光は心の中に〜Kaymakli, Cappadocia
 
光は心の中に
〜 Kaymakli, Cappadocia
 

   隠れキリシタンの里なら日本にもいくつかあるが、「隠れ度」では断然カッパドキアの方が上だろう。野外博物館となっているギョレメやゼルヴェの洞窟教会の他に岩窟教会もいたるところにあり、この地域全体がいわば落人部落だったことが容易に見てとれる。
 そうした岩窟教会のいくつかには修道士たちによって描かれたフレスコ画が残っている。代表格であるトカル・キリセを訪れたが、色彩の保存状態の良さには驚いた。当時と寸分も違わないのではと思わせるほどの鮮やかな原色が残っているのだ。岩に穿った穴の中という自然条件が、直射日光を避け、温度や湿度を比較的一定に保ってきたからだろうが、それにしてもかくも長い時を超えてきたのは凄い。
 絵そのものにも力を感じた。構図自体はキリストの処刑や再臨をテーマにしたもので現代の教会と変わらないが、何かを強く訴えかけられているような気がしてくる。魂が伝わってくるという感じだ。当時の迫害状況についてはよく知らないが、もしかすると絵を描くことが唯一の信仰の実践だったのかもしれない。その必死さが見る者の心を打つのだろう。
 しかし、隠れ里の白眉は何といっても地下都市だ。
「追い詰められた彼らにとって、安住の地はもはや地上にはありませんでした。カイマクルは地下8階まで造られていて、そのうち地下4階までが公開されています」
 次第に激しさを増すイスラム勢力に、地上の洞窟はとうとう持ちこたえられなくなった。キリスト教徒たちは、今度は横ではなく下に向かうことにした。地下に穴を掘って、そこで暮らすことにしたのだ。
 これは大変なことだ。現代でこそ都会には縦横に地下街が張り巡らされているが、何しろ時代が違う。まず第一に電気がない。エジソンによる電球の発明は千年以上も先のことだ。壁のあちこちが黒く煤けているところを見ると、ろうそくか何かの火を灯りにしていたようだが、それでは明るさは知れている。観光用に照明が備え付けられている現在だって、少し離れると途端に足元が覚束なくなる。
 食べ物はどうしたのだろう。太陽が射し込まないわけだから植物の栽培など到底無理だ。倉庫として使われたスペースが発見されていることから備蓄用の穀物や野菜などに頼ったと考えられているが、それにしても限度というものがあるだろう。小動物くらいは飼えたかもしれないが、肉類は明らかに不足していたはずだ。
「この場所ではワインを造っていました。上の窪みでブドウを踏むと、穴を通って絞り汁が下の窪みに流れる仕組みです」
「ワインも作ってたんですか」
「ええ。ワインはキリスト教の儀式には欠かせませんでしたから」
 ここは一言で言うと「蟻の巣」だ。厨房、寝室、教会、井戸、換気口。機能別に分かれたいくつもの部屋や施設が立体的につながれ、まさに「都市」と呼ばれるにふさわしい重層的な構造を形作っている。敵に攻め込まれた時のために、通路を塞ぐ大きな石や落とし穴まで用意されていたという。そうまでして自分たちに残された最後の楽園を必死になって護っていたのだ。
 きっと、どんな状況下にあっても彼らの心の中には希望の光が宿っていたのだろう。そうでなければこんなものを造れるわけがない。こんな場所で暮らせるわけがない。しかし彼らはやったのだ。すべては信仰の成せる業か。
 

   
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