青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'13.4月〜'13.7月

「漂白の思い13.7/31

 今、毎日のようにヨーグルトを食べたり、甘いものを食べたりしている。

 ほんわかのんのんと暮らしていると言えば、そうかもしれない。

 高校のとき、松尾芭蕉の「おくの細道」を習った。

 「月日は百代の過客にて、行かふ年も又旅人也。」

 芭蕉が教えてくれた「漂白のおもい」は、高校生の僕にかなり影響を与えた。

 なんとなくではあったが、自分はその昔、インドの修行僧だったのではないかと思えていた。

 創作の道を目指していたので、いつの日か、歩いて日本中を回るのではないかと感じていた。

 まるで修行僧のように、、。

 そんなこともあり、東京に出てきてから、歩いて東京一周したり、

 実家のある新潟・柏崎まで歩いたりもした。一年の海外旅行にも出かけた。

 創作の道は、漂白のおもいの中にあるんだと、、。

 ・・・・・・・

 もう、私はいい年のおじさんになってしまった。

 (本人はまったくそうは思っていないのだが・・)

 思い描いていた未来で、僕は漂白の旅をしているであろうか。

 そんな時代ではなくとも、僕はそういう人であった。

 遠くなった芭蕉、、。

 しかし、よく考えてみれば、創作に関しては、厳しくほそい道がこの先続いている。

 生半可な気持ちでいては、生半可な作品しか作れないであろう。

 自然に任せて、、と、言う創作家も多い。それも一理ある。

 だが、創作の道は、漂白のおもいであると思う。

 実際に歩かなくとも、、。

 若い頃に思い描いていた、漂白の旅は、ちゃんと待っていた。

 日々、ここを旅の住処とす。



「何か戦いのような響き13.7/29

 ギャラリーにて、友人の展覧会を見に出かけた。

 ギャラリーには、いろんな作者の作品が置かれてあったが、

 どれも幸せ感が満ちていた。

 同じように、音楽も流れていたが、作品を見るのに、とても落ち着く音楽であった。

 ふと、自分の音楽のことを思ってみたら、

 そのどの作品にも、どこか「戦い」の響きがあるように思えた。

 それは作品のどこかはしっこで、かすかに燃えている火のような感じ。

 その戦いのかすかな響きが、僕の作品にどこかせわしない感じを与えているのか。

 でも、歌を作る原動力になっているのは、その「戦いの響き」なのではないかと思える。

 たぶん、その作品から「戦いの響き」をとってしまったら、へなへなへとしおれてしまうのだろう。

 ・・・・・・・

 考えてみれば、ずっと自分に創作のプレッシャーをかけてきたように思うのだ。

 そしてどの作品でも、何かと戦っているような気がする。

 それは性分なのかもしれないな。

 老人になって、やっと戦いの響きのない作品がかけるのか、

 それは、最後のアルバムでもいいかなと思う。

「都会の暮らし、田舎の暮らし13.7/27

 昨日は、よく駅まで歩いた。

 地下鉄の駅まで10分を4回。JRの駅まで20分を3回。

 ほかにも、駅までちょこちょこと何回か歩いた。

 二時間半くらいは確実に、駅まで歩いた。

 都心に住んでいれば、このくらいはよく歩くであろう。

 健康にも良い。老人にとってはきついのかもしれないが、、。

 しかし、これが田舎となると、自動車の移動が多くなり、

 なかなか歩かなくなるのかもしれない。

 (自転車には乗るかもしれないが、、)

 ちょっと考えると逆のような気もするのだけれど、

 田舎に住んでいる人たちは、健康的な生活を送っているのであろうか。

 一日2時間以上歩くのと歩かないのでは、健康への影響もぢかうであろう。

 歩くことって人間の基本だしね。

 さて、田舎の暮らし。

 車生活をしていると、なかなか歩かなくなるともきいた。

 それでいいのか?? 歩くのは人間の基本だろうに。。

 足の裏のツボとかにも良いのではないか。

 わかっていても、なかなか歩くチャンスがなくなっているのかな。

 しかし、そこはひとつ乗り越えて、歩こう歩こう運動。

 都心にいると、こんなにも歩く。

 田舎に住む友は、あれこれ体調不良について報告するけれど、

 歩いたりしているのかなと思うわけです。

 ジョギングとかではなくてもいい。

 ただ歩くだけでいい。人間の基本だと思うわけです。



「構想を練っている13.7/22

  今、新しいテーマエッセイシリーズの構想を練っている。

 テーマは「新曲創作」。

 今回は、全60話になる予定。

 いままでに書いてきたテーマエッセイシリーズも、いろいろと考えて、

 書いてきたつもりだが、今回はさらに熟考しなくちゃと思っている。

 なにしろ、お勉強みたいなテーマなので、、。

 「イメージ編」「実践編」「上級編」の三つに分けようと思っている。

 なんたが、読むだけで、新曲が出来そうな気持ちになれるような。

 そんなお勉強エッセイ。

 できれば、そのままテレビ放送番組として作れるような。

 実は本気、大本気なんです。

 その60話のエッセイが、ちゃんと書けるかどうかが、

 このエッセイのテーマにもなっている。

 (なんのこっちゃ!?)

  とにかく今は、構想中。

 乞うご期待。



「ひとつずつ戻る13.7/20

 引越しをしたとき、どうゆうわけか、

 いろんなものが壊れた。

 電化製品も、身の回りのものも、

 一番きつかったのは、歯が二本もだめになったことだ。

 ひとつはかぶせてあったものがとれ、ひとつは奥歯がかけてしまった。

 予想するに、引越し荷物を運んだりするときに、歯をくいしばったのかな。

 メガネのレンズもひびがはいった。

 パソコンも壊れた。ビデオデッキも調子悪くなった。

 CDレコーダーも調子悪くなった。

 引越しというのは、いろんなことが動くときなので、そういうこともあるなと思った。

 それから五ヶ月。昨日、メガネのレンズ交換の手続きをした。

 歯医者にも通っていて、もうすぐ終わる予定だ。

 パソコンも、レコーダーも、デッキもなんとか復活してきた。

 荷物で、どうなるかと思ってきた部屋も整理されてきた。

 ひとつずつ、戻ってきたのだ。

 今回、メガネが戻れば、一応ひととおり戻る。

 遠いなと思えた復活への道も、なんとかなりそうだ。

 部屋ギター問題だけは解決していないのだが・・。

 人には、なんとか復活する力があるんだな。

 こんな僕にも。



「引越してからの五ヶ月、遠い時間13.7/17

  ふと気が付けは、引越しをして、もう五ヶ月である。

 これを長いと呼ぶか、最近と呼ぶか、、。

 僕には時間の長い時間の中にいるような気がする。

 五ヶ月といえば、五ヶ月かもしれないが、

 以前住んでいた高円寺のアパートが、霧の中のように遠くなってしまってきたのだ。

 まるで幻であったかのように。。

 だから、五ヶ月前が、とてもとても遠く感じられる。

 新しい仕事を始めて五ヶ月がたった人のように。

 最初の二ヶ月半は、毎日が片付けの日々で、

 先の見えない日々であった。

 思えば、あの時間は大きな重い渦のようであった。

 やっと片付いて、落ちついたら、

 以前の部屋が霧のように遠くなった。

 遠くなったんです。


「駅ホーム回想13.7/14

 今日、JRのホームに立っていたら、

 とっても広くて、なんだか自由で広々とした気持ちになった。

 もともといつもこのJRの駅のホームを使っていたわけだけれど、

 そのときはそれが普通だと思っていた。

 ここ最近はずっと地下鉄の駅を使うことが多く、

 あの狭い車両や駅のホームにも慣れてきた。

 最初はかなり狭く感じていたのに、、。

 そして今日、JRの駅のホームに立ってみたら、

 開放感に満ちていることがわかった。

  まるで、朝の地下鉄に乗るときは、心の中で待っているようだ。

 人と人の位置も近く、本を出して読んだりして、、。

 あぶないあぶない。

 それに慣れてしまうところであった。

 地下鉄は心の中を走ってゆくようだ。

 注意、注意、要注意。

 朝の地下鉄の駅のホーム、

 みんなが心の中に立っているようだ。



「隣の人13.7/11

  朝の乗り換えのとき、いつも同じ車両で、

 同じ人に会う。

 ほぼ毎日、その男性と一緒になっている。

 その人は、40歳ほどでメガネをかけている。

 たぶん仕事にゆくのであろうが、鞄などは持っていない。

 僕も少し前までは、鞄を持たずに仕事によく通っていた。

 たぶん、僕と似ている生活なのではないかな。

 同じ車両にいつも乗るわけでけれど、

 昨日はたまたま、席がすぐそばになった。

 隣の人。

 その人はどこに住んでいて、何をしているかもわからないが、

 なんだかアパートの隣の部屋の人のような気がしてくるのだ。

 こういう隣人が居てもよいだろう。

 だいたい隣の部屋に住んでいる人と言っても、

 ほとんどの場合、職業もわからないものだ。

 歩き出かける僕らは、それぞれが歩く家のようなもの。

 ほぼ毎日のように、同じ車両で見かける人、

 それは隣の人と呼んでもいいだろう。


「扉13.7/8

  新しい部屋に引越しをして、もう五ヶ月がたった。

 なんだか、一年くらい住んでいるような気もするのだが、、。

 どこからか帰ってきて、奥まったところにあるこの部屋の玄関が見えるとき、

 いまだに、最初にここを見に来たときのことを思い出す。

 まったく、そのときの気持ちのままで。

 不動産屋の人と一緒にここに来たとき、

 自分がそのドアから荷物を持ったりして、出かけたりする姿が見えるようだった。

 実際に今、そうなっているわけだけれど、、。

 あの、最初にここを見たときの気持ちは忘れられないなぁ。

 思い返せば、その風景から、今が始まっているわけなのだ。

 言い換えれば、そのときが、今への玄関だったわけだ。

 玄関というより、扉なのかな。

 あのシーンの扉の向こう。それはここ。

 僕は不思議でたまらない。

 ここの扉を見たときのこと。扉を開けたときのこと。

 あと一年もしたら、日常になってしまうだろうか。。



「15分前の世界13.7/6

 たまたまであるが、朝、乗っている電車の一本前の電車に乗った。

 たったそれだけの話ではあるが、乗り換えも含めて、そこで会う人たちが、

 みんなちがうことに驚いた。

 たった15分前の話なのに、こうまでちがっていいのだろうか。

 世界の何もかもがちがったような印象だ。

 この15分後、次の電車では、また別の世界がある。

 僕はそこにずっといたのだ。

 来る日も来る日も。

 部屋を出るのが遅くなり、その一本あとにま乗ることはよくあった。

 しかし一本早くは乗らなかったのだ。

 僕は知った。15分前の世界は、何もかもちがっているのかもしれないと。

 そこには会ったことのない人たちであふれている。


「ギターの中にいろんな人の顔があらわれ・・13.7/4

  ・・・地面の底に顔があらわれ、、

 これは萩原朔太郎の詩の有名な一節です・・・

 最近の生ギター紹介動画を観ていると、値段が高くても、弦の音を感じてしまう。

 いい音ですねって、その生ギターの音を言っているギターの好きな人もいるが、

 何をさしてそう言っているのか、おじさんにはさっぱりわからない部分である。

 僕には、4弦も5弦も6弦も、同じ響きに聞こえる。

 それでいいのか、、?

 たしかに和音で弾けば、じゃらーんと鳴って、統一性はとれている。

 生ギターを、バンドの中のひとつの響きとしてとらえるなら、それもいいかもしれない。

 でも、おじさんは考えが古くて、生ギターの6本の弦に、

 六人の別の人を感じていたいと思うのだ。

 たったひとりでなくて。

 ギターの中にいろんな人の顔があらわれ・・・

 1弦は、小太郎。  2弦は、二郎。3弦は、佐助。4弦は、作左衛門。5弦は、雅五郎。6弦は、どん乃助。

 もちろん兄弟ではない。生まれ故郷もちがう。年齢もばらばらだ。

 ギターの中に六人の響きを出したいのだ。


「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ・LIVE13.7/2

 ここ最近、何回もこのLIVEのビデオをよく観ている。

 これは、音楽アルバムにもなっていて、1978年、高校三年のとき、

 ほんとこの1977年のライブアルバムをよく聞いた。

 当時は、何もわからず、ただノリで聞いていたけれど、

 実際、あれから35年以上たってみると、ほんと恐ろしいほどの名作である。

 やっぱり映像の方が、衝撃度が大きい。

 当時、音楽にたずさわっていて、自分でも作っていたミュージシャンは、

 これをどう受け止めたであろうか。

 ひとつのブームとして、受け止めたであろうか。

 僕自身、高校時代にあれだけ聞いて、十分に音はわかっているのに、

 映像で改めて観ると、無駄な音がまるでなく、ひとつの生き物のように感じられる。

 どのテイクも新鮮だ。 そして、魂で満ちているようだ。

 音楽ではあるけれど、声そのものになっいるようにも思える。

 「ノー・ウォーマン・ノー・クライ」から続く、ラスト三曲の流れが実に素晴らしい。

 最後に一緒に声を出すシーンがあるが、そのときにはもうみんなが、

 同じレゲエ人になっているかのようである。

 なんとも熱いライブである。やけどをするくらいに熱い。

 35年たっても、まだ冷めていない。


「空地の向こう13.6/30

  ここ新居のアパートの斜め前に、大きな空地がある。

 ちょっと信じられないくらいに大きな空地。

 いつもコンビニエンスストアーに行くとき、その空地を見ながら通ってゆく。

 約5分。しかし、それがとても近く感じられる。

 アパートから同じ5分で、循環バスのバス停までもゆくのだが、

 それは空地の横は通ってはいかない。

 どちらも同じ5分ではあるのだけれど、空地の横を通った方が確実に近くに感じられる。

 それは、、帰り、

 大きな空地まで来ると、もうアパートが見えてきて、

 なんだかアパートに着いたような気がしてくるのだ。

 以前のアパートでも、最後の路地を曲がったら、もう着いたような気がしていた。

 やっぱり見えるって大事なんですね。

 それがどんなに遠くても、着いたような気がするのかもしれない。


「寄り道・回り道・出来る道13.6/28

 もう何年も前のことだが、一年半ほど、まったくちがうジャンルの音楽を聞いていた。

 自分でもわからないが、とにかくはまってしまった。

 それが自分にどんなプラスになっているかは、今もわからない。

 その少しまえまで、聞きたいアルバムもなく、音楽と少し離れてしまっていた。

 歌作りも、うまくできないでいた。

 そんなとき、ふとしたきっかけで他のジャンルの音楽にのめりこんだ。

 あれから、もう5年くらいたっているかな。

 結局また今は、創作にがんばれる日々に戻ってきている。

 思い返せば、他のジャンルの音楽をずっと聞いていた一年半の向こうに、

 道はつながっていたような気がするのだ。

 寄り道だったとも、言えない。回り道だったとも言えない。

 しっかりと、その向こうに、ここにつながる道があったのだ。

 その道は、そこにあるのではなくて、そこに出来るのかもしれない。

 とにかく僕がまた戻ってきたのだ。


新エッセイ「新しい歌のために(イメージ編)・・その1〜歌の赤ん坊〜13.6/27

 新しい歌のために、文を書こうと思う。

 新しい歌は、生まれて来る赤ん坊のようなものだと思います。その赤ん坊がどんな大人になるかは、ある程度、環境が関係していますが、結局はその人 自身が決めてゆくものでしょう。こんな職業について欲しい、こんな人になって欲しいと親は期待します。しかしやっぱり大事なのは、自分自身がどうなりたい かということ。

 歌の赤ん坊も、まず無限大の行き先を持っています。世界中の誰とも似なくて良いのです。小学生くらいになると、こんな人になりたいと憧れの人を思い浮かべますが、やがては自分を見つけます。親はいつも子供に安定した職業に着くことを望みますね。その方が苦労は少ないと。

 歌い手であり作り手でもある僕らは、歌の親ではありますが、歌うのは、その生まれてくる歌自身だということをイメージした方が良いようです。

 たとえば、ある人に対して「あなたは、誰々に似ていますね」と、よく言ったりもしますが、その人自身は、もちろん世界中の誰とも似ていません。ある程度は似ていても、しっかりと自分を感じています。もちろんでしょう、自分になるために生まれてきたのですから。


鳥の道案内13.6/25

  とある下町のお寺を仕事で訪ねたときのこと、

 そのお寺の外通路にはいろんな教訓、名言などの通路に貼られていた。

 用事を済ませての帰り、外通路で、一羽の観たこともないような、

 小さな白黒の小鳥が、僕のそばを飛んだ。

 「おっ、めずらしい鳥だ」

 すると、2メートルほど飛び、また止まった。

 まるで手に届きそうに近くで。

 僕がまた近くに来ると、また2メートルほど飛んだ。

 そんなことが、5・6ん回ほど繰り返された。

 昔ばなしの中によく、鳥に案内される場面が出てくるが、

 まさにそんな感じであった。

 あるんですね。ほんとうに。


ビート論13.6/22

 ギターは小さなビートバンド。

 そんなふうに思ってくれるといいんだけどな。

 6弦はベーシスト、5弦はドラマー、4弦は鍵盤奏者、3弦はリズムギター、

 2弦は笛、1弦はリードギター。

 先日、ある人が青木さんはフォークですねと言った。

 どういう意味かは、もうひとつはっきりとはわからないが、

 自分が思うフォークとは、内容ではなく、単純に弾き語りのことである。

 たしかにギター弾き語りではあるけれど、実はビートバンドでもある。

 アコーディオン奏者で有名な人もいる。

 その人もアコーディオンひとつでも、バンドと思っているにちがいない。

 僕はずっとビートのことを思っている。

 人の体を揺らすのは、やっぱりビートなんじゃないかなと。

 グルーブ感というか、ノリというか。

 体を揺らすのは音量よりも、ビートだと思っている。

 ギター一本と言えど、ビートバンド。


古い改札、古い歌13.6/19

 友達の古い歌で、改札口が出てくる歌がある。

 それは僕が東京に出てくるよりも前の改札口。

 まだフォークが人気だった頃の街と、改札口。

 みんなが木造のアパートに住んでいたときの歌。

 最近、ふと、僕が東京に出てくる前の街や駅や改札口を、

 想うときが多い。

 その友達の歌に出てくる改札口のことなんか、特に。

 今、僕は地下鉄の駅を利用しているが、

 地下鉄の入口もまた、味がありますね。

 もうずーーと、前から、その地下鉄の駅はあり、

 そこを利用していた人も多かったはず。

 地下鉄を乗り継いで出かけてゆく、ジーンズにギターの若者。

 地下鉄に限らず、今やどの改札口も自動改札になってしまった。

 切符の販売機だって、おしゃれになっているだろう。

 ・・・もう、あの古い時代の改札には戻れないね。だいたいどんなだったか

 忘れちゃったし、、。・・・・

 駅の改札近くで、今も待っていると、僕はどんどん時間をさかのぼってしまう。

 1970代、最初の頃まで。

 何人もの何人もの人がここで待ち合わせをしたであろう。

 僕には不思議にも、それがすべてリアルに感じてしまう。

 あの古い歌の歌詞だって、見えてくるようだ。

 改札口はタイムトンネルの出入り口かもしれない。

 いろんな人を待っている。いろんな人がホームから今も降りてくる。

 たぶん、改札口のあたりで、時間は渦を巻いている。


あの人は今13.6/17

 中学二年のときかな。

 小学校のときからの同級生の女子で、

 とっても大人びた同級生がいた。

 誰よりも早く声変わりもして、

 ぱっと見ると、もう30代、40代のようにも思えるほど、

 俗に言う「おぱさん顔」であった。

 学年で一番、落ち着いていたようだ。

 本人もそれを自分のキャラクターとしていたようだ。

 あるとき女子の声変わりについて、

 「私の声を基準にしてください」と言っていた。

 その人は、たしか大きな呉服屋の娘さんであった。

 ゆくゆくは、その呉服店を継いでゆくのだと僕は信じた。

 呉服屋のおかみさんになるだろうと。

 ・・・・・・・・

 今、思い返してみると、

 ほんとにその人は、10歳も20歳も年上のようであった。

 みんなのお母さんのような存在であった。

 悩み事にも、落ち着いて答えていたように思う。

 まだ中学二年とか三年なのに、、。

 それで良かったのか?

 そして高校は別々になり、その後の彼女のことは、

 まったく僕の知る由もないのだが、

 高校時代があり、卒業してからだって、まだまだ若かったはず。

 ちゃんと、若者らしく青春時代を楽しんだであろうか?

 ボブ・ディランの歌「マイ・バック・ペイジズ」の歌詞のように、

 「♪ああ、あの頃は、今よりもふけていて、今はずっと若い〜」

 と、歌ってくれたであろうか。

 「あの中学時代は、どうかしていたんだわ」と、友達に言っていたであろうか?

 小学校・中学校と、学年が一緒だった人である。

 僕とほとんど会話をすることもなかったが、

 今思い出すと、とても心配になる。

 あの人は若さを取り戻しただろうか?

  僕なんか、いまだにあの中学の頃のままである。



環境13.6/15

 新曲創作のために、野外の公園を考えていたが、

 虫、その他の理由ため、それは、どうも無理だとわかり、

 今日はとうとう、隣街の音楽スタジオを、午後に3時間ほど借りた。

 新曲創作をスタジオでやるなんて、したこともないのだが、、。

 個人練習で借りたスタジオは10畳ほどの大きさがあった。

 広い、広すぎる、、。

 久し振りに生ギターを思い切り弾いてみる。

 これでもかというほど。常に思い切り。

 しかし、だんだんとそれにも慣れて、音が単調に聞こえ出した。

 3時間かけて、歌作りをしようと思っていたけれど、まったくできなかった。

 いつも部屋で曲作りをするときは、いろいろとアイデアが出てくるのに、

 スタジオではまったくだめであった。

 自分の才能の無さに唖然としてしまった。

 引越しをして四ヶ月。ギターを弾かずにきたせいだろう。

 重症。

 それが自分でわかるだけでも、ただ救いがある。

 なんだかがっかりしたら、まったく創作が出来なかった。

 やっぱり普段から、ギターにさわっていないとだめだな。

 また復活するには、方法を考えねばならない。

 と、思い、またうなだれながら帰ってきた。

 スタジオに入って創作という計画も、考えなおさねばならないな。

 部屋に帰ってきて、ひと眠りして、落ち込みながら、

 エレキギターを出して、ちらっと創作してみたら、

 いつもどおりに歌作りが出来た。弾いた最初にメロディーが出来た。

 3時間、個人練習でスタジオでやってだめだったのに、、。

 やっぱり環境なのかな。

 僕は部屋で小さく歌作りをするのが、合っているようだ。


「どくだみオセロパワー」13.6/12

 この季節、草のどくだみが勢い良く咲いている。

 昨年、アパートの僕の部屋の庭が、どくだみで占領されてしまった。

 あれは、大変だったなぁ。

 まさか、庭一面がどくだみで埋まるなんて、、。

 どくだみは根で広がってゆくと言う。

 近くの大きな空地のすみっこに今、どくだみが咲いているが、

 あと10年もしたら、あの空地はこの季節、ほとんどどくだみになるのではないだろうかと思う。

 とくだみは賢い。

 空地のはしっこから攻めてゆくようだ。

 まるでオセロゲームのすみに置く駒のように。

 どくだみはまず、はしっこを押さえる。

 やがては、根を空地じゅうに広げるのだ。

 30年後、日本の空地はどくだみに占領されるのではないか?

 俺は心配だ。

 どくだみパワーが。



「嗚呼」
13.6/11

 家の近くに大きな公園があり、野外でギターを弾きに行ってみた。

 小さなスピーカー付きエレキを持って。

 野外で弾くなんて久し振りだなぁとか思いながら、

 部屋では、ギターがとても響くので、まだ弾けていない。

 僕の予定では、時間さえあれば公園でギターを弾こうかなと思っていた。

 ギターケースを敷いてポロポロと弾いていたら、

 アリさんがやってきて、どうも集中できない。

 蚊のみなさんもやってきた。

 ぜんぜん集中できずに、15分くらい弾いて帰ってきた。

 うなだれながら。

 計画は崩れた。

 近所に音楽スタジオでもあれば、いいのだが、

 それもない。

 ギターを使って、新曲にメロディーをつけるとき、

 それは、さあ作ろうと思ったら、だめだ。

 なにげないとき、さっとギターに手を伸ばして、

 ふいに弾いてみると、いいフレーズが出てくるものだ。

 それはまちがいない。

 音が最大に響かないサイレントミディギターでも手に入れようかなと思っている。

 嗚呼、人生。


「オブラディ・オブラダ」13.6/9

 ちょっと歩いたところに大きめの大衆ハンバーグ屋があり、

 よく訪ねている。そこではいつもビートルズがかかっている。

 土曜の午後、訪ねてゆくと、いつものようにビートルズがかかっていた。

 ♪オブラディ・オブラダ、あのノリノリの歌である。

 途中まで、聞いてゆくと、

 となりのテーブル席にいた、50歳代半ばと思われる、

 メガネをかけた、どこかの事務社員さんのような小柄な女性が、

 ブリッジのメロディーのところの、印象的でシンプルな管楽器演奏と一緒に、

 ♪パパーパ、パパーパ、パパーパ、パパーパと、

 突然に口ずさんだのだ。

 まるで今、その人がそこでアレンジをして、管楽器を吹いたように。

 ハンバーグを食べながら、突然にその人は、ビートルズと一緒に、

 管楽器プレイヤーになったのだ。

 もちろん、もともとそれはアレンジがされていたものである。

 しかし、このとき、その人はまちがいなく、

 自分の中からわきあがってきたフレーズを口ずさんだのだ。

 ♪パパーパ、パパーパ、パパーパ、パパーパと、

 うーん、音楽って素晴らしい。


「レトリバー一本」13.6/7

 その下町の工場に用があり声をかけると、

 後ろから自転車ごしに声が聞こえた。

 「はいはい」

 買い物から帰ってきた、奥さんであった。

 「あっ、どうも」

 そして、工場の扉を開けると、

 黒い大きなラブラドールレトリバー待っていた。

 尾っぽを振りながら、こっちに向かってくる。

 綱はない。こわい、、。

 「だいじ゜ょうぶですか?」

 「だいじょうぶよ」

 ワンちゃんは、僕に直進してくる。

 えーっ、、、

 そして、

 そして、僕の横をすっと通り過ぎて、

 レトリバーは、自転車に向かった。

 「今日は、ごみはないわよ」と、奥さんがワンちゃんに声をかけた。

 レトリバー一本。

 わたしまけましたわ。


「芸能人」13.6/5

 地下鉄で帰ってくるとき、

 この人、芸能人なのかなーと思える人と会う。

 その人は、特に美男子系というわけではないが、

 とても愛嬌のある顔をしていた。

 鼻ひげを少したくわえている。

 その人を見ていると、すべての表情が絵になっているようだ。

 スカウトマンの目にも止まるであろう。

 スター性がとてもあった。

 あれが芸能人のオーラがあるということだろうか。

 あきらかに何かがちがっていた。

 みんなに愛される要素を持っていた。


「ギターケースの似合う人」13.6/3

  引越しの際の段ボールの山もすべて片付き、

 部屋がやっと部屋になった。

 この月末を期限になんとかしようと思っていたので、

 それが実行できてとても嬉しい。

 さて、ほんとうにこれからなのだ。

 明日、月曜日、仕事にも出かけるのだが、

 ひとりの弾き語りシンガーになりきって、

 出かけてみようかと思う。そんな時間。

 ・・・・・・・・・

 先日、駅のホームにてエレキギターケースを持った、

 髪の長く、ジーンズをはいていた女性を見た。

 なんと、その人にエレキギターケースが似合っていたことか。

 たぶん、その人を見る誰もが、そう思えるにちがいない。

 僕もそんなふうに、フォークギターケースがとてもよく似合う人になりたい。

 通る人が、(あの人、ギターケースが似合っているなぁ。なぜかはわからないが、、)

 そんな人になりたい。

 とくにフォークを連想させる格好でなくても。

 一体感のある姿でありたい。それが理想。

 エレキギターケースでなくてよい。

 普通のフォークのギターケースで。



「弾き語りであっても」
13.5/31

 僕の唄なんかは、ほぼ弾き語りである。

 何枚かはCDにもしてあるので、どんどんラジオや、

 テレビや映画やいろんな場面で流れて欲しいと思っている。

 喫茶店でも街なかでも、居酒屋でもどこでも、、。

 しかし、どうも唄がへただ。

 いかにも、マイナーなシンガーさんという感じだ。

 プロの人はやっぱり音程がしっかりしている。

 せめて、喫茶店でアルバムが自然に流れるようでありたい。

 それが理想であるけれど、

 どうもマイナー感がたっぷり出てしまう。

 先日喫茶店で聞いた、ボブ・ディランの弾き語りは、

 ギター一本とハーモニカであっても、とても自然であった。

 いいなぁ、、。せめてそうでありたい。

 たとえ弾き語りであっても。

 どんどん流れて欲しいものである。



まるでそこに住んでいる空気のように。13.5/30

 外仕事をやっているので、

 なじみの家々を訪ね、家族の人と話をすることが多い。

 それもかなりの数。

 20年以上も同じところを訪ねていると、もちろん、

 もういなくなる人もある。

 家を建て直すこともあるが、

 ひとつの職業病なのか、

 もういなくなった人も、建て直す前の家の中も、

 リアルに思い出せる。

 インタホーンを押す、中から返事の声がする、

 おじゃましますと、家にあがらせてもらう。

 そのイメージが、どれもが「はっきり」とそして「ふわっ」としている。

 扉から扉のように。

 まるでトランプや花札の絵柄のように。

 あるとき同じように訪ねると、いつものご主人はいなく、

 急に他界していることもある。

 それ以降、また訪ねても、もちろんご主人にお会いすることはないのだが、

 僕の記憶の中では、いつまでたっても、その家に住んで、

 インタホンを押せば、返事が聞こえてくるようだ。

 はっきりと、ふわっとして。

 まるでそこに住んでいる空気のように。

 家だってそうだ、角を曲がれば、

 いつだって建て直す前の家が見えてくる。

 実際は、もう今はなく、マンションが建っているとしても。

 普通に街を歩いていても、そんなふうに記憶には残らないのに、

 こんなに克明に憶えているのは、仕事だからであろう。

 もう、そこにいない人も、僕の中ではふわっと生きている。

 インタホーンを押せば、いつでも返事が聞こえる。

 もうなくなって、10年以上たっていても、まったく色あせなく思い出せる。

 DVDに録画したように。

 建て直す前の家の部屋の、どこに何があったかも、憶えている。

 もしかしたら実際に住んでいた人よりも、思い出せるかもしれない。

 色あせない記憶、職業病か、、。

 ・・・・・ぼくらは、ながいときのなかにすんでいるようで、

 じつは、ふわっというひとつのじかんのなかにいるのかもしれない・・・・

 火にかけた鍋の上にわく湯気のような。



「しまわれたギターの生活」
13.5/28

 僕は素晴らしいギターを、三本持っている。

 ギルドF47、ヤマハFG180、ギブソンB25、、。

 どれも素晴らしいのだが、この三ヶ月間は、

 ずっとギターケースの中にある。

 なんと、もったいない。

 ギターケースから出して、ポロンと弾いてみれば、

 信じられないほどの良い音が今も出てくるのは想像できる。

 すっかり忘れられて、ギターケースにしまわれていても。

 良い音は続いている。

 ギターは、ギターケースの中で何を考えているのであろうか。

 インターネットのように、世界中をかってに観ているのであろうか、

 しぱらくぶりで弾いても、ギターはある程度の良い音を鳴らしてくれるけれど、

 ほんとは泣いているのかもしれないね。

 こんなに弦も古いですよと。

 しまわれたギターの生活はどんなものであろうか、、

 ギターもブログなど書いてくれると、良いのだが、、。



「弾き語り」
13.5/25

  先日入った喫茶店で、

 ボブ・ディランの「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビーブルー」と「ミスタータンブリンマン」、他を聞いた。

 そこは近所のおしゃれそうな喫茶店だったので、ディランがかかっていて、とても驚いた。

 「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビーブルー」と「ミスタータンブリンマン」も完全な弾き語りではなく、

 エレキギターの軽く入っているのだが、それでも、とても新鮮に聞こえた。

 そのあとに流れた一連の'60年代ロックのディランの楽曲よりも。

 弾き語りは、シンプルなぶんだけ、古くもならないのかな。

 それにしても、「ミスタータンブリンマン」のボーカルにはパワーがあったなぁ。

 弾き語りのぶんだけ余計に、そう思えた。

 声の中に、バンドサウンドが感じられた。

 弾き語りも、捨てたものじゃないね。

 なぜ、僕の弾き語りは、フォークのようになってしまうんだろう。

 おしゃれな喫茶店に似合わないんだろう。



「鶯谷」'
13.5/21

 鶯谷の駅前を、何十年振りかで歩いた。

 もしかしたら反対出口は、にぎわっているのかもしれないが、

 僕の歩いた出口は、なんだかさびれていた。

 そして駅前に、立ち喰いそば屋さんがあった。

 うんうん。

 少し歩いてみたが、僕が東京に着いた1980年頃の街であった。

 僕がなんと言ってもうれしかったのは、ちゃんと駅前に立ち喰いそば屋があったことだ。

 そこは'80年代への扉のようだ。

 '80年代の街全体があって、その象徴のような立ち喰いそば屋さんがあるような気がする。

 駅もレトロ感があった。うーん、ここはどうなっているんだ。

 まるきり'80年代が残っているようだ。

 近々、そっと鶯谷に降りてみようと思う。

 まずは、立ち喰いそば屋さんに寄って、、。

 それからひと回りしてみようと思う。

 あれからのことを想い、あのときになって、

 ショーウインドーに映る若い僕、

 再会。


「服」'13.5/19

 部屋にはもうすきまがないので、

 いろいろと処分をまた始めている。

 普段着ている服はそんなに多くはないのに、

 服が多い。一年前に、そうとう処分したのに、

 まだ多い。

 今回、また処分をしようと決めたら、

 大きな袋で一杯分出てきた。

 もう捨てられないと思った服も。

 これはどうゆうことだ。

 想い出多い服もあるのだが、、もう着ることはできない。

 そんな服も多かった。

 そんなふうに読まない本も多いと思う。

 とにかく部屋に隙間を与えないと、自分の生活が出来ないのだ。

 自分の生活をするためには、何でもするよ。

 部屋には僕のものがある。

 でも僕が部屋に入れないのでは、意味がない。



「神様のくれた二冊の手帖」'
13.5/17

 昨日、手帖を二冊買った。 

 大きな100円ショップで。

 ちょうどいいサイズで、合成皮革のカバーがついて、

 広がらないように、パチッとしめられるボタン付きだ。

 とても100円とは思えない。

 僕は茶色と黒色、ふたつ買った。

 黒色のひとつは、いろいろ計画を書く手帖。

 茶色のもうひとつは、創作のための手帖。

 二冊買ってみると、なんだか未来が見えてくるようであった。

 この二冊の手帖から、スタートできそうな予感がたっぷりあった。

 僕は自転車の前カゴにその二冊の手帖を入れて走った。

 神様のくれた二冊の手帖。

 なんていい響きの言葉なんだろう。

 もしも、もしも本当にそうだったら、、。

 どうしましょう。


「修復作業」'13.5/13

 最近、テレビで、問題のある古い家を新しく改築するという番組を観た。

 任せられた設計者は「匠」(たくみ)と、番組の中で呼ばれていた。

 「匠」って、いい言葉ですよね。英語ならば「プロフェッショナル」か、、。

 番組の中で「匠」は、ときとして、想像もつかないような場所に出向く。

 そこからアイデアをもらってきたりするのだ。

 さすが「匠」です、、。と、番組で感心されていた。

 僕も歌を作っているが、同じような番組があるならば、

 歌作りの「匠」として、登場したいな。とか、思った、、。

 ・・・・・・・・・

 僕は今、ほぼ四ヶ月ほど、創作とギターから離れてしまっている。

 引越しにパワーを奪われてしまったのだ。

 やっと、部屋もほぼ片付き、ちょっとずつ創作を復活させているところ。

 ノートを出して、歌詞を書いてみるけれど、なんだかすっとんきょうだ。

 ギターを出してちらっとメロディーを出してみるが、

 やっぱり、すっとんきょうなメロディーが出てくる。

 これはしかたがない。

 よくプロ野球選手が、徐々に体を作ってゆき、オープン戦に間に合わせるという話をきくが、

 僕もまた、徐々に復活してゆこうと思う。崩れてしまった創作力の修復作業。

 とりあえず今は、好きな音楽を聞くところから始めている。

 だいじょうぶ。どうやったら、自分が復活するかは自分でわかっている。

 「匠」だものね。まずは自分の修復から、、。そして、それから。


「同じ時間で詩集を読むならば」'13.5/11

 絵の展覧会に、以前はよく出かけた。

 大きな展覧会であるときは、全部観るのにも時間がかかる。

 混雑を避けるためにも、たいがいは順路が決められていて、

 その先が出口となっている。

 もちろん一枚一枚解説を読みながら、丁寧に絵を見てゆくこともできるが、

 僕はいつも、最初にさっとひととおり全部見てから、また最初から絵を見ていった。

 すると、初めて観る絵でも、印象に残るものがあり、その絵をじっくりと観ていった。

 ・・・・・・

 今、通勤時間に毎日、詩集を読んでいる。

 ひとつひとつの詩をじっくりと読んでゆくこともできるが、

 最初はやっぱりすっと流し読みをして、印象に残った作品を、

 じっくりと読んでいる。

 レコードのアルバムと一緒で、本当、最初の詩からじっくり読んでゆくのは良いとわかっている。

 作った作者の気持ちとしても、そうして欲しいというのもわかる。

 でも、最初の作品からじっくり読んでゆくと、その世界にはまってしまい。

 どれも良い作品に思えてしまう。内容で理解するからだ。

 同じ時間をかけて、詩集を読むなら、ちがう10編の作品を読むこともできれば、

 気に入ったひとつの作品を10回読むことも出来る。

 そうやって読んだ詩は、ずっと記憶に残る。

 そして自分の作品にも、アイデアとして出てくることもある。

 気に入った作品を、より多くの回数、読んだ方がいい、

 個人的にそう思っている。


「朔太郎の文」'13.5/8

 僕は、自分のこのエッセイのページがとても気に入っている。

 ほんと自由に書いているからだ。

 評価など気にすることなく、自分の思うままに。

 昨日からまた、我が家にある詩や俳句の本などを読み始めている。

 一冊目に選んだのは、萩原朔太郎の「郷愁の詩人、与謝蕪村」。

 蕪村の俳句を、朔太郎なりに解説している本なのだが、

 朔太郎の書く文というのが、実に感覚的で、なかなかに良い。

 詩とはまたちがう。ほぼエッセイに近い。

 微妙なことを表現し、伝えようとしている。

 さすがに、詩人ならではの文章。

 ふと、思い出してみると、こんなふうな解説は、

 インターネットでは、なかなかに出逢えない。

 読みにくいといえば、読みにくい。

 しかし、伝えているものがちがうような気がする。

 普通の文章では、無理がある。

 朔太郎の文のはとてもわかりやすい。

 ひじょうに感覚的ではあるけれど。

 僕もこんな文章を書いていきたい。



「道の名前」'13.5/6

 どこかに行くにも、今はインターネットなどで場所を調べることが多い。

 遠出をするときは、電車を乗り継いで、その場所へも行く。

 昔の人はみんな歩いたであろう。

 インターネットなどないので、道々、人に尋ねていったであろう。

 どこかほんとに遠い所にも、そうやって出かけたであろう。

 道々は、地図の中の道ではなく、今よりももっと人格のようなものがあったのではないか。

 道々についている名前のように。

 道を教える人々も、道の名前を教えたであろう。

 今も道には名前が残っている。

 数学的な名前でないところがいい。

 誰がつけたのかは知らないが、道に名前がないと困ったのであろう。

 そしてそれは道の名前。

 どこからがどこで、どこからがどこと言うことではない。

 僕自身が、どこからと言えないように。

 昔の人は、もっとしっかりと道を歩いていたような気がする。

 道の名前の背中を歩くように。


「110箱、記念日」'13.5/4

 なにもかもこれからである。

 引越しをして、二ヶ月以上たった。

 段ボールに荷物が110箱ほどあり、

 それが僕の六畳の部屋をうめていた。

 段ボールだけではない、本棚や机やら、、。

 片付けはまず、部屋に入れない状態から始まった。

 何をするにも、段ボールを一度、台所に20箱くらい出して作業をした。

 積まれた段ボールの上を、おそるおそるはって歩いたりもした。

 本棚を並べるところから始まったが、それも大変だった。

 積まれた段ボールの向こうにギターがあった。

 泣きたい、、。

 休みの日に、少しずつ段ボールを開けていった。

 10箱、20箱、30箱、40箱、、道は遠い、、ほんとに遠い。

 なんと言っても本が多くて、自分でも驚く。

 とりあえず、本棚に本を埋めてゆく作業の日々が続いた。

 そして段ボールが、残り15箱くらいになったとき、ほぼ本棚がうまってしまった。

 順調に片付けが進んでいたのに、、ここに来て、、ストップ。。

 あとは本棚を整理していって、ひとつふたつと棚を開けるしかない。

 ひと月以上、地味な作業が続いた。

 ひと箱、ふた箱と、段ボールが開けられ、

 数日前にやっと、段ボール箱の向こうあったギターケースが見えてきた。

 やっと、やっと見えてきたんです。なんとも嬉しかったこと。

 そして本日、段ボールをすべて開いた。

 110箱、記念日。

 テレビのニュース番組で、

 言ってくれないかなぁ。

 「本日、杉並区にお住まいの、、」



「キャッチーな歌」'
13.5/1

 喫茶店にランチを食べに行ったら、

 1969〜70年代最初の洋楽ヒット曲が流れていた。

 1曲目は、ドーンの「幸せの黄色いリボン」

 ドーンと言えば、前のシングル「ノックは三回」も、名作だった。

 1969〜72年にかけて、洋楽シングルをなぜか、兄の影響で集めることになった。

 その頃は、洋楽シングルが一番輝いていた時期かもしれない。

 ヒットする歌は、それなりにやっぱり良い。一度聞いたら忘れられない。

 ドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」 とかね。

 以前のことだが、部屋に遊びに来た友達に、

 1969〜71年の洋楽ヒット曲を聞いてもらったことがあった。

 その友達は、僕よりも10歳ほど若く、ブリティシュロックが好きであった。

 「どう、この歌? ヒットしたんだよー」

 「えーっ、ほんとうすか!! おれ、こういう歌、だめっすよ」

 友達もまたミュージシャンである。

 僕は思う。その曲が自分の好みとは、合わないとしても、

 大ヒットした歌には、やっぱりそれなりに人をとらえるものがあると、、。

 リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」、これを聞いてもだめだろうか。

 現代でも大ヒットすること、まちがいなしと僕は思うが、

 そういうふうには聞こえないのだろうか。

 「なんだかノリがいいね、、」

 そんな言葉ひとつ出てこないものなのかな。

 大ヒットする歌には、何かあると思うのだが、、



「会いたい人、行きたい所」'13.4/29

 なうなうというけれど、

 今は昔とつながっていて、それも忘れてなんねーべ。

 ・・・・・・・・・・

 古い時間の人たちが言う。

 「あの人、ここ最近ずいぶんと来てないわね」

 「前は、よく来ていたのにね。どうしたらかしら、、?」

 おお、あの人は今、ここで身動きがとれなくなっています。

 古い時間の本たちは部屋の荷物にうまっている。

 僕にも行きたいところがある。見たいものがある。

 会いたい人がいる。

 出かけたいんだ。古い時間に。

 僕はそれを大切にしている。

 今でいっぱいになってはなんねーべ。

 そして、部屋が荷物でいっぱいになってもなんねーべ。

 行きたいところがあるんだ。



「部屋工場」'
13.4/27

 私の部屋工場は、しばらく活動停止している。

 まったく機械の回っていない日々が続いている。

 何も作り出していない、電源も油も使っていない。

 入口の窓のところには、「しばらくお休みします」の貼紙が、、。

 ここ主人はどこに行ったの?

 毎日のように機械の回る音が響いていた日々が懐かしい。

 機械が止まってからもう二ヶ月がたった。。

 誰もいないのかと思えば、少しずつ移動している。

 だが、機械の電源はついてはいない。

 ドアのポストには郵便がたまっている。

 入口のガラス窓から除いてもみれば、

 機械は作業途中で止まったままのようだ。

 部屋工場は、世界と連絡がとれていない。

 ここの主人はどこにいったの?

 ここの主人はここにいます。


「財布」'13.4/25

 財布が壊れて、もう半年以上になる。

 チャックのところが調子悪いのだが、なんとか使っている。 

 それで街歩きをするたびに、財布探しをしているが、

 どうも気に入ったものがない。

 あれだけ財布があるのに、、。

 僕が見ているのはワゴンの財布コーナーで、千円から二千円のもの。

 どうもその中には、気に入ったものがない。

 なんだか嫌がらせされているのではないかと思ってしまう。

 四千円くらい出せば、理想敵な財布がある。

 千円クラスではない。ないと言うか、小銭入れがみな小さい。

 千円クラスの財布を持つ人は、小銭入れも小さくていいという理論か??

 財布を一日でも早く換えたいのに、いまだに見つけることが出来ていない。

 もう半年ですよ。

 日本の財布業界はどうなっているのかと思う。

 女性用の財布は安くても、なかなか良いものがありますね。

 しかし男財布は、小銭入れが、とにかく小さい。

 僕の経験で言えば、男こそ小銭がたまるものだと思うけど、、。

 名刺だってたまるよ。

 日本の財布業界に詳しい人はいないか、、。

 とにもかくにも、僕は壊れた財布を半年使っている。

 いつまで財布探しの旅は続くのかな。



「俺が叫んでいるのを聞いた」'
13.4/22

 昨夜から今朝にかけて、

 俺が叫んでいるのを聞いた。

 た す け て く れ −

 それは段ボールにうまっている部屋のどこからなのか、

 居場所のない、俺の心の中からなのか、

 それはわからないが、

 その声が聞こえたのだから、

 助けにいかなきゃね。

 何を置いても。

 その叫んだ俺はどこにいるのだろう。

 引越し荷物にうまったプラケースの中からか、

 しまわれていて出せないギターのサウンドホールの中からか、

 どうやら、あの声のようすだと、何かに押しつぶされているようす。

 引越しの本の下になっていのか、

 積まれた第ボールの下になっているのか、

 さあ、いそがしいぞ。

 俺を助けにいかねばならない。


「俺が叫んでいるのを聞いた」'13.4/22

 昨夜から今朝にかけて、

 俺が叫んでいるのを聞いた。

 た す け て く れ −

 それは段ボールにうまっている部屋のどこからなのか、

 居場所のない、俺の心の中からなのか、

 それはわからないが、

 その声が聞こえたのだから、

 助けにいかなきゃね。

 何を置いても。

 その叫んだ俺はどこにいるのだろう。

 引越し荷物にうまったプラケースの中からか、

 しまわれていて出せないギターのサウンドホールの中からか、

 どうやら、あの声のようすだと、何かに押しつぶされているようす。

 引越しの本の下になっていのか、

 積まれた第ボールの下になっているのか、

 さあ、いそがしいぞ。

 俺を助けにいかねばならない。


「近くの大きな空地で」'13.4/20

 住んでいるアパートのすぐそぱに、

 大きな空地があり、ここ最近、菜の花がかなり咲いている。

 ちょっと前までは、なかったのに。

 あの大きな空地に、季節季節で、いろんな花が咲くだろうか。

 それを楽しみにしている。

 あの菜の花は、どうなるのかな。

 夏は何が咲くのかな。

 驚くのは、すごいスピードで広がることだ。

 もうすぐきっと、菜の花で空地がいっぱいになるだろう。



「名前の中に」'
13.4/18

 いたるところで藤の花が咲いているのを見る。

 藤の花って、とても日本的な花だと思う。

 どこかで「藤」「菊」「桜」は、古くから日本にあった花だと聞いた。

 いかにもそんなふうに思えるのはなぜだろう。

 ふと気付いてみれば、僕らの名前の中にあるものばかりだ。

 僕らの気前は古い。

 とくに「藤」のつく名前は多い。

 「藤原」「藤木」「佐藤」「江藤」・・・。

 菊だって、桜だって、松だって多い。

 それらは日本古来の花や樹木だってのではないか。

 榎さん、杉田さん・・・。

 名前の中に、懐かしさがありますね。


「僕が考えたという半畳の部屋」'13.4/13

 中学1年から、2年になるときにかけてかな、

 僕は自分の部屋を持とうと部屋作りを始めた。

 半畳の部屋。

 足の伸ばせるくらいの隙間がある棚に小さな机をつけて、

 いろんなものを左右に置いて自分の部屋を作った。

 いろんなものって、いうのは、

 本、カセットレコーダー、そしてラジオ。

 ならぶカセットテープに、勉強道具に鞄。

 学校の授業中に、何度もその半畳の部屋についての

 設計図を書き直した。

 その半畳の部屋の素晴らしいところは、

 すべてのものに手が届くということだ。

 そして実現に向けて動き出した計画。

 まだ、スペースに入るカセットレコーダーは買っていなかった。

 やがてはそのスペースにぴったりのカセットテープレコーダーをそろえたのだ。

 思い出すなぁ。僕の考えた半畳の部屋。

 ・・・・・・・・・

 それから40年。

 僕は今、六畳の部屋に自分の荷物をつめている。

 CDや本を並べて。

 考えてみれば、あの最初の半畳の部屋が、

 きっと大きくなっただけだ。

 あのとき、カセットレコーダーの横に並んでいた、

 10本もなかったカセットテープ。

 自分で買った本だって、一列に並ぶくらいだったんだ。

 今はすっかり増えてしまった、音源や本。

 考えてみれば、またひと部屋にすべてをしまうっていうのは、

 あの半畳の頃とも変わっていない。

 そう思うことにした。

 あのときの部屋作りの嬉しさを、思い出そうと思う。


「得るものが多い音源」'13.4/13

 先日のスティーヴのライブ音源を繰り返し聞いている。

 スタジオ録音のアルバムや、一時間ほどのライブDVDも持っているのだが、

 やっぱり生のライブはちがう。その場その時で、対応してゆくからだ。

 今回の弾き語りライブでは、曲順に関しても得ることが多かった。

 スティーヴは、ところどころで静かで小さい歌をはさんだ。

 続けて、馴染みの歌をやったりしていた。

 歌への入り方も、自由自在で、前奏なしのときもあれば、

 ギターでポロポロと弾きながら、自然と歌に入ってゆくときもあった。

 お客さんとの掛け合いも勉強になった。

 スティーヴは「今夜は何曜日?」とみんなに尋ねた。

 「フライデー」と、みんなは答えた。

 その「フライデー」が、のちのトークで大きな役目をはたしていた。

 何気なく答えた言葉が、ラストになって意味を持ってくると、

 ライブが満ちてくるような感覚になるともわかった。

 歌い方に関しても、実際に観ると、得ることが多かった。

 どんなふうにひとつの言葉を印象的に伝えるかを。

 ギターはほんとうにうまかった。リズム感が見事であった。

 微妙なところが、さすがだった。

 今回のライブでは、知らない歌も多かったが、

 あとで音源を聞いてみると、なかなかに良いうたばかりであった。

 どの歌も、ひとつのライブの中で、似合う場所に置かれていた。

 一時間半のライブであったが、曲順に関しては完璧であった。

 途中で何度か、歌い出しをやり直しているが、

 どの場合も、笑いに変えていた。

 一曲の終わり方にも、いろんな工夫があった。

 僕も弾き語りで歌っているので、今回のスティーヴのライブには、

 多くのアイデアがあった。そのどれもが長い経験から生まれたものであろう。

 ああ、英語がもっとわかったらなぁ。もっと楽しめたのに。

 ありがとう、スティーヴ、とても得るものが多かった。


「昔の人は歩いた」'13.4/10

 パリに三ヶ月いた頃、毎日よく歩いた。

 すみからすみというわけにはいかないが、

 行きたい場所には、歩いていけた。

 今の東京であったら、そうはいかないであろう。

 今、仕事で浅草の近くを通っているが、江戸の頃、

 浅草寺、吉原などには、みんな歩いていったのであろう。

 劇画「鬼平犯科帖」を読んでいても、よく歩いていたことがわかる。

 20分40分などは、近所という感じではないだろうか。

 時代劇の中の人たちも、みんな早足で通りを歩いている。

 思うに、早足で3時間くらいは常識でよく歩いていたのではないか。

 途中でひと休みしながら。

 さて、早足で3時間といったら、どれくらい歩けるであろうか。

 今の人たちは、 一時間、4キロくらいだと思うが、

 早足で歩くと、5キロは歩けたであろう。で、3時間なら15キロだ。

 15キロで、江戸の街をどけだけ歩けたのかな。

 古い地図で見ると、新宿から亀戸くらいで、ほとんど地区は行けたようだ。

 現代の地図で見ると、新宿から亀戸まで直線で約15キロメートルだ。

 昔の人は、やっぱり歩いて出かけたのだろうね。

 休みながら、3時間くらい歩いて。

 今、東京は大きくなりすぎたのかもしれない。

 歩いて帰れる都市に住めるのが理想。


「唄の形とゴジラの話」'13.4/7

 先日観た外国のシンガーさんのライブで、

 僕は唄の形というものを観た気がした。

 いままで40年ほど、唄にかかわっていろいろ聞いてきたけれど、

 はっきりと唄を観た気がした。

 ・・・たとえば、こんな話にたとえてみよう。

 ゴジラの映画は、いろいろ作られてきて、

 みんなそれなりに知っているような気がしているけれど、

 本当にゴジラが近付いてきたら、

 たぶん、、想像ではあるけれど、たぶん、、

 ひと足ごとに、地面がどしんどしんと揺れるのではないか。

 まるで地震が地鳴りのように。

 ・・・・なんだ、これは、、何が起こっているんだ!!!

 しかし映画館やテレビを観ていても、そんなふうに地面が揺れはしない、

 音は表現されるが。。

 たぶん、本物のゴジラを体験している人たちは(実際にはいないが・・)、

 ゴジラの恐怖を、足音の地鳴りで感じているにちがいない。

 その足音の地鳴りで、ゴジラの姿もリアルに見えてくるだろう。

 ・・・・・・・・・

 先日、ライブで僕が観た「唄」の形もそれと似ていた。

 ゴジラのリアルな足音のような、、。

 雑誌やラジオやアルバムや、インタビューや、

 ヒット曲チャートや、伝説などというものは、

 結局、ゴジラに関して作られた映像や本の写真のようなものではないか。

 本物のゴジラとは足音ではないか。

 キングギドラとは、まぶしさと風圧だったのではないか。

 ライブで聞く歌には、何か伝えるべき、唄の形がある。

 その唄が生きていて、ここに来たのだと思える形が。

 ひとつの唄にはそれぞれ、何か響きというものがある。

 ゴジラだったら足音のような、



「切符の行方」'
13.4/5

 先日、地下鉄に乗ろうとして、

 回数券の切符を手に改札に向かったが、

 突風で切符が飛ばされてしまった。

 振り返って探すと、7、8メートル後ろの

 階段の右下、80センチくらいのところに落ちていた。

 小さな切符なので見つけただけでもラッキーであった。

 それでまた改札に向かったのだが、

 こともあろうに、また突風が吹いて、

 切符が飛ばされてしまった。

 あーっ!!

 すでにホームに電車の来る音もしていて、

 切符が今度は見つかるであろうか。

 振り返り、目を凝らして探してゆくと、

 なんと切符は、7、8メートル奥の階段の下、

 右から80センチくらいのところにまた落ちていた。

 あった!!

  まるで奇跡体験であった。

 奇跡は起こると実感した。


「今日の夜話・過去ログ'12年11月〜'13年3月」

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