譜例1:パデレフスキー版、ヘンレ版、エキエル版
譜例2:コルトー版、ドビュッシー版
譜例3:シャーマー版脚注
譜例2が最も規則的音型になっており、 和声推移も豊かである。 一般的にはこれで弾かれることが多い。 譜例3は最初の小節の後半右手だけ譜例2と異なり、 そこは弾き手の技巧を満足させるかも知れないが、 そこだけ変則的で音楽的にはあまりいただけない。
このあと第1主題を素材に技巧的パッセージを経て、 変ロ長調の第二主題が第83小節から始まる。 この主題は表面的には平凡な旋律という印象を与えるかも知れないが、 何度聴いても飽きの来ない良質の名旋律で、 私はこの旋律を愛して止まない。
主題提示部が終わるとすぐト短調に始まる展開部だが、 ここは展開部というより、 魅力的パッセージが次々登場して曲が展開する。 そもそも第1主題と第2主題の間にいかにも展開部らしい推移部が置かれたので、 ここはカプリチオ的に移り変わり、対比が効いている。 再現部に至る手前、 変イのオルゲルプンクトに乗る推移部(125小節から)は大胆な和声変化を伴う神業的転調処理である。
譜例4
ここは「舟歌」の終結部(第103小節から)に通ずるところがあり、 いずれも当時としては大変進んだ、精妙な和声である。
そして再現部。 曲冒頭でハ長調(あるいはヘ短調ドミナント)だった前奏は今度はイ長調(あるいはニ短調ドミナント)で再現する。 ここから主題がカノンのように対位法的に扱われ、 いつのまにかヘ短調になって主題が再現される。 右手旋律に徐々に細かな装飾がまとわりつき、 左手伴奏も速い分散和音となる。 主題提示部のときは第二主題に至るまで挿入された展開部的パッセージは省略され、 再現部ではすぐに第二主題に突入する。 提示部では変ロ長調だったが今度は変二長調で、 左手のダイナミックな速いスケールと分散和音に乗り、 右手は朗々とした和音で雄大に奏される。
そのクライマックスにはラフマニノフのように凄まじい和音連打がおかれ、 突然静まり返って木管の和音のようにシーンの終わりを示す。 続いて中低音から始まる暴風雨のようなコーダは、 ピアノ技巧的にも協奏曲や「演奏会用アレグロ」のような高い難度を示しているが、 そのような技巧開陳のような音型を使いながらも音楽的に素晴らしい情感をたたえ、 このバラードにふさわしい絢爛たるエンディングを形作っている。
[207] スケルツォ第4番 ホ長調 作品54
1843年出版。 弟子姉妹のクロティルド・ドゥ・カラマン嬢(フランス版)およびジャンヌ・ドゥ・カラマン嬢(ドイツ版)に献呈。
この第4番も最後のスケルツォとなったが、 これもまた熟成の極みと言える傑作である。 しかしまたバラード第4番のロマン濃厚な感情のドラマとは対照的な、 印象派のようにすがすがしい音楽である。 冒頭ユニゾンだけで奏される5音の単純極まりない主題が聞こえた途端、 ショパンの世界に引きずり込まれる。 「諧謔曲」という名が最もあてはまる曲である。 さてこの曲はショパンの中で私の最も愛好する部類だが、 今の気分では讃辞の嵐で曲を追っていくことしか思いつかない。 他の解説と同じようなことを書いてもしかたがないので、 申し訳ないが少し頭を冷やしてから再度書くことにしたい。
ところで今をときめくピアニスト、 ポーランド人のクリスチャン・ツィンマーマンが?年の第?回ショパンピアノコンクールに優勝したときのことを憶えておられるだろうか? あのとき私は「またアダム・ハラシェビッチみたいにポーランド贔屓の評点だな」と思った。 というのもそのとき2位だったロシアのディーナ・ヨッフェの方がはるかにいいと思ったからだ。 (今は逆転している。 ツィンマーマンは生やした髭の成長とともに存在感のある素晴らしいピアニストに変貌した。 しかしそれはともかく) そのとき2位を取ったヨッフェの弾くスケルツォ第4番は素晴らしかったのである。 満面に笑みをたたえるヨッフェの演奏にピッタリの玉を転がすような演奏だった。 ヨッフェは今(2000年)ロシアを離れ日本に住んでいると聞いたが、 どのような状況にあるのだろうか? (知っている方は教えてくださいnob@fuji.email.ne.jp)
[208] ノクターン第15番 ヘ短調 作品55-1
1844年出版、 ジェーン・ウィルヘルミナ・スターリング嬢(ショパンの弟子)に献呈。
オーボエの宮本文明がこの曲をジャズ調に編曲して演奏している。 かなり変形されていて、 初めて聴くと原曲のノクターンに思い当たるのに時間がかかるが、 大変モダンで爽やかな感覚のアレンジである。
[209] ノクターン第16番 変ホ長調 作品55-2
前曲とともに1844年出版、 ジェーン・ウィルヘルミナ・スターリング嬢(ショパンの弟子)に献呈。
ノクターン第2番変ホ長調とともにジョン・フィールド創始のノクターンに近い雰囲気がある(特にフィールドの変ホ長調のノクターンとは変ホ長調で8分の12拍子である点まで共通している)。 広い音域をうねる左手の分散和音伴奏は前奏曲嬰ハ短調作品45などもあるが、 ショパンの曲には意外と少ない。 この曲ではそれが息の長い曲想を効果的に表現している。
[210] ポロネーズ第6番 変イ長調「英雄」作品53
1843年出版。 銀行家オギュスト・レオ氏(パリでのショパンの友人)に献呈
「軍隊ポロネーズ」とともに大変有名な曲であるが、 フォルテ一色の軍隊ポロネーズより一層起伏に富んだ、 ダイナミックレンジの広い曲である。 ショパンに関する映画はいろいろあるが、 その中の一つに、 リストとの出会いでこの曲が使われているものがある。 あるピアノ専門店から素晴らしい演奏でこの曲が聞こえてくるので店に入ったショパンは、 ある男が初見でこの曲を弾いているのを見つける。 それはリストで、 リストはそのまま楽譜を追って弾き続けながら
「君がショパンか。 君と握手したいんだが、この曲を弾いていると手が空かないのが残念だ」
と言う。 ショパンは
「じゃあ僕が片方の手のパートをやるから、空いた手で握手を」
と言って、隣にあるもう一つのピアノを弾き出す。 二人は協演しながら空中に手をさしのべ、 目は楽譜にとらわれているリストもショパンの手を探り当てて遂に握手を果たす、 という場面である。 いかにも映画らしい場面だが、 この二人の大天才の邂逅にふさわしいイメージで、 なかなかの演出である。 それに水を差すつもりは毛頭ないのだが、 もちろんこの曲はリストと出会ってずっと後の作品である。 しかしこういう使い方がされるほどこのポロネーズはリスト的豪放磊落さに溢れる曲と言える。
中間のトリオ部、 左手がユニゾンでホ長調のドシラソを延々と繰り返す伴奏に乗りファンファーレ的主題が奏される部分は大変独創的である。 この伴奏音型は曲が終わる間際(最後から4小節目)にも一瞬現れ、 曲全体の統一感を引き締めている。
[211] モデラート(アルバムの一葉)ホ長調(遺作)
1910年出版。 アンナ・ドゥ・シェメティエフ伯爵夫人に献呈。
「アルバムの一葉」というタイトルはロマン派ピアノ曲に時折見られるもので、 タイトル自体は魅力的だが、 有名な曲はあまりない。 どれも創作ノートに書き付けた短いスケッチという感があり、 この曲も正にそのような曲である。 行進曲調の伴奏と旋律で8小節−4小節−8小節からなるABA形式。
次は
1844年(34才)
♪ 前は
1842年(32才)
♪
目次
♪
音楽の間
に戻る ♪
詠里庵ホーム
に戻る