ショパン全作品を斬る
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- [22] ポーランド民謡による幻想曲 イ長調 作品13
1834年出版。
パリに行ってからの友人のピアニスト、ピックシスに献呈。
管弦楽とピアノのための協奏的作品。
この年は5曲作品を残しているが、
大曲が多い。
同じ編成(ショパンの協奏的作品の管弦学部は大体当時の編成を踏襲し2管編成である)の曲がもう1曲、
ピアノソナタが1曲、
2台のピアノのためのロンドが1曲などがある。
この年は初めての外国旅行でベルリンに行った年だが、
そこで弾かれた記録はあまりなく、
むしろ次の年のウィーン演奏旅行でこれらの曲が活躍した。
いずれもそれほど名曲ではないが、
少年ショパンの名声確保には重要だった。
特にこの曲はポーランドの民族色が濃いので国内の人気を集めたという。
全体は序奏・アリア・アレグレット・マズルカ風クヤヴィアクの4部がメドレー風に続くが、
特に嬰ヘ短調のアレグレットの部分がショパンに珍しいくらい民俗的で(民族的というより)面白い。
- [23] 演奏会用ロンド「クラコヴィアク」ヘ長調 作品14
1834年出版。
ポーランド大富豪チャルトリスカ伯爵夫人のアンナに献呈。
ショパン自身好んでいたというこの曲の出だしは魅力的だ。
ロッシーニのウィリアム・テル序曲の出だしに雰囲気が似ている。
私はロッシーニ、マイヤベーア、ベルリーニは苦手なので不本意なのだが、
ショパンが彼らの影響を受けたのは事実である。
しかしこの曲はウィリアム・テル初演(パリ)の1年前に作曲されている。
もちろんワルシャワにいたショパンは初演に立ち会っていない。
主部のクラコヴィアークは元気でさわやかだが、
まあ、それだけを楽しむ曲。
- [24] ピアノソナタ第1番 ハ短調 作品4(遺作)
1851年出版。
エルスナーに献呈。
遺作なのに作品4という点は説明が必要であろう。
若いショパンはこの曲を出版するつもりで作品3と記入したが、
出版社に断られた。
仕方なくチェロとピアノのための序奏と華麗なポロネーズを作品3として先に出版し、
これを作品4としたが結局出版されなかった。
ショパンが歴史に残ることが確実になった晩年、
出版社から出版の申し出があったが、
今度はショパンの方が断り、
死後出版された。
そういうわけで作品4の遺作ということになった。
この曲はエルスナーのもとでの修業時代の習作とみなされ、
現代ではほとんど演奏されない。
しかしこれは単にエルスナーの宿題に答えた習作ソナタなのだろうか?
私は、作曲当時のショパンは自信作と考えたのだと思う。
規模も30ページを越え、
演奏時間も20分を越える力作である。
それも、
ただ反復のため長くなっているのとは違い、
凝った構成の上で長くなっている。
典型的な学習ソナタからはかけ離れ、
型破りの実験精神が見られる。
如何せん、
すみずみまでショパンの独創性が行き渡ってはおらず主題の対比性にも欠けるため、
演奏の至難さとうらはらに聴いた感じは冗長であり、
よほど上手く弾かないと飽きさせる。
他のショパンの作品と比べてしまうと、
彼が後年出版しないことにした気持ちがわかる。
第1楽章はソナタ的というよりバッハ的な第1主題で始まり、
その主題後半部を使った副第1主題の確固たる提示(第17小節目から)が続くが、
それと明確に対比される第2主題はなく、
その代わりに第43小節目から長い経過句が第1主題を基調として展開される。
強いて言えば第59小節から少しだけ現れる変イ調旋律が第2主題的ではあるが、
これも性格が弱いし展開部では直接使われてはいない。
要するに第1主題とその変形からなる、
ハ短調をあまり離れない主題提示部と言えよう。
展開部はカデンツァ(属和音から主和音へ解決する和声推移)を基調とする転調が続く前半と第1主題を上手く使った後半部に分かれ、
特に後半部は第2ソナタや第3ソナタのすぐれた展開部を予期させる。
再現部が主調でなく変ロ短調で始まりト短調を経ていつのまにか主調になっているところの処理は並みではない。
第1主題再現の後−つまり本来第2主題再現部−は普通と異り提示部と同じ調のまま現れる。
この楽章は絵に描いたようなソナタ形式ではなく、
玄人的な変則が見られる。
第2楽章のメヌエットは古風だが、
第2ソナタのスケルツォを予感させるクレッシェンドや跳躍音型が見られる。
このソナタで一番人目を惹くのは5拍子の第3楽章である。
5拍子は「ダフニスとクロエ」のバッカナール、「惑星」の火星、それにバルトークの曲などでは大変効果的に使われているが、
それ以外は、
慣れていなければなかなか自然には受け入れられにくいのではないだろうか。
ロマン派音楽ではスラブ系でチャイコフスキーの「悲愴」第2楽章やショスタコーヴィチの前奏曲変ロ長調に見られる。
このショパンの曲も5拍子でなければならない必然性は感じられず、
不自然な感じがするかも知れない。
しかし一小節ごとに膨らむように叙情的に奏される弦楽合奏を想定すれば、
この楽章もなかなか自然な味がある。
第4楽章は演奏至難な激しいフィナーレ。
A-B-展開部-A-B'-展開部-A-コーダのロンド形式。
Aはベートーベン的に決然と始まる。
変遷の後ト短調属和音(=ニ長調主和音)に続く重厚なト短調のBの現れ方はなかなかに決まっている。
展開部にはAとBの両方の素材が使われ、
質の高い展開が行われている。
最後のAは主要部がごく短く提示されるだけで終わるので、
その後自然に繋がるコーダを含めて長いコーダの一部とも聞こえる。
こうして一大ソナタらしく華々しく終わる。
- [25] ポロネーズ第9番 変ロ長調 作品71の2(遺作)
1853年出版。
作品71の3曲は1855年に出版されたが、
この曲は先行して出版された。
全体をたっぷり繰り返すので長いが、
さわやかな曲である。
8小節の序奏はコラール風で深みがあり、
大変美しい。
- [26] ロンド ハ長調 作品73(遺作)
1954年出版。
随分最近出版されたものだ。
作曲年にショパン自身により2台のピアノのために編曲され、
こちらは1855年出版。
性格的にはピアノ協奏曲第1番第3楽章のようであるが、
リズムがトルコ行進曲風なのでクラコヴィアークではない。
そのため古風な感じがする。
個々の旋律はかわいらしいが、
技巧的なショパンの曲の中では最もマイナーな部類。
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