青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'13.8月〜'13.11月


ダウン風ジャケットのポケット」13.11/29

 最近は、ダウン風ジャケットも安くなりましたね。

 買うときに肝心だなぁと思うところがあります。

 それはポケットです。

 それも、両脇のポケット。

 ただ、手を入れてあたためるだけなら問題はないのですが、

 ついつい、他のものも入れてしまいますよね。

 財布とか、、。

 僕の以前持っていたダウン風ジャケットには、

 両脇のポケットにチャックがついていた。

 しかし次に買ったものには、チャックがついていなかった。

 おまけにポケットが意外と浅い。。

 使っていて、つい財布を入れて、

 つい落としそうになってしまつたとき、、

 体がこおった、、。

 ダウンジャケットってふわふわしているので、

 ポケットから財布がポロッと落ちても、感覚がないんだよね。

 手袋なんか入れていてもそう。

 胸の内ポケットがあるといいですね。

 両脇のポケットも、手を入れてみて、深いといいですね。

 いろいろと見てみると、少し高いダウン風ジャケットには、

 なにかしらポケット対策がしてあるようですね。

 ああ、安い安いと、浅いポケットのやつを買って、

 財布を落としたら、なんにもなんねえべ。。



「絵本作家さんの生活13.11/27

 とある食堂で絵本関係と思われるふたりの人と、

 席が隣になった。

 ふたりの会話はとても静かであった。

 知り合いの絵本作家さんの話が出てくるのだが、

 子供が小学校にあがったとか、どこどこに引越したとか、

 生活変化の話題がほとんどであった。

 もしこれが音楽の友達の話であったなら、

 あいつはもう歌っていないとか、活動的だとか、

 新しいバンドを組んだとか、いい歌作っているとか、

 多少は、感情的な喜怒哀楽とともに、

 その内容が話に出てくるものだと思うが、

 絵本作家さんたちは、とても静かに暮らしているように思えた。

 たんたんと、自分の創作を続け、作品を発表してゆく。

 ながいサイクルとともに、、。

 「あいつぜんぜん、最近やってなくてなーっ!!」

 そんな会話が出てくることは、まれであろう。

 まさに生活の一部なのだろう。

 そんな時間が流れているのだ。

 静かで小さな川のように。

 一年中、かまどには小さな火が燃えている。

 それに比べて、歌うたいって、、

 縄文時代の人たちのように、

 いっしょうけんめい、火おこしをして、ふうーふうー吹いて、

 つかれたーとか言って、どてっと横になって、、。



「あれれ13.11/25

  二ヶ月に一度、向かう現場がある。

 そこはマンションの改築中の部屋で、もう何年もそのままにされていた。

 今月、その現場に向かうのだが、たぶんここのマンションだろうなぁと思いながら、

 向かっていた。

 しかし、、つい先日、僕はその部屋の中をじっと眺めた記憶があるのだ。

 と言うことは、このマンションではない。

 僕の勘違いか、、。

 そうしてその部屋に着くと、そこはやっぱり改築中であった。

 ここだったのだ。

 では、つい先日、じっと見つめた記憶がある部屋はどこ??

  やっぱり、ここだ、、。

 それも前に見たのは、確実に二ヶ月前。

 おかしいぞ。

 オレドウナッテイルンダ??

 この部屋を見た記憶は、確実に数日前と思うのだが、、

 もしかして、二ヶ月間があっというまだったのか。

 ほんの数日前に感じるような。

 これは僕の人生でも初めての現象だ。

 どうしても説明がつかない。



「臨時の本屋13.11/23

  商店街のレンタルスペースショップと言えば、

 バックや洋服、食器店などがよく出店するが、

 今回は臨時の本屋さんが出来ていた。

 たぶん一週間ほどの出店であろう。

 少しのぞくと、古本屋さんではない。新本だ。

 店頭には健康本関係のものが平積みされていた。

  ここ10年ほどはインターネットの普及もあり、本屋さんには足が遠くなってしまった。

 それに節約生活を送っているので、もし気に入った本などあったら、

 つい買ってしまうからだ。それが悪いこととは言えないが、、。

 臨時の本屋さんのイメージとしたら、古本か、

 あまった在庫本のセール販売という感じだ。

 ふいと、そう、ふいと、今回は臨時の本屋さんに入ってしまった。

 そんなに大きな店舗ではない。どちらかと言えば狭い。

 右には子供向けの本が積まれていた。

 そして左には、、図鑑風の専門書がならんでいた。

 江戸の頃の本、戦国時代の頃の本、

 浮世絵の本、地方に伝わる伝承話の本、、etc

  そのどれもがイラスト入りであった。オールカラー、

 値段も安い、、。うっうっ、、。

 全部欲しい。。

 僕は日本全国に伝わる珍妙怪奇な伝承話の図鑑本を、

 二冊買ってしまった。。 それももっと欲しかった。

 うーん、やられた。

 まさか、全部買いたくなる本だったとは、、やられた。



ライブ」13.11/20

  ヴァン・モリソンの1970年のライブの音源を聞いている。

 それは、この2013年に聞いても、ライブだなと実感ささせられる。

 とにかくヴォーカルが生きているのだ。

 聞いていると、演奏よりも、くいぎみで歌っている。

 しかし、なぜかそれが自然に聞こえてくる。

 聞いている人の耳は、釘付けにされてしまう。

 レコードでの演奏や歌の再現でなく、リアルな生き物と化している。

 聞いている人もすぐにそれがわかるだろう。

 感覚も目覚めてくる。

 音もかたまりで聞こえてくる。


「朝定カレーセット13.11/18

  たち喰いそばの「ゆで太郎」には、

 朝定がA・B・Cとあり、全部340円だ。

 Aセットは「カレーライスとそば」のセットである。

 ここ十日ほど、仕事のある日は、毎朝このAセットを食べている。

 Bセットは、高菜ごはんに玉子にそば、Cセットは、納豆に玉子にそば。

 どれも魅力的なのだが、なぜかカレーセットにはまってしまった。

 ゆで太郎の朝定は、かけそばといえど、てんぷらの揚たまはのせ放題なのだ。

 どうして、私はこのカレーセットにはまっしまったのか、、

 自分でもよくわからないのだ。かなり満腹感はあるのはたしかだ。

 それに、すぐ出てくるのもいい。

 それに、ここ十日ほど寒かったというせいもある。

 朝、通りかかると、自然に、カレーとそばが食べたくなるのだ。

 B定もC定もあるのにね。

 仕事場の友達に「ここ十日ほど、ゆで太郎のカレーの朝定にはまっているんだよ」と、

 言ったところ、友達はこう言った。

 「おれなんて、一年ずっとカレーの朝定食べてたよ」

 「えーっ!!」

 その友達にその理由はきかなかったが、たぶん理由はないだろう。

 僕もまた、なぜ毎朝食べたくなるのか、理由がわからない。

 ただひとつわかることは、、、

 カレーを食べていると、とてもそばが食べたくなり、

 そばを食べていると、とてもカレーが食べたくなるのだ。

 ゆで太郎のカレー朝定にはまってしまった。

 たぶん明日の朝も食べているであろう。

 カレーとそばのふたつの宇宙の磁力に呼ばれて。



おれは心配だ」13.11/16

  今、レコーディングが始まった。

 12曲のうち、5曲をもう録音した。どれも地味めな歌だったのに、

 意外にも、素晴らしいテイクとなった。それもレコーディングのときの、

 ちょっとしたアイデアで、突然に。

 そのうち一曲は、かなり良い出来になった。

 アルバムの中でも、地味な担当曲だったのに。。

 これから残り7曲の録音となるのだが、次まで時間が空いてしまっている。

 俺は心配だ。。

 たとえば、スキーのジャンプ競技で、最初に飛ぶセカンドクラスの選手が、

 うわーっというほど、良い距離を出してしまったような感じだ。

 これからレギュラー選手のジャンプとなるのだが、プレッシャーが、、。

 普通にシャンプできれば、良いのだが。

 普通に録音できれば、それでいいのだが。

 どの曲もギターがとても難しい。

 それでも無事に12曲録音できれば、かなり良いアルバムになる予感がする。

 地味だと思っていた曲が、ぐっと光ったからだ。

 いけるかもしれない。自然体でいけば。



「ギター録音13.11/11

 三年ぶりにレコーディングをした。

 やっぱりギター演奏でかなり苦労した。単音弾きはやっぱり難しい。

 高校時代の方が、今より単音弾きがうまかったし、よく憶えていたように思う。

 歌もうたって、ギターも単音弾きをするなんて、やっぱり間違いもミスもおこる。

 ふつうのストロークだったら、どんなに歌が楽かと思う。

 慣れなのかな。

 中学時代、ストロークだけの歌を山ほどカセットテープに録音した。

 あれ、良かったなぁ。

 自由で。

 今、ストロークでポロポロと弾くなんて、ほとんどしていない。

 不思議だけど。

 フォークブームの頃、みんなストロークで歌っていたよね。



「録音前日
13.11/9

  明日、「兄弟」の三枚目のアルバムの一回目のレコーディングがある。

 5曲ほど録音する予定だが、兄弟としたら10年目。

 歌を録音するって、やっぱり特別な想いがある。

 なににおいても、その歌のことを考えてしまう。

 ちゃんと録音できるだろうかと。

 ギターを持っていったり、他の楽器を持っていったり、

 電車に乗ったり、ご飯を食べたり、傘をさしたり、

 臨時ニュースをみたり、財布の中の小銭がなくて両替したりするけれど、

 明日は、録音する5曲がなによりも主役である。

 それは自分の存在よりも大きい。

 自分はただ歌に沿って、ギターを弾き、ハーモニカを吹き、歌詞を歌う。

 明日は歌が大きな生き物になる日だ。


「影のうた13.11/7

  新しいアルバムのために、曲選びをしていた。

 十年ほど前、いやもっと前のこと、

 その歌は、録音するには華がないと思われた歌であった。

 他にも楽曲があり、それは自信作でもあったので、

 真っ先にアルバムに録音したものだった。

 傑作を作ろうとか、はりきって思いながら。

 そのときに後回しにしてしまった歌があった。

 にぎやかな歌の影になって、、。

 しかし、それからずいぶんたってみると、

 そのとき目立たないと思った歌たちは、

 ただ単に、にぎやかな歌と比べてしまっていたのだ。

 同じ人から生まれて、同じくらいのパワーを持って作られた歌なのだから、

 基本同じなのだ。

 地味だと思った歌であっても、それはみんなそれなりだったのだ。

 どうどうめぐりのような話になってしまっているが、

 そういうことってあるんだよね。

 目立つ人や物に、目を奪われてしまうってことが、、。

 今回のアルバムでは、そんな影の歌が生き生きと、

 歌われるているはず。



「ボロボロなギターケース13.11/4

 もうほぼボロボロになった40年前のギターケースを、

 粗大ゴミとして収集車に出した。

 300円のゴミ処理券を貼って、部屋の外に置いておいたら、

 収集車が止り、ヨーッという掛け声とともに、持っていった。

 持っていってしまったよ。ギターケースは、そのまま荷台にドンと置かれたであろう。

 1973年製のギルドギターのオリジナルハードケースであった。

 普段は、ギルドのギターはソフトケースに入れてあるのだが、

 四日ほど、もともとのハードケースに入れて置いた。

 約40年も、一緒に旅を共にしたハードケースである。

 40年前、楽器屋に最初にならんだときから、一緒であったろう。

 何人か持ち主が変わっても一緒だったろう。

 ボロボロな状態になるまで、ガダゴトとトラックに乗っていたのかもしれない。

 それは最高の寝床であったかもしれない。

 もう、今は離れぱなれになってしまった。ギターとギターケース。

 個人的には、ずっと処分する予定はなかったのだが、ケースの外の革が、

 湿気でやられてしまった。。

 ボロボロのギターケース、もうボロボロだから、処分したんじゃない。

 ボロボロのギターケースは、ボロボロでよろしい。

 そのぶんギターを守ったんです。だからやさしくねぎらってほしい。

 収集の人は、ヨーッと言って、すばやく荷台に乗せていった、、。


Another Self Portrait」13.10/31

 ボブ・ディランの最近発売されたアルバム「Another Self Portrait」

 1969〜1972年までの録音のアウトテイクの二枚組であった。

 ここ最近ずっと聞いていて、実はとんでもない名盤なのではないかと思えている。

 アウトテイクではない正式盤は、高校時代にほんとによく聞いた。

 「Self Portrait」のアルバムでは、他の人の作品も多く取り上げていて、

 ディランの楽曲に対する理解力がよくわかる二枚組であった。

 今回のアウトテイク集「Another Self Portrait」にも、

 トラディショナルや他の人の作品がとりあげられていた。

 そしてなんと言っても、正式テイクの別ヴァージョンのテイクもあるのが、

 このアルバムの聞きどころになっている。

 あまりディランを聞いたことがない人が、

 このアルバムを聞いたら、普通にそれぞれの楽曲として聞けるのだろうけれど、

 正式盤に入ったテイクを知っていると、ついついそれと比べてしまう。

 別テイクだと、歌い方も変わり、演奏もメロディーやリフレインも変わってくる。

 それが、それぞれに合った感じになっているのが、すごいなぁと思う。

 そんなふうに歌い方を変えることができるなんて、、。

 このアルバムには、デモで録ったと思われる音源も入っている。

 とりあえず歌紹介という感じで録ったのであろうか。

 バンドヴァージョンでしかしらなかった歌のピアノ弾き語りなど、

 これがなんだが、とても良く聞こえてくるのだ。

 歌う前に「take  one」とか言葉が入っているのも、リアルだ。

 この二枚組のアルバムは、レコーディングのドキュメンタリーフィルムのようだ。

 どうやってアルバムが完成していったかが伝わってくる。

 それと同時にディランの歌に対する感性の豊かさも伝わってくる。

 イマジネーションがあふれているのがわかる。

 かなりマニアックなアルバムではあるけれど、聞き応えは充分。

 それも、名盤の匂いがプンプンする。



「ニュース13.10/31

  昨夜、東京の上空に緑色に光り流れるものを見た。

 その大きさは、野球場スタンドの灯りのひとつくらいあった。

 LEDライトのように鮮明に明るい光であった。

 夜空を斜めに数秒ゆっくりと流れてゆくのを見た。

 はじめは誰かが、季節外れの花火でもあげたのかと思った。

 たとえは悪いが、飛行機が落ちてきたのかとも思った。

 数秒後に街に落ちてしまうのではないかと思った。

 しかし、そんな音は数秒後にはしなかった。

 インターネットでは、同じような目撃がアップされた。

 その光は、いくつかに分裂して消えていったという。

 どうやら流星とか隕石の類であるという。火球というらしい。

 東京のみならず、愛知、山形の方からでも見えたという。

 あんなに目立って夜空に数秒見えたのに、決定的な写真が撮れた人はいないようだ。

 ほんの数秒のことだったので、カメラが用意できなかったのであろう。

 そのあと、ニュースになるかと思ったら、どこのメディアでもニュースにはならなかった。

 もう終わったことだからだろうか。ほんの数秒のことだったからだろうか。

 テレビのニュースも観ていたが、そのことには触れなかった。

 それはニュースではなかったという扱いなのだろうか。

 映像も写真もなかったということなのだろうか。

 こんなにびっくりしたのに。



「ギルドのハードケース13.10/29

 昨日、粗大ゴミセンターに電話をして、

 ギターのハードケースを出す予約をした。300円券一枚。

 それはギルドギターのオリジナルハードケースだ。

 1973年製であるが、以前の持ち主が、かなりハードな旅をしたらしくて、

 ほんとボロボロになっていたハードケース。

 どうやったら、こんなふうにボロボロになるのか。

 アメリカ大陸を、ストリートで歌い歩いても、なかなかこんなにはならないだろうに。

 それは僕のギルドギターともにあったケース。

 まわりは皮がはられてあり、いたるところがすれている。

 ただ、湿気に弱かった。。

 部屋のほかのものにも影響があるので、おもいきって出したのだ。

 ギター弾きとしたら、ちょい哀しいのだけれど、、、これはしかたがない、、。

 ギターケースだけでも、かなり価値があると思う。

 いつかネットでもとの持ち主の歌う写真など出てくるかもしれない。

 その人は有名ミュージシャンかもしれない、、。

 ギター本体にしてみたら、親友であるし、体の一部なのだろうなぁ。

 粗大ゴミの回収日まで、あと五日ある。

 その間は、ハードケースに入れてしまっておこうと思っている。



「♪じゃらーん13.10/23

 以前のことだが、平日の昼間の公園で、

 ヤマハのサンバーストの生ギターをベンチで弾いていたおじさんがいた。

 唄は演歌であったが、、。

 外仕事で、そのそばを通ったとき、生ギターをじゃらーんと弾く音が、

 なんとも生めがしくて、どきどきした。

 いつも部屋で、同じように生ギターを自分で弾いているのに、

 どうしてこんなにも、どきどきするんだろうと思えた。

 中学時代、よく公園で生ギターを弾いた。

 ギターの音にほれぼれしながら。

 最近では、アパートの二階の窓から生ギターの音が聞こえてくるなんて、

 あまりなくなってしまった。

 今聞こえてきたら、やっぱりどきどきするだろう。

 どこのメーカーのギターだろうかと、耳を澄ますだろう。

 そんな生ギターの音。

 それなのに、ライブハウスやスタジオやアルバムで聞いたりすると、

 ほんとあたりまえの普通の音に聞こえてくる。

 それが不思議でならない。



そして怪獣は」13.10/20

  まるで怪獣のように、

 どうやって作ったら良いものかと思っていた新曲も、

 あとは歌詞を埋めてゆくだけになった。

 創作にかかって10日ほどではあるが、最初はどうしたものかと思っていた。

 怪獣はまだ息があらく、まったくつかまりそうにない。

 それは幻だとわかっていても、歌になってたまるものかというふうであった。

 それでもなんとか、リズムを作り、メロディーを作り、ギターフレーズを作り、

 怪獣は三次元から消え、その息をうしなった。

 今はノートの1ページの白い紙の中に平たくのされている。

 あとは、メロディーに歌詞を埋めてゆくだけで、それは僕次第ということになった。

 その歌が生きるかボツになるかは、僕の作詞の創作能力にかかっている。

 あとは文字の仕事だ。

 10日ほど前、どうしたらいいかまったくわからなかった。

 遠くに見えていた怪獣。

 その怪獣も、あとは僕次第というところ。今はまだ、白いページの中。

 これから、ひとつずつ言葉をそろえ、もう一度、生き物に変換せねばならない。

 それは大変であるけれど、なんとかなる可能性は高い。


ライオネス珈琲タイム」13.10/17

  このタイトルを見て、にやっと微笑んだ人もいるだう。

 珈琲キャンディーといえば有名なのが、「ライオネスコーヒーキャンディー」だ。

 100円ショップにも、置いてあるが。ひと袋でかなり入っている。

 外仕事で困ることといえば、トイレ問題がある。

 缶コーヒーを飲んで、ひと休みしたいが、トイレが近くなるのは困ったものだ。

 そんなときは「ライオネス珈琲タイム」に限る。

 ついつい口ずさんでしまうのはCMのメロディーだ

 ♪ライオネスコーヒーキャンディ〜、ライオネスコーヒーキャンディ〜

 外仕事の珈琲タイムの定番。

 とは、自分が言っているだけだが、、。

 ほんと、いいですよ。外仕事におすすめします。

 ライオネス珈琲タイム。



本屋さん」13.10/15

  南阿佐ヶ谷の駅の近く、

 階段をのぼったビルの二階に大きな本屋さんがある。

 通りからは、あまり目立たない場所にあるが、

 インターネットが普及するまでは、地下鉄の駅を出た人たちが、

 吸い込まれるように、あの階段をのぼり、みんな本屋さんに入っていったと想像できる。

 僕自身、年齢的には、本屋さん命だった世代である。

 学校帰り、仕事帰り、必ず本屋さんに寄る毎日だった。

 みんなそうだったんだ。

 駅から家へのルートの中に必ず本屋さんがあったんだ。

 みんなみんなあの階段をのぼっていったはず。

 ちょっと目をつぶれば、その風景が見えてくるようだ。

 ここに来たのが最近だとしても。

 20年ほど前の街の景色といえば、賑わいのある本屋さんが見えてくるだろう。

 それはほんとに重要な景色。

 だから、今だって、見えてくる。見えてくるんだ。



新曲山みっつ」13.10/13

   今、新曲を作っているが、

 想像していたものとは、ちがう方向に少し向かっているようだ。

 イメージ通りの歌にするには、このまま歩き続けても、

 山ひとつ、山ふたつ、山みっつほどある。

 それをどう越えていったらいいものかと思う。

 あと、二週間で。

 まず、ひとつめの山の前まで行かなきゃね。

 それから考えよう。どう山を越えるかを。

 そういうものでしょう。

 新曲創作にかかって、もう10日くらいたっているが、

 はっきり言って、まだ一行も見つかっていない状態。

 100くらいフレーズを出しているが、まだピンとくるものがない。

 なんとか形にするのに、あとどのくらいかかるだろう。

 それから、まだ山みっつ。

 ほんとに出来るのか?

 おれ、がんばれ。


なぜだろうシューズ」13.10/10

  ここ最近、外仕事用にナイキのシューズをはいていて、

 なんとも素晴らしいシューズライフを送っている。

 その前にはいていた仕事用の靴は、1000円であった。

 1000円であったが、とてもいい仕事としているシューズであった。

 がっしりとして、縫い目もしっかりとしていた。

 シューズメーカーの名前は「最高に早く走る」みたいなネーミングであった。

 これが、、1000円??

 足を入れてみたらみたらサイズもよいので、これはお買い得品だと思い買った。

 しかし、実際にはいてみたら、紐の代わりに足をとめるマジックテープが、

 うまくフィットしなかったのだ。マジックテープを一番奥までしめて、

 やっと、足を押さえることが出来た。

 ふつう状態で、マジックテープをしめてたら、靴のはばがかなり広くなってしまう。

 もし、この状態で普通にはける人がいたら、それはとても足の幅の広い人だろう。

 ようするに、マジックテープのつける大きさを間違えているのだ。

 それが、、1000円の理由か、、、。

 シューズって、完成したら、一応はいてみないものなのか??

 それとも、それともだ。これはあくまで仮説だが、、

 そのためし履きをした人が、とてもはばの広い足の人だったかだ。

 あのシューズ、作りもしっかりしてて、良かったのになぁ。

 マジックテープだけが、、問題であった。

 一足作ったときに、なぜ試し履きしなかったんだ、、?

  「造靴試足」という言葉はないのか?


緑のベンソンバック」13.10/7

  今日、公園を通りかかったおじさんが肩からかけていたバック、

 うすい緑色の四角い感じのバック。とてもおじさんファッションに合っていた。

 僕はそれと似たバックをよく知っている。

 でも、似合わないと思って、買わなかった。。もう28年も前のこと。

 当時、僕はベージュ色のベンソンバッグを気に入って使っていた。

 あるとき京都に遊びに行ったとき、デパートで、おなじベージュのベンソンバッグを見かけた。

 それを憶えていたのだ。

 半年ほどたち、自分の使っているベンソンバックが、限界にきたので買い替えようと思ったのだ。

 東京にはもう在庫がなかった。

 それで、まだ若かった青木少年は、青春18きっぷ一枚で、日帰りで京都に行こうと決めたのだ。

 各駅停車で。京都まで。

 デパートの開く時間と同時に入り、僕はパック売り場にむかった。

 見えてきたのはベンソンバック、ベージュのシリーズもそろっている。

 しかし、、しかしだ。なぜか僕の持っているベンソンバックの大きさのやつがなかった。

 店員さんにきいて、在庫を確認してもらうと、ありますよとのことだった。

 ラッキー!!

 そして店員さんが持ってきたのは、同じ大きさのベンソンバックではあったが、

 ベージュではなく、淡いカーキ色した生地だったのだ。

 それで、僕は大元の問屋さんにまで、ベ−ジュの在庫があるか確認してもらった。

 あいにく問屋にもないとのことだったが、もし見つかったら、

 東京の僕のところまで送ってくれることになった。

 しかし、そのデパートからは連絡はなかった。

 あれから28年、、。

 今、当時のこの出来事を思い返してみたら、

 どうして、あのとき僕は淡いカーキ色のベンソンバッグを買わなかったのだろう。

 僕はいつもベージュ色のジャンパーを着ていたので、それに合わせたのであろう。

 しかし、バックだったら、ベージュより、淡いカーキ色の方が似合っていると、

 今ならわかる。しかし当時の僕にはわからなかった。

  若い頃、これでなきゃだめだというこだわりが大きかった。

 ああ、あの緑のベンソンバックをなぜ買わなかったのか。

 店員さんも、ひと言、「これも似合いますよ」と言ってくれればなぁ。



ナイキの靴」13.10/5

  仕事用に、1000円の靴をはいていたら、

 なんだか足がとても痛くなってしまった。

 原因はいろいろある。足のサイズに合っていなかったという根本的失敗もあった。

 ・・・たまには、ちゃんとした靴を買ってみようかな、、。

 で、生まれて初めてナイキの靴を買ってみました。

 スポーツシューズといったら、中学時代、オニツカの靴を買ったくらいだった。

 プーマだって、アディダスだって、ニューバランスだって、アシックスだって、

 僕ははいたことはない。

 そんな私。

 そんな私がナイキのシューズを買ってみた。とても軽いやつ。

 仕事前、ちょっとはいてみて、ちょっと歩いてみて、

 とても驚いてしまった。

 なんと、足が自然と先に進むではないか、何かの力で。

 見た目は、前にも買った靴と似ているのだけれど、

 いやぁ、ちがうものですね。

 靴は進化していた。

 おら、びっくりすますた〜!!



「缶コーヒー13.10/3

  外歩きの仕事をしているが、

 ひと息つくのに、よく缶ジュースの自販機の前で立ちどまる。

 昨日はダイドーの自販機であった。

 最近CMでおなじみの俳優の役所広司さんの写真が、自販機の上に着いていた。

 ダイドーブレンドコーヒー「微糖」を美味しそうに飲む顔のアップの写真。

 僕は健康ドリンクを飲むつもりでいたが、その役所広司さんの缶コーヒーを飲む表情を見ていたら、

 なんたがとても缶コーヒーが飲みたくなり、ついつい「微糖」を押してしまった。

 役所広司さんが、ダイドーの缶コーヒーのCMに出てから、

 ダイドー缶コーヒーの売り上げあがったと、ネットのニュースで見た。

 そのニュースを見たときは、ああ、そうなのかぁぐらいしか思わなかったが、

 こうして、実際自分が缶コーヒーを買ってしまうと、その効果はすごんだなと思う。

 さすが役者さん。

 どんな顔して、缶コーヒーを飲んでいたかというと、、

 大きなヤクルトを飲んでいるような感じだった。

 ちゅーっと。

 役者ってすごいな。


「基準13.9/30

  ボブ・ディランが「ウイ・アー・ザ・ワールド」の楽曲のために、

 数行の歌詞を録音する映像を観た。

 ほんの10分ほどで、録音は完了するのだが、

 なんども、その数行を歌い直していた。

 僕なんかが聞いたら、どのテイクでも、デイランらしくて、

 オーケーだと想うのだが、なかなかに決まらない。

 少しずつは変化している。

 イメージでは、デイランはワンテイク・ツーテイクで決まりそうだが、

 この楽曲では、そうではなかった。

 歌をつかむまで時間がかかったのかもしれない。

 長いこと、ディランを聞いているが、

 ここまで歌い直した基準が、もうひとつつかめない。

 デイランにも、プロデューサーのクインシー・ジョーンズにも、

 オーケーテイクになったと、わかったテイクがあったのだろう。

 僕には、まだその基準がわからなかった。

 こんなにディランを聞いてきたのに、、。

 英語がもっとわかれば、伝わってくるのかな。

 それとも、ノリの問題なのか、、??



「レコード13.9/28

  引越しをして半年以上たっているが、

 まだレコードをかけられる環境が出来ていない。

 押入れの上の棚に500枚ほどあるのだが、

 プレーヤーをまだ置ける場所が確保できないのだ。

 それでも、今どうしても一枚聞きたいアルバムがあるのだ。

 そのためには、プレーヤーを出し、どこかに置いて、接続をしないとだめだ。

 それはかなりめんどう。

 それでも、それをしないと、そのアルバムを聞くことができない。

 押入れの棚にある500枚のレコードにとっても、これは、

 復活できる最大のチャンスなのだろう。

 今、500枚のアルバムの中で、そのアルバムに注目が集まっている。

 (やったな、、がんばれ、、おまえにかかっているんだ、、   )

 思ってみれば、レコードでしか持っていない音源は山ほどある。

 手に入らない宝のようなアルバムも多く持っている。

 いずれプレーヤーを復活させたいと思っていたのだ。

  500枚のレコードたちの心の声が押入れから聞こえる。

  (チャンス、チャンス、チャンス!! がんばれ、がんばれ、がんばれ!!!!)



「みどりのヤツで、、13.9/26

  シンガーソングライター、豊田勇造のファーストアルバム、

 「さあ、もういっぺん」の一曲目に「ワルツを踊ろう」という歌が入っている。

 ♪ワルツを踊ろう、、カモンベイビー〜

 そのブリッジの部分の歌詞が、

 ♪もしもおまえが、かたつむりなら、、おれは手のひら、みどりのやつで、、

 ♪もしもおまえが、さくら貝なら、、おれは星ふる夜の海、、

 というフレーズが出てくる。

 初めて聞いてからもう30年以上たっているのだが、

 僕がなんと言っても気に入っていたのは、

 〜おれは手のひら、みどりのやつで、、と、言うところだ。

 何が良いかって、みどりのヤツで、、という表現だ。しゃれている。

 「みどりのヤツ」って、何だろう。

 たぶん、葉っぱなどの総称であろうか。

 相手はかたつむり、、葉っぱなんていう言葉もわからない。

 きっと、おおまかに「みどりのヤツ」と、表現したほうが、かたつむりと心通じているようではないか、、。

 僕はこのフレーズが気に入り、自分の歌詞の中にも、似たような表現を使った。

 ・・街の音ってヤツかい・・みたいな表現。

 僕は自分の歌詞の中で、この表現がとても気に入っていた。

 それは、勇造の 「みどりのヤツで・・」から、もらったものだ。

 ・・・・・・・・

 そして、つい最近、「さあ、もういっぺん」のアルバムを聞く機会があった。 

 「ワルツを踊ろう」のブリッジの部分が出てきた。 

 そのとき、はっと気が付いたのだ。。

 (これ、もしかして、、八つ手の葉っぱのことではないのか・・)

 「みどりのヤツで」、、ではなく、「みどりの八つ手」という歌詞だったのではないか、、。

 ああ、、、かんちがい、、だったのか、、??

 しかし、そのおかげて言葉の扉がひとつ見つけられたのだ。



「逆もまた新なり?13.9/23

  憧れの歌の先輩に以前、創作について、

 教えてもらったことがあった。

 歌の先輩は、曲を何パターンかにわけて、

 普段から作っておくという。

 先輩は、いつもギターを弾いていた。

 その話を聞いたが、僕は、どうしても、

 歌詞とメロディーを一緒にしか作れない。

 今だって、そうだ。

 しかし、ちょっと考えてみたら、

 曲を作っておくというのも、ありだなと思った。

 創作40年目にして。

 もしかしたら、曲の方が歌詞を呼んでくるかもしれない、、。

 逆もまた新なり。

 ちょっとためしてみるか。


とどまること」13.9/21

 中学の頃から、ギターで歌を作っているが、

 作り始めたとき、無限大にメロディーが出来るような気がしていたし、

 実際に、いろんなタイプの唄を作った。

 ラジオでも、レコードでも、いろんなタイプの歌が流れていた。

 自分でギターで歌を作ろうとするとき、

 もちろん、メロディーや、リズムや、弾き方が出てくる。

 ぱっと弾けば、ぱっとも出てくる。

 それを正式に採用することも出来る。

 しかし、自分のかつて作った歌と似ている場合もある。

 その可能性は高い。

 でも、そこは我慢で、即却下。

 大事なことは、即却下すること。

 ある程度作ってしまうと、そこから抜け出せなくなってしまう。

 大事なことは、同時にいくつもイメージを作ること。

 ただ、最初のイメージは大事。

 そこをうまくアレンジで広げてゆくこと。

 間をおかず、すぐさまアレンジ。

 そしてまた却下。それで良い。



その人は」13.9/18

  その人はいつも、朝早く地下鉄の同じ車両の同じ席に座っている。

 僕もまた同じ車両の、となりのシートになんとなく座る。

 その人は、ずっと眠っている。

 僕と同じ駅で乗り換えるのだが、その人は、迷いもなく、すっと立ちあがる。

 僕はエスカレーターでのぼり、その人は階段でゆく。

 まるで、陸上のトラックの内側のレーンと外側のレーンように。

 乗り換え駅のホームのまた、僕とその人は先頭の同じ車両に乗るのだけれど、

 みるみるうちに、先を歩いてゆき、ついには20メートル以上離されてしまう。

 あれれれれれ、???

  その人は、ずっと同じ車両で眠っていた人なのに、

 その人は、自分の定位置にまた、よりかかり電車が来るまで、

 目をつぶり、また電車を待っている。

 なんという、完璧な無駄のない、時間の使い方であろうか。

 エスカレーターに乗る人たちは、わざと遠回りさせらせているのではないか。

  急がば歩け。


そんな時代もあったのです」13.9/15

 つい先日のことだが、

 秋の虫が、とても近くで鳴いていた。

 ここは一階なので、縁の下で、鳴いていると思っていた。

 が、あまりに近い。

 あまりに近く、そのうち、壁から聞こえてきた。

 、、、、これは、おかしいぞ。

 しかし考えてみれば、その昔は、土間とかあり、

 いくらでも秋の虫は入ってきただろう。

 部屋の中で鳴いたりしていただろう。

 それが普通だった。

 何千年も

 秋の風物詩。

 なんとか、それを幸運のしるしとして、とらえられないだろうか。

 茶柱が立つように。


僕の知っていること」13.9/11

 小さい頃、風のある日、

 道に飛んでしまった帽子を、ひろい上げようとすると、

 手の先からなぜか帽子は、

 また風で飛んでいってしまう。

 まるで、つなをはなれたワンちゃんのように。

 いつもそうなので不思議だなぁと思っていたが、

 あるとき、小学生の僕は気が付いた。

 手にとろうとしてまた飛んでいってしまう帽子。

 それは何の不思議でもないと。

 もし、さっと道に落ちた帽子をひろうことが出来るなら、

 最初から、帽子は頭から飛んでいってしまわうないだろうと。

 そんな当たり前のことが、なかなか気が付かない。

 小さい頃から僕の知っていること。


「弾き語りおんがえし(音がえし)13.9/9

  ここ数日、若い頃にたっぷりと聞いた、

 弾き語りアルバムを、もう一度聞いていた。

 思い返せば、このアルバムを友達が教えてくれなかったら、

 今の僕の歌い方は、ないのかもしれないなと思う。

 そのくらいに大事なアルバムであった。

 その歌い手さんとは、握手したり、少しだけ話たりしたことはあるが、

 僕のことは当然のこと、憶えてもいないだろう。

 しかし、僕の方は感謝しきれないほど、歌の勉強をさせてもらった。

 そういうシンガーさんたちは、中学の頃から僕の中にはあった。

 たっぷりと影響を受けた人たち。

 僕も歌をうたったり作ったりしているので、何か恩返しをしたいと思う。

 土地のお土産がいいか、、、??

  いやいや、やっぱり音で恩返しをしたい。

 同じライブでぜひ、一緒になりたい。

 できれば、友達ではない関係で。

 弾き語りからもらったものは、弾き語りで返したい。

 心臓に届くようなライブをしたい。

 お酒を飲んでいるかもしれない。

 ただの若僧だと思うかもしれない。 

 そんなのはかまわない。

 魂込めて歌うだけ。

 ・・・あっ、こいつ魂込めて歌ってるな、、、

 そう、ふと感じてくれるだけでいい。

 その日が来るのを待っている。

 音がえしできる日を。


「人間の歌13.9/7

 どの人のライブでも、

 だんだんと、その人自身が感じられ、

 ラストの曲の頃には、とても身近に思えてくる。

 あれは、とても不思議だなぁと思う。

 どの人のライブを観てもそうだ。

 歌というより、ちょっとしたエピソードのトークで、

 それは感じられる。

 先日観たベテランシンガーさんもそうであった。

 僕自身もライブをしているが、さて、初めての人には、

 どんなふうに自分が伝わるのであろうか。

 ラストの曲の頃には、人間が伝わっているのであろうか?

 まったくそんなふうな意識はしていないだが、、。

 逆にそれが良いのかもしれない。

 友達のライブを観ても、もう最初のライプのように、

 だんだんと人間が感じられるようなことはない。

 もう、その人のことが、最初からわかっているからだ。

 僕はどんなライブをしているんだろう。

 ちゃんと人間が伝わっているのだろうか?



「小銭の出し方13.9/3

  ちょっと気を許すと、

 財布に一円玉がたまってしまう。

 日頃からなんとか、一円玉を減らそうと、

 レジで小銭を出そうと、がんばっているのだが、

 いつもうまくいかず、五百円玉とか出してしまう。

 さっと、小銭を出すことはできないか。

 ひとつだけはっきりとわかることは、

 五円玉と五十円玉が、必要だということだ。

  僕は、小銭を財布から出す達人になりたい。

 487円とか、さっと財布から出して、さっと渡したい。

 やっぱり、そのためには50円玉と5円玉が必要だ。

 小銭の達人。


「ギターは友達13.9/1

  先日、自分でギターのネックの調整をした。

 (あまりネックはいじりたくないのだが、、)

 いくぶん弦高も下がり、弾きやすくなった。

 使っているギターは、まだまだネック調整に余裕があり、

 弦高を上げたり下げたりするのは、自由自在に出来る。

 とてもよく出来たギターだ。

 中学・高校の頃も、よくネック調整を自分でやった。

 少しそってきたなと思ったら、アジャスターを、しめたのだ。

 一度は弦高は下がるものの、またしばらくすると弦高が上がってくる。

 またネックの調整をしようと試みるが、限界まで調整ネジをしめてあり、

 それ以上は無理だったりした。これではアジャスターとはいえない。

 ・・・・・・・・・・・・・

 今使っているギターは外国製で値段も高い。

 ネックのアジャスター機能もしっかりとしている、とてもよいギターだ。

 作られて40年、まだまだ現役でがんばれそうだ。

 僕はこのギターが最高の音を出してくれることを知っている。

 最近のテレビの音楽の番組では、生ギターの音をマイク録りで聞くことは珍しくなった。

 ほとんどが、ピックアップマイクで拾った音。

 僕はいつか、このギターの生音を、テレビでみんなに伝えたい。

 それが夢。

 ・・・・・・・・・・・・

 このギターを中古でローンで買ったとき、

 このギターは、ひと仕事、ふた仕事も終えた状態であった。

 まだがんばれるものの、ギターはもう弾かれすぎていた。

 でも、もう一度、僕のためにがんばってもらおうと思った。

 ネック調整はしっかりできるので、まだ現役でいけた。

 限界まできたギターは、良い音を出すといわれるけれど、

 まさにそうとおりなのかもしれない。

 ぼろぼろなギターでも、ときに素晴らしい光を放つ。

 僕はこのギターの音を、日本中、世界中の人に伝える夢を持った。

 ギターとの約束。

 ・・・・・・・・・・・・

 しかし、このギターは、天候変化に音が影響され、

 しばらく弾かずいると、こもった音になってしまう。

 いろいろと手をかけてあげないといけない。

 先日、久し振りのように、このギターを弾いたら、

 もこもこの音になっていた。

 日本一のギターのはずなのに、、

 もこもこの音になっていた。

 年老いたおじいさんのように。


「まるで中学生のように13.8/28

  今日、スタジオに入り、三時間みっちり生ギターを弾いた。

 まるで中学生のように。

 部屋では今、音量の関係で生ギターがまったく弾けていなくて、

 エレキギターを出したりしているが、

 やっぱりエレキと生ギターはちがうんだよね。

 まるで、時間を取り戻すように、そして追いかけるように、

 ギターを大きく弾き続けた。

 感覚を戻すために。

 ギター弾きとしたら、それはもうむちゃくちゃ。

 まるで中学生のように。

 指の先が弦で、痛い痛い、、。

 俺、もう恥ずかしいよ、、本当に。

 まるでギターを始めたばかりの頃のように、、。

 感覚って、にぷってしまうものですね。

 どのくらい自分の感覚が、にぶっているか、

 自分ではよくわかる。

 明日のライブまでには、復活できる。

 ただ弦の当たる指の先は痛いだろうなぁ。

 それもわかる。



「イメージを伝えたい13.8/27

  ストーリーソングを歌うとき、

 そこに出てくるイメージを、浮かび上がらせたいと思う。

 まるで「まんが日本むかしばなし」を朗読する人のように。

 小さなライブハウスでも、日本武道館でも、

 そこに出てくる登場人物を、浮かび上がらせたい。

  ステージで、弾き語りをやっている姿がある。

 それを観て、何かイメージの浮かぶ歌をやっているなぁと思って聞くお客さん。

 僕はそれでは満足できない。

 スペースを歌に出てくる別の空間に移動させてしまいたい。

 それも、いつのまにかそうなっていたという感じで。

 それってなかなかに難しい。

 浪曲師や、落語家の人たちのように。

 歌唱力とはまた別の次元で。

 僕はライブでは、いつもイメージが浮かぶように心がけて歌っているが、

 実際はどのくらい伝わっているのかな。

 近い未来、日本武道館で歌いたいと思っている。

 そこにいる一万人の前で、イメージを浮かび上がらせたい。

 なんとなく、(ああ、あの歌やっているなぁ・・)ではなく。

 ちゃんと、その空間にイメージとストーリーを浮かび上がらせたい。

 魔法のように。



「席換え交渉13.8/25

  小学校、中学校の頃、

 クラスの席換えがあった。

 好きなもの順という、場合もあったが、

 公平を期すために、くじ引きということもあった。

 そんなときは、行きたい席の友達と席換えの交渉するのだ。

 今、思えば、あれが僕らが経験した最初の本気の交渉だったかもしれない。

 そんなに親しくない友達と、交渉しなくてはいけない。

 なんだか席換えに都合の良いことをひとつふたつ考えて、

 ねっ、ねっ、と言って、席換えを頼んだ。

 考えてみれば、席を換わってもらうなんて、相手にしてみたら、

 なんとも変な話だ。

 それからの三ヶ月、半年と、自分の居場所が変わるわけだから。

 今、そのときのことを思い出してみた。

 あまり親しくない友達に、「ねえ、ねえ、換わって!!」と、お願いをした。

 すると友達は、意外にもすんなり「いいよ」って、言ってくれたものだった。

 「ラッキー!!」

 もう換わってもらった喜びで、その友達にそのことをあまり感謝しなかった。

 それにしても、なぜ友達はあんなにすんなりと「いいよ」と言ってくれたのか?

   もともと、くじ引きで当てた席なのだから、あんまりその席にこだわりがなかったのかもしれない。

 自分の席が誰かの喜びにつながるなら、それもいいと思ったのだろうか、、。

 否、否、否、、、

 友達は、そのとき小さな船に乗っていて、

 その船が着いたところを自分の席としたんだなと、思う。

 流れゆくままに。。

 今日、僕は小さなことで、少しつまづいてしまった。

 それは、小学生の頃の席換えの交渉のようにはいかなかったのだ。

 しかし、考えてみれば、それはいたって普通のことだ。

 船がそう流れた。それをただ受け入れれば良い。


「夏のサーファー13.8/23

  この夏も結局、猛暑になった。

 外仕事をしているせいもあるが、水分をかなり摂取した。

 これでもかというくらい。

 部屋も戻ったら、すぐに横になった。

 ほぼ毎日。

 もう生活リズムもぼろぼろ。

 それでも、やっと8月も後半になり、暑さのピークも超えた。

 なんとか乗り切ったようだ。

 夏のサーファーは、海だけにいるわけではない。

 ここにもいる。そこにもいる。

 帰りの電車の中、大きな荷物を肩にぐったりしている人。

 みんな、夏のサーファー。

 なんとか乗り越えることが大事。

 よろけながらもみごとに波を超えました。


「人の頭の上で13.8/19

  帰りの電車で、シートの一番端に座っていた。

 するとほろ酔い加減の仕事帰りのおやじさんが、

 ひとりは私の前に立ち、もうひとりは私の横に立った。

 それで大きめの声で、悪口を言い出したのだ。

 「あいつは、嫌われている。ほんとに嫌われているんだ」と。

 横に立っている人は上司らしくて、前に立っている人は、

 それに合相槌を打っていた。

 広い電車の中で、なぜ、その話を私の頭の上でするのか。

 そんなふうな声の大きさで、

 私は今、あなたがとても嫌い。

 人の悪口を、私の頭の上で話す、あなたが嫌い。

 あなた、嫌われていますよ。

 何駅かして、もちろん席を立った。

 そこから離れたドアのところで待っていた。

 そこにいても、あの人の声は、聞こえてくる。

 それに相槌を打っている、その声も聞こえる。

 うるさいって、言えば良かったかな。

 無言のメッセージは伝わらなかった。。


「ミエナイ蚊13.8/17

  近くのバス停で、夕方近くに待っていると、

 とても多くの蚊に刺されてしまう。

 びっくりするほど。

 そこで、最近は腕を凝視しながら、

 蚊が止まらないように、注意している。

 それは昨日のことだ。ぜったい蚊を腕に止まらせないように、

 じっと見ていたが、一匹も蚊は止まらなかった。

 しかしだ。バスに乗ってみると、かゆいかゆい。

 なんと、 10ッ所以上も蚊に刺されていた。

 僕は思った。

 日本で見かける蚊の種類は、代表的なものに、

 アカイエ蚊、ヤブ蚊、そしてミエナイ蚊がいる。

 ぜったいにいる。

「ミエナイ蚊13.8/17

  近くのバス停で、夕方近くに待っていると、

 とても多くの蚊に刺されてしまう。

 びっくりするほど。

 そこで、最近は腕を凝視しながら、

 蚊が止まらないように、注意している。

 それは昨日のことだ。ぜったい蚊を腕に止まらせないように、

 じっと見ていたが、一匹も蚊は止まらなかった。

 しかしだ。バスに乗ってみると、かゆいかゆい。

 なんと、 10ッ所以上も蚊に刺されていた。

 僕は思った。

 日本で見かける蚊の種類は、代表的なものに、

 アカイエ蚊、ヤブ蚊、そしてミエナイ蚊がいる。

 ぜったいにいる。



「イジポロの季節13.8/15

  この二週間のうちに、メガネが続けて壊れた。

 それも、少しいじっていたら、ポロッととれたのだ。

 もう作ってから、かなりの年数がたっているので、

 (と、言っても10年15年だが・・)

 もう、耐用年数をすぎているのであろう。

 いじっていたら、ポロッ、、。イジポロだ。

 あのポロッととれた瞬間、、。ほんと泣きたくなるよ。

 メガネだけじゃない。他のものだって、すぐにポロッととれる、。

 だんだんと、、ボロボロがせまって来ている、、。

 いやだよ、ボロボロさん、来ないで、、。

 たぶん、この数ヶ月のうちに、メガネを二本作るだろう。

 最後って、もろいものだ。

 イジボロの季節。



「歌唱13.8/13

  エスニック料理を食べに行くと、アジアの国の、

 意外にも、よくまとまったロック風ポップスが流れていることが多い。

 サウンドも、あきさせないようにまとまっている。

 その中で、よくあるパターンが、

 生ギター一本のイントロから入り、

 なんだか声を押しつぶしたような歌唱法で歌うものがある。

 たぶん恋愛のせつなく、あふれる想いを歌っているのであろう。

 生ギターからやがて、バイオリン等が入り、つづいてベース、ドラムス、

 結局は歌い上げるような、大げさなバンドサウンドになってしまう。

 生ギター一本で始って、、

 もう、いいよ、、、そのパターンは、、

 生ギター一本で、自分のハートを伝え出した人が、

 結局はダイナミックな爆発サウンドへ。

 そんなに感情って、大きくなるの?

  感情が爆発する人。

 生ギターが、そんなふうに使われるのって、

 なんだか、腑に落ちないな。

 生ギターだけじゃ、足りないのかもしれないけれど、

 生ギターだけで、やってみようよ。



「珈琲専門純喫茶13.8/11

   昨日、昭和40年代にオープンした古い喫茶店に入った。

 15年ほど前にも一度入ったことがあったが、今もまったく変わっていなかった。

 駅前の騒がしさから離れ、とてもゆっくりできた。

 一杯450円ではあったが、それは時間にお金を払ったようなものだった。

 いろんな書きものもあったが、たぶん15年前から変わっていないようだった。

 まさに時間が止まっていた。

 そこにはわいわいと話す、若者もいなかった。

 若者はここには来ないであろう。

 そこは、街のにぎわいから、離れていたスペースであった。

 ひと休みするには、最高であった。

 最近の喫茶は、街の一部のようになっていて、

 とても入りやすく、なっている場合が多い。

 街のカフェだ。

 おじさんはもう、街のカフェはいいんです。

 珈琲専門純喫茶に向かうんです。


「若者はなぜ声が大きいか13.8/8

  アジアンレストランで食事をしているとき、

 後ろの若者が(と言っても18歳くらいだが)みんなに聞こえる大きな声で話していた。

 自分の恋愛話を、、。ああ、なんて、恥ずかしい、、。

 もう、恋愛プロフェッショナルのようでした。

 以前から思っていることなのだが、ファミリーレストランに行っても、

 学生諸君は、一応にみんな声が大きい。

 それはなぜか???

   たぶん、教室がうるさいんだろうなぁ。それぞれが大きな声で話しているから。

 にぎやかな居酒屋状態だ。

 思い返してみれば、僕だって学生時代は大きな声でしゃべっていた。

 高校を卒業して、一二年は、まだ教室しゃべりの名残が残っているのではないか。

 友達と話すということは、そういうことなのであろう。

 と、僕は思っている。

 大きな声で話す若者たち。その回りには今も、

 教室のざわめぎが聞こえているのだと思う。


「カップヌードル13.8/5

 昨夜は、昔(??)を思い出して、

 カップヌードルを食べてみた。

 お湯で3分、カップの即席麺の元祖といえば、

 「カップヌードル」だ。最初に食べたのは中学の頃かな。

 なんとなく、当時の気持ちに戻ってみたかったのだ。

 そして食べたカップヌードル、、。

 なんだか、当時よりも、確実に美味しくなっているのがわかった。

 ・・・ちょっと、ちがうんだよなぁ。。

 まあ、ほぼ同じなのですが、、。

 それとも、想い出の味は美味しくなるのか。

 僕はまったく当時に戻ることは出来なかった。


「タイムスクープハンター13.8/2

  NHKテレビでやっていた「タイムスクープハンター」という番組を観た。

 シーズン5ということだから、ずいぶん前から、定期的にやっていたらしい。

 何回か観たが、全部良かった。

 内容的には、沢嶋雄一という現代のジャーナリストが、タイムワープという方法を使って、

 あらゆる時代へと向かい、ビデオカメラと共に取材をするというものだ。

 (戦国時代が多いのだが、、)

 もちろん、現代に製作しているわけだけれど、なんだか本当にその時代に行ったような気持ちになるのだ。

 時代劇とはまったくちがう感じ方がある。

 僕が一番、気に入っているところは、出てくるみなさんが、

 ほんと庶民の顔立ちであることだ。

 昨今の時代劇では、現代のハンサム系の顔立ちの役者さんたちが、

 よく出演され、好演されていますが、どうも僕の感覚だと、

 現代の匂いを感じてしまうのだ。そこが、どうも気になっていた。

 しかし、タイムスクープハンターでは、どの役者さんも、土臭く、

 そのへんがリアルである。僕好みというか、、。

 この番組の中では、インタビュー光景も出てくるが、

 それがほんと素人っぽくていい。役者であるが、役者でないような。

 30分番組ではあるけれど、観終わると、より長い時間をいつも感じる。

 自分が、当時の時代と人たちに会ったような感覚になってしまう。

 素晴らしい番組だ。

 シーズン5は、先日、最終回になってしまったが、シーズン6にも期待している。

 出てくるみんなが、必死で生きているところがいい。


「今日の夜話・過去ログ'13年4月〜'12年7月」

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