ショパン全作品を斬る
1829年(19才)
次は1830年(20才) ♪
前は1828年(18才) ♪
目次 ♪
音楽の間に戻る ♪
詠里庵ホームに戻る
- [27] ポロネーズ ヘ短調 作品71の3(遺作)
1855年フォンタナ出版。
この年は前年と一転して小品が多い。
このポロネーズはポロネーズらしくないメランコリックな主題を持つ。
ワルツ作品69の1(別れのワルツ)風である。
変イ長調の中間部は一転して本来のポロネーズとなり、
対比が面白い。
- [28] ポロネーズ第16番 変ト長調(遺作)
1870年出版。
主部は軽やかな感じだが、
不思議なのは楽譜を見るとかなり多声部的書法で重厚に見えることだ。
見た感じよりすがすがしい音楽である。
トリオは少し冗長。
- [29] マズルカ第54番 ニ長調(遺作)
1875年出版。
明かなマズル。
ドミナント(属和音)に始まりロ短調を経て8小節目にやっと一瞬ニ長調主和音が出る。
属和音の連続で解決を遅らせる手法はシューマンの幻想曲やワーグナーのトリスタン前奏曲を思わせる。
これは当時としては斬新すぎると思ったのだろうか、
ショパンはニ長調主和音を主体とする4小節の序奏を付けてこの曲を改作した。
それはマズルカ第44番(ヘンレ版第54番)である。
その序奏は後で付けたと思えないほど自然にドミナント旋律に繋がる。
しかし斬新さはそれだけ薄れてしまった。
むしろワルツ第1番のような導入(もちろんこの曲の場合は変ロ音でなくイ音)にすると、
ドリーブの有名なコッペリアのマズルカのような感じになり、
より聞き易くなる。
しかし何もつけないこの曲が一番クセがあってよさそうな気もする。
- [30] ワルツ第10番 ロ短調 作品69の2(遺作)
1852年フォンタナ出版。
第1〜2小節の動機からして少々安易さを感じさせるが、
これに対する応答としての第3〜4小節もショパンらしからぬ単純さである。
それ以降はいいが、
全体として感傷的に過ぎる。
第60、62小節第3拍目の右手Aの音がしつこくアウフタクトするところは面白い。
ここはいつもフランセ「恋人達の時間」(音楽としてはこちらの方がいい)の出だしを思い出してしまう。
中間部は大変清潔な感じで、
それを挟む主部との対比に成功している。
しかし私がフォンタナだったら、
出版するかどうか迷うところだ。
- [31] ワルツ第13番 変ニ長調 作品70の3(遺作)
1855年フォンタナ出版。
片思いの相手コンスタンツィアを想って書かれたことで有名。
その辺については
文献[1][4]などを参照。
ショパンは多声部が絡む優れた旋律をよく書くが、
これも大変成功している音楽。
ショパンにはミ(相対音階)で始まる長調旋律が多い(文献[7])が、
これなど特にミがたっぷり歌われている旋律で、
優美なことこの上ない。
変ト長調の中間部はピアノソナタ第2番第2楽章のトリオ(中間部)を予感させる。
いい曲にもかかわらずショパンが出版しなかったのは、
あまりに個人的な思い出が詰まっているからだろうか?
- [32] ワルツ第15番 ホ長調(遺作)
1861年出版。
出だしのリズムはワルツ第1番に似ている。
続く主題の1小節はポロネーズ第8番の出だしに似ている。
続く第6〜8小節はマズルカ第43番第39〜40小節に似ている。
続く第9〜12小節はワルツ第2番第25〜28小節に似ている。
などという言い方は多かれ少なかれどの曲にも言えるが、
ショパンの好きなな素材がいろいろ組み合わされていろいろな曲ができている様子は面白い。
- [33] 変奏曲「パガニーニの思い出」イ長調(遺作)
1881年出版。
ショパンは19才のときワルシャワでパガニーニの演奏を聴いた。
それはショパンに大きな影響を与え、
エチュード作曲の動機となったが、
この曲もパガニーニの直接の影響で作曲された。
順を追って読まれた読者はお気づきだろうが、
筆者はこの手の、
単純旋律を曲芸演奏用に変奏した曲が、
楽器を問わず好みでない。
パガニーニも24のカプリスを除き感心しない。
しかしこの曲はさすがにショパンで、
ベルスーズに通ずるところがあってさわやかである。
- [34] ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8
1832年出版。
ラジヴィーユ公に献呈。
ラジヴィーユ公はプロシア総督(ポズナニ領主)で芸術に造詣の深かった貴族。
ワルシャワ時代のショパンを引き立てた。
自身もチェロが達者で、
この曲も演奏したらしい。
この年唯一の大曲。
ショパンのソナタは、
中にはピアノソナタ第2番のような破天荒の作品もあるが、
どれも古典的形式がしっかりしている。
それと関係があると思われるが、
ショパン得意の装飾音が他のジャンルの作品より少ない。
つまり特定の声部が歌ったり華々しく活躍したりするのでなく、
全体として交響的に書かれている。
この曲もそうである。
一年前のピアノソナタ第1番より変化に富み、
ずっと聴ける作品に仕上がっている。
後年のチェロ・ソナタト短調の先駆的作品。
第1楽章は古典的な強い主題と応答で始まる。
モーツアルトのピアノ四重奏曲ト短調やピアノソナタハ短調の出だしと雰囲気が似ている。
優美な推移の後第2主題は主調と同じト短調で現れ、
再現部では移調して現れる。
このような実験はショパン独特のもので、
ピアノ協奏曲第1番第1楽章も、
短調と長調の対比はあるが、
これに似た構成をとっている。
第2楽章はスケルツォとなっているが、
表情は柔和。
間奏曲的メヌエットという方が近い。
低音部のささえがない上に半音下降が多く調性を強く打ち出さない曲想が続くので、
地に足が着かず浮遊するような感じの不思議な曲である。
さてこの三重奏曲の他にショパンのソナタには3つのピアノソナタとチェロソナタがあるが、
どれも四楽章制で、
しかも第2楽章にスケルツォまたはメヌエットが来て第3楽章に緩徐楽章が置かれている。
緩徐楽章の性格はそれぞれのソナタで異なるが、
この曲の第3楽章の性格はピアノソナタ第3番の第3楽章に近く、
少々劇的な導入の後瞑想的な長音階の旋律が奏される。
第4楽章を先入観なく聴いたら、
ブラームスかドボルザークかと聞きまごうだろう。
これはクラコヴィアークだが、
ショパンの他のクラコビアークに比べると飛び跳ねる舞曲のような曲想ではなく、
sotto voce とか dolce などの指定が出てくる優美なフィナーレである。
しかし最後は徐々にせき込んで行って華々しいコーダとなり、
この古典的三重奏曲を華麗に締めくくる。
この曲のバイオリンパートについてはショパン自身が言っている(
文献[1])ように音域を低くとってあるので地味である。
聴かせどころはなく、
もっぱら音の厚みを出すために働いている。
しかしあえて言えば、
室内楽とはそういうものだと思う。
他の室内楽でもバイオリンが華麗に見せ場を作るようなものはあまりない。
それにしてもこの曲、
演奏の機会があまりにも少ない。
ショパンらしくなくドイツロマン派的に仕上がっているせいだろうか。
もっと演奏されてもいいように思う。
ショパンの他の室内楽も知名度が低いことを考えると、
室内楽の作曲というのは損のようにも思われる。
- [35] 歌曲「願い」ト長調(遺作)
ヴィトフィツキ詩。1859年フォンタナ出版。
あまり演奏されないショパンの歌曲の中では最も有名。
優美なワルツである。
4小節×2回の前奏は民族音楽的雰囲気が印象的で、
続く歌の主題との相性がすこぶる良い。
自筆譜を見ておもしろいのは、
歌曲は普通歌が1段ピアノ2段の計3段で書かれるが、
自筆譜は2段だけである。
左手が伴奏で右手が旋律のワルツとして、
ピアノ独奏でも弾けるようになっていて、
右手の旋律に歌詞が書き込んである。
現在出版されている楽譜ではもちろん3段に直してある。
- [36] 歌曲「好きな場所・・・」イ長調(遺作)
ヴィトフィツキ詩。1859年フォンタナ出版。
少女の心をうたう歌。
8分の6拍子の舟歌風。
執拗に繰り返される低音のイ音に乗り可憐なメロディーが歌われる。
民族的雰囲気はあまりない。
メロディーはどこかプッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」(1918年ニューヨーク初演)の有名なアリア「愛しい父よ」に似ている。
いやショパンの方が90年早いから後者が前者に似ているというべきか。
まあ、
プッチーニがショパンのこのマイナーな曲を知っていたかは定かではないが。
(この年もう一つ歌曲「マズル・どんな花」があるが、
現在楽譜もCDも入手が困難なため、
ここでは取りあげない。
これは珍しくも無伴奏の歌曲で、
リディア調の民謡的な素朴な歌である。
8分の3拍子で書かれたマズル。)
次は1830年(20才) ♪
前は1828年(18才) ♪
目次 ♪
音楽の間に戻る ♪
詠里庵ホームに戻る