青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'12.12月〜'13.3月

「歌の中のエレキ」'13.3/31

 どうして、あの人はあんなふうに、

 集中して歌うのだろう、と思った。

 何がそうさせているのかな。

 ときに体を震わせていた。

 それはリズムというわけではない。

 何か、歌わずにはいられないものに、

 体がしびれているようだった。

 それは自分の中のものでもあるだろうけれど、

 歌の中のエレキがそうさせているような気がした。

 歌の中にはエレキが走っている。

 それが、あの人を、あんなふうに集中させているようだ。

 その人は誰でもが知っているトラッドなフォークソングを、

 今、生まれた赤ん坊のように歌ってみせた。

 歌の赤ん坊は、感情のままに、自由に自然に声を出す。手足をばたつかす。

 同じ曲でも、歌い手によってこんなにも変わるものなのか。

 あの人の歌い方は、見方によっては大げさと言うひともいるだろう。

 あれは、歌の中のエレキがそうさせているのではないか。

 観ている側、聞いている側も、そのエレキにしびれてしまう。


「バス待ち」'13.3/29

 引越しをしてから、バスを待つことがとても多くなった。

 バス待ち。

 それは、いままでの僕にはなかっちたこと。

 いつも駅のホームで電車で待っていた。

 今は、バス停に立っている。まるでバス停のように。

 先日は、大きな桜の樹に三本囲まれながら、

 夜にバスを待っていた。

 唄や歌詞のことを考えながら。

 僕はずっと人の通る道で、唄のことを想ってきた。

 今は、そこから離れて、ひとりバス停に立っている。

 桜三本とバス停と。

 遅れて来たバスは、ゆっくりとライトを光らせて、

 角を曲がって来た。

 ・・・ボクハココニイマス

 バス待ちには、何かさびしさがある。

 それは、街にいるのと同じこと。

 カードの裏表のようなものか。

 第二部の始まり。



「古本ワゴンと蝉の声」'13.3/26

 二年前に出した10枚組弾き語りアルバム「30年ブレッド」。

 その10枚目「古本ワゴンと蝉の声」を、ずっと聞いている。

 なかなかに良いと自分でも思っている。

 ほぼ毎日のようにでも聞けるアルバムだと思う。

 自分で、言うのもなんだか恥ずかしいのだが。

 入っている10曲が、うまくバランスをとっている。

 アルバムの一曲目が、自然に始まり、

 二曲目三曲目と、登場人物が増えて、

 また次の曲につながってゆく。

 まるで水族館の中をめぐり回るような感じだ。

 それも小さな町のひなびた水族館。

 大きな水族館のように、いくつも部屋があるのではなく、

 薄暗くて広いスペースに、水槽があるような感じ。

 何度も何度も、来たことがあって、変わり映えもしない、

 しかし、ちょっと視点を変えてみれば、

 みな、懐かしいものばかりだろう。



「古い道」'
13.3/24

 一週間ほど前から、仕事場が下町に仮移転した。

 また二年後には、移転となる予定なのだが。。

 駅を出て事務所に向かう道があり、

 地図を見ながら初めて歩いていった。

 そこは古い商店街であった。古い神社もあった。

 古いのに建て直されていない商店も多い。

 老舗と思われる店もあった。

 古い建物の消防署もあった。

 事務所に着いてみると、もっと近道があるよと教えられた。

 帰りは近道を通ってみたら、そこはほんと大通りで、

 まったくもって普通であった。

 その道は2分ほど早くは着けるけれど、

 僕は時間よりも、古い道を選ぼうと思う。

 小さな八百屋さんがあり、肉屋さんがあり、中華屋さんがあり、

 そして古い神社を通ってゆく。

 今にも崩れそうな家もある。

 僕はその道を通って行きたい。

 二年後には、また離れてしまう場所ではあるけれど、

 僕にはその道が似合っている。

 そこには街の歴史の縮図がある。

 ビルの壁じゅうに樹木がからまっている風景もある。

 その道は僕に似合っている。


「若者からのプレゼント」'13.3/20

 引越しをして、自分がどれだけ本を持っていたか実感した。

 現代のようにインターネットの時代ではなかったので、

 本が大きな役割を持っていたのだ。

 今から30年ほど前のこと、僕は本を集めた。

 詩集などがほとんどではあるが、評論や伝記など、

 今となっては貴重本となっているものもある。

 当時は家賃が安かったというせいもあるが、なんだかお金があった。

 けっこうな値段もする本も平気で集めた。

 集めるだけ集めたものも、なかなか読めないままであった。

 それから30年、、。

 引越しをして、仕事場への通勤時間も伸びて、

 毎日、読めなかった本を読もうと思っている。

 読めなかった本なら山ほどある。

 若い頃の僕が今の僕のために買ってくれた本が、、。

 今の僕では生活がきびしく、同じ本を買う余裕などまったくない。

 若い頃の僕が、今の僕にくれたプレゼント。

 年とった人が若者に贈り物をすることはよくあるが、

 その逆もある。

 僕は僕に感謝している。

 若い頃の僕に、何かお返しをしないといけない。


「30年ブレッド・アゲイン」'13.3/18

 ここまた最近、二年前に作った「30年ブレッド」のアルバムを聞いている。

 録音したときは、いろいろと追われていて、よくわからなかったが、

 二年たって聞きなおしてみると、びっくりするようなテイクが多くあるのがわかる。

 たとえば、5枚目「旅とこちら」では、海外旅行の旅唄と身近な唄が半分ずつ入っているが、

 その旅唄を自分で聞いて自分で驚いてしまった。

 パリの唄も、インドでの唄も、完全に自分が現地に行ってしまっているのだ。

 それも1行1行が初めてのように歌っているのがわかる。

 歌いながらレコーディングしながら、自分は遠く現地に行っていたようだ。

 聞いていて、それがよくわかる。

 すごい集中力だったのだろう。


「惑星」'13.3/16

 最近、青果市場にいた

頃のことを思い出している。

 なんだか、妙にリアルに、人々の顔がよみがえるのだ。

 もう30年も前のことなのに、昨日のように見えてくる。

 まるでDVD画質のように。

 ひとりひとりの顔が見えてくる。

 写真もなく、僕の記憶だけの話だが、

 こんなにもリアルに憶えているものなのだな。

 僕は思った。

 思い出は惑星のようなものなのかな、と。

 市場の頃の惑星が、今一番近くに来ているのではないか。

 そんな周期がある。

 また遠くなってしまうのであろう。

 市場の頃の惑星が近くまで来ている。


「仕立て屋」'13.3/13

 オーダーメイド。

 服の仕立て屋のドアがあく。

 服を作りたいというお客さん。

 仕立て屋は、注文をいろいろときく。

 その要望こそが、大事であろう。

 しかしその腕に自信のある仕立て屋は、

 こともあろうに、出来上がったいろいろな服を見せ始めた。

 「これ、いいでしょ、僕の自信作なんですよ。

 これなんかもいいでしょう。みなさん、気に入るんですよ。」

 ・・・馬鹿言え、こっちは服を作りに来たんだ。

 よーく、話を聞いてくれよ。俺と向き合ってくれ。

 俺に似合う服を作ってくれ・・・

 すると仕立て屋は、あっけらんとした顔で答える。

 「もちろん、作ってあげてもいいですよ。

 でも、あなたが気に入る服が、みんなの気に入る服とは限らない。

 それに、あなたは、ここに来たときから、僕自身みたいなものですから。」

 そんな仕立て屋、ふざけるなと言うかもしれない。

 しかし、そんな仕立て屋は多いんです。

 自分のお気に入りのメロディーの棚を開けて、

 メロディーをつけようと思う仕立て屋さんが。

 お気に入りのメロディーの服を着せて、うっとりする人もいるだろう。

 でも、すべての歌詞はオーダーメイド、自分の服を求めている。

 「いらっしゃい、どんな服をお作りしましょうか?」

 「僕に似合う、僕らしい服を、僕のために作ってくれ」



「文字の人」'13.3/10

 バスに乗って、高円寺の街で降りた。

 久し振りのような高円寺の街は、とてもにぎやかで、

 歩く人々の顔が生き生きとして見えた。

 つい一月前まで、この街に住んでいたのだ。

 こんなににぎやかな街に。

 もう僕の顔には、高円寺が見えないのかも知れない。

 それから友達に会いに西荻窪の街に向かった。

 西荻窪では、落ち着いた喫茶店に寄った。

 となりの席のカップルさんが、本を取り出して、

 その本についてあれこれ話していた。

 そのカップルさんが去ると、60歳代と思われる、

 お洒落な、常連の女性が座った。

 高円寺では、なんだかすべてが生き生きとはしていたが、

 西荻窪のほうが落ち着きがあるのだな。

 あんなふうに一冊の本が話の中心に出て来るのは、

 街が落ち着いているからかもしれない。

 西荻窪から、またバスに乗り、夜の道を走った。

 その先に、僕の今住んでいる部屋がある。

 ここまで来るともう、街のにおいはしてこない。

 あるのは、夜道と、遠く見えてくる部屋のドアだ。

 高円寺に住んでいた頃は、本を読むことから離れていた。

 西荻窪では、本が話の主役になれるようだ。

 そしてこの夜道のある住所では、本の中の文字が見えてくるようだ。

 見えてくるどころではない。

 人の姿となって、現れて来そうだ。


「新曲」'13.3/7

 引越しをして、まだ80箱も荷物を開けていない状態である。

 ギターも荷物の上にあり、部屋の中央に浮いている。

 まだ何も落ち着いてはいないのだが、

 新曲のアイデアは生まれた。

 まだメロディーもリズムも、弾き方もない。

 歌い出しも、サビも決まっていない。

 でもアイデアだけはしっかりしているので、

 うまく作れれば、これぞという歌になる予感がある。

 かつて、それは誰も歌にしたことはないであろう。

 そんなふうに表現した人もいないであろう。

 さて、それを僕がどんなふうに作るか、

 あせらない、あせらない。

 三蔵法師がいる。

 お供の孫悟空・沙悟浄・猪八戒も見つけなきゃね。

 その歌の座る椅子もイメージしなくちゃね。

 そのアイデアがひとつの歌になるためには、

 たくさんの無駄もいる。

 歌の中に出てくる役者もそろえなくてはいけない。

 そして作り過ぎてもいけない。

 メロディーが出来たら、それに合う言葉をのせなくてはいけない。

 まだ何ひとつ決まっていない。

 決まっていないのだが、その新曲がこれからの僕の代表作になることがわかる。

 それがはっきりするのは、歌のかすかなしっぽが見えたときだ。

 しっぽが見えれば、歌はあるのだ。ぜったいになんとかなる。

 楽しみにしてて欲しい。

 僕のすべてでその歌を仕上げようと思う。

 作り過ぎないようにして。



「夜のように静かな」'
13.3/4

 友達の歌を聞いていると、

 なんだか夜中にノートに向かっているような姿を感じることがある。

 それはそれで、とても味のあることなのだが、、。

 にぎやかなメロディーがついていても。

 詩を書く時間というものが、その友達にはあるのであろう。

 僕なんて、まるでない。

 常にギターを弾きながら、歌詞を作っている。

 そうやって出来た歌詞は、夜中にひとりノートに向かっているような、

 雰囲気は出てこない。生まれも育ちも、ギターと一緒だ。

 僕は、どちらかというと、ひとりノートに向かう時間が苦手だ。

 それはどよんとしていて、どこか空気の流れがとまっていて、

 空間が言葉で埋まっているようだ。

 言葉は言葉の存在をたっぷりと示している。

 僕がイメージする歌詞は、メロディーとひとつになった

 メロディーの言葉。

 それはギターのサウンドホールから生まれると思っている。

 歌詞だけを最初に書く人は多いけれど、

 僕はずっと出来ないでいる。



「言葉の船」'13.3/2

 すっと手をはなすと、言葉の船は自分から進んでゆく。

 僕らを包む空気の中、小さな船は進んでゆく。メロディーのようなものを残して。

 ひとつの歌詞が、船になるには、それなりの努力がいる。

 設計図の上に描かれた飛行機が実際の空を飛べるかのと、同じように。

 言葉の船、僕はその力を信じている。

 聞き慣れた童謡がある。それは、メロディーであり歌詞でもあり、

 一体化して、言葉は船となっている。

 ひとつの言葉が次の言葉を呼び、先に進んでゆく。

 それは公園の澄んだ池でもいい、水面に乗せれば、船は自ら進んでゆく。 

 円を描きながら、水面に形を作る。

 「なぜ、そっちにゆくの?」「そっちが呼んでいるからさ」

 「そっちに行ったらどうするの?」「そっちのそっちに向かうのさ」

 言葉が進んでゆくには、何かしらの謎解きと、次の言葉への磁力が必用だ。

 むずかしいことではない。童謡の歌詞は、ほとんどそんな作りになっている。

 先日、高円寺の駅前ストリートで唄う若い女性シンガーの歌を聴いた。

 遠くからだったが、心に届く響きがあった。

 シンプルな歌詞で歌のアイデアも良かった。でも、遠くからでも、

 メロディーに合わせて何か大きな声で喋っているように聞こえた。

 もったいなかった。歌詞を少し、へらしたりすれば、同じでも、

 言葉は船になるのになぁ。

 街の中をメロディーのように進んでゆくのになぁ。


「熱くない味噌ラーメン」'13.2/28

 先日のことだが、とあるチェーン店で、

 味噌ラーメンを注文したら、スープが熱くなかった。

 出前で頼んだら、そういうこともあるだろうけれど、

 そこはお店の中だ。ありえないよ。

 厨房をみれば、若い兄さんが作っていた。

 本人は「俺はラーメン屋のおやじじゃないよ。ただのアルバイトだ」

 と、言うかもしれない。

 でも、理由はどうであれ、熱くないスープを出したらいかん。

 そりゃ、店舗も広く、忙しく、同時に何杯ものラーメンを作っているのかもしれないが、

 熱くないスープの味噌ラーメンを出したらいかん。

 この冬のさなか、熱いスープのラーメンを食べに来たのだから。

 その店のチェック体制はどうなっているのだろうか。

 僕の怒りで、またスープが熱くなれば良いのだが。


「30年ブレッド」'13.2/24

 2011年の8月、僕は「30年ブレッド」という10枚組のアルバムを出した。

 それは、週に一日、一枚ずつ、ほぼワンテイクで録音していったというものだ。

 発表してから、後半のアルバムは自分でも、よく聞いていたが、

 前半、特に一枚目、二枚目は、発売したときに聞いていたきりだった。

 先日、久し振りに、二枚目を聞いていたら、自分でも驚くことがあった。

 何曲かストーリーソングも入っているのだが、それがとてもリアルだったのだ。

 ワンテイクでの録音と言っても、なんとなく録音したわけではなく、

 ホントに集中して録音したいった記憶がある。

 ストーリーソングの場合は、完全に映画のように、そう風景を思い浮かべて唄った。

 何度も歌ってきたうたではあるけれど、「30年ブレッド」に入っているテイクは、

 イメージの定着力がすごい。まさにその場に居るようであった。

 一日に10曲ずつ、それも限られた時間の中で録音していったわけだけれど、

 思わぬ効果もあったようだ。

 懐かしい友に、ほんの5分、駅の改札で会うような感じだ。

 その5分が、すべての時間を凝縮する。

 30年振りに、たった5分、会えたように。

 5分だと言っても、あせることはない。

 今があり、あの時がある。

 「30年ブレッド」の録音、

 ほんとに30年ブレッドですね。


「疲れた亀のように疲れた」'13.2/22

 引越しに際して、お金も使ったが、

 パワーもかなり使った。

 今はまるで疲れた亀のようである。

 歩き移動し疲れた亀が一匹、そこに歩き止まる。

 甲羅も乾くが、さて、一歩も動けない。

 手足は伸びたままだ。

 子供等が通りかかり、

 「おい、この亀、死んでいるのかな」と、言って指でつつくと、

 伸びた亀は、瞬時に手足を引っ込める。

 「なんだ、まだ生きているぜぁ」

 つつかれたと言っても、亀はもう動けない。

 甲羅は、だんだんと乾いてゆくだけ。

 亀はもう一歩も動かない。

 一歩進んだからって、何も変わらないからだ。

 亀は休む。そこにじっとして。

 やがてはお腹がすいてくるだろう。その日はいつだろう。

 それでもいい。それが動く日である。


「ミュージック」'13.2/17

 新居に越してきたけれど、さてどこでギターを弾いていいものやら。

 部屋はまだ段ボールでいっぱいだし、ちょっとしばらくは無理であろう。

 電車の中でCDを聞いたりはしているけれど、やっぱり創作はしなくてはと思う。

 そこで思った。ここまで来たら、自分が楽器になるしかないないと。

 胸の中に弦を一本張って、鳴らすんですよ。常に。

 弦一本だっていろんな音色が出るしね。

 がんばります。


「船は動くか」'13.2/10

 いよいよ引越も間近にせまって来た。

 もうダンボール70箱が部屋にある。

 もうあと20箱出来る予定である。

 そして引越、ほんとに部屋は移動出来るのであろうか。

 引越屋さんは頼んであるので、まあ出来るのだと思うが、

 まるで船が動くようである。

 船は動くか。

 船は道を移動してゆく。


「唄い方」'13.2/8

 来日する大好きなシンガーの歌を一曲、ライブで唄おうと思った。

 ここはぜひ、ハーモニカも歌い方もそっくりにしてみようかなと思っていた。

 リハでいろいろ歌ってみたけれど、やっぱり物真似ではだめであった。

 自分の言葉や息づかいで唄わないと、どうも伝わらない。

 結局、いつもとおりの歌い方でその歌をうたった。

 演奏とハーモニカは多少そっくりにやってみた。

 やっぱり自分の歌としてうたわないとだめなんですね。

 それがよくわかった。

 歌の中の数カ所、似せて歌ってみた。それでちょうどよかった。


「芸人」'13.2/4

 ふと、テレビで観た芸人にはまって、

 You Tubeを何度も観てしまった。

 その人ははじめてテレビに出たと言っていたので、

 有名人というわけではなんだろう。

 その動画はワンステージ8分のものだったが、

 自分のことを知らないであろう観客の心をつかんでいた。

 その8分間の構成の素晴らしさにはぴっくりした。

 あれがエンターテイメントというものだろうか。

 僕らミュージシャンは、8分と言ったら2曲歌うだけだ。

 それで、あれだけ観客を楽しませることが出来るだろうか。

 芸人はすごいな。たった8分で、たっぷりを伝えられる。

 構成力がある。

 僕も見習いたい。


「うたごごろ」'13.2/2

 10枚組のアルバム「30年ブレッド」を久し振りに聞いてみた。

 久し振りに聞くと、いろんなことが自然に思えてくる。

 曲の早さとか。

 10枚目を聞いたら、なかなか良かった。

 よくライブでは、唄っている途中で心が集中出来なくなることもあるが、

 この録音のときは、どの一行も風景に変換しながら、心離れることなくちゃんと唄った。

 久し振りに聞いてみると、それが良くわかる。

 なんだか安心した。

 一枚のアルバムのどの一行からも心が抜けていない。

 聞いているとそれがわかる。


「スティーヴ」'13.1/30

 3月になったら、シンガー・ソング・ライターの

 スティーヴ・フォーバートが.33年ぶりに来日する。

 スティーヴ・フォーバートは、ギターもハーモニカも絶品だ。

 そしてもちろん唄も。声もいい。

 アコースティックギターのリズムの切れは、天下一品だ。

 ハーモニカのオリジナリティーもまた、天下一品だ。

 それなのに、スティーヴはとても信じがたいチケット代で、

 普通のライブハウスで、演奏してくれるという。

 すぐそばで、演奏や唄を聞かせてくれるという。

 ほんとすぐ隣にいてくれるように。

 たしかにスティーヴ・フォーバートの唄は、心の響くようだ。

 すぐ隣で唄ってくれているようだ。

 隣のベンチにいてくれているようだ。

 駅のホームで、ギターを持って立っているようだ。

 すぐとなりにいるのに、その唄と演奏は絶品だ。

 ちゃんと受け止めて来ようと思う。

 ステイーヴさん、会いに行きます。


「四畳半」'13.1/28

 もう5年ほど前だが、

 最初に借りた目白にあるアパートを訪ねてみた。

 二階の7号室に住んでいたのだが、僕の住んでいた部屋だけがサッシ戸になってはいなかった。

 たぶん、借りてがいないのではないか。そして今でも空部屋なのではないか。

 四畳半。下が大家さん。1979年から10年ほど住んだ部屋。ほんと懐かしい。

 24年前に引越して高円寺にやって来たのだ。

 もうすぐその高円寺を離れることになるのだが、

 もし荷物が少なかったら、またあの目白の四畳半に住んでもいいなぁと思う。

 あの部屋で、ほんとよく勉強した。詩の本をたっぷり読んだ。

 散歩もした。唄も作った。

 同じ部屋に戻るのもいいなと思う。まだ空いているのならば。

 一階の大家さんはまだ健在だろうか。もう80歳くらいになったかな。

 「あら、青木さん」と、言って驚くであろう。

 しかし、、現実問題として、それは無理だ。あまりにも荷物が多い。

 あの頃は、インターネットがなかったからね。本を買うしかなかったんだ。

 まあ図書館に行くという方法もあったが。

 もし今、上京して来たなら、

 ギター一本にノートパソコン、着替えが少々の生活でやっていけたかな。

 そしたら、またあの四畳半に戻れたのかな。


「新しい部屋」'13.1/25

 引越すことになり、物件探しの日々が続いた。

 不動産屋さんに寄り、紹介され、実際に観にゆくことになった。

 条件に合う物件がふたつあったという。

 ひとつは、ほんとに良い物件であった。一緒に歩いて現地まで。

 アパートが見えて来た。ドアを開けてもらうと、とてもきれいで、

 なかなかであった。部屋の中をいろいろ歩いてみる。

 なんだか、そこに自分が住んでいるような気がしてきた。

 窓を開けて見える景色も、なんだか観たことがあるようであった。

 (ああ、ここに住んでいるのかな・・)

 「では、もう一件に向かいましょう」と、不動産屋さんが言う。

 (でも、たぶんここに住むんじゃないかな・・)と、思いながら歩いてゆく。

 「こっちの方がもっといいんじゃないですかね」

 「えっ??」

 僕はさっき観た物件の方が、本命の方だと勘違いしていたのだ。

 そして、次の物件の玄関が見えてきて、部屋に入ったとき、

 今度もそこに住んでいるような気がしてきた。

 それもさっきよりもより強く、そこに住んでいるような気がしてきた。

 人生って不思議なものですね〜。


「ティム・バックリィ」'13.1/23

 12弦ギター弾き語りの、ティム・バックリィの1968年のライブアルバムを聴いている。

 フレッド・ニールの「ドルフィン」を取り上げていることでもわかるように、

 たぶん、演奏にも歌い方にもフレッド・ニールの影響がかなりあるように思われた。

 しかし、聞き進めてゆくと、フレッド・ニールの作り上げた世界とは、また別の世界を作りているのがわかった

 なかなか、それは難しいことなんだと思うのだが、みごとにティム・バックリィの世界になっていた。

 感心した。新しい世界を作るって大変だからだ。

 ティム・バックリィは、若くして他界してしまったが、ずっと活躍していたら、

 また新しい世界を作っていただろうと信じる。


「古いライブビデオ」'13.1/20

 20年以上前のライブビデオをデジタル化しているが、

 どのライブも、ちゃんと良いのである。

 自分のライブに関して言えば、当時はうまく演奏できなかったとして、

 がっかりした記憶のあるライブでも、今見れば、それなりに良い。

 しっかりとひとつのライブをやっているのがわかる。

 それは、、僕がそのライブのために考えた曲順表を決めていたときのような感じなのだ。

 本番では、うまく演奏できなかったと思えて、

 次の曲で挽回しようと思ったたりしているわけだが、

 20年以上たってビデオで観ると、全体の構成が伝わって来て、

 それなりに良い。

 たぶん曲順を部屋で考えていたときのイメージ通りになっているのではないか。

 歌ったあとにビデオを観たときは、がっかりしていたとしても。 

 何か伝わって来る。


「雪だるま」'13.1/17

 「雪だるま」(スノーマン) ウォレス・スティーヴンズ

人は冬の心をもたなくてはならない
雪で固りついた松の
大枝や霜をじっとみるためには。

・・・・・・・・

 先日、都心で雪が降った日、

 いたるところで雪だるまを見ることが出来た。

 そして、次の日はよく晴れて、雪だるまは陽射の中にあった。

 外回りの仕事をしているので、その雪だるまを見て歩いていたら、

 午後になって、頭の部分が下にポロリと落ちている雪だるまを何体も見た。

 大きな雪の玉のとなりに小さな雪の玉。

 こんな風景はあまり見たことかなかったなぁ。

 歩きながら考えたのだが、きっと頭の部分の落ちた雪だるまたちは、

 胴の上に、雪の玉をちょこんと置かれただけだったのではないか。

 僕が小さい頃に作った雪たぜるまは、胴の上に頭を乗せ、

 そのつなぎめに「肩」を作ったものだった。

 その「肩」がきっとないのだな。

 大きな雪の玉を作り、その上に小さめの雪の玉を置く。

 そしてそのつなぎめの「肩」を作るときは、手のひらで雪を押しつけなければならない。

 きっとその作業が冷たかったのかな。

 それとも、イメージの中になかったのかな。

 頭の部分の落ちた雪だるまはとても淋しそうだ。

 その落ちたときの惨劇。


「けんか唄」'13.1/14

 もしかしたら僕のかんちがいかもしれないが、

 沖縄の唄をうたう人のライブで「けんか唄」というものを聞いた。

 これも僕のかんちがいかもしれないが、

 ことなったふたつの唄を続けて演奏していた。

 僕の解釈では、このふたつの唄は、相性が悪く、けんかのようになってしまうのであろう。

 しかし、それをつなげて演奏することによって、何倍もの楽しみのある楽曲になるのであろう。

 (おーーい、ともよ、これはなんというすばらしいアイデアなんだ!!)

 40年以上僕も、音楽とともに暮らしてきたけれど、

 「けんか唄」という発想は、いままでなかった。

 ふたつ合わせて演奏する、けんか唄。いいねぇ。

 沖縄の言葉であったので、何がけんか唄なのかわからなかった。

 もしかしたら、本当のケンカについての唄だったのかもしれないのだが。

 「けんか唄」、、今、ひらめく「けんか唄」の二曲は何があるだろう。

 「手のひらを太陽に」と「夢は夜ひらく」か、、。

 「北国の春」と「俺は田舎のプレスリー」か、、。

 いや、もっと相性の悪い唄でないと、、。

 僕もそのうち「けんか唄」をうたわなくっちゃね。


「不動産屋」'13.1/12

 引越しのために、いくつか不動産屋さんを回った。

 僕がかつてお世話になった不動産屋さんは、どれもおやじさんがやっている所ばかりだった。

 いかにもと言う、おやじさん。

 今回、訪ねたところは、30代と思われる人たちが対応してくれた。

 とても丁寧に。インターネットを使い、いろんな情報や物件を探し。

 時代は変わったね。

 不動産屋と言ったら、おやじさんがいろいろ世話をしてくれたものだった。

 今回、契約書だって、こと細かくいろいろ書かねばならなかった。

 まあ、それはそれだが。

 不動産業もサービス業になったんだな。

 希望する物件を一緒に探してくれる。

 とても丁寧で良い感じの人ばかりだったが、

 でも、毎日がそうだったら、それにも限界は来るだろう。

 今回、とてもお世話になった人。とても感謝している。

 でも、仲介だったので、もしかしたらもう会わないかもしれない。

 不動産屋のおやじさんたちは、大家さんとも仲がよく、いろいろ相談にも乗ってくれた。

 つきつめてゆくと、おやじさんたちの方が、親身になってくれる人たちかもしれない。

 親代わりのように。


「1968」'13.1/10

 今、たまたま1968年に録音された洋楽のアルバムを聴いている。

 同じようなメロディーも多くて、なかなか憶えるのも難しい。

 1968年頃と言えば、僕の家にステレオセットがやって来た頃だ。

 その頃はまだ小学生の低学年であったけれど、

 兄の影響で、洋楽をよく聞いていた。

 それから数年の間に、兄は洋楽レコードアルバムを数枚買った。

 (ビートルズのレット・イット・ビーとか)

 そのレコードアルバムをほんとによく聞いた。

 アルバムはその頃、高価なものだったから。

 現代では、レコードからCDに変わり、燃えないゴミの日にレコードが出されるくらいだ。

 中古屋さんでは、一枚100円ほどで売っている。

 もし1968年の頃、何かのきっかけで、レコードアルバムを何枚も手に入れ、

 その中の一枚に今聞いているアルバムが入っていたら、

 レコードガすりきれるくらいに聞いていたであろう。

 どの曲もたっぷりと聞いて。かなり影響も受けたであろう。

 たまたまそんな偶然がなかったわけだが。。

 そんな偶然はなく、僕はほんの数枚アルバムを小さい頃に

 聞いただけだった。


「部屋」'13.1/6

 近々、引越す可能性もあるが、

 まだどうなるかは、不明。

 部屋のことを想ってみる。

 いままでのいろんな時間は部屋とともにあるんだなぁ。

 ここは、もう16年も住んでいる。あっというまだった。

 もしここを引越したら、ここでの時間は、こことともにある。

 もう戻ってこない時間の中に、今はまだ居るんだな。

 泣きたいくらいに、ここには愛着がある。

 東京に来て、いままで二回引越ししているが、

 どの部屋もよく憶えている。

 人生はこのくらいの変化があってもいいのかな。


「うずのなか」'13.1/3

 僕が今、どこに居るかときかれたら、

 「うずのなか」と答えて欲しい。

 それでよい。

 うずのなかには、住所がありません。 

 バランスもとれません。

 そんなときはじっとしているんです。

 なにしろうずのなかですから。

 さからってはいけません。

 『うずのなかのうず』

 うずのなかのうずが見えたら、

 街の真ん中で、小さく目をとじろ

  遠い夏の日の蝉を聴け

  地球のどこかで鳴く、蝉を聴け

 めぐる空 燃える声 今を満たせよ

 うずのなかのうずに追われたら

 トランプジョーカーを一枚胸に置け

  遠い夏の日の蝉を聴け

  地球のどこかで鳴く、蝉を聴け

迷いなき 燃える声 今を満たせよ

 うずのなかのうずに囲まれたら

 どこまでも歩いて 迷子になってみよ

  遠い夏の日の蝉を聴け

  地球のどこかで鳴く、蝉を聴け

あてもなき 燃える声 今を満たせよ

 うずのなかのうずを感じたら

 夜中にココアを 朝にはスープを

  遠い夏の日の蝉を聴け

  地球のどこかで鳴く、蝉を聴け

 そして春 そして冬 今を満たせよ 


「人生もこんなふうに」'13.1/1

 自分の使っているギターはとても不思議だ。

 昨日の朝に弾いたときは、ほんと鳴らなくて、がっかりしていたのに、

 丸一日、弾き続けていたら、次の日には信じられないほどに、よい音になっていた。

 何がどうなっているのか。このギターの。

 弾き込むと、こんなにも音色が変わるなんて。

 その仕組みがわからないのは、

 まるで人生のようだ。

 何でも、きっとこんな感じなのかもしれないな。

 毎日にもきっと響きがあるだろう。


「提案・ちい散歩」'12.12/30

 俳優の地井武男さんが街歩きをするテレビでやっていた

 「ちい散歩」の番組。

 みんなに愛されながらも、地井さんの突然の体調不良、

 そして他界により、番組は終わってしまった。

 (また再開すると信じてしますが・・)

 地井さんが最初に体調不良で番組を休んだときは、すぐに戻って来れるとみんな思っていたが、

 それはかなわなかった。

 残念だったのは地井さん自身であったろう。

 そこで提案だが、

 知らない街歩きを小さくすることを、共通語として『ちい散歩』と呼ぶことにしないか。

 「小さな散歩」の略でもよい。

 あるカップルが言う。

 「今日は天気もいいし、ちい散歩に行こうか」

 ここは思いきって「ちい散歩」を、また別の人でやってもらって、

 シリーズ化してゆけば、言葉は浸透してゆくであろう。

 そのうち広辞苑にも、載るようになるだろう。


「はだしのゲン」'12.12/27

 漫画家の中沢啓治さんが先日、亡くなられた。

 中沢さんと言えば、漫画「はだしのゲン」だ。

 柏崎の実家にいた頃、近所の釣り道具屋さんが貸本もやっていて、

 僕は「少年ジャンブ」を読み続けた。1967年頃から。

 「はだしのゲン」の前にも、中沢さんの自伝的漫画を読んだ記憶がある。

 小学生の僕にはショックな内容であった。

 それでも漫画なので、どこか面白可笑しい。

 おぼえていますよ。漫画にのめりこんで読んだことを。

 今思い返してみると、

 あの漫画を読んでいたみんなは、主人公が自分自身だったのではないかと思う。

 負けないゲン、泣き虫のゲン。

 あの漫画は暗く哀しい出来事を描いてはいるけれど、

 どんな戦争漫画よりも明るい希望を描いていたのではないかと思う。

 「生きる」ことについて。

 もし僕が同じ状況になっていたとしても、ゲンと同じようにするであろう。

 そんなふうに思えてくるのだ。

 「はだしのゲン」を読んでいた僕も同じように小さかった。

 だから感情移入できたのあろう。

 他のどんな漫画よりも、希望を描いていた。

 そんな気がするんだ。


「3600万円あったとしたら」'12.12/24

 この20年、もしぎりぎりの生活をしていたとしたら、

 月15万は貯められていたんじゃないか。

 1年で、180万。10年で1800万。20年で3600万。

 きっと今、3600万、貯まっていたかもしれない。

 三分一、億万長者だ。

 働くのを最小限にして、あとは創作に頑張れたかもしれない。

 その先の30年を。

 そんな人生もアリだったのかな。

 でも、そんな人生は無かった。

 それは僕の人生ではないだろう。

 はっきりとそう言える。

 同じなんじゃないか。

 僕は何かを貯めていたにちがいない。

 きっと3600万円くらい。


「写真家の素晴らしい言葉を聞いた」'12.12/23

 「クリスマス会の写真を撮るんですよ」と言うと、

 その写真家の人はこう答えたと言う。

 「人物と食べ物とか撮りがちになるけれど、

 あとからその写真を観た人が、あれこれ話せるようなものを、

 写真の中に一緒に入れておくと良いよ」と。

 なるほど、それは素晴らしい言葉を聞いた。

 さすがに写真家さんだ。

 僕なんかやっぱり人物中心の写真に撮ってしまうだろう。

 でも、その写真を観た本人が、あれこれと語れるだろうか。

 全体を構図に入れるという単純な考え方はあったが、

 あとで語れるということまでは意識がなかった。

 それは写真だけてはなくて、ひとつの作品にも、ひとつのライブにも、

 ひとつのイベント、ひとつの話にも言えることだろう。

 よくライブでゲストを出したりするけれど、

 それはあとで話すときの大きな要素になると思えた。

 ズームアップだけではだめなんだなぁ。 

 それを実感した。ありがとう、写真家さん。


「もどり道」'12.12/21

 今だって、いつだって忘れてはいない。

 中学1年の冬だったかな。まだ実家の柏崎にいた頃、

 電車で一時間ほど行った大きな街の、大きなレコード店に寄った。

 そこで、発売されたばかり「陽水ライブ・もどり道」を買った。

 そのレコードは、一段上にところに飾られていた。

 LPレコードを買ってもらうなんて、初めてことだったし、

 とても嬉しかった。

 大きなレコードを抱えてまた、一時間電車で帰ったときの気持ち。

 それから毎日、「もどり道」を聞いたわけだ。

 内容は僕を裏切るものではなかった。

 これは陽水のサードアルバムで、ファーストアルバム「断絶」

 セカンドアルバム「傘がない」と音源は聞いていたのだ。 

 アルバムタイトルの意味合い的には、

 ファースト・セカンドアルバムの曲の中から歌ったということであろうか。

 それとも単純にノスタルジックな意味合いであうか。

 それとも弾き語りの原点に戻るということであろうか。

 ほんとうのところはわからない。

 そんな「もどり道」

 あれから40年ほどたった。

 今、そのアルバムを聞く予定はまだないのだが、

 もしも聞いたなら、懐かしい音でいっぱいであろう。

 僕のフォーク魂の原点が聞こえてくるかもしれない。

 まさに「もどり道」。

 もしそのことまで考えてタイトルをつけていたら、すごいものだ。

 たしかに、そこがもどり道になっているであろう。


「チャンネル」'12.12/19

 若い頃は、何でもメロディーをよく憶えた。

 今はなかなか憶えられない。

 民族音楽のメロディーもよく憶えたものだった。

 音源もたっぷり持っていて、グッドな音源アルバムはよく聴いたものだった。

 今ではその感覚もにぶっているようだ。

 きっとそのチャンネルに自分が合っていないのだ。

 また民族音楽にはまったら、ナイスな音にも反応できるであろう。

 今は少し遠い。なんだか異国のよう。

 感覚はにぶってしまった。

 また好きだったアルバムを聴いてみるかな。


「和菓子と弾き語りとフォーク」'12.12/16

 インターネットの動画サイトで、

 いろいろ日本のフォークの達人たちの映像を観た。

 さすがに、歌い方も、表現力も、個性も、極めていますね。

 ある一人のシンガーが伴奏でフルートを吹いていた。

 情緒感たっぷりで。

 それを見ていたら、なんだか和菓子を思い出した。

 日本のフォークの重鎮たちは、きっと味の良い和菓子のようだと思えた。

 ほんのひと口でも、じんと来る。

 たぶん本人たちも、そう思っているのではないかしら。

 そこで僕自身や僕らのことを考えてみた。

 僕らの世代は同じ弾き語りでも、和菓子のようではないな。

 では何だろう。洋菓子でもないし。

 僕らの歌は和菓子であっても、つかもうとしたらつかめないような、 

 何かトリックがあるような、つかもうとしたら磁石のように逃げるような。

 口まで運べず、食べることは出来ない和菓子のようだと思えた。

 先輩のフォーク弾き語りのみなさんは、そのことを言っても、

 「なんじゃそりゃ。和菓子は食べてなんぼなんや」

 と言われそうである。

 たぶん僕らはフォーク弾き語りのふりをしているだけなんじゃないだろうか。

 とりあえず、ギターで弾いているような。

 かと言って、バンドというわけではない。

 亀だと思ったら亀ではない。

 まずそこから、僕らの歌は始まっているようだ。



「海外旅行」'12.12/14

 海外旅行には二回ほど出かけた。

 一度は約一年、二度目は一週間ほどフランスに。

 一度目の海外旅行はもう25年前、そして二度目のフランスは12年前。

 そのどちらもよく憶えている。不思議なくらい。

 二度目のフランスは、ツアーについていっただけだが、それでもよく憶えている。

 日々普段の記憶の鮮明さから言えば、DVDのようだ。

 ほんのちょっとしたこともよく憶えている。

 何度も何度も海外に出かけている人ならば、それも日常になってしまうのだろうか。

 人の記憶のしくみはどうなっているのであろうか。

 12年前も、昨日のようである。


「うまくうたえないうた」'12.12/12

 レコードやCDできいて、自分でも歌いたくなるうたがある。

 歌詞とコードをコピーして、自分で歌ってみるけれど、うまく歌えないうたがある。

 なぜなんだろうと思う。歌自身はとても素晴らしいのに。

 なんだがしっくりこない。

 ずっとそれは、自分の実力不足や歌い慣れないためだと思ってきた。 

 でも最近は、それでもないなぁと思えてきている。

 うまく歌えないうたには何かあるんですよ。

 自分自身の何かが。

 それは関東と関西のちがいのような。

 生まれなじんだ土地のような。

 味噌汁のちがいのような。

 科学変化のような。

 どうしても似合わない服のような。

 もしその歌をうたおうと思うなら、その歌を一度組み直さねばならない。

 自分の中で。


「ヤマハとギルド」'12.12/10

 以前のライブビデオの編集作業を続けている。

 もう20年とか25年前の。

 当時は、ずっとヤマハのFG180の生ギターを使っていた。

 今からもう5年前、ギルドF47の生ギターを手に入れ、それからはずっとギルドだ。

 古いライブビデオを観ていると、ヤマハの生ギターがカリカリって音をさせて、 

 小気味よく高音を響かせていた。それはそれで良い音だった。

 僕もそれなりに弾いていた。

 でも、ギルドギターに変えてからは、何かまったくちがう。

 僕と楽曲をつないでいる途中にあるギルドギター。

 ヤマハを弾いていた頃は、ヤマハギターのサウンドホールから、

 自分の楽曲を鳴らしていたように気がする。

 ヤマハの頃は、自分の足で道を走っていたようだ。

 ギルドギターに変えてからは、自転車をゆっくりこいでいるようだ。

 それはそれで難しいんだよ。

 ヤマハをずっと弾いていたら、そんな感覚にはならなかったかもしれない。

 今もじゃがじゃがと、飯を食べるように弾いていたかもしれない。

 ギルドギターに変えてから、世界は大きく広がった。

 もちろんヤマハにはヤマハの良さがある。正直な音がするし、

 なんといっても、中学の頃のからの親友だし。


「モーニング・シャドーボクシング」'12.12/8

 以前にも書いたことだが、

 どうしても眠いとき、眠けを覚ます一番の方法は、

 「シャドーボクシング」であると確信する。

 シャドーボクシングは、見えない相手と戦うボクシングの練習法である。

 見えない相手と言っても、それを作り上げているのは、自分なのであるが。

 その自分の作り上げた相手に、自分でまた戦うというやっかいな作業である。

 だが、その分、本気でないと出来ないし、必死である。

 朝の眠いときにシャドーボクシングをすると、一発で目が覚める。

 本当だよ。

 やってみてくださいな。

 なんとか、これを学会で発表したいと思うのだが、そんな機会はないであろう。

 ただ、そのことがみんなの一般常識になればいいなと思っている。

 朝の駅のホームでシャドーボクシングをしているサラリーマンの人がいても、

 (あっ、ずいぶん眠いんだな。。)と、くらいに思ってみれるように。

 街角で、学校で仕事場で、

 急にシャドーボクシングを始める人がいても、驚かないように。

 それが子供でも女性でも、神主さんでも、お坊さんでも、牧師さんでも、

 普通に見ていられますように。

 中国の太極拳なら驚かないように。

 モーニング・シャドー・ボクシング

 訳して「MSB」。


「隅田川を眺める人」'12.12/5

 今日、隅田川のしらひげ橋を自転車で走っていると、

 ひとりのおばあさんが歩道横に座り、きらきら光る隅田川を眺めていた。

 話というのは、それだけである。

 河の続きにはスカイツリーも見えている。

 でも、おばあさんは小さい頃に知っている隅田川を眺めているのであろう。

 同じしらひげ橋から。

 今見えている隅田川の景色がちがうとしても、

 同じ所、同じ場所にはちがいないのだ。

 もしそれが若い頃の君だとしたら、

 おじいさんに変わっていても、同じ人なのだ。

 河のカーブや微妙な景色。

 おばあさんには、昔の隅田川が見えている。

 まだマンションなんて建っていなかった頃の。

 僕が一瞬で自転車で通りすぎた、その向こうに。


「おみくじを読む人」'12.12/4

 昨日、電車のシートに座っていると、

 乗ってきたの若い女性の二人組が、話をし始めた。

 ひとりは座り、ひとりは立って。

 そして座っている女性が、今ひいたおみくじを読み始めたのだ。

 待ち人・・忘れた頃にやって来る人と赤い糸で、、。

 その女性のひいた占いがどんなだったか、電車じゅうの人に聞こえていた。

 正直言って、まったく興味なし。

 その人にとっては大事かもしれないが、他の人にはまるで関係がない。

 なぜにあなたはそんなにも、みんなにわかるようにおみくじを読み上げるのか。

 たまたまひいた一枚のおみくじを。

 僕はその人の隣で、文庫本を読んでいた。

 まるでおみくじなんて興味がないというように。 

 おみくじのことで、ふたり盛り上がったあと、

 僕のとなりの女性はこう言った。

 「私、本を読む人になりたい」

 ほ ん と 余計なお世話だ。


「記憶の中に歌があるなんて」'12.12/2

 友達に愛される歌がある。

 今といわず、ずっと前、そのずっと前にも。

 時はたち、もう誰もその歌をうたわくなくなったとしたら、

 もうその歌は記憶の中にしかない。

 あなたの頭の中には、その歌が響くかもしれないが、

 どうやって、その歌に他の人が出会えるだろう。

 僕自身も、今はもうあまり歌っていないうたで、

 友達に愛されたうたがあり、 

 それはインターネットの動画サイトにあげている。

 僕自身がもう盛り上がっていないとしても、

 友達に愛された歌には、何かある。

 自分で歌わないとしたら、動画に歌ってもらおう。

 とても多くの愛された歌が、記憶の中にある。

 その歌は記憶の外に出してあげないといけない。


「今日の夜話・過去ログ'12年8月〜'12年11月」
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