二大宗教、相討つ〜Ayasofya, Istanbul
 
二大宗教、相討つ
〜 Ayasofya, Istanbul
 

   西暦313年、時のローマ皇帝コンスタンティヌス1世はミラノ勅令を発し、執拗に弾圧していたキリスト教を一転して国教にすると宣言した。その後、東西に分裂していた帝国を再統一した彼は、余勢を駆ってローマから遠く離れた古代ギリシャの植民都市に遷都する。以前からアジアとヨーロッパを繋ぐ海上交易の要衝にあったこの街には遷都を機に総主教座が置かれ、1453年にオスマン帝国によって陥落させられるまで、キリスト教の中心地として繁栄を極めることになる。
 もうお分かりだろう。世界宗教としてのキリスト教はこうしてイスタンブールに始まったのだ。この点に限ってはローマもエルサレムも敵わない。今でこそイスラム国トルコの都市であるために見落としてしまいがちだが、キリスト教二千年の歴史のうち、少なくともその半分を担ってきたのは他ならぬここイスタンブールなのだ。
 アヤソフィアはまさにその生き証人のようなポジションにある。通り一本隔てただけで、文字通りトプカプ宮殿と隣接する敷地に建つこの博物館は、かつての総主教座の大聖堂そのものなのだ。オスマン帝国による占領後モスクに転用されたことから、珍しいことにひとつの建物の中にふたつの宗教の痕跡が往時の姿のまま残っている。
「うーん、一言でいうとコスモポリタニズム」
「これって、異文化の融合なのかな」
「『融合』ではなく『相克』でしょう。正確には」
 ドーム天井に燦然と輝く、キリスト教の聖母子を描いた金色のモザイク。正面の壁を飾るのはイスラム教の聖地メッカの方角を示すミフラブとアラビア文字の巨大な円盤。それらが互いに譲ることなく、「主役は自分だ」と言わんばかりに存在を主張している。
 これがどんなに異様な眺めか、理解できるだろうか。
 あれだけ複数の宗教遺産が混在するエルサレムでさえ、嘆きの壁はユダヤ教、聖墳墓教会はキリスト教、岩のドームはイスラム教というように、ひとつひとつの施設は単一の宗教が占有している。共存はあり得ない。
 いや、アヤソフィアの有り様を「共存」と呼ぶのはふさわしくないだろう。率直な印象として、この光景は僕には「戦い」に見える。矛と盾を構え、永い年月を経た今もまだ互いに雌雄を決するべく争っているように思えて仕方がない。
 いったんドームを出て二階に行く。別部屋の中に作られた階段は段差が高く、歩き疲れた脚にはきつい。しかも延々と続いており、普通の建物なら四、五階分に相当するくらいだ。登り切ったところで一息ついていると、先に奥の回廊に進んでいた妻が歓声を上げた。
「ちょっと、こっち来て。これ、凄いよ」
 それはキリストと弟子たちを描いた壁画だった。背景に貼られた金泊が目に眩しい。個々の人物の顔や衣服も鮮明で、何百年も前に制作されたものとは到底思えない。その一方で、彼らの下半身は無粋にも漆喰で塗り固められている。
 かつて大聖堂だった時代には、壁一面がこのようなモザイク画で飾られていたのだろう。そして、征服者は漆喰で覆い隠すことで、異教徒が存在した証をこの場所から消したのだ。
「それにしても、よくこの色が残ってたね」
 言った傍から、自分でも「ああ、そういうことか」と気づいた。壁画に描かれた救世主は過去のものではない。二大宗教の戦いにはまだ決着がついていないのだ。
 

   
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