「今日の夜話」過去ログ'14.12月〜'15.12月
「2015年末」15.12/28今年の12月は、なんだかとても多く出かけた。
ここ数日も出かけっばなしで、この先もまだイベントが続く。
今年は久し振りにほんとに年末らしい。実感がある。
ここに来て、一年がまとまりつつある。
不思議だ。今年は。
年末の実感がある。
そういうパワーが今年はみんなにもあるのではないか。
「高級なお菓子」15.12/13
見た目にも品があり美味しいお菓子を、
素敵な袋に入れて、
「高級なお菓子だよ」と言って友達にあげたが、
あとから安くて美味しいお菓子だったとわかった。
まあ、自分自身は高級なお菓子だと信じてあげたんだし、
いいかな。
友人は家族にも「高級なお菓子だよ」と言って、テーブルにな並べるのかな。
「やっばり高級なお菓子はちがうね」と言って、美味しく食べるのかな。
「高級」のひと言でこんなにもイメージが変わってしまう。
でも、値段が安くても「高級」という事もあるだろう。
言葉って不思議。知らず知らずのうちに、、。
「コーラス」15.11/27
歌のコーラス部分を作るのが、なんだかやっぱり難しい。
たぶん、基本的なことがわかっていないから。
何度も歌って、ハモッているようなメロディーを作る。
あまくハモれるような人ではないので、
そこはしっかりと自分を伝えないといけない。
そういう自分が歌っているんだと。
せいいっばいのコーラス。
音楽的な理論ではないかもしれない。
コーラスを作るのは難しい。
へたなりに歌えるコーラスが。
「あとがき」15.11/15
大好きなアメリカ・イギリス詩集を読んでいて、
その「あとがき」が、とても良かった。
その詩集は、編者によって詩が選ばれていて、
それがとても気に入っていたのだ。
編者のあとがきを読んだら、それがとても面白かった。
中の詩と同じくらいに。
結局は、編者のセンスや感覚が本を作っていたのだ。
あとがきが本当に良かった。
「詩集」15.11/4
また毎日、詩集を読む生活に入った。
一日、一冊かばんに入れて通っている。
以前は、どれも真剣に読んだ詩も、
今では、なかなか読めなくなって来ている。
ちょっとわかりにくいなぁというのが本当のところ。
やはりある程度、シンプルな言葉でつづられた詩がやはり読みやすい。
現代人は多く仕事をして、へとへとな脳で帰ってくる。
そんなとき音楽を聴くように、詩も読めたらと思うのだが、
難しい詩は、逆に脳が疲れてしまう。
シンブルな詩が好みになってきたようだ。
「日本詩人全集」15.10/29
1950年代に、創元社より発売されたシリーズだが、
文庫になったものを二冊だけ持っていた。
それももう30年ほど前に買ったもの。
そこには沢山の詩人の作品が載っていた。
有名どころなら、いろんな全集でも見るけれど、
今ではなかなか読めない詩もたくさん載っていた。
今、想うことだが、当時、詩を書いていたみんなは、
かなり友達に近い存在だと思えるのだ。
時間を見つけて、読んでゆこうと思う。
「moondog2」15.10/23
moondogの音楽は、
一・二行のフレーズを、何度も繰り返す事が多い。
moondogは、目の不自由な作曲家、そして演奏家、そして詞も文も書く。
自分の事を思ってみれば、鼻歌で歌うときは、あまり楽曲全体でとらえず、
ワンフレース・ツーフレーズを繰り返す事は多い。
moondogの音楽は、心に映る音という感じがするのだ。
心の画面には、心の画面の法則のようなものがあり・・・
そこで輝くメロディーというものがあり・・・
moomdogの音楽は、心の食べ物という感じがするのだ。
「新曲」15.10/10
二ヶ月に一度の道草ライブのときに、
ぜったい新曲を作ろうと決めて、半年がたった。
今回も一応作って持っていったが、
まだもうちょっと作り直さねばならない感じであった。
それでも、少しずつ以前の創作のカンは戻って来ている。
それが大事だ。
いまはまだ、調子のいまひとつのバイクに乗っているようなものだ。
そのうち、そのバイクで、ぶーんと飛ばす時が来るだろう。
「詩集」15.9/26
今、また詩集をよく読んている。
一日に一時間ほど、本の読める時間はある。
時間がひと回りしたって感じかな。
若い頃、たくさん詩を読んで来てよかったと思う。
だんだんと忘れかけている。
詩集を読んでいても、やっぱり以前とちがう。
頭の中のイメージ描写が遅い。
年取ったということか。。
また詩集を沢山読んで、頭を柔らかくしないといけない。
「体調」15.9/20
いつもはまったく元気なのだが、
先日は、朝からもーれつに頭痛がしていた。
熱はなかったので仕事には行ったが、
気持ち悪くなり、何度も吐くは、お腹は壊れるは、
ふらふらになるはで、一刻も早く、仕事を終わらす事に集中した。
薬局でバファリンを買って、それで様子をみた。
午前中は、ほんと体調が最悪だった。
いつもならなんでもないことが、
ふらふらだとこんなも苦しい。
一週間、熱が下がらなかった友人の事を思い出した。
途中、何回も吐いたとき、何かのウイルスかと思った。
いよいよだめか、、と思った。
現場の仕事だけはせめて終わらせよう。
ああ、それから病院か。。
しばらくすると頭痛もおさまってきて、
なんとか復活してきた。
午前の自分と午後の自分とのちがい。
それにはびっくりした。
ペースもあがり、もりもりと仕事をした。
健康のありがたみを知った。
熱があっても頑張っている人は、
精一杯なんだな。
「雨の日々の仕事」15.9/11
雨の日の外仕事はきつい。
雨が続くと、さすがにどろどろの世界になる。
雨と土との戦いである。
仕事仲間は、何十人もいて、
もちろん女性の居るのだが、
意外ときれいな状態で帰ってくる。
たぶん傘をさしているのだと思うが、
それにしても、きれいだ。
おれなんて、どろどろ。
小さい頃からそうだったと思う。
きれいなことが出来ない。
「知らなかった」15.8/31
この夏、ダイエットに努力したが、
結局体重が増えるという事態になってしまった。
脂肪が燃えるというお茶を日々飲んでみたが、
缶珈琲もブラックにしてみたのだが、、。
そしてある事実をひとつ知った。
「ゼロカロリーサイダー」にも、
砂糖が入っているという事を。
ゼロカロリーのドリンクなどは、甘くないので、
まったく太る要素はないと思って、
この夏もよく飲んでいたのだ。
それが失敗だったか、、
ダイエットはこの秋も続く。
ダイエットの炎が脂肪を燃やすといいのに。
「楽器店」15.8/23
楽器を試演している人たちがいる。
テクニックを披露しているとも思えないが、
かなりのテクニックを披露している。
10分15分と、、
なぜ、そんなにも弾く必要があるんだろうかと思う。
自分が買いたくなるのを待っているんだろうか。
あれだけテクニックがあるのだから、
良いギターも持っているだろうに。
もしも、ギター制作の職人がギターを試弾きするなら、
あんなふうには弾かないだろう。
普通に弾けばいいんだよ。
普通に。
「レゲエは深い」15.8/11
ここ最近、ずっとジミー・クリフのライプ盤を聴いている。
レゲエと言っても、かなりポップなメロディーなレゲエである。
驚いたのは、どの曲もちがうノリがあるという事だ。
ベースとドラムとリードギター・リズムバターの組み合わせで、
いくらでも、いろんなビートが作れるのだとわかった。
レゲエは深いね。
どんな楽曲でもレゲエアレンジになるはずである。
明けても暮れても「ンチャ ンチャ ンチャ ンチャ」
ばかりのイメージではない。
それがよくわかった。
ほぼ無限大。
それがよくわかった。
「お得意話」15.8/2
江戸の頃、庚申の夜は、
朝まで眠らないという集まりをみなしていた。
時代劇にもそれは出てくるが、
なんとか眠らないようにする努力が涙ぐましい。
ある素浪人が庚申の夜の集まりに入って来たが、
何か面白い話を話してくれると思い、みな受け入れた。
そうなふうに、
人はみんなエピソードの宝庫だったわけだ。
みんなそれぞれにお得意話を持っていただろう。
聴いた話でもいい。
人はみんな話の宝庫だった。
そして話は宝だった。
「ジミー・クリフの声」15.7/26
'76年のジミー・クリフのライブ盤を買った。
ベスト・ライブというだけあって、知っている歌ばかりであった。
しかしスタジオ録音とはまるでちがう。
声が大きいのだ。
広いコンサート会場だと思われるが、
ジミーの声が空間に満ちていた。
まるで空間を声で彫刻しているようだった。
意思があった。
「ギブソンB25」15.7/19
ギブソンの小さめに生ギター「B25」は、
コロンコロンとして、ほんとに良い音だ。
それも、小さめ、ほんと小さに弾くとき、
その実力は最大限に発揮される。
六弦は六弦らしく
五弦は五弦らしく
四弦は四弦らしく
・・・・・・・
歯応えのある、カステラのような
くっきりと空間に響く弦。
それは、小さな小さな音であっても、
サウンドホールの周りに音の形を造る。
見える見える、聞こえる聞こえる
耳に伝わる、心に伝わる
「ライブの魔物」15.7/11
先日のライブでは、
リハのとき、まったく自分のうたがつかめなくなった。
自分の声もギターも遠く感じられた。
音響はしっかりしているので、そんな事はないはずなのだが、
そうこうしているうちに、自分のリハの時間も終わってしまった。
久し振りに今日のライプは唄がつかめないかもしれないなと思えた。
ああ、ライブには魔物がいるのかな。
30年以上歌ってきてのは、何だったのか??
イメージでは今日は、一曲一曲を絵本のように歌う予定なのだ。
このままでは、無理かもしれない。
自分にいったい何があったのか。
鼓膜が雨でふやけてしまったのか。
さて、本番になった。
相変わらずの遠い音状態だったが、
まったく自分があがっていないのはよくわかった。
とりあえず話をして、そのままの感じで、
唄に入ろう。
結果はほぼいつも通りに歌えた。
ライブにはたしかに魔物がいる。
でも自分のペースに持ってゆくのが肝心。
「番組録画」15.7/5
今、レコーダーも進化して、
とても簡単にテレビ番組を録画保存する事が出来るようになった。
特にNHK教育は、いい番組が多く、観終わったあと、保続をしたくなるものが多い。
実際、ディスクで残してはいるのだが、
残していてねもこれがなかなか観ない。
不思議なほとせ観ない。
観ないけれど、やっぱり残しておきたい。
相当にたまった。
しかし、思い返してみると、ビデオテープ時代の頃は、
よく繰り返して観ていたように思う。
それも、テープほデッキにかけてしまうとついつい観ていたように思う。
ディスク時代になってそれがなくなった。
不思議なものだ。
しかし、いつか記憶もすっかり忘れた頃、
また観るかもしれない。
それはいつなのか、
老後の素晴らしい自分へのプレゼントになるかもしれない。
「すずめ実験中」15.7/2
道にすずめが止まっている。
歩いてゆくと、すずめは飛び立ってしまう。
ほぼいつも。
それはほんとうなのか。
今月から実験中。
「1000円ジーンズ」15.6/27
近くの商店街でジーンズ屋がオープンしたときに
1000円ジーンズが売られていた。
さわってみると、つるつるとした生地ではなく、
けっこう丈夫そうだったので一枚買った。
バングラディシュ製。
はいてみるとはき心地もよい。
よく大きな店で売っている1000円ジーンズとはちがう。
生地がちがう。
もう三か月ほどはいているが、ぱっちりだ。
夏に向けて、生地も薄めで良い。
ああ、もっ買いたいな思ってみるが、
そのジーンズはそれきり売っていない。
また売り出さないかな。
1000円ジーンズをあなどるなかれ。
「ギター」15.6/21
ギターは小さなオーケストラと呼ばれるが、
僕にとっては、楽器というもののすべてになっている。
アンサンブルやバンドの一部として、ギターの音が必要となるとき、
どうやって演奏していいか、少し不安になる。
僕らが求めているのは、ギターの音色なんだよと。
なるべく目立たないように伴奏に徹して弾いて欲しいと、
そう望むときもあるだろう。
そのとき、ギターはギターになってしまう。
しばらくの我慢か。
僕はギターで弾き語るけれど、
そのときは、ギターだとは思っていない。
100パーセント。
聴いているみんなもそう感じてくれると良いのだが。
「歌唱」15.6/14
女優さんの歌唱を聴いた。
トークも含めて、とても「間」が良かった。
ひとつの話の中にいろんな感情を埋め込んでいた。
そして一曲歌った。おどろいたのは、いろんな声を使っていたこと。
一回だけ、一か所だけ、特別な声を出した。
それは、聴いている人の心を震わせた。
さすがだった。聞かせどころをわかっていた。
一曲であったが、大きなドラマを歌ったようであった。
「六日町」15.5/31
温泉地下で。六日町を訪ねた。
13年振り。
駅を降りて、宿に向かうとき、
だんだんと思い出した。
道を走る。だんだんと見えてくる宿。
記憶がよみがえってくる。
宿に入る。下駄箱の感じ。
トイレの感じ、部屋の感じ、
記憶がよみがえってくる。
13年前の一日の記憶を、このひと月間の間、
ずっと思い出していた。
それがリアルになって、
目の前に現れる。
ひとつひとつ確認しながら、
現実になってゆく。
「ストーリーSONG」15.5/16
もう20年前に作ったストーリーSONG。
作ってすぐ、うまく話がまとまらなくてボツにしてしまった。
しかし20年たって、あらためて聴いてみると、
突拍子もない舞台設定であっても、
特に問題はないし、話の展開がおかしくても、
問題はない。
なぜ、そうなるの? と、思えるところもあるが、
ああ、そうだなと思えるテ展開を、説明することもないなと思った。
想像でいい。
想像がいい。
20年もほっておいた歌であるが、
また歌おうと思う。おかえり。
「ハーダゼイカム」15.5/2
高校時代、ジャマイカの映画
「ハーダーゼイム」の、映画紹介をテレビで観た。
その中で、ジミー・クリフがレコーディングマイクに向かって、
「ハーダーゼイカム」を踊りながら歌うシーンがあり
とても印象的に観たおぼえがある。
それですぐにジミー・クリフのアルバムを買った。
それでずっと踊って聴いていたわけだけれど、
その踊り方は、あの映画紹介で観た踊りを真似た。
だって、それ以外に踊りのヒントはなかったのだ。
今のようにYou Tubeのような動画サイトもインターネットもなかったのだ。
それでも、僕はノリノリだった。
想像ははるか海を越えていった。
「ボブ・マーレー『Kaya』」15.4/27
友人にボブ・マーレー& ザ・ウエイラーズの
アルバム「Kaya」を送ろうと思っている。
「Kaya」のアルバムのボブ・マーレーは実に豊かなボーカルで歌っているからだ。
ほんと自由自在という感じ。
一緒にボブ・マーレーのライブDVDも送ろうと思って、
観てみたけれど、どの曲もけっこうボーカルに力が入っていた。
「Kaya」のアルバムでは、ささやくように歌ったり、
どこかスマイル風に歌ったりしていて、
ライブ以上に表現力が豊かだ。
それでいて、ワイルドさも失っていない。
たぷん本人は普通に自然に歌っているんだろうなぁ。
それにしてもボーカルの豊かなアルバムだ。
「訳詞を見ながら映像は観られない」15.4/18
ライブコンサートのDVDを買った。
そのシリーズはずっと、歌詞も日本語字幕だったが、
今回はトークのみが日本語字幕になっていた。
えーっ、いままでとちがうじゃないか。
理由はいろいろとあるだろう。
訳詞の歌詞カードも、もちろん付いているが、
訳詞カードを見ながら、
映像は観られない。なんてことよ。
ああ、歌詞の日本語字幕は素晴らしかったのに。。
なんてことよ。
「魂」15.4/12
もし僕が楽器の先生であったなら、
まず「魂」について語るだろう。
ギターの魂について語るだろう。
楽曲の魂について語るだろう。
メロディーの魂について語るだろう。
ストローク奏法の魂について語るだろう。
フィンガーピッキングの魂について語るだろう。
「間」の魂について語るだろう。
まずそこなんだ。
そこがなくっちゃ。
ただの演奏になっちゃう。
「本番」15.4/5
先日のライブでは、新しい歌を四つ持っていった。
リハもたっぷりやったが、本番ではその通りではなかった。
自分が違う声で歌い出したのだ。
そうなるとアレンジも変わってくる。
それでも、そうなってしまうのは、それなりに理由があるのだ。
それは自分の声にしかわからない。
人の声は不思議だ。
突然に出てくる。それについてゆくしかない。
それでよい。
「落ちるもの」15.3/27
ここ数年、特にそうなのだが、
上から落ちた物が、そのまま下にない事がある。
まるで途中で異次元に出も行ってしまうように。
たとえば、留めていたピンが下に落ちるが、そこにない。
ぜったいにあるはずなのに、なぜかない。まに
今回はぜったいあると思うのに、ない。
いつも不思議になってしまう。
たとえばメガネの小さなネジ、これも落ちると見つからない。
ぜったいあると思うのに。
昨日も、温泉の泡風呂でメガネが落ちたが、
あっというまに、消えてしまった。
ほんの30センチくらい落ちる間に、
きっと水流に持っていかれたのであろう。
困った困った。
そんなふうに、上から何か落ちると途中で、
何かが起こる。
それは事実のようだ。
「しっかりと」15.3/21
友達のライブを聴いていたり、
外国曲のアルバムを聴いていたりしても、
気に入った歌があれば、訳して歌おうと思っている。
この数か月で、数曲出会えた。レパートリーが何曲か増えた。
日々、たくさんの音楽と出会っているわけだから、
自分が歌いたいと思う歌は、しっかりと選んでいきたい。
メロディーが良いから歌いたいということもあるだろうけれど、
歌詞を歌うのは自分なわけだから、
一年・二年・三年とかけて自分の歌にしてゆく。
もちろん途中でリタイアするときもある。
「本」15.3/15
コンビニで、又吉直樹の『火花』の本が何冊も並んでいた。
今、話題の新刊。しっかりと装丁になっていた。
コンビニなので本はビニールで綴じられていて、中身を見る事が出来ない。
なんだかその分、読みたい気持ちになった。
もしこれが本屋さんであったから、中身も見れて文章を読むことが出来ただろう。
でも、考えてみれば小説の途中を読むなんて、ほんとは出来ないはず。
最初からの1ページ1ページを、読み開いてゆくのが本当じゃないのかな。
そういう意味では、コンピニでは本の中身が見られなくて正解だ。
値段は1200円ほどしていた。
それでもなんだか、安いかなーとふと思った。
あの本の中が文で埋まっているかと思うと。
本の内容は未知なのだから、未知のままでいんじゃないか。
「朝の電車と三人掛けシート」15.3/11
朝の電車に乗ってゆくと、
三人掛けシートの真ん中ばかりが、どのシートも空いている。
両脇のどちらかの人が、大きく座っていて、真ん中に、なかなか座れないのだ。
どの三人掛けシートも同じだ。
まあ、無理して座れば、座れるのだけれど。。
朝の電車に乗るたび、その三人掛けシートが憎くなる。
なぜにこんなに、余裕のないシートを作ったのか。
作った人に朝の光景を見てもらいたい。
「いつもの」15.3/6
朝の電車の同じ車両に、
同じ人が乗る。
僕もそうだが、その人も、もう二年半。
他の人もいたが、みんないつしか会えなくなった。
半年、一年、一緒であっても、いつしか会えなくなる。
ある日、突然に。
きっと仕事の関係であろうか。
僕なんか、自分の意思で仕事の時間を選べるので、
同じ電車にいつも乗れる。
一番最初のときから、一緒だった人が、
この三月から会えなくなった。
この先も一緒だったと思っていたが。。
話したことはない。仲良しでもない。
ただ、事情が変わったのであろう。
人生の変化の日かな。
僕は相変わらず、同じ電車に乗っている。
「近くのコンビニの」15.3/2
カップ麺売場がとても小さく、
まったく充実していない。
種類がない上に、同じものを多くそろえている。
それも店の一番奥のスペースだ。
場所を変えてみれば、もっと売れるんじゃないかと思うけれど、
まあ、カップ麺が売れなければ、
他のお弁当や麺類が売れるのかな?
それにしても、もうちょっとスペースがあってもいいのに、
駅近くのコンビニの三分の一くらいしかない。
なんてことだろう。
さびしいな。
「公園で」15.2/25
下町の通り沿いの公園のとなりに
コンビニがたまたま出来た。
そこをよく通るのだけれど、
お昼になると公園でお弁当やカップ麺を食べている人を見る。
ベンチベンチに。
現場作業の人も多い。
なんだかとてもそれが美味しそうだ。
僕も思い立って、昼にカップ麺を買ってみた。
店員さんは「食べていかれますか?」という。
食べていかれますか?とは隣の公園の事だ。
よくわかっている。そしてお湯を入れて隣の公園へ。
気持ちがいいね。シンプルなカップ麺が一番。
カップヌードルがいいね。お湯を注ぐだけだし。
くせになりそうだ。
「感コーヒー」15.2/22
もう最近の缶コーヒーの種類の多さときたら、、
ほんとうにびっくり。新作もどんどん出るし。
基本的に新作が出たら、一回は飲んでいる。
あまーいものは、無理だけど。
飲んでみて、(あっこれは意外と美味しいな)、と、
思って、こころに留めておく。
それがすべてなんじゃないかな。
その微妙な確率にかけているんじゃないかな。
缶コーヒー、勘コーヒー、感コーヒー。
僕のお気に入りは「キリン 挽きたて微糖」
それは、あっ、うまいと思ったことがあったから。
「ずっと昔からの」15.2/14
目をつぶれば、いろんな景色を見ることはできる。
そして、もう何十年かとてば、その最後の目をとじる日も来る。
そのとき、僕はずっと昔のことも思い浮かべられたらと思っている。
ずっと昔とは、思い出せるだけの昔である。
日本に生まれて、そのずっと昔。
どの時代にも自分がいたような気がしている。
江戸の頃、その前の前、、。
まあたぶん、庶民と言われる暮らしの中にいたであろう。
その時代時代の暮らしを、目をとじたときに思い出したい。
長い長い時間の。
そう思いながら、ほんとうに目をとじたい。
「歓送迎会」15.2/6
仕事場の歓送迎会に出た。
食べ放題飲み放題というもの。
ここ三年ほど、会社の飲み会はパスだったのだが、
今回は飲み代というものがかからなかった。
いつもどおりだったが、僕はビール一杯でも十分。
日々寝不足なので、お酒には弱くなってしまった。
それにあまり酔うと、家に帰るのがとても遠く感じるので、
そこそこにしておくのだ。
食べ放題は良かったな。
僕はそんなでもなかったが、他のみんなはお酒がまわり、
よく喋り、陽気になっていた。
楽しそうだった。僕はほとんど話さなかったけれど、
よく知るみんながそんなふうに楽しそうにしているだけで、
僕は十分だった。
それで十分。
「缶コーヒー」15.1/28
缶コーヒーをいろいろ飲んではいるが、
キリンの「挽きたて微糖」と伊藤園の「劇的微糖」が気に入っている。
どちらも僕の舌好みだ。
もしかしたら、この二つは似たような味なのではないかと思うが、
それをいつどうやって比べればいいのか。
ふたつ同時に買って飲み比べればいいのだけど、
さて、その日が来るかどうか。
その前に、缶コーヒーを二本飲む勇気があるかどうか。
結局、この二つが似ているかどうかは、謎のままで終わるだろう。
「未来の面影」15.1/22
60年ほど前の日本の描いた映画を観た。
いろいろと不自由なところはあるけれど、
電報もあるし、電車も走っているし、
手紙もあるし、便利すぎる暮らしというほどて゜もないが、
最高に困るということでもない。
人に関して言えば、今とほとんど喜怒哀楽は変わらない。
面影と言う言葉は、昔のことを言うけれど、
未来に向かっても使えるのではないか。
60年前の映画の中にも未来はたっぷりあり、
変わらないものもたっぷりある。
ただ、時代が動いているだけで。
今、そばにあるもの。それが大事だ。
「カポを失くす」15.1/17
7年ほど使っている慣れ親しんだギターのカポタストを、
年末のライブで店に失くしてしまった。
ギター弾きがカポタストを失くすなんて、、
管楽器が部品を置き忘れるようなものだ。
たいがいはある。しかし今回はどうゆうわけか見つからない。
隙間の間にでも落ちたのか。
まあ、楽器屋さんで新しく同じカポを買えば済むわけだけれど、
まるで長く使っていた時計を失くしたような気持ち。
「音源を聴いた」15.1/10
小さなライブハウスで、BGMに、
古めのサウンドで歌う女性ボーカのアルバムがかかっていた。
名前はSandy Denny。勉強不足だったのか、
なぜか知らなかった。70年代風のサウンドの中、
繊細ながらも堂々としたそのボーカルは、大きなステージが似合いそうであった。
バンドの音はロックというよりも、ロックのエスニック調といった感じか、
ディランの歌やエルトン・ジョンの歌も演っていた。
そのどれもが、歌を大きくとらえていた。
このシンガーさんをなぜに知らなかったのだろう。
聴いていると、フォークの匂いもしてくる。
バンドサウンドになった弾き語りというふうでもある。
歌に魂のようなものを感じた、
さっそくアルバムを注文。
しばらく身をあずけて聴いてみようと思う。
「今年の抱負」15.1/3
今年の手帖はもう買ってある。
毎年、ちゃんと出来事を書く込んでゆこうと思っているが、
ついつい何も書かない日が出来てしまう。
以前は一週間くらいのことなら、想い出せていたのに、
今は、「はて、この日、何があったっけ?」ということが多くなった。
今年こそ、手帖を埋めていきたい。
あと、創作ノートもきちんと作っていきたい。
まあ、ノート世代だからね。
趣味はノートですと、言える人になりたい。
今年の手帖とノートと共に暮らそう。
「'60代初頭」14.12/28
1960年代最初のニューヨーク・グリニッジ・ヴィレッジを舞台にした
映画を観た。当時のライブハウスを再現した映像も多くあった。
マイクは一本。取り囲むようなお客さん。
スポットライト。
そこで歌われるトラッドのフォークソング。
ステージバックに、いろんな色が変わるわけでもない。
存在そのものが歌っているように思えた。
唄をうたう動物のように。
飾ることのない唄。
魂の見えるような唄。
唄の向こうに道が見えた。
「ギターピックアップ」14.12/23
先日のライブ出演では、音響のスタッフの人に
「生ギターのマイクでは出音が小さくなるので、
お店のピックアップつけたほうが良いですよ」と、言われた。
ピックアップとは、直接楽器につけて音をひろうものである。
バンドで演奏する場合はたしかに必要なときもあるけれど、
ソロのときは、ソロらしく生ギターを弾きたい。
マイクで音を拾うとき、それはとっておきの良さがある。
観ている人が、ギターの強弱を目で感じることが出来るのだ。
それがとっても大事。
それ以上に、微妙な音のニューアンスがピックアップだと変わってくる。
微妙なところが肝心なんだ。
それ以上に大事なこともあるのだけど。
この位のわがままはいいたい。
「疲労」14.12/19
大変に疲れていたせいか、
先日は、一日に何回もつまづいてしまった。
外歩きをずっとやっているのだが、
よく見れば段差の多いところばかり、
階段も含めて、つまづかないほうがすごい。
疲労がたまると、そのよける感覚が完全ににぶってしまう。
つまづかないってすごいことだ。
何か体って「気」で満ちているんだな。
疲労時は気を付けたほうがいい。
「近くの公園」14.12/14
今日、選挙に行った帰りに、
近くの大きな公園を通って帰って来た。
ほんとに大きな公園。
このアパートを借りるとき、その公園も大きな魅力だったのに、
この二年間、一度も散歩することはなかった。
なんだか不思議。
その変わり、近くの温泉には何回も行った。
温泉と公園は、似ているようで何かちがうな。
僕の生活に必要なものは、やっぱり温泉なのかな。
目を閉じて、そして深い息をする。
その時間が必要だ。
「理屈なし」14.12/11
歌謡ショーは、まだ一度も生で観たことはないのだが、
先日、ほぼ歌謡ショーと思うステージをライブハウスで観た。
歌唱がほんとしっかりしている。
のどを鳴らすのも快感。
完成された楽曲、演奏。
理屈抜きで楽しめた。
そうか、理屈抜きなんだな。
その人は背筋がピンと伸びていた。
十分に楽しめせてくれた。
「立ち食いそば屋 名店100」14.12/6
そんなタイトルの本をコンビニで見つけて、
知っている店があるかなと思ったら、
載るような様子の本でもなかった。
どれもやっぱり高級そうで、、。
美味しい立ち食いそばって、やっぱり本格そばに近いということなのであろうか。
名店って定義はなんなのだろうか。
美味しいということであろうか。
僕の知っているおすすめの店は、
注文してから、席に着くやいなや出てくるので、
財布を開けて小銭出すのが間に合わないくらいだ。
しかし、何か極めている。
味もそうだが、店の雰囲気が。朝の陽射しが入り、
とても元気が出る。かかっているラジオもいい。
ほんとに美味いんだけどなぁ。
名店ってなんだろうなぁ。