青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」
「今日の夜話」過去ログ'13.4月〜'13.7月
「漂白の思い」13.7/31今、毎日のようにヨーグルトを食べたり、甘いものを食べたりしている。
ほんわかのんのんと暮らしていると言えば、そうかもしれない。
高校のとき、松尾芭蕉の「おくの細道」を習った。
「月日は百代の過客にて、行かふ年も又旅人也。」
芭蕉が教えてくれた「漂白のおもい」は、高校生の僕にかなり影響を与えた。
なんとなくではあったが、自分はその昔、インドの修行僧だったのではないかと思えていた。
創作の道を目指していたので、いつの日か、歩いて日本中を回るのではないかと感じていた。
まるで修行僧のように、、。
そんなこともあり、東京に出てきてから、歩いて東京一周したり、
実家のある新潟・柏崎まで歩いたりもした。一年の海外旅行にも出かけた。
創作の道は、漂白のおもいの中にあるんだと、、。
・・・・・・・
もう、私はいい年のおじさんになってしまった。
(本人はまったくそうは思っていないのだが・・)
思い描いていた未来で、僕は漂白の旅をしているであろうか。
そんな時代ではなくとも、僕はそういう人であった。
遠くなった芭蕉、、。
しかし、よく考えてみれば、創作に関しては、厳しくほそい道がこの先続いている。
生半可な気持ちでいては、生半可な作品しか作れないであろう。
自然に任せて、、と、言う創作家も多い。それも一理ある。
だが、創作の道は、漂白のおもいであると思う。
実際に歩かなくとも、、。
若い頃に思い描いていた、漂白の旅は、ちゃんと待っていた。
日々、ここを旅の住処とす。
「何か戦いのような響き」13.7/29
ギャラリーにて、友人の展覧会を見に出かけた。
ギャラリーには、いろんな作者の作品が置かれてあったが、
どれも幸せ感が満ちていた。
同じように、音楽も流れていたが、作品を見るのに、とても落ち着く音楽であった。
ふと、自分の音楽のことを思ってみたら、
そのどの作品にも、どこか「戦い」の響きがあるように思えた。
それは作品のどこかはしっこで、かすかに燃えている火のような感じ。
その戦いのかすかな響きが、僕の作品にどこかせわしない感じを与えているのか。
でも、歌を作る原動力になっているのは、その「戦いの響き」なのではないかと思える。
たぶん、その作品から「戦いの響き」をとってしまったら、へなへなへとしおれてしまうのだろう。
。
・・・・・・・
考えてみれば、ずっと自分に創作のプレッシャーをかけてきたように思うのだ。
そしてどの作品でも、何かと戦っているような気がする。
それは性分なのかもしれないな。
老人になって、やっと戦いの響きのない作品がかけるのか、
それは、最後のアルバムでもいいかなと思う。「都会の暮らし、田舎の暮らし」13.7/27
昨日は、よく駅まで歩いた。
地下鉄の駅まで10分を4回。JRの駅まで20分を3回。
ほかにも、駅までちょこちょこと何回か歩いた。
二時間半くらいは確実に、駅まで歩いた。
都心に住んでいれば、このくらいはよく歩くであろう。
健康にも良い。老人にとってはきついのかもしれないが、、。
しかし、これが田舎となると、自動車の移動が多くなり、
なかなか歩かなくなるのかもしれない。
(自転車には乗るかもしれないが、、)
ちょっと考えると逆のような気もするのだけれど、
田舎に住んでいる人たちは、健康的な生活を送っているのであろうか。
一日2時間以上歩くのと歩かないのでは、健康への影響もぢかうであろう。
歩くことって人間の基本だしね。
さて、田舎の暮らし。
車生活をしていると、なかなか歩かなくなるともきいた。
それでいいのか?? 歩くのは人間の基本だろうに。。
足の裏のツボとかにも良いのではないか。
わかっていても、なかなか歩くチャンスがなくなっているのかな。
しかし、そこはひとつ乗り越えて、歩こう歩こう運動。
都心にいると、こんなにも歩く。
田舎に住む友は、あれこれ体調不良について報告するけれど、
歩いたりしているのかなと思うわけです。
ジョギングとかではなくてもいい。
ただ歩くだけでいい。人間の基本だと思うわけです。
「構想を練っている」13.7/22
今、新しいテーマエッセイシリーズの構想を練っている。
テーマは「新曲創作」。
今回は、全60話になる予定。
いままでに書いてきたテーマエッセイシリーズも、いろいろと考えて、
書いてきたつもりだが、今回はさらに熟考しなくちゃと思っている。
なにしろ、お勉強みたいなテーマなので、、。
「イメージ編」「実践編」「上級編」の三つに分けようと思っている。
なんたが、読むだけで、新曲が出来そうな気持ちになれるような。
そんなお勉強エッセイ。
できれば、そのままテレビ放送番組として作れるような。
実は本気、大本気なんです。
その60話のエッセイが、ちゃんと書けるかどうかが、
このエッセイのテーマにもなっている。
(なんのこっちゃ!?)
とにかく今は、構想中。
乞うご期待。
「ひとつずつ戻る」13.7/20
引越しをしたとき、どうゆうわけか、
いろんなものが壊れた。
電化製品も、身の回りのものも、
一番きつかったのは、歯が二本もだめになったことだ。
ひとつはかぶせてあったものがとれ、ひとつは奥歯がかけてしまった。
予想するに、引越し荷物を運んだりするときに、歯をくいしばったのかな。
メガネのレンズもひびがはいった。
パソコンも壊れた。ビデオデッキも調子悪くなった。
CDレコーダーも調子悪くなった。
引越しというのは、いろんなことが動くときなので、そういうこともあるなと思った。
それから五ヶ月。昨日、メガネのレンズ交換の手続きをした。
歯医者にも通っていて、もうすぐ終わる予定だ。
パソコンも、レコーダーも、デッキもなんとか復活してきた。
荷物で、どうなるかと思ってきた部屋も整理されてきた。
ひとつずつ、戻ってきたのだ。
今回、メガネが戻れば、一応ひととおり戻る。
遠いなと思えた復活への道も、なんとかなりそうだ。
部屋ギター問題だけは解決していないのだが・・。
人には、なんとか復活する力があるんだな。
こんな僕にも。
「引越してからの五ヶ月、遠い時間」13.7/17
ふと気が付けは、引越しをして、もう五ヶ月である。
これを長いと呼ぶか、最近と呼ぶか、、。
僕には時間の長い時間の中にいるような気がする。
五ヶ月といえば、五ヶ月かもしれないが、
以前住んでいた高円寺のアパートが、霧の中のように遠くなってしまってきたのだ。
まるで幻であったかのように。。
だから、五ヶ月前が、とてもとても遠く感じられる。
新しい仕事を始めて五ヶ月がたった人のように。
最初の二ヶ月半は、毎日が片付けの日々で、
先の見えない日々であった。
思えば、あの時間は大きな重い渦のようであった。
やっと片付いて、落ちついたら、
以前の部屋が霧のように遠くなった。
遠くなったんです。
「駅ホーム回想」13.7/14
今日、JRのホームに立っていたら、
とっても広くて、なんだか自由で広々とした気持ちになった。
もともといつもこのJRの駅のホームを使っていたわけだけれど、
そのときはそれが普通だと思っていた。
ここ最近はずっと地下鉄の駅を使うことが多く、
あの狭い車両や駅のホームにも慣れてきた。
最初はかなり狭く感じていたのに、、。
そして今日、JRの駅のホームに立ってみたら、
開放感に満ちていることがわかった。
まるで、朝の地下鉄に乗るときは、心の中で待っているようだ。
人と人の位置も近く、本を出して読んだりして、、。
あぶないあぶない。
それに慣れてしまうところであった。
地下鉄は心の中を走ってゆくようだ。
注意、注意、要注意。
朝の地下鉄の駅のホーム、
みんなが心の中に立っているようだ。
「隣の人」13.7/11
朝の乗り換えのとき、いつも同じ車両で、
同じ人に会う。
ほぼ毎日、その男性と一緒になっている。
その人は、40歳ほどでメガネをかけている。
たぶん仕事にゆくのであろうが、鞄などは持っていない。
僕も少し前までは、鞄を持たずに仕事によく通っていた。
たぶん、僕と似ている生活なのではないかな。
同じ車両にいつも乗るわけでけれど、
昨日はたまたま、席がすぐそばになった。
隣の人。
その人はどこに住んでいて、何をしているかもわからないが、
なんだかアパートの隣の部屋の人のような気がしてくるのだ。
こういう隣人が居てもよいだろう。
だいたい隣の部屋に住んでいる人と言っても、
ほとんどの場合、職業もわからないものだ。
歩き出かける僕らは、それぞれが歩く家のようなもの。
ほぼ毎日のように、同じ車両で見かける人、
それは隣の人と呼んでもいいだろう。
「扉」13.7/8
新しい部屋に引越しをして、もう五ヶ月がたった。
なんだか、一年くらい住んでいるような気もするのだが、、。
どこからか帰ってきて、奥まったところにあるこの部屋の玄関が見えるとき、
いまだに、最初にここを見に来たときのことを思い出す。
まったく、そのときの気持ちのままで。
不動産屋の人と一緒にここに来たとき、
自分がそのドアから荷物を持ったりして、出かけたりする姿が見えるようだった。
実際に今、そうなっているわけだけれど、、。
あの、最初にここを見たときの気持ちは忘れられないなぁ。
思い返せば、その風景から、今が始まっているわけなのだ。
言い換えれば、そのときが、今への玄関だったわけだ。
玄関というより、扉なのかな。
あのシーンの扉の向こう。それはここ。
僕は不思議でたまらない。
ここの扉を見たときのこと。扉を開けたときのこと。
あと一年もしたら、日常になってしまうだろうか。。
「15分前の世界」13.7/6
たまたまであるが、朝、乗っている電車の一本前の電車に乗った。
たったそれだけの話ではあるが、乗り換えも含めて、そこで会う人たちが、
みんなちがうことに驚いた。
たった15分前の話なのに、こうまでちがっていいのだろうか。
世界の何もかもがちがったような印象だ。
この15分後、次の電車では、また別の世界がある。
僕はそこにずっといたのだ。
来る日も来る日も。
部屋を出るのが遅くなり、その一本あとにま乗ることはよくあった。
しかし一本早くは乗らなかったのだ。
僕は知った。15分前の世界は、何もかもちがっているのかもしれないと。
そこには会ったことのない人たちであふれている。
「ギターの中にいろんな人の顔があらわれ・・」13.7/4
・・・地面の底に顔があらわれ、、
これは萩原朔太郎の詩の有名な一節です・・・
最近の生ギター紹介動画を観ていると、値段が高くても、弦の音を感じてしまう。
いい音ですねって、その生ギターの音を言っているギターの好きな人もいるが、
何をさしてそう言っているのか、おじさんにはさっぱりわからない部分である。
僕には、4弦も5弦も6弦も、同じ響きに聞こえる。
それでいいのか、、?
たしかに和音で弾けば、じゃらーんと鳴って、統一性はとれている。
生ギターを、バンドの中のひとつの響きとしてとらえるなら、それもいいかもしれない。
でも、おじさんは考えが古くて、生ギターの6本の弦に、
六人の別の人を感じていたいと思うのだ。
たったひとりでなくて。
ギターの中にいろんな人の顔があらわれ・・・
1弦は、小太郎。 2弦は、二郎。3弦は、佐助。4弦は、作左衛門。5弦は、雅五郎。6弦は、どん乃助。
もちろん兄弟ではない。生まれ故郷もちがう。年齢もばらばらだ。
ギターの中に六人の響きを出したいのだ。
「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ・LIVE」13.7/2
ここ最近、何回もこのLIVEのビデオをよく観ている。
これは、音楽アルバムにもなっていて、1978年、高校三年のとき、
ほんとこの1977年のライブアルバムをよく聞いた。
当時は、何もわからず、ただノリで聞いていたけれど、
実際、あれから35年以上たってみると、ほんと恐ろしいほどの名作である。
やっぱり映像の方が、衝撃度が大きい。
当時、音楽にたずさわっていて、自分でも作っていたミュージシャンは、
これをどう受け止めたであろうか。
ひとつのブームとして、受け止めたであろうか。
僕自身、高校時代にあれだけ聞いて、十分に音はわかっているのに、
映像で改めて観ると、無駄な音がまるでなく、ひとつの生き物のように感じられる。
どのテイクも新鮮だ。 そして、魂で満ちているようだ。
音楽ではあるけれど、声そのものになっいるようにも思える。
「ノー・ウォーマン・ノー・クライ」から続く、ラスト三曲の流れが実に素晴らしい。
最後に一緒に声を出すシーンがあるが、そのときにはもうみんなが、
同じレゲエ人になっているかのようである。
なんとも熱いライブである。やけどをするくらいに熱い。
35年たっても、まだ冷めていない。
「空地の向こう」13.6/30
ここ新居のアパートの斜め前に、大きな空地がある。
ちょっと信じられないくらいに大きな空地。
いつもコンビニエンスストアーに行くとき、その空地を見ながら通ってゆく。
約5分。しかし、それがとても近く感じられる。
アパートから同じ5分で、循環バスのバス停までもゆくのだが、
それは空地の横は通ってはいかない。
どちらも同じ5分ではあるのだけれど、空地の横を通った方が確実に近くに感じられる。
それは、、帰り、
大きな空地まで来ると、もうアパートが見えてきて、
なんだかアパートに着いたような気がしてくるのだ。
以前のアパートでも、最後の路地を曲がったら、もう着いたような気がしていた。
やっぱり見えるって大事なんですね。
それがどんなに遠くても、着いたような気がするのかもしれない。
「寄り道・回り道・出来る道」13.6/28
もう何年も前のことだが、一年半ほど、まったくちがうジャンルの音楽を聞いていた。
自分でもわからないが、とにかくはまってしまった。
それが自分にどんなプラスになっているかは、今もわからない。
その少しまえまで、聞きたいアルバムもなく、音楽と少し離れてしまっていた。
歌作りも、うまくできないでいた。
そんなとき、ふとしたきっかけで他のジャンルの音楽にのめりこんだ。
あれから、もう5年くらいたっているかな。
結局また今は、創作にがんばれる日々に戻ってきている。
思い返せば、他のジャンルの音楽をずっと聞いていた一年半の向こうに、
道はつながっていたような気がするのだ。
寄り道だったとも、言えない。回り道だったとも言えない。
しっかりと、その向こうに、ここにつながる道があったのだ。
その道は、そこにあるのではなくて、そこに出来るのかもしれない。
とにかく僕がまた戻ってきたのだ。
新エッセイ「新しい歌のために(イメージ編)・・その1〜歌の赤ん坊〜」13.6/27
新しい歌のために、文を書こうと思う。
新しい歌は、生まれて来る赤ん坊のようなものだと思います。その赤ん坊がどんな大人になるかは、ある程度、環境が関係していますが、結局はその人 自身が決めてゆくものでしょう。こんな職業について欲しい、こんな人になって欲しいと親は期待します。しかしやっぱり大事なのは、自分自身がどうなりたい かということ。
歌の赤ん坊も、まず無限大の行き先を持っています。世界中の誰とも似なくて良いのです。小学生くらいになると、こんな人になりたいと憧れの人を思い浮かべますが、やがては自分を見つけます。親はいつも子供に安定した職業に着くことを望みますね。その方が苦労は少ないと。
歌い手であり作り手でもある僕らは、歌の親ではありますが、歌うのは、その生まれてくる歌自身だということをイメージした方が良いようです。
たとえば、ある人に対して「あなたは、誰々に似ていますね」と、よく言ったりもしますが、その人自身は、もちろん世界中の誰とも似ていません。ある程度は似ていても、しっかりと自分を感じています。もちろんでしょう、自分になるために生まれてきたのですから。
「鳥の道案内」13.6/25
とある下町のお寺を仕事で訪ねたときのこと、
そのお寺の外通路にはいろんな教訓、名言などの通路に貼られていた。
用事を済ませての帰り、外通路で、一羽の観たこともないような、
小さな白黒の小鳥が、僕のそばを飛んだ。
「おっ、めずらしい鳥だ」
すると、2メートルほど飛び、また止まった。
まるで手に届きそうに近くで。
僕がまた近くに来ると、また2メートルほど飛んだ。
そんなことが、5・6ん回ほど繰り返された。
昔ばなしの中によく、鳥に案内される場面が出てくるが、
まさにそんな感じであった。
あるんですね。ほんとうに。
「ビート論」13.6/22
ギターは小さなビートバンド。
そんなふうに思ってくれるといいんだけどな。
6弦はベーシスト、5弦はドラマー、4弦は鍵盤奏者、3弦はリズムギター、
2弦は笛、1弦はリードギター。
先日、ある人が青木さんはフォークですねと言った。
どういう意味かは、もうひとつはっきりとはわからないが、
自分が思うフォークとは、内容ではなく、単純に弾き語りのことである。
たしかにギター弾き語りではあるけれど、実はビートバンドでもある。
アコーディオン奏者で有名な人もいる。
その人もアコーディオンひとつでも、バンドと思っているにちがいない。
僕はずっとビートのことを思っている。
人の体を揺らすのは、やっぱりビートなんじゃないかなと。
グルーブ感というか、ノリというか。
体を揺らすのは音量よりも、ビートだと思っている。
ギター一本と言えど、ビートバンド。
「古い改札、古い歌」13.6/19
友達の古い歌で、改札口が出てくる歌がある。
それは僕が東京に出てくるよりも前の改札口。
まだフォークが人気だった頃の街と、改札口。
みんなが木造のアパートに住んでいたときの歌。
最近、ふと、僕が東京に出てくる前の街や駅や改札口を、
想うときが多い。
その友達の歌に出てくる改札口のことなんか、特に。
今、僕は地下鉄の駅を利用しているが、
地下鉄の入口もまた、味がありますね。
もうずーーと、前から、その地下鉄の駅はあり、
そこを利用していた人も多かったはず。
地下鉄を乗り継いで出かけてゆく、ジーンズにギターの若者。
地下鉄に限らず、今やどの改札口も自動改札になってしまった。
切符の販売機だって、おしゃれになっているだろう。
・・・もう、あの古い時代の改札には戻れないね。だいたいどんなだったか
忘れちゃったし、、。・・・・
駅の改札近くで、今も待っていると、僕はどんどん時間をさかのぼってしまう。
1970代、最初の頃まで。
何人もの何人もの人がここで待ち合わせをしたであろう。
僕には不思議にも、それがすべてリアルに感じてしまう。
あの古い歌の歌詞だって、見えてくるようだ。
改札口はタイムトンネルの出入り口かもしれない。
いろんな人を待っている。いろんな人がホームから今も降りてくる。
たぶん、改札口のあたりで、時間は渦を巻いている。
「あの人は今」13.6/17
中学二年のときかな。
小学校のときからの同級生の女子で、
とっても大人びた同級生がいた。
誰よりも早く声変わりもして、
ぱっと見ると、もう30代、40代のようにも思えるほど、
俗に言う「おぱさん顔」であった。
学年で一番、落ち着いていたようだ。
本人もそれを自分のキャラクターとしていたようだ。
あるとき女子の声変わりについて、
「私の声を基準にしてください」と言っていた。
その人は、たしか大きな呉服屋の娘さんであった。
ゆくゆくは、その呉服店を継いでゆくのだと僕は信じた。
呉服屋のおかみさんになるだろうと。
・・・・・・・・
今、思い返してみると、
ほんとにその人は、10歳も20歳も年上のようであった。
みんなのお母さんのような存在であった。
悩み事にも、落ち着いて答えていたように思う。
まだ中学二年とか三年なのに、、。
それで良かったのか?
そして高校は別々になり、その後の彼女のことは、
まったく僕の知る由もないのだが、
高校時代があり、卒業してからだって、まだまだ若かったはず。
ちゃんと、若者らしく青春時代を楽しんだであろうか?
ボブ・ディランの歌「マイ・バック・ペイジズ」の歌詞のように、
「♪ああ、あの頃は、今よりもふけていて、今はずっと若い〜」
と、歌ってくれたであろうか。
「あの中学時代は、どうかしていたんだわ」と、友達に言っていたであろうか?
小学校・中学校と、学年が一緒だった人である。
僕とほとんど会話をすることもなかったが、
今思い出すと、とても心配になる。
あの人は若さを取り戻しただろうか?
僕なんか、いまだにあの中学の頃のままである。
「環境」13.6/15
新曲創作のために、野外の公園を考えていたが、
虫、その他の理由ため、それは、どうも無理だとわかり、
今日はとうとう、隣街の音楽スタジオを、午後に3時間ほど借りた。
新曲創作をスタジオでやるなんて、したこともないのだが、、。
個人練習で借りたスタジオは10畳ほどの大きさがあった。
広い、広すぎる、、。
久し振りに生ギターを思い切り弾いてみる。
これでもかというほど。常に思い切り。
しかし、だんだんとそれにも慣れて、音が単調に聞こえ出した。
3時間かけて、歌作りをしようと思っていたけれど、まったくできなかった。
いつも部屋で曲作りをするときは、いろいろとアイデアが出てくるのに、
スタジオではまったくだめであった。
自分の才能の無さに唖然としてしまった。
引越しをして四ヶ月。ギターを弾かずにきたせいだろう。
重症。
それが自分でわかるだけでも、ただ救いがある。
なんだかがっかりしたら、まったく創作が出来なかった。
やっぱり普段から、ギターにさわっていないとだめだな。
また復活するには、方法を考えねばならない。
と、思い、またうなだれながら帰ってきた。
スタジオに入って創作という計画も、考えなおさねばならないな。
部屋に帰ってきて、ひと眠りして、落ち込みながら、
エレキギターを出して、ちらっと創作してみたら、
いつもどおりに歌作りが出来た。弾いた最初にメロディーが出来た。
3時間、個人練習でスタジオでやってだめだったのに、、。
やっぱり環境なのかな。
僕は部屋で小さく歌作りをするのが、合っているようだ。
「どくだみオセロパワー」13.6/12
この季節、草のどくだみが勢い良く咲いている。
昨年、アパートの僕の部屋の庭が、どくだみで占領されてしまった。
あれは、大変だったなぁ。
まさか、庭一面がどくだみで埋まるなんて、、。
どくだみは根で広がってゆくと言う。
近くの大きな空地のすみっこに今、どくだみが咲いているが、
あと10年もしたら、あの空地はこの季節、ほとんどどくだみになるのではないだろうかと思う。
とくだみは賢い。
空地のはしっこから攻めてゆくようだ。
まるでオセロゲームのすみに置く駒のように。
どくだみはまず、はしっこを押さえる。
やがては、根を空地じゅうに広げるのだ。
30年後、日本の空地はどくだみに占領されるのではないか?
俺は心配だ。
どくだみパワーが。
家の近くに大きな公園があり、野外でギターを弾きに行ってみた。
小さなスピーカー付きエレキを持って。
野外で弾くなんて久し振りだなぁとか思いながら、
部屋では、ギターがとても響くので、まだ弾けていない。
僕の予定では、時間さえあれば公園でギターを弾こうかなと思っていた。
ギターケースを敷いてポロポロと弾いていたら、
アリさんがやってきて、どうも集中できない。
蚊のみなさんもやってきた。
ぜんぜん集中できずに、15分くらい弾いて帰ってきた。
うなだれながら。
計画は崩れた。
近所に音楽スタジオでもあれば、いいのだが、
それもない。
ギターを使って、新曲にメロディーをつけるとき、
それは、さあ作ろうと思ったら、だめだ。
なにげないとき、さっとギターに手を伸ばして、
ふいに弾いてみると、いいフレーズが出てくるものだ。
それはまちがいない。
音が最大に響かないサイレントミディギターでも手に入れようかなと思っている。
嗚呼、人生。
「オブラディ・オブラダ」13.6/9
ちょっと歩いたところに大きめの大衆ハンバーグ屋があり、
よく訪ねている。そこではいつもビートルズがかかっている。
土曜の午後、訪ねてゆくと、いつものようにビートルズがかかっていた。
♪オブラディ・オブラダ、あのノリノリの歌である。
途中まで、聞いてゆくと、
となりのテーブル席にいた、50歳代半ばと思われる、
メガネをかけた、どこかの事務社員さんのような小柄な女性が、
ブリッジのメロディーのところの、印象的でシンプルな管楽器演奏と一緒に、
♪パパーパ、パパーパ、パパーパ、パパーパと、
突然に口ずさんだのだ。
まるで今、その人がそこでアレンジをして、管楽器を吹いたように。
ハンバーグを食べながら、突然にその人は、ビートルズと一緒に、
管楽器プレイヤーになったのだ。
もちろん、もともとそれはアレンジがされていたものである。
しかし、このとき、その人はまちがいなく、
自分の中からわきあがってきたフレーズを口ずさんだのだ。
♪パパーパ、パパーパ、パパーパ、パパーパと、
うーん、音楽って素晴らしい。
「レトリバー一本」13.6/7
その下町の工場に用があり声をかけると、
後ろから自転車ごしに声が聞こえた。
「はいはい」
買い物から帰ってきた、奥さんであった。
「あっ、どうも」
そして、工場の扉を開けると、
黒い大きなラブラドールレトリバー待っていた。
尾っぽを振りながら、こっちに向かってくる。
綱はない。こわい、、。
「だいじ゜ょうぶですか?」
「だいじょうぶよ」
ワンちゃんは、僕に直進してくる。
えーっ、、、
そして、
そして、僕の横をすっと通り過ぎて、
レトリバーは、自転車に向かった。
「今日は、ごみはないわよ」と、奥さんがワンちゃんに声をかけた。
レトリバー一本。
わたしまけましたわ。
「芸能人」13.6/5
地下鉄で帰ってくるとき、
この人、芸能人なのかなーと思える人と会う。
その人は、特に美男子系というわけではないが、
とても愛嬌のある顔をしていた。
鼻ひげを少したくわえている。
その人を見ていると、すべての表情が絵になっているようだ。
スカウトマンの目にも止まるであろう。
スター性がとてもあった。
あれが芸能人のオーラがあるということだろうか。
あきらかに何かがちがっていた。
みんなに愛される要素を持っていた。
「ギターケースの似合う人」13.6/3
引越しの際の段ボールの山もすべて片付き、
部屋がやっと部屋になった。
この月末を期限になんとかしようと思っていたので、
それが実行できてとても嬉しい。
さて、ほんとうにこれからなのだ。
明日、月曜日、仕事にも出かけるのだが、
ひとりの弾き語りシンガーになりきって、
出かけてみようかと思う。そんな時間。
・・・・・・・・・
先日、駅のホームにてエレキギターケースを持った、
髪の長く、ジーンズをはいていた女性を見た。
なんと、その人にエレキギターケースが似合っていたことか。
たぶん、その人を見る誰もが、そう思えるにちがいない。
僕もそんなふうに、フォークギターケースがとてもよく似合う人になりたい。
通る人が、(あの人、ギターケースが似合っているなぁ。なぜかはわからないが、、)
そんな人になりたい。
とくにフォークを連想させる格好でなくても。
一体感のある姿でありたい。それが理想。
エレキギターケースでなくてよい。
普通のフォークのギターケースで。
「弾き語りであっても」13.5/31
僕の唄なんかは、ほぼ弾き語りである。
何枚かはCDにもしてあるので、どんどんラジオや、
テレビや映画やいろんな場面で流れて欲しいと思っている。
喫茶店でも街なかでも、居酒屋でもどこでも、、。
しかし、どうも唄がへただ。
いかにも、マイナーなシンガーさんという感じだ。
プロの人はやっぱり音程がしっかりしている。
せめて、喫茶店でアルバムが自然に流れるようでありたい。
それが理想であるけれど、
どうもマイナー感がたっぷり出てしまう。
先日喫茶店で聞いた、ボブ・ディランの弾き語りは、
ギター一本とハーモニカであっても、とても自然であった。
いいなぁ、、。せめてそうでありたい。
たとえ弾き語りであっても。
どんどん流れて欲しいものである。
外仕事をやっているので、
なじみの家々を訪ね、家族の人と話をすることが多い。
それもかなりの数。
20年以上も同じところを訪ねていると、もちろん、
もういなくなる人もある。
家を建て直すこともあるが、
ひとつの職業病なのか、
もういなくなった人も、建て直す前の家の中も、
リアルに思い出せる。
インタホーンを押す、中から返事の声がする、
おじゃましますと、家にあがらせてもらう。
そのイメージが、どれもが「はっきり」とそして「ふわっ」としている。
扉から扉のように。
まるでトランプや花札の絵柄のように。
あるとき同じように訪ねると、いつものご主人はいなく、
急に他界していることもある。
それ以降、また訪ねても、もちろんご主人にお会いすることはないのだが、
僕の記憶の中では、いつまでたっても、その家に住んで、
インタホンを押せば、返事が聞こえてくるようだ。
はっきりと、ふわっとして。
まるでそこに住んでいる空気のように。
家だってそうだ、角を曲がれば、
いつだって建て直す前の家が見えてくる。
実際は、もう今はなく、マンションが建っているとしても。
普通に街を歩いていても、そんなふうに記憶には残らないのに、
こんなに克明に憶えているのは、仕事だからであろう。
もう、そこにいない人も、僕の中ではふわっと生きている。
インタホーンを押せば、いつでも返事が聞こえる。
もうなくなって、10年以上たっていても、まったく色あせなく思い出せる。
DVDに録画したように。
建て直す前の家の部屋の、どこに何があったかも、憶えている。
もしかしたら実際に住んでいた人よりも、思い出せるかもしれない。
色あせない記憶、職業病か、、。
・・・・・ぼくらは、ながいときのなかにすんでいるようで、
じつは、ふわっというひとつのじかんのなかにいるのかもしれない・・・・
火にかけた鍋の上にわく湯気のような。
僕は素晴らしいギターを、三本持っている。
ギルドF47、ヤマハFG180、ギブソンB25、、。
どれも素晴らしいのだが、この三ヶ月間は、
ずっとギターケースの中にある。
なんと、もったいない。
ギターケースから出して、ポロンと弾いてみれば、
信じられないほどの良い音が今も出てくるのは想像できる。
すっかり忘れられて、ギターケースにしまわれていても。
良い音は続いている。
ギターは、ギターケースの中で何を考えているのであろうか。
インターネットのように、世界中をかってに観ているのであろうか、
しぱらくぶりで弾いても、ギターはある程度の良い音を鳴らしてくれるけれど、
ほんとは泣いているのかもしれないね。
こんなに弦も古いですよと。
しまわれたギターの生活はどんなものであろうか、、
ギターもブログなど書いてくれると、良いのだが、、。
先日入った喫茶店で、
ボブ・ディランの「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビーブルー」と「ミスタータンブリンマン」、他を聞いた。
そこは近所のおしゃれそうな喫茶店だったので、ディランがかかっていて、とても驚いた。
「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビーブルー」と「ミスタータンブリンマン」も完全な弾き語りではなく、
エレキギターの軽く入っているのだが、それでも、とても新鮮に聞こえた。
そのあとに流れた一連の'60年代ロックのディランの楽曲よりも。
弾き語りは、シンプルなぶんだけ、古くもならないのかな。
それにしても、「ミスタータンブリンマン」のボーカルにはパワーがあったなぁ。
弾き語りのぶんだけ余計に、そう思えた。
声の中に、バンドサウンドが感じられた。
弾き語りも、捨てたものじゃないね。
なぜ、僕の弾き語りは、フォークのようになってしまうんだろう。
おしゃれな喫茶店に似合わないんだろう。
鶯谷の駅前を、何十年振りかで歩いた。
もしかしたら反対出口は、にぎわっているのかもしれないが、
僕の歩いた出口は、なんだかさびれていた。
そして駅前に、立ち喰いそば屋さんがあった。
うんうん。
少し歩いてみたが、僕が東京に着いた1980年頃の街であった。
僕がなんと言ってもうれしかったのは、ちゃんと駅前に立ち喰いそば屋があったことだ。
そこは'80年代への扉のようだ。
'80年代の街全体があって、その象徴のような立ち喰いそば屋さんがあるような気がする。
駅もレトロ感があった。うーん、ここはどうなっているんだ。
まるきり'80年代が残っているようだ。
近々、そっと鶯谷に降りてみようと思う。
まずは、立ち喰いそば屋さんに寄って、、。
それからひと回りしてみようと思う。
あれからのことを想い、あのときになって、
ショーウインドーに映る若い僕、
再会。
「服」'13.5/19
部屋にはもうすきまがないので、
いろいろと処分をまた始めている。
普段着ている服はそんなに多くはないのに、
服が多い。一年前に、そうとう処分したのに、
まだ多い。
今回、また処分をしようと決めたら、
大きな袋で一杯分出てきた。
もう捨てられないと思った服も。
これはどうゆうことだ。
想い出多い服もあるのだが、、もう着ることはできない。
そんな服も多かった。
そんなふうに読まない本も多いと思う。
とにかく部屋に隙間を与えないと、自分の生活が出来ないのだ。
自分の生活をするためには、何でもするよ。
部屋には僕のものがある。
でも僕が部屋に入れないのでは、意味がない。
昨日、手帖を二冊買った。
大きな100円ショップで。
ちょうどいいサイズで、合成皮革のカバーがついて、
広がらないように、パチッとしめられるボタン付きだ。
とても100円とは思えない。
僕は茶色と黒色、ふたつ買った。
黒色のひとつは、いろいろ計画を書く手帖。
茶色のもうひとつは、創作のための手帖。
二冊買ってみると、なんだか未来が見えてくるようであった。
この二冊の手帖から、スタートできそうな予感がたっぷりあった。
僕は自転車の前カゴにその二冊の手帖を入れて走った。
神様のくれた二冊の手帖。
なんていい響きの言葉なんだろう。
もしも、もしも本当にそうだったら、、。
どうしましょう。
「修復作業」'13.5/13
最近、テレビで、問題のある古い家を新しく改築するという番組を観た。
任せられた設計者は「匠」(たくみ)と、番組の中で呼ばれていた。
「匠」って、いい言葉ですよね。英語ならば「プロフェッショナル」か、、。
番組の中で「匠」は、ときとして、想像もつかないような場所に出向く。
そこからアイデアをもらってきたりするのだ。
さすが「匠」です、、。と、番組で感心されていた。
僕も歌を作っているが、同じような番組があるならば、
歌作りの「匠」として、登場したいな。とか、思った、、。
・・・・・・・・・
僕は今、ほぼ四ヶ月ほど、創作とギターから離れてしまっている。
引越しにパワーを奪われてしまったのだ。
やっと、部屋もほぼ片付き、ちょっとずつ創作を復活させているところ。
ノートを出して、歌詞を書いてみるけれど、なんだかすっとんきょうだ。
ギターを出してちらっとメロディーを出してみるが、
やっぱり、すっとんきょうなメロディーが出てくる。
これはしかたがない。
よくプロ野球選手が、徐々に体を作ってゆき、オープン戦に間に合わせるという話をきくが、
僕もまた、徐々に復活してゆこうと思う。崩れてしまった創作力の修復作業。
とりあえず今は、好きな音楽を聞くところから始めている。
だいじょうぶ。どうやったら、自分が復活するかは自分でわかっている。
「匠」だものね。まずは自分の修復から、、。そして、それから。
「同じ時間で詩集を読むならば」'13.5/11
絵の展覧会に、以前はよく出かけた。
大きな展覧会であるときは、全部観るのにも時間がかかる。
混雑を避けるためにも、たいがいは順路が決められていて、
その先が出口となっている。
もちろん一枚一枚解説を読みながら、丁寧に絵を見てゆくこともできるが、
僕はいつも、最初にさっとひととおり全部見てから、また最初から絵を見ていった。
すると、初めて観る絵でも、印象に残るものがあり、その絵をじっくりと観ていった。
・・・・・・
今、通勤時間に毎日、詩集を読んでいる。
ひとつひとつの詩をじっくりと読んでゆくこともできるが、
最初はやっぱりすっと流し読みをして、印象に残った作品を、
じっくりと読んでいる。
レコードのアルバムと一緒で、本当、最初の詩からじっくり読んでゆくのは良いとわかっている。
作った作者の気持ちとしても、そうして欲しいというのもわかる。
でも、最初の作品からじっくり読んでゆくと、その世界にはまってしまい。
どれも良い作品に思えてしまう。内容で理解するからだ。
同じ時間をかけて、詩集を読むなら、ちがう10編の作品を読むこともできれば、
気に入ったひとつの作品を10回読むことも出来る。
そうやって読んだ詩は、ずっと記憶に残る。
そして自分の作品にも、アイデアとして出てくることもある。
気に入った作品を、より多くの回数、読んだ方がいい、
個人的にそう思っている。
「朔太郎の文」'13.5/8
僕は、自分のこのエッセイのページがとても気に入っている。
ほんと自由に書いているからだ。
評価など気にすることなく、自分の思うままに。
昨日からまた、我が家にある詩や俳句の本などを読み始めている。
一冊目に選んだのは、萩原朔太郎の「郷愁の詩人、与謝蕪村」。
蕪村の俳句を、朔太郎なりに解説している本なのだが、
朔太郎の書く文というのが、実に感覚的で、なかなかに良い。
詩とはまたちがう。ほぼエッセイに近い。
微妙なことを表現し、伝えようとしている。
さすがに、詩人ならではの文章。
ふと、思い出してみると、こんなふうな解説は、
インターネットでは、なかなかに出逢えない。
読みにくいといえば、読みにくい。
しかし、伝えているものがちがうような気がする。
普通の文章では、無理がある。
朔太郎の文のはとてもわかりやすい。
ひじょうに感覚的ではあるけれど。
僕もこんな文章を書いていきたい。
どこかに行くにも、今はインターネットなどで場所を調べることが多い。
遠出をするときは、電車を乗り継いで、その場所へも行く。
昔の人はみんな歩いたであろう。
インターネットなどないので、道々、人に尋ねていったであろう。
どこかほんとに遠い所にも、そうやって出かけたであろう。
道々は、地図の中の道ではなく、今よりももっと人格のようなものがあったのではないか。
道々についている名前のように。
道を教える人々も、道の名前を教えたであろう。
今も道には名前が残っている。
数学的な名前でないところがいい。
誰がつけたのかは知らないが、道に名前がないと困ったのであろう。
そしてそれは道の名前。
どこからがどこで、どこからがどこと言うことではない。
僕自身が、どこからと言えないように。
昔の人は、もっとしっかりと道を歩いていたような気がする。
道の名前の背中を歩くように。
「110箱、記念日」'13.5/4
なにもかもこれからである。
引越しをして、二ヶ月以上たった。
段ボールに荷物が110箱ほどあり、
それが僕の六畳の部屋をうめていた。
段ボールだけではない、本棚や机やら、、。
片付けはまず、部屋に入れない状態から始まった。
何をするにも、段ボールを一度、台所に20箱くらい出して作業をした。
積まれた段ボールの上を、おそるおそるはって歩いたりもした。
本棚を並べるところから始まったが、それも大変だった。
積まれた段ボールの向こうにギターがあった。
泣きたい、、。
休みの日に、少しずつ段ボールを開けていった。
10箱、20箱、30箱、40箱、、道は遠い、、ほんとに遠い。
なんと言っても本が多くて、自分でも驚く。
とりあえず、本棚に本を埋めてゆく作業の日々が続いた。
そして段ボールが、残り15箱くらいになったとき、ほぼ本棚がうまってしまった。
順調に片付けが進んでいたのに、、ここに来て、、ストップ。。
あとは本棚を整理していって、ひとつふたつと棚を開けるしかない。
ひと月以上、地味な作業が続いた。
ひと箱、ふた箱と、段ボールが開けられ、
数日前にやっと、段ボール箱の向こうあったギターケースが見えてきた。
やっと、やっと見えてきたんです。なんとも嬉しかったこと。
そして本日、段ボールをすべて開いた。
110箱、記念日。
テレビのニュース番組で、
言ってくれないかなぁ。
「本日、杉並区にお住まいの、、」
喫茶店にランチを食べに行ったら、
1969〜70年代最初の洋楽ヒット曲が流れていた。
1曲目は、ドーンの「幸せの黄色いリボン」
ドーンと言えば、前のシングル「ノックは三回」も、名作だった。
1969〜72年にかけて、洋楽シングルをなぜか、兄の影響で集めることになった。
その頃は、洋楽シングルが一番輝いていた時期かもしれない。
ヒットする歌は、それなりにやっぱり良い。一度聞いたら忘れられない。
ドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」 とかね。
以前のことだが、部屋に遊びに来た友達に、
1969〜71年の洋楽ヒット曲を聞いてもらったことがあった。
その友達は、僕よりも10歳ほど若く、ブリティシュロックが好きであった。
「どう、この歌? ヒットしたんだよー」
「えーっ、ほんとうすか!! おれ、こういう歌、だめっすよ」
友達もまたミュージシャンである。
僕は思う。その曲が自分の好みとは、合わないとしても、
大ヒットした歌には、やっぱりそれなりに人をとらえるものがあると、、。
リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」、これを聞いてもだめだろうか。
現代でも大ヒットすること、まちがいなしと僕は思うが、
そういうふうには聞こえないのだろうか。
「なんだかノリがいいね、、」
そんな言葉ひとつ出てこないものなのかな。
大ヒットする歌には、何かあると思うのだが、、
なうなうというけれど、
今は昔とつながっていて、それも忘れてなんねーべ。
・・・・・・・・・・
古い時間の人たちが言う。
「あの人、ここ最近ずいぶんと来てないわね」
「前は、よく来ていたのにね。どうしたらかしら、、?」
おお、あの人は今、ここで身動きがとれなくなっています。
古い時間の本たちは部屋の荷物にうまっている。
僕にも行きたいところがある。見たいものがある。
会いたい人がいる。
出かけたいんだ。古い時間に。
僕はそれを大切にしている。
今でいっぱいになってはなんねーべ。
そして、部屋が荷物でいっぱいになってもなんねーべ。
行きたいところがあるんだ。
私の部屋工場は、しばらく活動停止している。
まったく機械の回っていない日々が続いている。
何も作り出していない、電源も油も使っていない。
入口の窓のところには、「しばらくお休みします」の貼紙が、、。
ここ主人はどこに行ったの?
毎日のように機械の回る音が響いていた日々が懐かしい。
機械が止まってからもう二ヶ月がたった。。
誰もいないのかと思えば、少しずつ移動している。
だが、機械の電源はついてはいない。
ドアのポストには郵便がたまっている。
入口のガラス窓から除いてもみれば、
機械は作業途中で止まったままのようだ。
部屋工場は、世界と連絡がとれていない。
ここの主人はどこにいったの?
ここの主人はここにいます。
「財布」'13.4/25
財布が壊れて、もう半年以上になる。
チャックのところが調子悪いのだが、なんとか使っている。
それで街歩きをするたびに、財布探しをしているが、
どうも気に入ったものがない。
あれだけ財布があるのに、、。
僕が見ているのはワゴンの財布コーナーで、千円から二千円のもの。
どうもその中には、気に入ったものがない。
なんだか嫌がらせされているのではないかと思ってしまう。
四千円くらい出せば、理想敵な財布がある。
千円クラスではない。ないと言うか、小銭入れがみな小さい。
千円クラスの財布を持つ人は、小銭入れも小さくていいという理論か??
財布を一日でも早く換えたいのに、いまだに見つけることが出来ていない。
もう半年ですよ。
日本の財布業界はどうなっているのかと思う。
女性用の財布は安くても、なかなか良いものがありますね。
しかし男財布は、小銭入れが、とにかく小さい。
僕の経験で言えば、男こそ小銭がたまるものだと思うけど、、。
名刺だってたまるよ。
日本の財布業界に詳しい人はいないか、、。
とにもかくにも、僕は壊れた財布を半年使っている。
いつまで財布探しの旅は続くのかな。
昨夜から今朝にかけて、
俺が叫んでいるのを聞いた。
た す け て く れ −
それは段ボールにうまっている部屋のどこからなのか、
居場所のない、俺の心の中からなのか、
それはわからないが、
その声が聞こえたのだから、
助けにいかなきゃね。
何を置いても。
その叫んだ俺はどこにいるのだろう。
引越し荷物にうまったプラケースの中からか、
しまわれていて出せないギターのサウンドホールの中からか、
どうやら、あの声のようすだと、何かに押しつぶされているようす。
引越しの本の下になっていのか、
積まれた第ボールの下になっているのか、
さあ、いそがしいぞ。
俺を助けにいかねばならない。
「俺が叫んでいるのを聞いた」'13.4/22
昨夜から今朝にかけて、
俺が叫んでいるのを聞いた。
た す け て く れ −
それは段ボールにうまっている部屋のどこからなのか、
居場所のない、俺の心の中からなのか、
それはわからないが、
その声が聞こえたのだから、
助けにいかなきゃね。
何を置いても。
その叫んだ俺はどこにいるのだろう。
引越し荷物にうまったプラケースの中からか、
しまわれていて出せないギターのサウンドホールの中からか、
どうやら、あの声のようすだと、何かに押しつぶされているようす。
引越しの本の下になっていのか、
積まれた第ボールの下になっているのか、
さあ、いそがしいぞ。
俺を助けにいかねばならない。
「近くの大きな空地で」'13.4/20
住んでいるアパートのすぐそぱに、
大きな空地があり、ここ最近、菜の花がかなり咲いている。
ちょっと前までは、なかったのに。
あの大きな空地に、季節季節で、いろんな花が咲くだろうか。
それを楽しみにしている。
あの菜の花は、どうなるのかな。
夏は何が咲くのかな。
驚くのは、すごいスピードで広がることだ。
もうすぐきっと、菜の花で空地がいっぱいになるだろう。
いたるところで藤の花が咲いているのを見る。
藤の花って、とても日本的な花だと思う。
どこかで「藤」「菊」「桜」は、古くから日本にあった花だと聞いた。
いかにもそんなふうに思えるのはなぜだろう。
ふと気付いてみれば、僕らの名前の中にあるものばかりだ。
僕らの気前は古い。
とくに「藤」のつく名前は多い。
「藤原」「藤木」「佐藤」「江藤」・・・。
菊だって、桜だって、松だって多い。
それらは日本古来の花や樹木だってのではないか。
榎さん、杉田さん・・・。
名前の中に、懐かしさがありますね。
「僕が考えたという半畳の部屋」'13.4/13
中学1年から、2年になるときにかけてかな、
僕は自分の部屋を持とうと部屋作りを始めた。
半畳の部屋。
足の伸ばせるくらいの隙間がある棚に小さな机をつけて、
いろんなものを左右に置いて自分の部屋を作った。
いろんなものって、いうのは、
本、カセットレコーダー、そしてラジオ。
ならぶカセットテープに、勉強道具に鞄。
学校の授業中に、何度もその半畳の部屋についての
設計図を書き直した。
その半畳の部屋の素晴らしいところは、
すべてのものに手が届くということだ。
そして実現に向けて動き出した計画。
まだ、スペースに入るカセットレコーダーは買っていなかった。
やがてはそのスペースにぴったりのカセットテープレコーダーをそろえたのだ。
思い出すなぁ。僕の考えた半畳の部屋。
・・・・・・・・・
それから40年。
僕は今、六畳の部屋に自分の荷物をつめている。
CDや本を並べて。
考えてみれば、あの最初の半畳の部屋が、
きっと大きくなっただけだ。
あのとき、カセットレコーダーの横に並んでいた、
10本もなかったカセットテープ。
自分で買った本だって、一列に並ぶくらいだったんだ。
今はすっかり増えてしまった、音源や本。
考えてみれば、またひと部屋にすべてをしまうっていうのは、
あの半畳の頃とも変わっていない。
そう思うことにした。
あのときの部屋作りの嬉しさを、思い出そうと思う。
「得るものが多い音源」'13.4/13
先日のスティーヴのライブ音源を繰り返し聞いている。
スタジオ録音のアルバムや、一時間ほどのライブDVDも持っているのだが、
やっぱり生のライブはちがう。その場その時で、対応してゆくからだ。
今回の弾き語りライブでは、曲順に関しても得ることが多かった。
スティーヴは、ところどころで静かで小さい歌をはさんだ。
続けて、馴染みの歌をやったりしていた。
歌への入り方も、自由自在で、前奏なしのときもあれば、
ギターでポロポロと弾きながら、自然と歌に入ってゆくときもあった。
お客さんとの掛け合いも勉強になった。
スティーヴは「今夜は何曜日?」とみんなに尋ねた。
「フライデー」と、みんなは答えた。
その「フライデー」が、のちのトークで大きな役目をはたしていた。
何気なく答えた言葉が、ラストになって意味を持ってくると、
ライブが満ちてくるような感覚になるともわかった。
歌い方に関しても、実際に観ると、得ることが多かった。
どんなふうにひとつの言葉を印象的に伝えるかを。
ギターはほんとうにうまかった。リズム感が見事であった。
微妙なところが、さすがだった。
今回のライブでは、知らない歌も多かったが、
あとで音源を聞いてみると、なかなかに良いうたばかりであった。
どの歌も、ひとつのライブの中で、似合う場所に置かれていた。
一時間半のライブであったが、曲順に関しては完璧であった。
途中で何度か、歌い出しをやり直しているが、
どの場合も、笑いに変えていた。
一曲の終わり方にも、いろんな工夫があった。
僕も弾き語りで歌っているので、今回のスティーヴのライブには、
多くのアイデアがあった。そのどれもが長い経験から生まれたものであろう。
ああ、英語がもっとわかったらなぁ。もっと楽しめたのに。
ありがとう、スティーヴ、とても得るものが多かった。
「昔の人は歩いた」'13.4/10
パリに三ヶ月いた頃、毎日よく歩いた。
すみからすみというわけにはいかないが、
行きたい場所には、歩いていけた。
今の東京であったら、そうはいかないであろう。
今、仕事で浅草の近くを通っているが、江戸の頃、
浅草寺、吉原などには、みんな歩いていったのであろう。
劇画「鬼平犯科帖」を読んでいても、よく歩いていたことがわかる。
20分40分などは、近所という感じではないだろうか。
時代劇の中の人たちも、みんな早足で通りを歩いている。
思うに、早足で3時間くらいは常識でよく歩いていたのではないか。
途中でひと休みしながら。
さて、早足で3時間といったら、どれくらい歩けるであろうか。
今の人たちは、 一時間、4キロくらいだと思うが、
早足で歩くと、5キロは歩けたであろう。で、3時間なら15キロだ。
15キロで、江戸の街をどけだけ歩けたのかな。
古い地図で見ると、新宿から亀戸くらいで、ほとんど地区は行けたようだ。
現代の地図で見ると、新宿から亀戸まで直線で約15キロメートルだ。
昔の人は、やっぱり歩いて出かけたのだろうね。
休みながら、3時間くらい歩いて。
今、東京は大きくなりすぎたのかもしれない。
歩いて帰れる都市に住めるのが理想。
「唄の形とゴジラの話」'13.4/7
先日観た外国のシンガーさんのライブで、
僕は唄の形というものを観た気がした。
いままで40年ほど、唄にかかわっていろいろ聞いてきたけれど、
はっきりと唄を観た気がした。
・・・たとえば、こんな話にたとえてみよう。
ゴジラの映画は、いろいろ作られてきて、
みんなそれなりに知っているような気がしているけれど、
本当にゴジラが近付いてきたら、
たぶん、、想像ではあるけれど、たぶん、、
ひと足ごとに、地面がどしんどしんと揺れるのではないか。
まるで地震が地鳴りのように。
・・・・なんだ、これは、、何が起こっているんだ!!!
しかし映画館やテレビを観ていても、そんなふうに地面が揺れはしない、
音は表現されるが。。
たぶん、本物のゴジラを体験している人たちは(実際にはいないが・・)、
ゴジラの恐怖を、足音の地鳴りで感じているにちがいない。
その足音の地鳴りで、ゴジラの姿もリアルに見えてくるだろう。
・・・・・・・・・
先日、ライブで僕が観た「唄」の形もそれと似ていた。
ゴジラのリアルな足音のような、、。
雑誌やラジオやアルバムや、インタビューや、
ヒット曲チャートや、伝説などというものは、
結局、ゴジラに関して作られた映像や本の写真のようなものではないか。
本物のゴジラとは足音ではないか。
キングギドラとは、まぶしさと風圧だったのではないか。
ライブで聞く歌には、何か伝えるべき、唄の形がある。
その唄が生きていて、ここに来たのだと思える形が。
ひとつの唄にはそれぞれ、何か響きというものがある。
ゴジラだったら足音のような、
先日、地下鉄に乗ろうとして、
回数券の切符を手に改札に向かったが、
突風で切符が飛ばされてしまった。
振り返って探すと、7、8メートル後ろの
階段の右下、80センチくらいのところに落ちていた。
小さな切符なので見つけただけでもラッキーであった。
それでまた改札に向かったのだが、
こともあろうに、また突風が吹いて、
切符が飛ばされてしまった。
あーっ!!
すでにホームに電車の来る音もしていて、
切符が今度は見つかるであろうか。
振り返り、目を凝らして探してゆくと、
なんと切符は、7、8メートル奥の階段の下、
右から80センチくらいのところにまた落ちていた。
あった!!
まるで奇跡体験であった。
奇跡は起こると実感した。