青木タオ「ちょっくら・おん・まい・でいず◆本編に戻 る  ◆エッセイ・インデックス今日の夜話」へ


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「みどりの窓口」'24.4/21

  もうちょっとしたらほとんどの「みどりの窓口」がなくなると言う。

 「みどりの窓口」とは知ってのとおり、切符など買うところだ。

 これからは自販機で操作をして欲しいという。

 老人にそれが出来るか??

 今、支払いもカードやネット決済が多くなって来ている。

 若者はそれに付いていくだろう。

 食堂に入っても、なんかよくわからない券売機がある。

 コンビニでの支払いも自動になって来ている。

 スーパーもほぼそうだ。

 それが便利と言えば、便利だが、出来ない人はどうすりゃいいのさ??

  ・・・・・・・・・

 しかし、今日の話の本質はそこではない。

 わーわー、がーがー言っている間にも時間は過ぎていってしまう。

 自分のやりたい事は何かを、しっかりと忘れない事だ。

 あっち見たりこっち見たり、そっち見たり、向こう見たりしてるうちに、

 時間はたってしまう。何かを切り離そうとしている。

 コンビニにパンを買うように、

 感情も買えるようになるんじゃないか??


「2024年」'24.1/31

 2024年の1月ももう終わってしまう。

 ほんと、慌ただしく過ぎていった。

 いろんな出来事もあった。

 体調も崩してしまった。ちゃんと調べてはいないので原因は不明だ。

 やっと、復活して来た。

 やっと2024年の事を考えている。

 ぼーっとしていたら、またぼーっと過ぎてしまうと。

 しかし、1月のいろいろで何かがひきしまった。

 明日からまた新曲の創作にもかかる。

 僕らだって、明日は能登の人々のようになってしまうかもしれない。

 無事なときに頑張ろうと思う。


「最近、思うこと」'23.12/10

 もう10年以上「こうしたほうが良いですよ」と言ってても、

 直らないならば、きっとこの先もそうだろうと感じる。

 もう70歳を過ぎていればなおさら。

 「えっ??」と思う事があっても、70歳を過ぎていると、

 そうなってしまう事もあるねと思える。

 先日、国産のそこそこ高いギターを使っている初老の人がいたが、

 何がどうなっているのか、音がメロメロであった。

 私の予想では「弦」が大きな原因のひとつだろう。

 あとはギター自身の個性か。

 弾き方にもある。

 そのギターは国産で15万くらいするだろう。

 だからと言って、出音が良いわけではない。

 でも、年をとってくると、そのギターを変える事も出来なくなる。

 わからないんだ。

 ガツンと誰かが言っても、たぶんそのまま。

 だって自分の出している音がわからないんだもの。

 それもその人らしくて、アリだけど。

 ギターの弾き方を変えるなんて、ほぼもう無理かもしれない。

 弦だって、ずっと使っているものが合っていると信じているだろう。

 ピックの種類だって変わらない。

 もう私にもよくわからないのですよ。

 結局、「もう変わらない」と、思っているのが合っているかも。

 自分だって、そういうところはあるだろう。


「夏の身体がおかしい」'23.9/24

 外仕事をしている。

 この夏はモーレツに暑かった。

 そのせいもあって、仕事始めて30分で汗だくになってしまう。

 先日は、少し凉しかったが、それでもすぐに汗だくになった。

 身体が変なんだ。

 すぐに汗をかこうとしている。

 もう感覚がおかしい。

 身体も必死なのか、、

 生命の危機を感じて。

 まだしばらくは続きそうだ。


「踊り」'23.7/31

 民族音楽をここずっと聴いている。

 最近は持っている映像も一緒に観ている。

 すると、どの音楽にも「踊り」が一緒になっているとわかる。

 民族音楽はシンプルだ。

 だが、踊りとつながってる。

 まるでバンド演奏のように。

 なんて豊かなんだ。

 民族音楽の音源だけを聴いていても、

 実はその向こうに「踊り」がある。

 つながっている。

 身体の一部のように。


「反射神経」'23.7/9

  先日のライブで思うように指が動かなかった。

 エレキギターではいつも昨日まで普通に弾けていたのに。

 生ギターではやっぱりちがう。

 しかし、それ以上に本番でうまく指が動かないとわかった。

 年齢か、、

 年齢かもしれない、、。

 きっと年齢だ。

 まちがいない。

 年をとると反射神経が悪くなるのだろう。

 これはいよいよ、本気でギターをやらないとだめかもしれない。

 指の練習とか。

 だいたい、自分の作ったギター演奏が変だというのもあるが、

 これがもし、ストローク゛だけだったら、あまり関係ないかもしれない。

 ああ、不思議だ。

 そういう事もあるんだな。

 ストローク奏法が一番強いのかもしれない。



「ひざ痛3」
'23.5/27

 3月の後半から痛み出した左のひざ。

 4月の終わりに動かなくなり、そして復活。ひと月がたった。

 5月の仕事はなんとか無事に終えることが出来た。

 このひと月の長かったこと、、

 原因は、年齢的なものが大きいとわかる。

 そして、ふと気付けば、お年寄りで杖をついている人の多い事。

 バス停で待っていると、次々と杖を持ったお年寄りが並ぶ。

 自分の母親も杖を必要だし、兄も。

 こんなにも足の悪い人が多いなんて、

 自分が足を痛めるので、あまりはっきりとは気付かなかった。

 他人事ではなかったのだ。

 簡単に治るものなら、こんなにも杖の人はいないだろう。

 幸運にも、自分のひざは治りかけてはいるが、

 この先はわからない。

 人間だものね。先はわからない。

 なんだか、みんな普通に歩いているけれど、

 お年寄りでも普通に歩いている人も多いけれど、

 それはなんとラッキーな事か。

 今はそう思えている。

 あなたにひざのラッキーがありますように、、


「ボブ・ディラン」'23.4/16  

 本日、ボブ・ディランは東京ガーデンシアターにて、 

 東京最終日のコンサートをしている。

 一昨日、自分は行ったのだが、観なくても会場まで出掛けたい気分。

 若い頃ならそうしていただろう。

 きっともう東京では会えないような気がするからだ。

 たぶん来年で海外ツアーは終わるんじゃないかと思う。

 83才。

 先のことはわからないが、さすがに毎日のようなコンサートはきついだろう。

 先日見たコンサートはほんと丁寧に歌っているのがわかった。

 ずっと同じセットリストでやっているだろうに、、

 たぶんぎりきりなのかもしれない。

 ラスト二曲くらいで、胸にせまって来た。

 今までで一番、良かった。

 何か気持ちがとても伝わって来た。

 こんなコンサートを観せてくれて、

 満足だった。

 もう会えないかもしれないけど、

 もう満足だった。

 ありがとう、ボブ♪



「花粉」'
23.3/12

 今年も花粉症の季節が来た。

 昨年よりもひどい。

 この一週間はボロボロだった。

 原因は花粉だけではないようすだが、、

 もちろん薬は飲んでいる。

 それでもだめな日がある。

 しかし、、

 テレビの中の人たちは、まるで関係ないかのようにしている。

 何か特別な方法でもあるのだろうか?

 きっとありそうだ。

 教えてくないだろうなー。

 お医者さんに行くのかなー?

 だって、誰ひとり、ぐすんとやっていないだもの。



「影響」'
23.1/30

 有名な歌い手のそばにいた。

 若い頃だったら、どきどきしたであろうが、

 今は特に普通でいられる。

 もちろん沢山影響は受けたし、尊敬もしている。

 そしてそれを越えようと頑張っても来た。

 それがきっと、何かを阻んで来た。

 でも、それもあって今がある。

 新曲を作るときは、なるべくそこから遠く、いや、考えずいたい。

 自分自身がその歌であるように。

 比べることはひとつもない。


「来客」'23.1/9

 ある程度、有名ではあるけれど、

 さて、今日、どれだけの人が思い出すだろうと思う詩人さんの本を注文した。

 のんびり屋の本屋さんで、遠方よりゆっくりと到着するようだ。

 すでに亡くなっている人。

 今は亡き友達のブログは一日に数人が訪ねてくる。

 それは言ってみれば、ドアを叩き訪ねてくる人と言っていいだろう。

 しっかりと。

 そういう関係であってもいい。

 僕のところに今、一冊の本が向かっている。

 そういう関係であっていい。



「舟」'
22.12/11

 昨日、高円寺グッドマンで「ニック・ドレイク」の弾き語りアルバムを聴いた。

 いつもイヤホンで聴いているけれど、グッドマンで聴くと、少し離れた感じに聴こえる。

 するとどうだろう。歌とギターが一艘の舟のように感じられた。

 左に揺れては、また右へ。

 右にゆれては、また左へ。

 自然の定理で。

 リズムを打つというが、それとはちがう。

 波に揺られるようなリズム。

 ニック・ドレイクの歌とギターにそれを感じた。

 聴く人もまた、一緒の舟に乗っているような。

 それもまた自然なような。

 僕もそんな歌とギターを演りたい。


「今も未来も」'22.11/3

  どんどん物価が上がっている。

 ラーメンだって、もう850円が普通になってしまった。

 そのうち1000円に、そして1200円に。

 タクシーだって、そのうちまた上がるかもしれない。

 初乗りだって1000円超えるかも。

 若い頃は、タクシーはぜいたくで、なかなか乗らなかった。

 それでも何かあれば「タクシー乗る?」と言ったものだし、その言葉をきいた。

 ラーメンだって、500円600円の頃もあり、

 「ラーメンでも食べる?」という言葉が交わされた。

 「タクシーに乗る?」「ラーメンでも食べる?」

 この言葉はなくならないだろう。

 たとえ、ラーメンが一杯1200円になっても、

 タクシーの初乗りが1000円になっても。

 今も未来も。


「アレンジ」'22.10/10

  このひと月、1曲のギターアレンジをずっと進めていた。

 どこかしっくり来なくて。一曲が絵のように浮かぶように。

 ストーリーがよく見えるように。

 それぞれのフレーズがはっきりするように。

 ちょっとずつではあるけれど、少しずつ変わっていった。

 それでやっと、やっと完成した。

 あとは歌うだけだ。

 聴いてくれた人が「風景が浮かんだよー」っと言ってくれるだろうか。

 ほんとはこんな事しなくても完成している歌もあるんだけれどね。

 歌ってゆくうちに、伝わってゆく事もあるんだけどね。

 まずギター演奏が語るように。

 今回の曲には、かなり思い入れがある。

 風景が浮かんで欲しい。

 ただそれだけで。


「CDもDVDも」'22.9/05

 最近、よく聴く話で

 「CDを再生する機械がない」とよく聴く。

 それは本当かと思うけれど、どうも本当らしい。

 DVDプレーヤーもないかもしれない。

 もう配信で「映画」は観ているかもしれない。

 もう欧米はそうなのか。

 時代か、、。

 たしかに、映画は配信が主になるかもしれない。

 でも、アルバムはちがう。

 アルバムだけは配信ではうまくいかない。

 ジャケットもあるし、あれはすべてで作品だ。

 CDは残る。

P.S・・・DVDも残れ。


「ベスト盤」'22.8/13

  ある有名歌手の廉価盤のベストCDを買った。

 その人は1970年には沢山ヒット曲も持っていた。

 さて、ベスト盤といったら結局、その頃の歌になるだろうか?

  あれから50年もたって、たくさん新曲、そしてアルバムも出しているだろう。

 ベスト盤と言っだら、そこからも選んでいいだろう。

 みんな、有名曲を聴きたいと思う気持ちはわかる。

 ても、それ以降の代表曲も聴きたいよね。

 それでいいと思う。     



「復活ブログ」'
22.7/24

  ここ三ヶ月、ずっと友人のブログの引越をしていた。

 そしてやっとひとつが終わった。

 ずっとずっとやり続けて。

 もうひとつ残っているが、それは当分は終わらない。

 まあ無理のないように進めてゆく。

 最近は、月単位で、やる事を考えている。

 今月は、ひとつのブログの引越し。

 それが目標だった。

 そのために、もう一人のブログの引越しはほとんど進めなかった。

 許してもらおう。

 来月の目標は、歌をひとつ作る事。

 月目標で暮らしています。



「鳩」'
22.6/19

 ここずっと朝に公園で休んでパンなどを食べている。

 すると、鳩たちがやって来る。

 初めの頃は、たくさん集まってきた。

 ついでに他の鳥までも。

 しかし、パンをあげないとわかると、もうやって来ない。

 時々はやってくるが、すぐに離れてしまう。

 鳩は、何かにすごく敏感だ。

 わかっている。

 本能で感じているのか。

 ぼんやりとしてるように見えるけれど、

 食べ物に関しては、するどい。

 すぐに飛びつく。

 鳩には鳩のやり方がある。

 毎日のように私はそこにいる。

 仲良くなれるだろうか。



「長い旅」'
22.5/22

  8月には閉鎖されてしまう。

 友達二人のブログを復活させている。

 https://sendayoshio.blogspot.com

 https://yamashitayou.blogspot.com

 3月から初めているがこれが簡単はない。

 コピーは終えて、今ひとつひとつ、新しいブログに移している。

 これが気が遠くなる作業なのだ。

 平日は5投稿進めるのがやっと。

 ひとつは今年の11月。ひとつは来年の4月くらいに終わる予定でいる。

 8月には終えたかったが、そうもいかない。

 ほんと旅だ。ながーい旅。

  それもいいでしょう。



「生ギター問題」'22.5/1

  今や、ライブで生ギターと言ったら、

 ほぼピックアップ付きの演奏が多い。

 しかし自分はあくまでマイクにこだわる。

 生の音とピックアップでひろう音があまりにちがうからだ。

 でも、ここ30年は大きな会場ではほぼすべてピックアップ付きの音だ。

 時代の流れなのか、自分が遅れていねるのか。

 私はマイクの生音にごだわる。

 完全に時代遅れかもしれない。

 そんな時代遅れの音を前面に出したいと思う。


「戦争」'22.4/10

 侵略戦争が起こっていて、

 テレビで毎日映像が流れる。

 夢を観る。日常の夢を。

 だけど、その展開が戦争につながってゆく。

 日々、そんな夢をよま観ている。

 遠い国で起こっているような戦争が身近にある。

 つながっている。つながっているんだよ。

 夢というより、意識の中で。

 いずれ、僕のほうも壊れてしまうかもしれない。


「ブログ」'22.3/13

 国内の有名ブログ制作サイトが、

 今年の8月で閉鎖することになった。

 もう今はいない友達もそのブログを使っており、

 大切なデータが失われるのは忍びないので、

 せっせと保存作業をしている。

 まさか、サイトがなくなるなんて想像もしていなかった。

 実際にやってみると、これが大変にな作業である事がわかった。

 たぶん、他にも亡くなった人のブログもあるはず。

 誰かが保存しないとみんな消えてしまう。

 消えてしまうんだ。

 それも人生だと言ってしまえば、そうだけど。

 さびしいものだ。

 なんとかならないものか、、


「オミクロン」'22.2/13

 オミクロンコロナ。

 オミクロンコロナを甘くみてはいけない。

 今、仕事場が大変な事になっている。

 濃厚接触者の濃厚接触者は休まねばならないのだ。

 人が足りない。

 すごい感染力なのだ。

 人によっては風邪くらいなものだという。

 場所によってはパニックになっている。

 傍から見たら、なんとかなるだろうと思うだろう。

 なんとかするしかないのだが、

 オミクロンを甘くみてはいけない。


「胃痛」'22.1/15

  ひと月前から、胃もたれになってしまった。

 そんなにでもなかったのに、

 ちょっと市販の薬でも飲んでみようかと、

 普段、薬なんて飲まないのだが、

 あれこれ試したが同じ、

 よくわからなくなって、結局、これから医者へ

 ネットで見ていて、こんな事が書いてあった。

 胃はわかりやすく叫ぶと。

 そうか、胃はわかりやすく叫ぶのか。

 とりあえず医者に行ってきます。

 待っててね。私の胃よ。


「新曲」'21.12/19

 このひと月半、新曲を作っていた。

  一日、30分だけ集中して。

 それがいいと知っている。

 いい感じで進むからだ。

 今回は長めの大作となった。

 とりあえず出来たフレーズは、最初はまだ隙間だらけ。

 でも、それもまとめていった。

 それが良かった。

 結局はいい感じでまとまった。

 客観的にもなれていたので、構成も大きく変えた。

 急いでいたりすると、これが出来ないんだよなぁ。

 いいフレーズにしばられたりするし。

 一日30分の創作でも大作は出来たのだ。

 このやり方を後世に伝えたい。


「見ること」'21.11/21

  部屋を片付けようとしている。

 引っ越しで10年前に一度、整理したが、

 それからまた10年で物が増えてしまった。

 部屋に居ると、それがよくわかる。

 さて、どうやって、どこにどうしまうかだ。

 部屋に居ても、アイデアは出て来ない。

 でも、そんな部屋を見ておくことは大事だ。

 現実を見ること。そこから始まる。


「二年前」'21..10/28

 二年前に行方不明になった、

 自分の携帯音楽プレーヤー。

 それが最近見つかり、日々聴いている。

 これが実に良い。

 自分が少し忘れかけていたもの。

 発見する事がたくさんある。

 そうやって、少し前のものを楽しめるといいのに。

 こう思ってくると、音楽の旅はずっと続いているんだな。

 道のように。

 時間だったら、戻ることは出来ないけれど、

 音楽の道は戻ることは出来そうだ。



「さて10月」'
21..10/3

  毎年、いつも思う事だが、

 「さて10月」と思う。

 今年もあと3ヶ月なのだ。

 コロナコロナで続いた1年もあと3ヶ月。

 新曲作ろうと気合が入る。

 気合が入るけど、出来て2曲かな。

 今、1曲を作り中。

 その年にどれだけ歌が出来るかは自分でもわからない。

 失敗する事もあるし。

 ただ、いつも10月になると気合が入る。

 それでいいよね。

 また、気合が入ってます。



「次から次」'
21..9/12

  この秋ははどういうわけが、聴くアルバムに追われている。

 また一枚、聴くものが増えた。

 週に一枚のペース。

 忙しいよ。

 でも、いい事だ。

 また静かな時間は来る。

 それは、こんな時間があったからだ。 

 その残り香が、その炎のくすぶりが、

 次につながる。

 やって来るときは、いつもまとめて。



「バンド」'
21..8/22

 最近、聴いてるアルバムは、

 まとまったひとつのバンドのアレンジの音。

 ずっと聴いてゆくと、やっぱりいい。

 息をしているように。

 それが、あまりまとまりすぎていない方がいい。

 その曲に向けた想いが伝わる。

 いい隙間がある。



「バンド」'21..8/22

 最近、聴いてるアルバムは、

 まとまったひとつのバンドのアレンジの音。

 ずっと聴いてゆくと、やっぱりいい。

 息をしているように。

 それが、あまりまとまりすぎていない方がいい。

 その曲に向けた想いが伝わる。

 いい隙間がある。



「バンド」'21..8/22

 最近、聴いてるアルバムは、

 まとまったひとつのバンドのアレンジの音。

 ずっと聴いてゆくと、やっぱりいい。

 息をしているように。

 それが、あまりまとまりすぎていない方がいい。

 その曲に向けた想いが伝わる。

 いい隙間がある。



「バンド」'21..8/22

 最近、聴いてるアルバムは、

 まとまったひとつのバンドのアレンジの音。

 ずっと聴いてゆくと、やっぱりいい。

 息をしているように。

 それが、あまりまとまりすぎていない方がいい。

 その曲に向けた想いが伝わる。

 いい隙間がある。




「ワクチン接種」'
21..7/30

  今日はこれから一回目のワクチン接種。

 新型コロナウイルスが流行りだしてから、一年半。

 ここまで来たという感じ。

 いろいろ心配はあるけれど、

 私は人にコロナウイルスをうつすのは、ほんと嫌。

 その相手にはまた相手が出てくるので。

 その不安。

 同じ状況になったことがあるので、

 その気持ちはよくわかる。

 ワクチン接種にはいろんなリスクがあるのはわかっている。

 わかっているけど、打つのです。



「ディラン」'
21..7/11

 ボブ・ディランの1976年のライブツアーのドキュメンタリーを観た。

 パワー全開だったなぁ。

 ディランは1962年にデビューしたけれど、

 1976年のツアーまで、目まぐるしい変化だ。

 フォーク時代。フォーク・ロック時代。

 ヨーロッパツアー時代。

 カントリー・ロック時代。カバー曲時代。

 1973年からはまた忙しい。

 「新しい夜明け」のアルバムで復活。

 1974年はザ・バンドと全米ツアー。

 そして「プラッド・オン・トラックス」「ディザイアー」

 傑作二枚のアルバム制作。

 それから「ローリング・サンダーレヴュー」の全米ツアー。

 沢山の録音。沢山の歌作り。

 すごいパワーだ。

 ひたすらに驚くばかり。


「歌作り」'21..6/23

  めぐりめぐってまた歌作りが楽しい。

 コロナのことがあったり、

 年齢のこともあったり、

 全部をひっくるめて。

 僕だってこの先、20年くらいなものだろう。

 では何をするか。もちろん本も書けるけれど、

 やっぱり歌で残したい。

 まだ一曲も先は見えていないが、

 きっと作れるだろう。やり方次第で。

 たくさんのミュージシャンが年をとるごとに、

 なかなか秀曲を次々と出せなくなってしまう。

 それはそれで現実。

 それは先輩がくれた教訓。

 サーフィンで言えば、大きな波。

 うまく越えるのです。



「先の音
」'21..5/30

 いろいろYouTubeの音楽動画を観ていて、

 なんとなく自分の先の音のようなものを感じた。

 それがとても大事で、

 作品を作ってゆくとき、目指す方向にもなる。

 自分の創作人生を考えてみると、

 何度か大きな転機があった。

 そのとおりに自分が進んできた。

 どうやっていいかは不明だったが、

 結局はそこに近くなってゆく。

 今回も、なんとなく近付いてゆくだろう。

 それが大事だ。



「聴いても聴いても
」'21..5/16

 「バスにどうぞ」のニューアルバムが完成して、二週間ちょっと。

 自分の手をはなれて、みんなが聴けるのは、この上ない喜びがある。

 どんなふうに聴こえるのかなぁと、思って自分でもアルバムを聴いてみる。

 うまく歌えなかったテイクももちろんあるが、

 何回も聴いているうちに、よく聴こえるときもあるんじゃないかと思って聴く。

 そして時には、よくも聴こえる。

 その歌を好きだと言った人もいた。

 録音してからもう5ヶ月はたっている。

 聴いても聴いてもまだ聴いてる自分がいて、

 不思議だ。

 そんなふうに変化してもいいだろう。


「アルバム完成」'21..4/25

  たくさん苦労したニューアルバムは完成した。

 曲数が多かったせいもあるけれど、

 最後の音源確認作業にかなり手間取った。

 二枚組で、一枚目はすんなりいった。

 そして二枚目はかなり時間がかかった。

 僕自身のこだわりで。

 思うに、だんだんと耳にこだわりが出来てきたのであろう。

 普段、ふつうのアルバムを聴いていて、ボーカルや演奏など、

 気にしたこともあまりないのに。

 急にこだわりが出来てしまった。

 ちょっと大きい、ちょっと小さいと。

 それにつきあってくれた、音響の健さんには感謝。

 たぶん病気でも、何でもそうなのだろう。

 それについて考えると神経が細かくなってしまう。

 それが良い面もある。

 たぶん何年もたってからだと「小さなことだったなー」なんて思えるかもしれない。

 とにもかくにも、ニューアルバムは完成した。

 老若男女、楽しめるだろう。

 みなさん、「バスにどうぞ」



「昔のレコーディング
」'21..4/4

  ボブ・ディランの1970年のレコーディングアルバムを聴いた。

 同じ曲のテイクがいくつも入っているもの。

 当時は自分のバンドというものを持っていなかったので、

 レコーディングメンバーで録音しながら音を作っていったのがわかる。

 最終的にはしっくり来たテイクが採用されているけど、

 それまでにいろんなアレンジが試されていた。

 それはそれで大変だろう。

 どれもOKテイクになる可能性もあるし。

 驚くことは、ディランのボーカルが、いまひとつという事はないのだ。

 決め手は、バックのサウンドのノリで、

 それがOKなら、ディランのボーカルはOKなのだ。

 そこが僕らとちがう。

 僕らは自分のボーカルの良し悪しを気にする事は多い。

 そのへんの次元には、きっともういないのだ。

 逆に言えば、毎回ちゃんと歌っているし、

 毎回、力を入れすぎていないという事だろう。


「プロのレコーディング」'21..3/21

 ネットでプロのレコーディングを観たが、

 僕なんかとはレベルがちがうなぁと思った。

 ぜったい間違えないものね。

 僕なんか、間違えてばかり。

 それもベストプレイをしている。

 どんどんアイデアも出る。

 これがミュージシャンなんだろうか?

 それも数テイクで仕上げてしまうので、

 勢いもある。

 だいたいみんな、頭の中にひな形があって、

 こうこうこうしようと言う。

 でも、僕なんかそれ以外の音を求めてしまう。

 プロのミュージシャンにとっては、

 やりにくいだろう。

 それにしても自由自在に音が作れるのは、

 素晴らしい。

 なかなかにやりがいはあるけれど、

 大変な仕事だ。



「一週間
」'21..3/8

 CDのジャケットや歌詞カードを作っている。

 作って完成したと思って、置いておく。

 その一週間後に、ふと見てアイデアが出て

 少し直すと、ぐっと良くなる。

 もう完成と思ったのに。

 それは曲作りと同じだ。

 その続きで、やっと完成となる。

 一週間後。

 それは大事な時間。


「気が遠くなった」'21..2/20

 ニューアルバムのために、

 消しゴムはんこをふたつ作るのだけど、

 簡単ではない事がわかった。

 動画も観たが、気が遠くなった。

 漢字、特に「弾」とか「青」とか「組」とか、、

 動画サイトには、数々の消しゴムはんこの掘り方がアップされていたが

 驚くほど、漢字の掘り方のアップがなかった。

 シンプルなイラストなどが多い。

 そりゃそうだよな。楽しくなくちゃね。

 きびしい戦いが始まりそうだ。



「あるがまま
」'21..2/1

 録音は、とりあえず終わった。

 とてもよく録れたものは多い。

 戦いであった。

 完璧は目指さなかった。

 歌の魂を大事にして。

 全部録り終えて、

 客観的に聴くと、

 録音中は、気付かなかった事も見えてきた。

 でも、それもすべて

 あるがままでいいだろう。

 全部ひっくるめて、それが作品になるだろう。

 出口もいくつもあったほうがいい。

 精一杯だった。

 それでよい。



「ベスト盤
」'21..1/17

 ロックシンガーのベスト盤を買った。

 たくさん入っていてお得だといいなーと思った。

 いい曲もたくさんある。

 でも、やっぱり一貫性がないんだよね。

 そんなことはわかっていたことだけれど。

 もうばらぱら。

 そのシンガーを知らない人には、

 いろんな面が聴けて、バラエティなアルバム。

 そのシンガーを知る人には、

 時間のかかるアルバム。

 何度も聴いているうちに、

 つながりも見えてくる。

 それに時間がかかる。

 一枚のアルバムって、やっぱり曲順があるね。

 という僕も、高校時代に、

 二枚組のベストアルバムにとてもお世話になった。

 とてもとても楽しめた。

 ベスト盤も悪くはないものさ。

 何も知らないと特にいい。

 お菓子の詰め合わせセットのように。



「録音
」'20..12/27

  先日より、新しい録音を始めている。

 22曲の録音。

 最初は7曲。実にいい感じで録音できた。

 原曲は地味なのだけど、最後まで聴けるような名曲に。

 名曲かどうかは、聴いてくれる人が判断してくれるとして、、

 それが本当に嬉しい。

 でも、ちょっと奇跡みたい。

 次の録音でそれが出来るかは不明。

 やりとげたい。

 何か不思議な力がないとだめかもしれないが。

 録音の日は続く。

 期待して待て。



「CDジャケット
」'20..12/06

 友達が新しいCDを出した。

 そのジャケットとタイトル。そして文字センスがとても良かった。

 初めて見た人も、一瞬でわかるように。

 やっぱりジャケットとタイトルは大切だ。

 そう、思い知った。

 でも、名盤と呼ばれるジャケットは、

 それなりに、みんな良く思える。

 結局は内容とジャケットとタイトルは似合ってくるのだろう。

 良いジャケットには、良い内容があって、良いのだ。

 ジャケット負けしてはいけない。

 ジャケ買いには、不思議に感覚がある。

 内容が外れそうなジャケもある。

 音がジャケを越えないとね。

 僕もがんばる。


「10年間アフター」'20..11/23

  先日、友達から電話があり、

 10枚組み弾き語りの続きのアルバムを録音することになった。

  2011年に録音してからだから約10年。

 約10年間の新曲。

 なぜ、今年になったかと言うと、

 前回の2011年は震災の年で、

 今年もコロナで大変だったからだ。

 ちょうどまた10年。

 それをきいてから、

 時間が変わった。

 もちろんベストを尽くすだろう。

 いっときも忘れない。



「第3波
」'20..11/8

  また徐々にコロナが増えて来て、

 いよいよ第3波という感じになってきた。

 ひと月くらい前までは、

 だんだん治まるのかなと思っていたが、

 微増を繰り返して、

 また東京は300人台、400人台と、

 なりそうな勢いである。

 あーっ、ため息が出る。

 ワクチンの話もまだまだ先になりそうだし、

 こんなに続くとは想像もしていなかっただろう。

 居酒屋やバー、ライブハウスに演劇小屋

 まだまだ頑張れるのか?

  俺は心配だ。

 旅館やホテルも。

 コロナはしつこい。

 油断もならない。

 普通のライブの出来る日はいつやって来るのか??



「配信ライブ
」'20..10/21

  先日、初めて配信ライブをやった。

 事前に「観るよー」ときいていたので、

 ビデオカメラの向こうに、友達の姿を感じた。

 不思議なものだ。

 場所を越えてるなんて。

 「なんか最初、緊張したよ」って話も聴いていた。

 でも、僕の場合は、そのビデオカメラの向こうに、

 友達が観ていると思うと、逆に安心があった。

 嬉しく歌えた。

 まあ、お客さんも少ないながらも居たというせいもあるけど。

 配信もいいもんだね。

 時間の共有。

 その意味では。


「時代のサウンド」'20..10/05

  楽曲はいいのに、サウンドが、、というアルバムもある。

 発売当時の時代の流行という事もあるだろう。

 しかし、どう控えめに聴いても、

 サウンドが込み合っている。

 その当時、このアルバムを作っている人は、

 誰もそう思わなかったのかと思う。

 ここが不思議なところ。

 誰かが「ちょっと音が込み合っているよ」と言わなかったのか?

 と、いうか、作った本人はどう思っていたのだろう。

 ほんともったいない。

 作品はいいのに。

 いいアレンジもある。

 しかし、やりすぎもある。

 先に行こうとしていたのか。

 楽器を引き算していったら、

 普通に素晴らしかったのに。

 最終的には、本人がOKを出しているので、

 何もいえないのだが。

 時代なのかな。


「路頭」'20..9/22

  コロナの影響で、

 たくさんつらい目に会っている人も多い。

 自分は幸運にも、仕事もあるが、

 仕事をなくした人も多いであろう。

 路頭に迷った人もいるだろう。

 そしてお店を閉めた人みいる。

 自分なんてと思っていたも、

 その影響がリアルにやってくる。

 企画してきたスペースがなくなり、

 移ろうと思っていたスペースも閉店した。

 もうすぐその現実が自分にも迫ってくる。

 路頭に迷う、、

 その言葉が自分にも迫ってくる。

 コロナの影響はみんなに迫っている。



「おじいさんになって」'
20..9/6

  若い頃に名作アルバムを出してしまうと、

 その後それと比べられてしまい、

 なかなかに越えられないもの。

 食べてゆくには無理のない知名度。

 日本、外国に限らず、

 そんなみんなもおじいさん、おばあさんになってしまう。

 しかし、僕は思う。

 そんなみんなも、えーっ!? と思うような、

 傑作を出してくれないかと。

 出せないことはないだろう。

 作品だって、作れないことはないだろう。

 若い頃、年をとってしまうと、みんな創作に行きずまってしまうと思っていた。

 自分もそうだろうと思っていた。

 しかし実際、自分がある程度の年をとってみると、

 まだまだこれからも作れるなと思えている。

 僕が若い頃に思っていた、僕とはちがう。

 ちがう道があったようだ。

 待っているよー。



「ほんとみんな」'
20..8/23

 コロナがやって来て、もうずいぶんとたった。

 本格的には3月くらいから、居酒屋もバーもライプハウスも劇場も、

 みんな大変な事になった。

 それから何ヶ月たっただろう。5ヶ月くらいか。

 街を歩けば、閉店になった店もちらほらとある。

 しかし、続いている店も多い。

 よく頑張っていると思う。

 たぶん、来年の春頃まで続くであろう。

 あと、半年以上だ。

 ほんとみんなよくやっているよ。

 感心している。

 すごいね。

 



「ディラン新作」'
20..8/9

  ボブ・ディランが新作のオリジナルが発売された。

 聴いてみたら、これがぴっくり。言葉が泉のように湧き出ていた。

 サウンドは慣れたメンバーで、無駄な音がまったくない。

 まるでディランの手足のよう。

 1曲が長いのだが、

 それを聴かせる力がすごい。

 言葉もメロディーもサウンドも、ほぼ自分の感覚で息をするように進めている。

 けっして同じことの繰り返しではない。

 ・・・・・・・・・

 人は見ていてあきないものがある。

 それは川の流れであったり、焚き火の炎であったり。

 川がある。嬉しいときには嬉しいように。

 雨のあとには、水かさを増して。

 ゆっくりと静かだったり。

 今にもあぶれそうだったり。

 変化がある。

 ディランの新作には、そんな重さや静けさがある。

 1曲がもうすでに、ひとつの川のようだ。



「閉店」'
20..7/26

  ランチで出かけたら、やって

 いつもよく行くお店が3軒も閉店していた。

 安くて美味しい店。

 まちがいなくコロナの影響であろう。

 飲食店だけじゃない。

 営業成績が悪くて閉店するんじゃない。

 ずっとやってきて、

 ここで終わりになる。

 僕らはその貼り紙を見て、

 「あーっ、そうかー」とつぶやく。

 あまりにも数か゜多すぎて、感覚が鈍ってきている。

 ほんとはかなしいかなしい出来事。

 わすれちゃだめだー。


「言葉」'20..7/7

  おじいさんになっちゃった、

 シンガーさんのライプを聴いていると、

 ちょっとした言葉でも、みんな味がある。

 不思議だ。

 としか、思えない。

 何を言っても、味になる。

 そんなおじいさんに僕もなりたい。



「めぐりあい」'
20..6/21

 一枚のCDアルバムを手に入れた。

 ふいとした偶然から知ったもの。

 ここ数週間は、集中して聴くだろう。

 それが終わったら、少し色あせて聴こえるかもしれない。

 そしてまた何年かして、あらためて集中して聴く可能性が高い。

 それはわかっている。

 だから、ここ数週間は聴くのだ。

 しっかりと。

 夢中になって。

 それがいい。


「ライブ配信」'20..6/7

 都心のライブハウスから、

 ライブの動画配信はよくあるが、

 先日は地方のライブを同時配信で観た。

 とても新鮮であった。

 地方には地方のライブがある。

 観て、ああそれなりだなぁと思えることもあるだろうけど、

 地方を中心に活動しているミュージシャンもいる。

 しかし、それ以上に、その場所の雰囲気ってある。

 それがいい。

 それがいいのだ。



「コロナ影響」'
20..5/16

 コロナウイルスによる自粛。

 僕の仕事にもかなり影響が出ている。

 おかげで、めいっぱい忙しくなっている。

 やってもやっても終わらないほどに。

 もう身体がもたないほどに。

 たくさん眠っている。

 復活させるために。

 気が付くと横になっている。

 復活させるために。

 とりあえず、

 寝る。



「やれることはやっている」'
20..4/26

  コロナウイルスの件で、

 みんな出掛けられなくなっている。

 今はインターネットの時代なので、

 個人的に発信することはできる。

 世界中はある。

 日本はある。

 ここはある。

 自分に出来ることはやっている。

 それは自分がよく知っている。

 朝、起きれば何もない。

 いつもだ。いつも。



「コロナ泣きそう」'
20..4/5

  遠く思えていたものが、だんだんと近くなる。

 それもコロナウイルスの特徴か。

 一番、影響を受けているのが、

 やっぱりライブハウスではないかな。

 よく知っているお店ももう、閉店に追い込まれている。

 コロナが憎い。

 コロナ自身は知らないだろうが。

 もし僕が大金持ちなら、

 部屋に閉じこもって、何ヶ月も暮らすかもしれない。

 レトルト食品でも食べて。

 でもそれは出来ない。

 仕事に出掛けなくはいけない。

 ドアを出てから、夜に戻ってくるまで。

 ほぼ戦争である。

 ウイルスとの。

 気をゆるめない。



「あかぎれ」'
20..3/20

  乾燥の冬になった。

 いつも右の手の指にあかぎれが出来てしまう。

 それも、ギターの弦に触れるところに。

 ギターを弾いてみるけれど、痛くてあまりうまく弾けない。

 これがほんとに寂しい。

 いい音にならない。

 気持ちも盛り上がらない。

 ピックも使えない。

 あかぎれの季節はさびしい。

 ギターがうまく弾けないから。

 まるで歯を痛めてる人が、

 食事をするように。

 指で食べる音楽。

 春は美味しく食べたいな。



「生まれるもの」'
20..2/24

  恐竜が丘の上で卵から生まれる。

 そこには夕焼けか朝焼けがあり、

 それを見守るのは、もしかしたら誰もいないかもしれない。

 そこで生まれたもの。

 ライブイベントがある。

 そこからも何か生まれる。

 いつ生まれるかは誰もしらない。

 歌い手がいて、演奏者がいて、お客さんがいて、

 そのスペースがあり、企画者もいる。

 そのみんなの前でそれは生まれる。

 そこで生まれたものは、そこから大きくなる。

 最初、どこで生まれるかはわからない。

 大勢の前かもしれないし、少人数のときかもしれない。

 生まれる夜はいつもかけがえがない。

 ようこそといつも思うんだ。


「時代は変る」'20..2/2

  先日、よく知る商店街を歩いていて、

 古い中華屋を見つけた。

 外のウインドーにあったラーメンもカツ丼も安かった。

 それにひかれて、入った。清潔な店であった。

 お客は今は僕一人ではあるけれど、

 夕御飯の時間になれば、人が沢山入るんだろうなぁと思いながら。

 今もこうして、中華は生きているんだなぁと。

 友達との約束の用事も終わり、

 帰りにもう一度、同じを中華屋さんをのぞいてみたら、

 お客は一人だけであった。午後7時すぎ、良い時間だ。

 人でいっぱいだろうと思っていたので、僕はショックだった。

 今は令和。その前が平成。

 中華屋は「昭和」。

 もう昭和は遠くなってしまっているのかな。

 駅前で歌う、ギターのシンガーさんを見た。

 彼も若いので、きっと休むときはマクドナルドなどに行くのだろうか。

 そこが落ち着くのであろうか。

 時代は変わる。昭和も遠くなりにけり。

 私もおじさんになった。



「読書」'
20..1/20

 ここ最近、ずっと読書をしている。

 電車の行き帰り。

 昨年の12月に友達が本を二冊貸してくれた。

 厚めの本。

 こんな機会があって、本を読む。

 そして、また新しい本も買った。

 2020年は本を読む。

 読書だ。


「AI美空ひばり」'20..1/5

 2020年になった。

 年末の大きな出来事と言えば、

 紅白歌合戦での、AI美空ひばりではないだろか?

 「あれから」という新曲。

 なんだか禁断の扉を開けたような。

 もっともっと科学も進化すれば、

 自宅のパソコンでも、自動で歌ってくれるかもしれない。

 そんな楽しみ方も増えるだろう。

 そのうち、誰々風の曲も作ってくれるかもしれない。

 そんな始まりを感じさせるAI美空ひばりであった。

 今回に関しては曲も歌詞もアレンジも、

 それにもまして歌唱に関しては、

 かなりがんばった作品になっていた。

 放送後、かなり批判的な意見も出たし、

 好意的だった感想も多くあった。

 もう亡くなった人なんだから、、

 と、そこにこだわる人も多いとわかった。

 でも、僕が聴いたところ、

 歌詞にもメロディーにも歌唱にも

 「魂」のようなもの感じられた。

 ただありあわせのように作ったものではなかった。

 そういう物語が「歌」にあってもいいだろう。

 歌はみんなに伝わるもの。

 こだわらず、みんなで歌えばいい。


「今年」'19..12/25

  今年ももうすぐで終わりとなる。

 昨年はなんと言っても右目「網膜剥離」での入院。

 今年は帯状疱疹での頭痛。

 こんな病気の事ばかりと思うかもしれないが、

 人生がどうにかなってしまうんじゃないかと思えたのだ。

 24時間、後頭部が痛くて。泣きそうだった。

 ほんとに泣いたよ。

 仕事先で、400年前の地蔵さんがいて、

 その前で涙が出た。

 北海道ツアーもあって、どうなっちゃうの?と泣いた。

 400年前の地蔵さんに「助けて」と祈った。

 そして数日して、頭痛は肩のほうに降りてきて、

 頭痛はほぼ消えた。

 地蔵さんがどうという話ではなくて、

 ほんとにきつかった。

 それが今年一番の思い出。


「名盤」'19..12/08

 エチオピアのCDアルバムを聴いていると、

 どんどんと自分の中で名盤になってゆくのがわかる。

 聴いて人だけがどんどん名版になってゆくアルバム。

 それは素晴らしいなと思う。

 そんなアルバムを僕も作りたい。

 歌い手と聴き手が近付いてゆくアルバム。


「医者」'19..11/27

 いつも通ってる目医者さんに、

 ここ最近の異常も含めて、相談に行った。

 ひととおり説明したが、

 先生はそのことにも触れなかった。

 それよりも先月になった帯状疱疹の事を詳しくきいていた。

 最後に自分から目の異常についてたずねると

 「あっ、それは大丈夫」と、ひとこと言った。

 「まあ、疲れとかね、いろいろ出てくるからね」と。

 ほかの患者さんにも先生は、

 「だいじょうぶ」を繰り返していた。

 「急に明るくなったり、水が出てきたり、

 まあ、そういう事がなければ、大丈夫だから」と。

 僕にも言った。


「やっと」'19..11/10

  札幌・小樽ツアーから帰って来て、12日たった。

 その間に仕事もたくさんして、やっと少しずつ遠くなってきた。

 まだ病のほうは完治はしていないが、あと少しといったところ。

 よく復活したなぁと思う。

 後遺症が残る可能性もあるが、ほぼ大丈夫そうだ。

 病気が始まったとき、先の見えない不安でいっぱいだった。

 一時は、ひどくなりかけた。

 先生も時間がたたないとわからないと言った。

 自分は幸運だった。

 それに尽きる。


「お薬」'19..10/23

  もうずっと病院にも医者にも薬にも、

 ほぼ無縁でやってきたのだが、

 昨年から今年で網膜剥離、腰痛、そして頭痛と

 たて続けに医者や入院、そして薬をもらった。

 自分でも信じられない。

 信じられないが、それは事実だ。

 よく睡眠をとり、栄養をとること。

 それが大事だ。


「書いておくに限る」'19..10/6

  いろいろな設定をして、

 そのときは憶えていても、

 一年もたつと忘れてしまう。

 やっぱり紙に書いておかなきゃと思う。

 大切なことだ。

 もう記憶力も悪くなってきている。

 憶えているうちに書いておけば、

 次は楽だろう。

 わかっている。

 もうおじさんなので、何でも書いておこう。



「パソコン」'
19..9/30

  久し振りにパソコンがだめになった。

 仕事から帰ってきたら、だめになっていた。

 原因は不明。

 いろいろやってみたが、結局だめ。

 データも取り出せず、手も足も出なくなった。

 ほんと一年に一度は、こうなるなぁ。

 でも今回は重症。どうにもならない。

 いろいろやっとみたがだめ。

 システム入れ替えとなった。

 起動しないんだもの。

 こまめにデータをとっておくに限るね。

 教訓。すぐ忘れる教訓。



「チューニングメーター」
19.9/16

  この10日間はチューニングメーターにはまった。

 4つも買ってしまった。

 チューニングメーターって楽しい。

 持っているギターにいひとつずつ付けておいてもいいので

 いくつあっても困らない。

 みんな個性がある。

 そして買ってみないと使い勝手もわからない。

 結局、良い事だらけ。

 自分に合ったチューナーもあるだろう。

 それは旅だ。

 いくつも買ってもいいんだよ。

 それで見つかれば。

 高ければ良いというわけでもない。

 いいんだよ。



「健康診断2019」
19.9/1

 今年も健康診断が終った。

 けっこう大きな施設でたくさんの人が一緒にやるので、

 受付も含めて、多くのスタッフが働いている。

 キチンとした服装をして。

 日々、ここでその仕事をしている。

 血も涙もない、機械のような印象ではなく、

 対応もやさしい。

 僕らはみんな作業しやすい格好になって、

 80人ほど椅子に座っている。

 スタッフの日常というものがまったくわからない。

 僕らにとっても非日常。

 スタッフにとっても非日常。

 そんな実感のない、時間。

 それをなんとか打破して欲しかった。


「8月のサーファー」19.8/18

  外仕事をしてるが、いつも夕方にはヘロヘロになってしまう。

 出かける時は、洗濯した制服を着て、ヨシッと出掛けるのだけれど、

 帰りはいつもヘロヘロ。

 沢山、水分もとって、汗もいっぱいかいて、

 こんなはずじゃなかったんだと思いながら、

 帰ってから、あれもしようこれもしようと思っているが、

 ボーッとして、ほぼ何も出来ない。

 こんなはずじゃなかったんだと思いながら。

 朝はあんなにパワーいっぱいなのに。

 もし、朝からパワーダウンしていたら、

 一日もたないかもしれない。

 考えるに、なんとか8月を乗りきるのがいいだろう。

 乗りきる。それが大事だ。

 8月のサーファー。



「暑さ」
19.8/4

 この8月に入って、2日ほど外仕事をしたが、

 完全に暑さに負けてしまった。

 35度を超える猛暑日。

 甘く見ていた。

 とにかく汗が目に入って、仕事にかなりの支障が出た。

 水分もとりすぎた。

 外仕事をして、もう30年以上。

 ニュースでやっていたが、10年前は

 猛暑日はほとんどなかったという。

 こんなになっちゃったんだね。

 ここは外仕事のプロだから、

 明日の月曜からは、ばっちり準備して出かけるのだ。

 もう用意もいろいろした。

 ここはプロだからね。

 意地があるのです。

「生まれる前の音楽」19.7/14

  先日、行った演劇で、

 '70年代の流行歌がたくさん流れた。

 キャンディーズ、山口百恵、etc

   それらは僕のよく知る歌ではあるけれど、

 会場に来ていた若いみんなには、

 自分が生まれる前の歌なわけだ。

 どんなふうに聞こえているんだろう。

 僕が生まれる前の歌は、録音が古く、

 いかにも日本の古い歌謡曲という感じだ。

 洋楽で言ったら、エルビス・プレスリーかな。

 それでもやっぱり録音が'50年代なのでわかる。

 2000年より後に生まれたみんなには、

 もうたくさんの良い録音の音楽があって、

 ぱっと聴いただけではわからないだろう。

 聴いた事のない音楽がたくさん。

 そこにある森のように。

 ひとつでまとめて音楽なのかもしれない。


「高いギターでも」19.6/30

 高いギターを選ぶときは要注意だ。

 楽器屋で試し弾きをするときは特に。

 試し弾きのとき、大きな音ではなかなか弾けない。

 それが問題だ。

 普通にライブで弾く程度の音量で弾かないと。

 あとあと、大変なことになる。

 本当に。

 それで失敗することもある。

 それは大きな勉強だ。

 ちょっと考えればわかる事。

 最初はされがわからない。


「プロモーションビデオ」19.6/18

 友人の新曲のPVを撮る事になった。そて

 どうにか、その曲をみんなに広く紹介したいとみんなが思ったのだ。

 頼まれてみたものの、さて、どんなふうに撮ったらいいものか。

 演奏者の一人が、楽器部屋を持っているというので、

 そこがいいなぁと漠然と思った。

 イメージ的には、本に囲まれ、そこに楽器もあるような部屋。

 そして行ってみると、白い壁のシンプルな部屋であった。

 さて、どう撮ったらいいものか。

 まあ、だめかもしれないが、とりあえず二回歌ってもらった。

 部屋に戻り再生してみたら、ふつーの部屋で撮った映像になっていた。

 しかし、何度か観ていると、歌ごころが伝わってきて、

 それなりに良いとわかった。

 プローモーションビデオなので、いろいろ演出も考えてみた。

 でも、この歌には演出はあまり似合わないような気がしてきた。

 それでそのまま、色だけを明るく深く鮮やかにして。

 出来上がった映像が「これ」である。

 いろんな事があった。

 しかし出来上がってみると、これで良かったような気がする。

 不思議な体験をした。


「ギター演奏」19.6/2

  長い事、ギターを弾いて来たけれど、

 ちょっと弾き方を変えようかなと思う。

 力の少し抜けた感じに。

 先日のライブ音源を音確認したら、

 アクセントが付き過ぎだなぁと感じた。

 音がひりひりしていた。

 もう少しなめらかにしようかな。

 そう思うとディランの生ギターの弾き方は、

 とてもなめらかであった。

 ある程度のところでいつも弾いていた。

 強くかき鳴らすなんて事はなかった。

 さわさわっとなでるように。

 気持ちが入りすぎないように。

 僕も少しギターの弾き方を変えてみようと思う。


「桜の国の散る中を」19.5/19

  友川カズキ氏の1980年の音楽アルバムである。

 もうすぐ40年前となる作品。

 日本語の友川さんの歌詞とメロディーとサウンドがみことにひとつにになっている。

 この後も素晴らしいアルバムを出していて名作なのだが、

 「桜の国の散る中を」は、その最初のなんともいえないパワーで満ちている。

 もう30年以上前から、何度も聴いているが、

 聴くたびに良くなってゆく。

 ぜひ、このアルバムを世界の人に聴いてもらいたい。

 歌詞の訳も含めて。

 それを理解し、楽しめる人が多いかは不明だが、

 何かが伝わるだろう。

 地獄と天国、生と死、たくさんの日本的なもの。

 魑魅魍魎としたもの。

 きっと伝わる。伝えたい。


「本」19.5/5

  平成から令和に元号も変わった。

 平成の事を音振り返ると、

 1999年頃から始まったインターネット文化に、

 追いつけ追いつけで、日々忙しかった。

 それまでは本が主役であった。

 ネットを見るように本屋さんに通った。

 そして本を集めた。

 そんな生活が続くと思っていたら、

 ネット文化が攻めてきてしまった。

 あたふたとそして20年。

 本を沢山集めていずれ読もうと思っていた本はまだ部屋にある。

 街に本屋さんはなくなったけれど、

 僕の部屋には自分も本屋がある。



 「新曲」19.4/21

  先日のライブで新曲「道標のうた」を歌った。

 タイトルとだいたいのイメージだけは最初に出来て、

 そこから作り始めたのは、ひと月前。

 仕事場のまでの通勤時間が長いので、

 ほぼ毎日、ノートに向かった。

 新曲がいっきに出来る事もあるが、

 それを待っていたのでは、自分が劣化してゆく。

 だから作る。時間がかかっても。

 がんばって。それでいい。

 出来たものが、一回しか歌わない事になっても、

 無駄ではない。

 無駄どころか、宝だ。


「フォーク」19.4/8

  フォークとは何ぞや?

 そんな事もあまり考えたこともなかったけれど、

 やはり大きな流れがふたつあったろう。

 ひとつはみんなで歌えるシンプルな歌。

 そしてもうひとつはギターで自由にオリジナルを歌うというもの。

 今、フォークというと、ロックではなく、シンプルで憶えやすい歌という感じかな。

 そういう歌をうたわないとフォークではないのか。

 そんな馬鹿な。

 みんなで歌ったうたは「みんなのうた」にして、

 フォークは「ギターで自由に歌う事」でいいんじゃないか。

 「自由に」それでいいんじゃないか。


「色んな音楽」19.3/24

  もともと小さい頃は洋楽を聴いていたので、

 それが良かったのかなと思う。

 何でも聴く。

 ギター弾き語りをやっていても、

 今まで聴いてきた音楽はつながっている。

 それは節々に出るものだ。

 その節々が前面に出る事もある。

 それでいい。

 歌を作るとき、僕は自分のメロディーを探す。

 それでいい。


「いろいろと考える事」19.3/10

  人にはこだわりがそれぞれにあり、

 まわりから見たら「そんな小さな事、、」と思うけれど、

 本人にとってみたら大きな問題という事は多い。

 「どうしても、そこはゆずれない」と言う。

 太古の昔から、それはあっただろう。

 今も10年前も、20年前も、100年前も、1000年前も、

 町内会で、それが話し合われたであろう。

 もう永遠のテーマだ。


「歯医者」19.2/24

  今週、右上の親知らずの抜歯をした。

 先生は「ちょっと大変かもしれませんが、、」と言っていたので、

 ある程度覚悟していったのだが、

 抜き始めて2分ほどで、するりと抜けてしまった。

 「あおきさん、もう抜けましたよ」と言う

 「もっと時間がかかると思ったんですが、するっと」

 昨年、右下の親知らずを抜いたときは、もっと時間もかかったし、

 あごが外れるかと思った。

 その前の年は左下の親知らずを抜いた。

 その時は先生も「ちょっと大変ですけど、私もがんばります」

 そのとおり時間もかかった。

 歯医者さんも大変だなぁといつも思う。

 今回の右上の親知らずのときは、

 10日前から、親知らずの事を想っていた。

 前日からさよならの準備もしていた。

 そのせいもあってか、するっと抜けたのかなと思う。

 するっと抜けて、もう自分はいないなんて、

 なんかせつないね。


「ベース音」19.2/3

  最近は音楽を聴くとき、

 メロディーやリズムはもちろんだが、

 ベース音の流れに気持ちを合わせている自分がいる。

 ベース音が動くと気持ちも動く。

 それがいいなと思いながら。

 ベース音の流れは聴こえてはいるけれど、

 それは気持ちの流れであるかのようだ。

 ベースはあったほうがいいな思う。

 聴こえなくても聴こえているような音って作れないものか。

 それは音楽だけでなく、

 ひとつの小さな話にも。読むだけの歌詞の中にも。

 ベースの音が聴こえてくないものかと思う。

 でも、どうやってそれを実現したらいいのか?

 皆目、見当もつかないのだが。

 なんとん見つけてみたい。

 それにしても、どうやってそれを実現したらいいのか。

 まず、そんな話や歌詞を見つけてみようと思う。

 それからだ。



「異国の歌」
19.1/20

 ここ最近、異国の歌を聴いている。

 歌詞はわからない。

 メロディーもノリもとても似ている。

 さっきの曲なのか、今の曲なのかもよくわからない。

 歌詞さえわかればなぁとも思う。

 しかし現地の人たちには、はっきりとちがいがわかっているのだろう。

 一曲一曲の個性とともに。

 自分はまるでそのレベルまでいっていない。

 しかし、まずは聴く事が大切だ。

 頭の中に入れておくこと。

 しばらくたって、聴いてみると少しずつだが

 ちがいがわかってくるだろう。

 一年もすればだんだんと耳でもわかってくる。

 最初からわかるなんて絶対に無理だ。

 経験的にわかっている。

 そして今はただ聴いて聴いて聴く時間。



「ランブラス通り」
19.1/2

 1988年、ひと月ほどバルセロナに滞在した。

 たくさんの思い出があって、歌にしようと思っていながら、

 30年も時間がたってしまった。

  1987年から1988年、一年ほどの海外の旅に出て、

 帰国してから、旅の歌をいくつも作った。

 インド・中国・パリ・トルコ、、

 パルセロナの歌は作りそびれてしまった。

 昨年、歌の友達がバルセロナを旅して、

 「ランブラス通り」と言う歌を作って、やっと自分もそれを思い出した。

 30年もたってから、その土地のその出来事って歌えるものだろうか?

 30年もたってから歌を作るって、変じゃないだろうか?

 そんな事を思いながら、創作をはじめた。

 海外旅行の歌は、僕ににとっては大事な歌のひとつになっている。

 「ケーララの町で」「チャイナSONG」「さよならムスタファ」他

 それに負けない歌にしなくちゃなと思った。

 でも、それって大変。作ろうと思っても出来ない。

 でも、お世話になったバルセロナに歌を送りたいと思った。

 当時の旅日記を出して、読んでは、歌のテーマを見つけようとした。

 なかなか決まらない。30年という時がたちすぎているし、

 電車の行き帰り、たくさんノートを書いた。

 メロディー探しも、いろいろやった。

 バルセロナの雰囲気が出ないと、、

 歌詞にもバルセロナの雰囲気を出したい、、

 8月のライブ当日に新曲は出来たが、ボロボロだった。

 それからまた歌詞をまとめ、ギターアレンジもまとめた。

 だって、、ちゃんと作ろうと思ったから、、

 そして、12月末のライブでのテイクが良く歌えたので、

 大晦日の夜に、動画サイトのYouTubeにアップした。

 「ランブラス通り」の検索で、いろんな人が観るだろう。

 何もなかったところから、やっと完成して、

 YouTubeにアップ。ここまでで、ひとつ。

 作りそびれてから30年。少しは歌に恩返しできたかな。

 君も観るだろうか。「ランブラス通り」を♪



「一年」
18.12/24

  いつも12月に行われている友達の展覧会に出かけると、

 やっぱり昨年も来ていた友人に会えた。

 一年振りのような気が゛しないが、確かに一年たっている。

 昨年の12月と言えば、まだ眼が無事だった頃。

 まさかその数か月後に、眼の網膜剥離の手術にするなんて、

 想像もしていなかった。

 そして、この一年はずっとち眼科通いをした。

 2月の終わりに手術。

 網膜剥離が再発をしないように、日々気にかけていた。

 最初のひと月がとにかく危険。

 そして二ヶ月。三ヶ月目から仕事復活。

 半年たてば、ほぼ大丈夫。

 その間にも後発白内障の30%の確率。

 半年はずっと夕方から眼が痛かった。

 なんとか、そして12月になった。あっというまに。

 僕にしてみたら、今年の目標は眼が無事な事であった。

 それはなんとか達成できた。

 それでいい。他はその続きであった。


「ライブ」18.12/9

  ライブを観にゆくと、ほんとさまざまな人がいる。

 「僕は清志郎が大好きです」と言って、

 そのノリの続きようなライブであった。

 たとえば、「ロックだー」と言ったらロックのような

 「フォークだー」と言ったらフォークのような、

 その「フォークだー」と言う中でも、また分かれていて、

 何々風となるのだろうか?

 まるで洋食屋のメニューのように、

 まあ、そういう事もあるでしょう。

 洋食屋の壁にメニューがある。

 マスターが「いらっしゃい」と言う。

 お口に合いますように、、

 そんな世界があります。



「アコースティックギター」
18.11/25

  ライブをいろいろと聴きに行っているが、

 生ギターの音色がほんともったいないと思う事が多い。

 今はピックアップマイクで音をひろう事も多いのだけど、

 それがほんとに良い面に出ればよいのだけれど、

 そうでない場合もある。

 ひらったい音になってしまう。

 もったいないなぁ。

 さっきの楽曲も、次の楽曲もほぼ同じ響きになっている。

 あまり気にしていないのかもしれないが、、。

 テクニックもあるのに。

 それがギターに出ていない。

 音が平たくなっている。

 もしかしたら弦のせいかもしれない。

 あの人の夢にでも現れて、

 ギターのお告げでもしようかしら。



「場所」
18.11/11

  歌う場所が今年、いくつかなくなってしまう。

 ほんと残念ではあるけれど、これはしかたがない。

 昨夜も、じきになくなってしまうスペースに寄ってきた。

 古い建物で、その壁を30センチほど残しておきたい気持ちだ。

 でも、みんなの記憶の中にしかっりと残っている。

 やがてその場所は跡形なく無くなってしまうだろう。

 僕の住んでいた古いアパートも今は、更地になってしまった。

 やがては新しい建物が建つだろう。

 そして永遠に記憶の中に移動するのだ。

 生きていたその時のままで。

 引越しみたいなものだ。 



「動画」
18.10/28

   映像撮影を仕事にめされている方が、

 僕のライブを撮ってくれて、動画サイトにアップしてくれた。

 「おじさんに会いに行った」 https://youtu.be/yJNLoU7RCpY

 もう15年ほど歌ってきた歌で、映像もたくさん撮ってきたけれど、

 どれも満足するテイクではなかった。

 何か足りなかったのだ。

 その足りないものが、このテイクにはあるのだろう。

 100万回再生とか、しないかなー。


「自動巻の腕時計」18.10/7

  ふと思い出して、

 高校一年の時に買ってもらった自動巻の腕時計をはめてみた。

 まだ動く。たしか一日に5分くらい進んでしまうと思ったが、

 高校一年の頃と言えば、自分が一番生き生きとしていた頃かもしれない。

 パワーあった頃。

 もうその頃に戻ることは出来ないのだが、

 時計はつける事が出来る。

 時間の続きを持つ事が出来る。

 今、自分の腕に時間が続いている。

 これもまた出会いというのかな。

 これは僕の時間。


「ほぼ完治」18.9/23

  右目が網膜剥離になり、

 手術をしてから七か月。

 昨日、精密検査をして、とても経過が良いという判断をされた。

 なんて嬉しい事よ。

 この夏はとても暑く、乗りきるだけで精一杯だった。

 毎日、目薬もさし、よく睡眠もとった。

 まだ多少は、症状が残っているが、

 それはもう気にしないでいこうと思う、

 先生がもう大丈夫だと言ったのだから。

 ここまで来た。

 もう半年。



「夏」
18.9/9

  今年は梅雨明けも早く、

 6月中旬から、もう夏みたいであった。

 7月8月は連日、30度越え、

 9月になってもまだ暑い日が続いている。

 さすがに三ヶ月も30度超えてると、

 何がなんだかわからなくなってくる。

 このまま冬になると、

 「今年の夏は暑かったね、、」と思うだろうか?

 たぶん「よく覚えていないな、、」となるのではないか。

 それもさびしいものだね。

 夏の一日一日を忘れる事で、なんとか乗り越えて来たんだ。 


「半年」18.8/26

  右目の網膜剥離の手術をしてから半年がたった。

 先生には、半年無事だったらずっと大丈夫と言われた。

 いろんな症状も出たが、なんとか半年となった。

 何か考えず、時の過ぎるままに、

 梅雨の時期も。

 夏の暑さも、ただ過ぎるままに、

 時が過ぎる事だけと思って、

 この日が遠かった。

 電車の行き帰りもなるべく目をつぶって、

 過ごして来た。

 これからは少しずつ戻ってゆこうと思う。


「残像現象」18.8/12

 仕事場の事務所にゆくと、

 ここ数日休んでいた人が、同じ机なに座っていて、

 (ああ、今日は来ているだな)と思った、

 それからしばらくして、同じ机を見るともういない。

 普通は「行って来ます」と声かけしてから、出かけるので、

 おかしいなぁと思った。

 僕の席の前の人が休みの間、仕事を手伝っていたので、

 「何かおみやげをもらった?」と尋ねると、

 「まだ今日は来ていないですよ」と言う。

 「えっ!?」

 じゃあ、さっき見たのは???

  確かに見たよと言っても、

 他のみんなはまるで相手してくれない。

 ちゃんと見たんだよと言っているのに。。

 これには伏線がある。

 実はその前日、疲れから、いつもよりも4時間も早く寝て、

 そのまま朝まで死んだように眠ったのだ。

 よく寝ぼけてるというけれど、

 まさに寝ぼけていたのかもしれない。

 それに僕の仕事は、常に残像現象を頼りに仕事をしているので、

 残像現象を見たのかもしれない。

 科学的にも。

 それなのに、仕事場の人は一人も

 「それはあるかもしれないね」とは言ってくれないのだ。

 誰一人として。



「歯医者」
18.7/28

 やっと終るかと思った歯医者だったが、

 またさらな続くことになった。

 最終日が二回伸びてしまった。

 今回こそと思ったら、また続く。

 これで終わりと思いたい。

 二年に一度は歯医者通いとなっているが、

 今回も痛かった。ほぼ毎回。 

 麻酔をしても。

 もうさすがに歯医者はきびしいな。



「富陽荘」
18.7/7

 高円寺に15年住んでいてときの古いアパート

 「富陽荘」がとうとう更地になってしまった。

 1975年に建てたとは聞いた。僕が住んだのが1号室。

 1995年からだから、約20年ほど住んでアパートなのだ。

 僕の前に住んでいた人もながーく住んでいたという。

 他の部屋の人も長い。軽く30年は住んでいたんじゃないか。

 僕が越してきたときは部屋が全部埋まっていて、

 人気のアパートだった。銭湯からも一分だったし。

 個性的な家族が住んでいた。

 「富陽荘」の個性を作っていた。

 僕はその部屋でたくさんの歌を作った。

 高円寺の良い生活時間がそこにあった。

 幸せもあった。思い出も多い。

 パソコンを買ったのもこの部屋からだった。

 たくさんの文章も書いた。

 ここを引越してもう5年がたった。

 何度も訪ねたけれど、アパートはそのままだった。 

 今回、歯医者の帰りに、ふと気になって、アパートを訪ねた。

 一本道を歩いてゆくと、だんだんと更地になっているんじゃないかと思えて来た。

 着いてみると、更地になっていた。それも数日前に。

 もう何もそこにはなくなっていたけれど、これは。

 「富陽荘」の挨拶だったように思う。

「エルビス・プレスリー」18.6/24

  ロックンロールの三大シンガーといえば、

 エルビス・プレスリー、ニール・セダカ、ポール・アンカとは言われている。

 ニール・セダカの楽曲は、今もよくテレビで流れていて、よく耳にするが、

 ポピュラーソングとしてのロックンロールとして、長く残っている。

 映像を観てもスーツを着て、品も良い。

 でも、ロックンロールってそうだったかな?なんて、ふと思った。

 ポール・アンカはボーカリストの面が強く出ているし。

 エルビスの映像を観ていると、やんちゃな感じがずっとあって、

 ロックンロールをずっと感じる。

 どんなポピュラーソングを歌っていても、我が道を常に行っている。

 エルビスは特別なシンガーだったとよくわかる。


「名店そば」18.6/9

  25年も通った立ち食いそば屋が閉店した。

 それも二ヶ月も前に。

 最近それを知ったので、最後に食べる事が出来なかった。

 自分の知る限り、そこの立ち食いそばが日本一うまい。

 冗談ではなく、少し調べると「名店」と呼ばれていた。

 そして、他のどの立ち食いそば屋とも似ていない。

 あんな味のつゆを他に知らない。

  たぶんもう食べる事はないんだろうなぁ。

 もしかしたら日本一だったかもしれない。

 伝説になるのかな。

 思えば、もう食べられないと思える店が増えた。


「マーチンD18」18.5/19

  サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンは

 初期にマーチンD18のギターを使っていて、

 とても良い音をさせていた。

 そしてマーチンD18の魅力を沢山引き出してくれた。

 繊細なフィンガーピッキングと、そのままサムピックでのかき鳴らしストローク。

 それがなんともワイルドで、単純な弾き語りというよりも、バンドサウンドに近い。

 そのあと、ギルドギターやヤマハに代わり、同じピッキングで弾いても、

 あのマーチンD18で出していようなサウンドにはならなかった。

 とても人間くさい音。

 田舎道を裸足でかけるような音。

 私は思う。

 もしも妖魔がギターを持って出てくるとしたら、

 もしもそれがマーチンだったとしたら、

 きっとD28でもD35でもなく、

 D18だろう。



「卓球」
18.5/6

  今、テレビで世界卓球をやっている。

 僕は中学時代に卓球部だったので、

 観ていて、どこか血が騒いでくる。

 もう卓球をやめて、40年もたっているのに、

 まるで昨日のように感覚が戻ってくる。

 どうなっているんだろうね。

 色あせない感覚があるなんて。

 僕は中学時代、卓球にとても燃えたけれど、

 高校は続けなかった。

 それが原因かもしれない。

 いい思い出しかない。


「完璧に はいかない」18.4/22

  もう二ヶ月、眼医者に通っている。

 手術もしてからも二ヶ月がたった。

 いろいろとまだ症状も続いていて、

 なかなかに完治というわけにはいかない。

 場所を変えて痛みや、不自由な現象も起きる。

 眼科の先生にその度に説明している。

 先生は言う。

 「いろいろといじくっているんだから、

 なかなか完璧というわけにはいかない」

 と。

 その通りだと思う。

 今はそれとつきあっている。


「待合室」18.4/7

  週に一度は眼科に通っている。

 まさか自分がこんな眼科に通うことになるなるなんて思わなかった。

 手術後の昨日の眼科検診では、

 「もうだいぶ落ち着いたので、二週か三週間に一度でいいですよ」

 と言われた。

 清算を待って、待合室で座っているとき、

 眼の調子が悪くなり、最初に来た日の事を思い出した。

 同じようにここに座り、同じようにポスターを眺めていた。

 あの不安な気持ち。

 そして今日は完治して座っている。

 いつもと変わらない先生の声がそこまで聴こえている。


「復活ライブ」18.3/24

 右目の手術から一か月。

 やっと復活ライブが出来た。

 何げないことではあるけれど、

 僕にとっては大きな事だった。

 あのひと月前の気持ちがあって、

 なんとか無事に手術も乗り越えて、

 術後の自分の努力もあり、

 ライブ当日となった。

 まずこの日のために、がんばって来た。

 もう500キロくらいの旅をして来た気分。

  ここから二駅のところ。

 そこまで500キロあった。


「右目の恩人」18.3/10

 一昨日、右目の手術をした医大に診察に行った。

 近くの眼科で紹介してもらって手術をしてもらったのだ。

 ほっておいたら失明となっていた右目。

 手術のエキスパートの先生を紹介してもらったのだ。

 手術は成功して、順調に回復している。

 むずかしい手術。忘れられない。

 病院の診察は、今日で終わる可能性があり、

 そうしたら先生に会うのは今日で終わりかもしれない。

 右目を助けてくれた右目の恩人先生。

 僕はしっかりと右目で先生を見ようと思った。

 右目の想い。

 忘れらない人。



「右目」
18.2/27

  四日前、右目の網膜剥離の緊急手術をした。

 ほっておくと網膜がはがれ、失明してしまう。

 一日も早い手術が必用だった。

 待ってほしいもない、ただ素直にそれに従うだけ。

 前日に入院し、手術の準備に入る。

 当日もただ、じっとその時を待つのみ。

 意外と時間は早くたつ。

 6人部屋病室で、その日は三人が手術室に向かう事になっていた。

 三人の内、私は三番目であった。

 あまり目は使えないので、音楽を聴いた。

 好きなボブ・ディランを。

 ひとりひとり時間が来ると、点滴をして

 「さあ、行きましょう」と、車椅子でつれていかれる。

 そして一時間ほどで帰ってくる。

 そして私の番。

 私の番。

 私は右目の事を考えていた。

 そしてきっと、左目も右目の事を思っていたはずだ。

 大事な兄弟だから。

 オペ室の前で待っていると、

 執刀医の先生がやってきて、

 私の車椅子を押して、連れてってくれた。

 それがなんともやさしかった事。

 局部麻酔だったので、言葉は全部聴こえる。

 先生のちょっとしたやさしい言葉がとてもやさしい。

 「もうちょっとですよ」

 もうちょっとなのだ。

 もうちょっと。

 右目よ、もうちょっとだ。


「カセット1本だけの気持ち」18.2/17

  友達に録音してもらって、

 聴き始める「たった一本のカセット」というものがある。

 もっと聴きたいと思ってもすぐには、レコードも買う事もできず、

 その一本のカセットを、ただ聴き続けるしかない。

 最後の曲を聴いたら、また最初に戻り。

 今でなら、インターネットもあり、沢山の情報も入るけれど、

 すべての情報が一本のカセットという時もある。

 先日、久し振りにその「一本のカセット」だけの気持ちを得た。

 特別なものだなぁと思う。


「シングル盤」18.2/3

  小三の頃に買ったシングル盤を、

 ネット動画で久し久し振りに聴いてみたら、

 当時と同じほどのほぼ同じトキメキを感じた。

 当時は録音するすべもなくて、夢中になって2年間ほど

 シングル盤をかけたものだった。

 自分で買ったシングル盤って特別なんだなと思う。

 いつまでも色あせない。

 自分で買ったというせいもある。

 思い返してみると、今まで買ったシングル盤は、

 今もどれも好きだし、聴きあきない。

 この不思議。

 ほぼ個人的なおもい入れだとは思うが。

 買ったシングル盤は、その人にとって特別な宝の一曲だ。

 それでないかもしれないが、

 そうである場合もある。


「SONG BOOK 2」18.1/21

 今、SONG BOOKを作っている。

 SONG BOOKのない人の。

 歌詞を書きとり、コードを探す。

 ノートにまとめてゆくと、まるで本人の歌詞ノートのようにもなってくる。

 それを歌うのは自分だけれど。

 歌のつきあいって、いろいろあるけれど、

 こういうつきあいもなかなか良い。

 手作りから手作りへ。


「骨董市」18.1/7

  初詣に行ったら、神社で「骨董市」をやっていた。

 長い事生きているけれど、骨董市を回るのは初めてかもしれない。

 骨董は大好き。

 今日、お店を出していたのは、慣れた骨董店だったようすで、

 どれも魅力あるものばかりだった。

 見て回っていると、どれが本物で、本物でないかはあまり関係ないようだった。

 それを見て、いいなと思うもの。

 それを手に淹れて眺める、愛でる。

 それでいいんだな。


「ハーモニカ調律」17.12/24

  ハーモニカの調律キットを買って、

 ハーモニカの調律を試みてみたが、

 そう簡単には出来なかった。

 動画や説明書を見ると、意外と出来そうな気がしたのだが、

 実際にやってみると、チンプンカンプン

 頭ではわかっていても、だめだった。

 ちょっとじっくりと試していかないと出来なそうだ。

 ちょっと昔の感覚がある。

 昭和の職人のような。

 昭和生まれなので、なんとか出来そうな気がする。



「ライブ」17.12/9

 ライブが終わり、録音した音源を聴くと、

 曲順とか、なかなか良かったなぁとか思う。

 もしこれがライブCDになったりしていたら、

 一曲一曲が、位置をつかむように聴こえるであろう。

 しかし、ライブを観ている時は、意外とぼんやりと過ぎるもの。

 でも、もっと集中むして観たら、一曲一曲が大きく

 感じられるであろう。

 それも重いといえば重いのだけど。

 今は月に何回もライブを訪ねるような生活ではあるけれど、

 これが年数回となれば、まるで映画でも観ているような

 感覚でライブも感じるのではないかと思う。

 ほんとはそういうライブをやっているつもりだけど、

 そう聞こえるのはなかなかにむずかしい。


「新曲」17.11/28

  今年は何曲か新曲を作ったが、

 ライブで歌っても、しっくりと来なかった。

 何かが足りない。それがよくわからない。

 作りすぎているのかもしれない。

 このひと月、いろいろ試して。歌って

 やっと「歌」みたいになった。

 ここまで来るのがなかなか大変だった。

 言葉、ひとつふたつ変えたりしただけだったりするのだが。

 ライブで普通に歌えた事の嬉しさをよ。



ディランライブ 音源特集」17.11/12

  先日、ボブ・ディランのライブ音源特集ま企画をやった。

 デビューから55年ぶんのライブを辿っていった。

 いろんなパックバンドがついていたけれど、

 やっぱり「カチッ」としたサウンドはディランには似合わないなという事。

 同じボーカルでも、印象が変わってくる。

 のびのびとしたサウンドと、ボーカルがいい。

 それをあらためて感じた。

 今、ディランは、ある程度練習をしていながらも、

 新鮮な音作りをしている。

 生き生きとした音がいいのだ。



歌ビデオ」17.10/29

  ライブのたびに音源とビデオを撮っている。

 ビデオ映像を見ると、ちょっとした事だが、

 気付く事も多い。

 ギターの音がしつこいとか、、

 実際のライブの時には、まるでわからないものだが、

 音源で聴いても、なかなかわからないものだが、

 映像で観ると、なんかわかる。

 なんか伝わってくる。

 ギターの弾き方が変だ。

 もっとまんとかなる。

 歌い方も。

 でも、また本番になると忘れちゃうんだけどね、、


「歌アイデ ア」17.10/15

  新曲を作ろうと、古いアイデアノートを出してみた。

 歌にしなかったたくさんの「歌の種」が書いてあるのだが、

 やっぱり今もどうも歌にはならないようだ。

 考えが甘かった。 

 歌にしたかったものは全部歌にしてきたんだな。

 古いノートを見てもしかたがなかった。

 歌作りには勢いが必用なんだな。



「健康診断」
17.10/1

 先日、健康診断に行った。

 いつもは町医者に行っていたのだが、

 今回の専門の大きなところだった。

 終るまでに3時間かかってしまった。 

  ひとつ終ると、

  自分の番号の椅子に座る。

 その繰り返し。

 病院のスタッフの人たちは頑張ってやっているけれど、

 なんとも、味気ない気持ちにもなってしまう。

 必用なものではあるけれど。

 この時間があるなら、

 歌を作っていたいなと強く思った。

 ああ、とてもギターが弾きたかった。



「好きにしなさい」17.9/16

  テレビドラマの中で、

 「好きにしなさい!」とおじいちゃんが孫に答えるシーンがあった。

 なんだか良い響きだなぁと思った。

 「好き勝手にしなさい!」とはちがう。

 少し表現を変えれば

 「どちらかを選ぶとしたら、、

 『好き』にしなさい!」

  と言う感じだろろうか?

 まず「好き」な事が第一である。


「路地の空」17.9/3

  昨日、友人の店頭ライブら出掛け、

 ほんと久し振りに路地から流れる雲の空を観た。

 椎名町のアパートに住んでいた頃も、

 散歩ついでによく路地の空を眺めたものだった。

 その後、一年の海外旅行行ったときも、

 暇でよく路地から空を観た。

 特に何も考えるというわけでなく。

 旅行から帰ってきたのが、1988年。

 ほんとそれからずっと忙しかった。

 歌作りやイベント企画、あと仕事で。

 今は2017年。はるばると2017年。

 旅から帰ってきて、ちょうど30年。

 なんだか久し振りに路地の空を観た気がした。

 ほんと久し振りに。


「デュオライブ」17.8/19

 先日、富山の大谷氏とデュオライブをやった。

 お互い音源を聴きながら、それぞれにリハをしての本番だった。

 リハで一度通して、だいだいのところをつかんだ。

 肝心だったのは、お互いの「間」。

 本番はまたちがう事は知っている。

 大きな会話をするような感じ。

 欲しい音をその時に出してゆく。

 足りないなと思ったら、そこが調整する。

 今回は、ほんとに音のデュオだったなぁ。

 あらかじめの向こうにお互いがいた。



「ストローク」
17.7/29

 弾き語りのライブ。

 物足りなさを感じさせない音ってどんなだろうと思った。

 僕自身はそんなふうに思っていないのだが、

 時々、すきまの出てしまう演奏を耳にする事もある。

 ふと思う。弾き語りって、団扇や扇子であおぐのと似ているなと。

 エアコンがバンドだとしたら、団扇は弾き語りか。

 その昔の人たちは団扇使いの達人だったのではないか。

 その時々に合わせて、あおぎ方を工夫していたにちがいない。

 みんなストロークの達人だったにちがいない。


「夏」17.7/9

  今年の6月も暑かったが、7月も暑い。

 そして8月はまた猛暑。

 9月もまだ暑い。

 結局、一年のうた四か月は夏。

 長くないか?

  11月はもう寒い。

 4月はまだひやっとする。

 思えば、冬も長いね。

 結局、5月と10月だけが過ごしやすい季節。

 二ヶ月ですよ。

 春一か月、秋一か月。

 実家のある新潟柏崎にいた頃は、

 夏は7月と8月だけだった。

 暑いのは二ヶ月でいいよ。

 そこから生まれてきたのだから、

 そう思うのかもね。



「腰痛」
17.6/18

  この一週間ほど、腰痛に苦しめられている。

 ひとの発端は、右足をじいた事から始まっているのだが、、

 月曜日、いままでで最大の腰痛のまま仕事に行った。

 たぶん仕事をしていたら、逆に楽になるんじゃないかと。

 月曜はほんときつかった。火曜になって少し楽になった。

 木曜にはほぼ良くなったのに、金耀のライブで、

 いろいろ重いものを持って、また土曜には元に戻ってしまった。

 いまも痛い。

 以前から年に一度か二度、腰痛になる事はあったが、

 ほんとに痛いと哀しくなってしまうね。

 腰は大事だ。なにしろ腰だからね。



「眼科に行く」
17.5/31

  小学校のときに、ものもらいで一回は眼科に行った記憶はある。

 それ以来、ずっと眼科には無縁だったのだが、

 飛蚊症の件で、一応の検査で訪ねた。

 行ってみて、人が並んでいるし、イメージがちがっていた。

 看護師の人も四人ほどいて、とても忙しそうであった。

 先生は、もう70歳で余裕の診察であった。そのへんはさすがであった。

 念のための検査だったので、先生も

 「目の中を覗くなんて、たぷん一生に一度の事だからしっかりと診ましょう」と言った。

 目の中を覗きながら、先生はいろいろと言った。

 「まあ、今日明日、手術をするとかレーザーを当てるとかそういう事はありませんね」

 それがすべてであった。

 結局、僕が近眼がひどいという事がメインの話であった。

 「そういえば、飛蚊症でしたね、、」って、先生、、

 もしかしたら本当に目の中を覗くなんて、一生に一度の事かもしれない。

 そんなふうに思えた。


「そばにいるもの」17.5/4

  ネットもなかった頃

 部屋に戻ってくると、レコードやビデオや本が待っていた。

 友には会わずとも、それらはそばにいたものだった。

 今ではネットもあり、離れた友人と話すことにも、

 もう慣れてしまった。

 逆にそれがないと少しさびしい事もある。

 しかし以前は、ネットもなかったわけで、

 それでもたくさんのものが部屋で待っていた。

 そばにいるものだった。

 それがふと、見えなくなりそうだ。

 ふと、忘れてしまいそうだ。



「歌・ライブ」
17.4/15

  先日、他界された加川良さんの歌を、

 ライブで歌った。

 何の曲を歌おうかと、数日前に決めて、

 そしてライブで歌えた。ギター一本で。

 本来なら、いろいろ著作権などの問題もあるのだろうけれど、

 それを抜きにして、思い立てば、すっと歌う事が出来る。

 なんて素晴らしいんだと思う。

 歌というものの良さ、ライブというものの良さがある。

 どうすればいいか?

 普通に歌い継いでいけばいい。


「宿」17.4/1

  海外旅行に行ったいた1年の事はよく憶えていて、

 30年もたっているが、いまだに色あせていない。

 インド・ニューデリーにいた時、ゲストハウスで、

 8人ほどの日本の旅人と一緒だったが、とても仲良くなった。

 10日ほど居たが、とても思い出に残っている。

 たくさんの話をした。

 最後に一枚、みんなで写真を撮った。

 その時の仲間の事は今もよく憶えているし、

 何人かは、今も連絡をとっている。

 そのほんの10日間が、なんとも

 人生のひとつの宿だったように思う。

 そこからみんなまた別れ、、。

 いつまてせも忘れられない、

 まるでみんなでそこで待ち合わせをしたような宿。



「ボブ・ディランat 武道館」
17.3/20

  1978年、ボブ・ディランが初来日した。

 日本武道館公演では、いままでアレンジをがらりと変えて、

 大人数バンドサウンドでやって来た。

 構成もしっかりした。・

 当時は、そのちょっとオシャレなサウンドに、みながとまどったものだが、

 最近、そのバンドサウンドを作るためのリハ音源を聴く事があり、

 みんなしっかりとサウンドを作ってやって来たんだなぁとわかった。

 ディランにとっても、たぶん初めてくらいの大人数バンドサウンド経験だったのだろう。

 出来上がったサウンドは今までのディランの音とは確かにちがっていたけれど、

 その音に込められたミュージシャン魂は、同じくらいに熱いものがあったなぁとわかる。

 確かに日本武道館では、かつての経験がないほどの音響設備が装備され、

 きれいな音で再現されていた。

 レコードになってる音源もとてもきれいな印象であった。

 きっと、たまたまそうなっただけで、

 実はもっとワイルドさに満ちた演奏の予想だったのでないかなぁ。

 しかし、それも含めてat 武道館のアルバムだったと今は思う。



「ハミングバードとDOVE」
17.3/5

  ギブソン社のアコースティックギターに

 「ハミングバード」と「DOVE」がある。

 ハミングバードは1960年発売

 DOVEはその二年後の1962年発売、

 それぞれピックガードには鳥の絵が付いている。

 そのダイナミックな発想。

 そして、それぞれが相乗効果でギターのイメージを上げている。

 特に「DOVE」は鳩ではあるが、ギターの音は深い響きを同時に持っている。

 「ハミングバード」の方は、さざめきという感じか。

 と゜ちらもギターファンに愛されて、もう半世紀以上たっている。

 発売当初より、完成したイメージがあったのだ。音も含めて。

 ギブソン社には伝統がある。

 マーチン社とはまた違う。

 ギブソン社にはミューズの魂がある。

 人間とミューズの中間のような。

 手を触れられそうで、触れられない、

 そんな「ふわぁ」として浮いているもの。



「本屋さん」
17.2/18

 近所にある、大きな本屋さんが閉店する。

 もう半世紀もやっている本屋さん。

 地下鉄の出口そばのビルの二階にある本屋さん。

 ちょっとそこにゆくには、階段をのぼったりするけど、

 吸い込まれるように、みんな入っていったはずだ。

 当たり前のようなそんな風景。

 ここに住んで四年間、そんな風景を見ることはなかったけれど、

 かつてそうだった事はわかる。

 本屋さんに行かなくなったのは、いろんな理由があるけれど、

 誰もこうなるとは思っていなかったであろう。

 まさか本屋さんがなくなるなんて。

 しかし本屋さんが生きていたのは、今だけではない。

 僕らの小さかった頃にも、今もこれからも生きているのだ。



「生きものの歌」
17.1/28

 ディランのアルバムを聴いていると、

 ほんと歌が生きものように感 じる。

 生きもののように歌っているように聞こえる。

 ひとつのフレーズ、ひとつの番、一曲全体としても、

 ひとつの生きもののようだ。

 他のシンガーの歌も聴いてると、

 メロディーの流れに乗って、

 声が出ているという印象のものは多い。

 基本、それが歌ではあるし。

 しかしディランやヴァン・モリソンのボーカルを聴くと、

 生きものが、その歌にはりついて動いているように思う。

 とらえられない。常に次に動いている。

 かけている。歩いている。休んでいる。

 息をしている。 



「ピックアップ」
17.1/15

 生ギターの音はとても良い。

 できればそのままの音で出音を出したいが、

 ときには、ピックアップマイクが必要になるときもある。

 マイクで拾うより、逆に良いときもある。

 僕もそうした方がよいのだけれど、

 どうもそれが出来ない。

 どんな有名ミュージシャンでも、今ではピックアップで生ギターを拾っている。

 大きな会場てはそれもしかたのない事。

 バンドでもそうだ。

 そのほうが、音響の人にも楽だともわかる。

 でも僕にはどうしても出来ないでいる。

 どうしても。

 馬鹿だと言われても。

 基本、馬鹿ではないが。

 そこにはこだわりたい。

 そこにこだわっている人でありたい。



「2017年」
17.1/3

  今年になった。

 新年早々、友人がインフルエンザになった。

 ライブも欠席。昨年の自分と同じ。

 まず、インフルエンザには気を付けないといけない。

 年末から歌作りをしていたので、

 それを続ける事。

 あとは節約かな。

 節約は大事だ。

 時間を大事にすること。

 それも節約。



「レナードの歌」
16.12/20

  先日のライブで、レナード・コーエンの歌をうたった。

 ずっと歌って来ているうただが、

 うまく歌おうとしても、それが出来ない。

 ライブでレナードが歌っているのを聴いた事もある。

 あの独特のそのまま声を出すような歌い方で。

 僕はやっぱりどこか感情を入れてしまう。

 レナードの歌には

 不思議な透明感がある。

 それがなかなかむずかしい



「ハーモニカ」
16.12/4

  若い頃、ブルースハープのハーモニカをたくさん吹いた。

 僕が強く吹きすぎているせいか、三か月ほどで、

 よく吹くリードの音が下がってしまう。ほんの少しだが、

 それが気持ち悪くって、結局買うことになった。

 ハーモニカはキー違うと別のハーモニカになるので、

 次々と壊れると、お金もかかる。

 一本2000円から2500円ぼどした。

 それもたった一音低くなっただけで、新しいの買うのはなんとも悔しい。

 どうにかならないのかと思った。

 そう思いながら、新しいハーモニカをいつも買っていた。

 相当な数を買った。たくさんお金も使った。



「この11月」
16.11/19

 なんだかイベント続きで、この11月はめいっぱい忙しい。

 ほんとに。

 そう思って、世の中を眺めてみると、

 みんなこの11月は忙しいんじゃないかと思えて来た。

 そういう事ってあるんじゃないか?

 誰も彼もが忙しい月。

 まあ、ずっと同じようにマイペースの人もいるだろうけれど。

 そんな事を思いながら、友人のライブを聴きに行った。

 友人もまた相当にこの11月は忙しそうだが。

 歌はテンポが早まるわけではなく、普通であった。

 そこは普通なので安心した。



「ディランとジョーン・バエズ」
16.11/6

 先日、ライブハウスの企画でボブ・ディランの音源をいろいろかけた。 

 その中で、ボブ・ディランと ジョーン・バエズのデュオがあったのだが、

 それが実に良かった。

 ジョーン・バエズは正統派のヴォーカルでボブ・ディランは自由な歌唱。

 その二人であっても、なぜか調和のとれたデュオになっている。

 それも相当に完成度の高い。

 バエズの声はまるでミューズの声のように聞こえる。

 一番遠いような二人のデュオ。

 これぞ音楽という感じで、そして神聖な響きがあった。

 奇跡のデュオという感じであった。



「ボブ・ディラン」
16.10/16

  ボブ・ディランがノーベル文学賞をとった。

 2016年になって。

 今年で75歳になるというディラン。

 どんな理由なのかはわからないが、

 遅すぎないか?

  1970年にはもう、ほとんど歌詞で出来る事はやっていると思う。

 それからだから46年もかかっている。

 時代のほうが変わったのかな?



「夢」
16.10/2

  最近の事だが、起きている時、

 急に以前観た夢が目の前で再現されてきた。

 最初は断片的であるが、次々とよみがえってきた。

 不思議なくらいに。もう15年ほど前に観た夢なのに。

 そうやってひとつひとつのシーンを思い出していったら、

 まるでリンクを辿るように、似たような夢がよみがえってきた。 

 どちらにも共通することは、はっきりとした夢だったということ。

 そしてストーリーがあったということ。

 たぶん頭の中でストックされているんだろうなぁ。

 ただきっかけがなくて思い出せないだけで。



「秋の蝉」16.9/19

 もうすっかり蝉も消えたのかなと思っていたら、

 昨日、家の近くで蝉が鳴いていた。

 じーっと、

 うまく頑張れるだろうか? 心配になってしまった。

 しかし、もしかしてここで出会うもう一匹も、

 七年前、同じように9月中旬に鳴いていた蝉の子供だったんじゃないか?

  まさに、また、ここで会ったが七年目という感じじゃないだろうか?

 そんな事を帰り道であった。


「温泉」16.9/5

  生まれ育った町の温泉に初めて入った。

 たぶんここ五年くらいで出来たと思う。

 小さい頃は、町と温泉は遠い存在だった。

 すっかりあきらめていた事だったが。

 今回帰郷して、温泉があるとわかった。

 海のそばのせいか、とてもしょっぱい。

 それでも生まれ育った町の温泉は特別だ。

 まるでもう一度産湯につかるように、

 故郷の温泉につかってみたのです。


「水分」16.8/16

  夏本番となった。

 外仕事では、さすがに35度を越えると、暑い。

 特に前日が涼しいと。

 今日はかなり水分をとった。

 とりすぎかなと思えるほど。

 事務所らに戻って来てみると、

 みんな今日は水分をかなりとったらしい。

 のどが乾いて乾いて、、と言う。

 おんなじだ。

 人体のしくみはよくわからないが、

 みんながそうなのだから、必要なのだろう。

 そんな日があるという事だ。


「歯医者」16.8/3

 また歯医者に通っている。

 思い出せば歯医者とのつきあいは長い。

 小学校の頃からだ。

 東京に出てきてからも、そんなに引越しはしていないので、

 いくつかの歯医者さんに通ったが、

 そのどの先生もよく憶えている。

 治療の事もよく憶えている。

 だいたい今、半年か一年に一度、歯医者に行っている。

 ほんとにつきあいが長い。

 これからも続くだろう。

 それが人生だったのか。

 実家にいた時の歯医者の先生の顔は忘れてしまったが、

 それ以降ははっきりと憶えている。



「多少歩いていかねばならない」
16.7/10

 新曲を作ろうとするとき、

 ギターを手にとり、そのままぱっとメロディーも出来ることもあるだろう。

 しかし、たいがいはその前に少しだけ弾き慣らしをする。

 まあ、体育でいうところの準備運動のような感じか。

 突然にプールに飛び込んで世界記録を出す人もいるかもしれないが、

 一度は水につかり体を慣らす。

 それがめんどうだと言う人もいるかもれないが、、。

 レコードや本が即座に欲しいと思っても、

 その即座でさえも、多少は歩いていかねばならなかった。

 必要なものは、いつも少し歩くところにあるんじゃないだろうか。

 少し歩くことをめんどうだと思ってはいけない。



「地下鉄銀座駅通路広場」
16.6/26

  小雨降る金耀の夜、

 仕事帰りで地下鉄に乗っていた。

 今日はとても疲れた。

 夏初めということもあり、レゲエのジミー・クリフをイヤホンで聴いていた。

 ライブ音源。

 ジミーの声は、気持ち良く鳴る樹のようだ。

 そしてバックバンドも良い。

 前奏が始まり、ギター、ドラム、

 そしてベースが乗ると、ピタッとビートが決まる。

 たって数フレーズで、体が動いてくる。

 地下鉄銀座駅の乗り換え広場では、よくライブをやっているが、

 こんな雨の日の金耀の夜、

 もし僕にジミー・クリフの声とバンドがあったなら、

 この銀座駅の乗り換え通路で、レゲエを出してみたい。

 会社帰りの人や、たまたま寄った人の中、

 このただ流れてゆくような通路で。

 ビートを出してみたい。

 ほんの数フレーズで体が揺れるような。



「地元在住」
16.6/11

 先日、神奈川でのライブイベントに出かけた。

 電車に乗って、横浜も近くなってくると、

 乗っている人の感じも変わってくる。

 言葉ではうまく伝えられないが、なんというか、

 少しワイルドになってくるというか、、

 以前、吉祥寺で歌を聴いた事のある、

 地元の若いシンガーの歌を聴いた。

 吉祥寺で聴いたときは、ういういしい響きもあったが、

 地元で聴く彼の歌は、とてもなじんでいて、

 雰囲気もよく伝わってきた。

 歌も楽しんで歌っているようだった。

 とにかく歌もシンガーも生き生きとしていた。

 地元の良さが気持ちよく出ていた。


「街」16.5/30

 普段はあまり気が付かないが、

 街に出てると色々頭を使う事がやっぱりあるんだなと思う。

 気にしなければ気にしないでも良いのだが、

 単純な事だが、意外と頭を使う。

 バスに乗る。

 食堂で細かく注文をする。

 買い物でいろいろサイズを確認してから買う。

 帰りのバス時間を確認して、時間をつぷす。

 持っている買い物荷物を置き忘れないようにする。

 傘を忘れないようにする。

 なんだか常に記憶力を使う事ばかりだ。

 街にいて、いろいろするだけで実は疲れる。

 今日はそれを実感した。

「絵描き」16.5/14

  明日、絵を一枚描かねばならない。

 筆と絵具を用意して。

 小さい頃、僕は絵描きになりたいと思っていた。

 小三くらいまで。

 本気で。

 それから、詩を書きたいと思い、

 中学の入ったら、もうそこからは歌うたいに。

 それでも、最初になりたいと思った気持ちは忘れてはいない。

 しかし絵描きにはならなかった。

 才能もなかったし。

 時々は思う。絵描きになろうとしていたら、

 また別の人生があっただろうと。

 絵で暮らしていたとは思えないが、

 私は思う。今、シンガーの人も時を書いている人も、

 みな、最初は絵描きになりたいと思ったのではないかと。


「ディランに会いに行った」16.4/29

 2016年4月、ボブ・ディランが来日、そして会いに行った。

 4/21(火)、東京公演最終日、渋谷オーチャードホール。

 今年始めより、宣伝されていたポスターには

 「プレミアムな夜」とコピーが書かれていたが、

 実際、豪華なホールであり、ロックというより、

 ボーカリストのコンサートという感じで出かけて行った。

 前々回のコンサートは、大き目なライブハウスでやって、

 スタンディングで聴いたせいもあり、落ち着かなかった。

 今回はじっくりと聴けそうな予感。

 二階席の端の方で、ステージも良く見える。

 生ギターのストロークの音が響く中、ディランがゆっくりと登場して来た。

 ほんとゆっくりと歩いて。

 それがなんとも恰好良かった事。歴史上の人物という感じであった。

 ギター、ドラム、ベース、ペダルスチールギターとメンバーの演奏する姿もはっきり見えた。

 特にドラムがはっきりと見えて、ビートが体感できたのが良かった。

 さて、ディラン。噂どおりほんとに声がよく出ていた。

 ハンドマイクで歌うシナトラの歌が、ホールじゅうに響いて、

 ちょっと感動的であった。

 エレキギターをチャーリー・セクストンが弾いていたのだが、

 スローなメロディーを実に情感豊かであった。

 曲の入りが特に良かった。

 シナトラの歌は、イントロとエンディングが印象的で、

 ディランの楽曲の構成にはあまりない分、新鮮であった。

 それにメロディーが良かった。

 歌い始め、そしてラストの歌唱にディランを感じた。

 丁寧なディランだった。

 アンコールの「風に吹かれて」には、

 特別の響きが流れていた。

 ちょっと泣きそうになった。


「ノーマ イク」16.4/17

  小さな飲み屋さんで、生音ライブを聴いた。

 お客さんがいっぱいだった事もあるが、生ギターの音が響きが小さかった。

 生ギターだってひとつの楽器だし、マイクなしでも充分に響くはず。

 と、ずっと思っていたが、どうもそうでもないのかもしれない。

 わんわんと生ギターが響いて欲しかった。

 フィンガーピッキングではなおさらに小さな音であった。

 僕がもし同じスペースで、生音でフィンガーピッキングをするならば、

 極力大きな音で鳴らずだろう。

 それでも小さいかとは思うが、、

 ああ、生ギターの音が大きく鳴って欲しかった。

 ギター好きな一人として。

「イヤホ ン」16.4/3

  とても評判の良い、イヤホンを新しく買った。

 今使っているものも、そこそこ良いものなのだが、

 ついつい評判の良さを信じて買ってしまった。

 聴いてみると、低音も自然で生ギターの音も自然であった。

 驚くほど生ギターの音が良い。

 いままで使っていたイヤホンは。クリアな音で再生されていた。

 今回のもの全体的には地味な感じで、もの足りなく感じであったが、

 だんだんとその自然さがわかってきた。

 '70年代によく聴いていた愛聴盤のアルバムを聴いたら、

 実家にいた頃、大きなステレオセットで聴いていた音そのままだった。

 ああ、この音だと思い出した。

 デジタルな時代ではあるけれど、

 このイヤホンは、アナログな感じにとても近い。



「トラッドソング」16.3/27

 ニューヨークのタウンホールにて、

 フォークトラッドを歌うコンサートがあり、

 そのリハのとき、ジョーン・バエズが、

 ひとりの若いシンガーに一緒に歌おうと誘った。

 その若いシンガーは、その歌を知らなかったが、

 30分ほどリハをして、おぼえられたと言う。

 ジョーン・バエズの若い頃も、そうやって歌をおぼえたのであろう。

 ノートなどを使わず。

 伝承とはそういう事でもあるだろう。

 「30分でおぼえられた」と言っていた。

 伝えた側も、うまかったのであろう。

 聴き憶え。

 それがトラッドソングの歩んできた道でもあるのだ。


「こういう事はあるね」16.3/3

  携帯音楽プレーヤーはいつも持っているが、

 アルバム全部入れてあるわけではないので、

 いつも聴くアルバムが決まってきてしまう。

 そうやって同じアルバムをたくさん聴いている。

 それでいいのか、どうなのか?

  友人の車に乗ると、音楽をかけてくけるが、

 車の中にある何枚かのアルバムから選んでくれる事が多い。

 そうやっている人は多いのではないかな。

 ついつい同じ音源をかけてしまう、

 ついつい聴いてしまう。

 そういう事ってあるな。

 何度も聴いているうちに、ひとつの気分のようになってしまう。

 それもアリだと思えるような。


「新曲演奏」16.3/3

 先日、ずっと作り続けていた新しい歌を、

 ライブで初演奏をした。

 ライブが終わって、音源を聴いてみたら、

 なんだか自分の思っていた歌のテーマとちがうテーマが

 そこにあるのがわかった。

 まるでそのテーマのほうが大きいかもしれないと思った。

 それはそれで素晴らしい。

 それにしても、その歌の創作にかかった

 何か月もの間、まったくそのちがうテーマに気がつかなかったものだ。

 歌って不思議なものだ。ライブで歌ってやっと気が付く事もある。

 それが本当にありがたい。



「兄 弟・新曲」16.2/20

 兄弟用の新曲を作った。

 それはリクエストされて作ったものだが、

 僕一人でずっと作って、何か月もその唄と向き合った。

 それで昨日、兄弟リハで初披露して一緒にアレンジをした。

 それでやっと兄弟の唄らしくなった。

 唄のお父さんが僕なら、唄のお母さんに会えたようなものかもしれない。

 たしかにそうなんだよ。そんな感じ。

 僕一人では、兄弟の唄は完成しない。

  唄もお母さんに会えた安心したかもしれない。


「インフルエンザ」16.2/3

  流行しているインフルエンザにかかってしまい。

 一週間、自宅にいた。

 頭痛もひどく、ずっと横になっていた。

 健康ってほんとありがたい。

 大切なライブにも穴をあけてしまった。

 しかし、今回の事でいくつもわかった事もあった。

 自分の生活についても、歌についても、

 何が足りなくて、どうしたらいいのかも。

 あと、悪夢も見た。

 ほんとにリアルな悪夢。

 薬の副作用だろうか?

  もう、完全復活もしている。

 たぶん、来年から、インフルエンザにはもうかからない。



「スペース・オディテイ(宇宙の変わり者)」
16.1/23

 デビッド・ボウイが亡くなってしまった。

 そんなに夢中になったという事でもなかったが、

 中学・高校時代、デビッド・ボウイのイメージというと、

 未来的宇宙的なステージ衣装を着た孤高のシンガーという感じであった。

 それからずいぶんたって、テレビで「SPACE ODDITY」(1969年)

  のライブ映像を観た。

 なんだかほんとに宇宙にいる「トム少佐」と交信しているようなメロディーであった。

 このときはまだ歌詞の内容はわからなかったが、

 メロディー通りに追ってゆけば、だいたいの感じはつかめた。

 すごいなぁと思った。

 ここまでイメージを歌に出来るなんて。

 それ以来、この歌のファンになってしまった。

 ちなみに僕が好きなのは、このデ モバージョンの音源の方。

 なんだか地球に送られて歌という感じがする。


「2016年最初」16.1/9

  友人が紹介してくれたシンガーのアルバムを、

 ここしばらく聴いている。

 なかなかだ。日本語。

 たぶん若い頃、ディランも聴いていたんだろうなぁと思う。

 その人の存在を知らずに、何十年もたってしまった。

 年はだいたい僕らと同じ位。

 キャッチ―なメロディーだが、いい歌をたくさん作っている。

 刺激を受けた。

 これからもまだまだ骨のある歌を作りそうな予感がする人。

 まだ居たんだなぁ。

 久々に生きている歌を聴いた。

 僕も負けていられない。

 今年はエンジンがかかっている。



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