「今日の夜話」過去ログ'12.8月〜'12.11月
「'70年代ライブハウス」'12.11/30
1970年代のライブハウスに僕は行ったことはない。
ライブハウスに通い始めたのは1980年代から。
1970年代といえば、フォークブームが最大に盛り上がっていた頃。
'70年代に録音された先輩のライブ音源などを聞いていると、
ライブ自体が、かなり盛り上がっていたように感じられた。
ノリの良い歌やブルースなどが、受けていたように思われた。
これからの文は想像でしかないが、
'70年代のライブハウスでは、お客さんが盛り上がることが、
ライブのうまいシンガーだったんじゃないかな。
お客さんも、盛り上がりたかったんじゃないかな。
娯楽性があったというか。
'70年代のライブ音源を聞くと、みんなかなりパワフルだ。
ひとつのライブの選曲にも、影響があったであろう。
今もそんなふうに、ライブを思っている人も多いかもしれないな。
普通にロックコンサートでもそうだろう。
でも、特に盛り上がらないと言っても、悪い楽曲ではない。
もし僕が'70年ライブハウスで歌っていたら、
今とちがうライブをしていたように思う。
「歌を作る」'12.11/28
ある程度の年齢になれば、みんな
趣味は好きなことをやっていたいものだ。
歌作りは、簡単にゆく場合もあるけれど、
やっぱりひと苦労、ふた苦労ある作業だ。
ぎゅうと自分をしぼるような。
でもそうやって生まれて来た歌は、
何かを伝えることが出来る。
思い返してみれば、ほんとに楽しんで歌を作っていたのは、
20歳までくらいで、思いつく言葉を並べていただけだった。
それ以降は、言葉を選び、その歌作りに何日も集中して、
なんとか完成させてきた。
それが好きなことと言えるかは、わからないが。
自分のこころのまま、言葉に出てくるままを歌詞にすることもできるが、
それが出来ないところが、歌詞の良さでもある。
それについて時間をかけ、言葉を選んだことが、
ちゃんと伝わるところなのだ。
歌作りを長いこと休んでいる、多くの友達がいて、
ほんとうにもったいないと思う。
そのうち、自然に歌が出来てくるとよいのに。
それを待っているのかもしれない。
「音楽が聞いている。」'12.11/26
たとえリハであろうと、ほとんどお客さんがいないときだとしても、
音楽が聞いている。
そんなふうに思えた夜だった。
「灯籠」'12.11/24
まだあちこちで灯籠を見かけるが、
実際に灯っているのを見る機会は少ない。
江戸の頃までは、その灯りを頼りに夜道を歩いていただろうに。
今やノスタルジックなオブジェのようになってしまった。
灯籠に火をともしてくれないか。
僕の中の遠い記憶がよみがえるかもしれない。
僕らの遠い人たちがみな、夜道にどんな気持ちで灯籠を見ていたか、
それを知りたい。自分もそうしてみたい。
そして灯籠の中には、知恵が一杯つまっているのであろう。
きっとそそれであの形になっているのだ。
夜道で灯籠が灯っているとき、その存在は灯籠を越えていたであろう。
今や、その灯りさえも消えてしまった。
「歌の展覧会」'12.11/22
歌の展覧会のようなものが出来ないものか。
人気の絵の前に人が集まるように、
歌の前に人に集まるような。
シンガーではなく、歌の前に。
歌を眺めるようなことは出来ないものか。
隣の歌の邪魔にならないようなことは、
出来ないものか。
絵の前に立ち止まるように、
歌の前に立ち止まることは出来ないものか。
有名無名は関係なく、好きな歌を探すことは出来ないものか。
ひとり一曲で良い。展覧会に出すように。
歌を眺めることは出来ないものか。
「ペニーホイッスル」'12.11/20
アイルランドの音楽によく登場する笛の「ペニーホイッスル」。
その独特の音色は、いろんな映画に印象深く使われている。
ここ10年は、とくに。
昨日観た韓国の時代劇に使われていた。
ペニーホイッスルの音色が流れると、ぐっとはまる。
そこで思ってみた。
僕の少年時代の回想シーンを流すとき、
ペニーホイッスルは使わないで欲しい。
あんな音色が似合うような暮らしをしては来なかった。
ドラマチックではあったけれど、そこにストーリーはない。
そんな毎日だった。
ペニーホイッスルの音色は聞こえてこない。
「そんな気分はすぐわかる」'12.11/18
ライブも近いので新しく弦を張り替えた。
ピックでじゃがじやが弾いていると、なんともいえない張ったばかり弦の音がしてくる。
金属的な。
一分・二分と弾いていると、たえられなくなって弾くのをやめてしまう。
それでも、耳をすませばギター自身の音も聞こえてくる。
中学の頃、ギターでストローク奏法をやっていると、だんだんと音量が大きくなってしまった。
今ではあまりないが、ときどきは、ギターの音量がだんだんとおおきくなってしまうときがある。
部屋で弾いているのだから、大きくする必用はないのだが。。
満たされない気持ちがあるのであろう。
そんなときはすぐにわかる。ギター本来の音が聞こえなくなってしまうのだ。
大きく弾いても同じことなのに。
「テレビ選び」'12.11/16
先日、秋葉原の大きな電気店のテレビコーナー寄ったら、
大きな画面ですごくきれいなテレビがあった。
説明を読めばハイビジョンの4倍の解像度があるという。。
進化しましたね。
もう液晶テレビも安くなりましたね。
僕が買った5年ほどまえは、まだ画質戦国時代であった。
映像編集をしていることもあり、
自分なりに気に入ったテレビを選ぼうと、何度も家電デパートに通った。
あちこちのメーカーのテレビを、目をこらして見た。約一年ほど。
ちょっとした差なんですけどね。
値段も見た。安い買い物ではなかった。
32型で、10万から20万円ほどした頃。今は安くなりましたね。
新製品が出るたびに、画質をまた見に出かけた。
一年ほど、そんな日々を送り、やっと買ったのだ。
その日々がとても懐かしく感じられる。
「目覚め」'12.11/14
僕のギターは弾いてゆくと、突然に良い音になる。
すると、何もかもいろんこととが目ざめてくようなのだ。
珈琲を飲むことも、テレビを観ることも、弁当を食べるときも。
生活のすべてが。思い出やこれからのことも。
ただギターが良い音になっただけで。
この効果をどう呼んだらいいのか。
この効果をみんなに伝えたい。
「血液分析」'12.11/11
喫茶店で友達がおもしろいことを言った。
「なにしろ、昭和の血がかなり流れているからね」
「その話、もらった」
・・・・・・・・
医者「血液検査の結果が出てますよ」
私「はい、、」
医者「うーん、昭和の血の割合がかなり多いようですね」
私「やっぱりですか。。」
「お医者さん」'12.11/8
久し振りに内科を訪ねた。
杉並区の無料特定健診で。
近くの内科を予約した。初めてゆくところ。
そこは小さな内科であった。60歳代と思われる男の院長さん。
もう長いこと、そこで開業しているのであろう。
歴史を感じる診察室であった。
内科の先生と向かい会った。久し振りに。
ひとことふたこと話しただけで、丁寧でやさしい先生だとわかった。
街であるのに、なんだかそこが遠い地方の診療所のように思われた。
どんどん街は新しい店が出来ているのに。
ここの診療所は変わらないようだ。
現代からどんどん遠くなり、駅前からはなれ、
遠く、地方の小さな診療所になった。
時間も戻ってゆく。
現代医療はどんどん進化してゆくが、
お医者さんに向かい合うその姿は変わらないようだ。
100年前も今もきっと変わらない。
「夢の架空の駅」'12.11/6
いつか見た夢の架空の駅がある。
たぶん同じ夢の中で二回乗った。
今でもはっきりと憶えている。
乗り換え通路も。
電車の中も。時刻も。
あの駅はどこだったのだろう。
どうしてあんなにリアルだったのだろう。
不思議でならない。
僕はあの駅に通勤で何年間も通ったようだった。
本当に。
「声」'12.11/4
今朝、懐かしい夢を観た。
まだ実家にいて、僕は小学生。
家には、父と母、それに兄もいて、みんなでなにやら話していた。
それは夢なので、普通に僕もいるのだが、
父も母も40代で若い。東京の大学に行く兄もまだいる。
起きてみると、とても懐かしかった。
もう父はとうにいないからである。
父が最後、病院にいたとき、僕はその声を録音した。
考えてみれば、父の声を録音してものはひとつもなかったからだ。
しかし、こうして夢で父の声を聞くことが出来た。
夢には、そういう力がある。
声は夢に残っている。
「ひとはほのお」'12.11/1
ひとはほのお
ずっともえてる ちいさなほのお
てをかざして あたたまるくらいの
こちらが すこしつめたいとき
あなたのほのおが あたためてくれる
ほのおからほのおへ
ゆっくりとひがうつる
ぽっ ほっ
ほっ ぽっ
いろいろなかおのかたち
「1999年」'12.10/30
古いライブビデオを編集していて今、1999年のライブまでやって来た。
「1999年」は、1998年の続きではあるけれど、
やっぱり観て違和感のある数字だ。
1999年も普通に生活をしていたし、ほとんど何も変わらなかった。
どんな書類にも「1999年」と書いた。
でも、今思えば、大きな数字だった。
「2000年」の数字には、あまり内容がないが、
「1999年」には、内容の重みがある。
人間の残した1900年代の歴史。
それは変えられない一冊の本となるだろう。
でも、1999年の12月31日、
なんとも実感なく大晦日を過ごした記憶がある。
「親不知を残しますか?」'12.10/28
もう15年ほど前のこと。
奥の親不知の歯が虫歯になり、かかりつけの歯医者さんに行った。
そこの先生はがっしりとした体格の男の人がやっていて、冗談もよく言うが、
しっかりと治療してくれて、信頼できたのだ。
親不知が虫歯になり、先生を訪ねると、こう言われた。
「まあ、親不知だし治療もたいへん。抜いてしまうのが一番早いね」
歯を抜かれるのは、どうも嫌で、僕は「残したいです」と答えた。
すると先生は、
「うーん、、親からもらったものだし、残しますか」と、はっきりと言った。
「お願いします!!」
そして治療はひと月以上続いた。
それから数年、いや10年ほどたってから、あのときの先生の答えは、
先生独特のセンスのある言葉だったんだなとわかった。
そのときの僕は必死だったので、本当に「親からもらったもの」という言葉に納得した。
しかし、あれは歯医者さん一流の気の効いた答えだったのだ。
・・・わらってあげればよかった。
親しらずの歯でも、親からもらったという言葉のセンスに。
もうその歯医者さんは、移転してしまっているが、先生はどこかで続けているだろう。
もしもあなたが、親不知の治療に行ったとき、先生が
「うーん、親からもらったものだし、残しますか!!」と、言ったなら
きっとあの先生かもしれない。
あのときの僕のかわりに微笑んであげて欲しい。
「CDだとそこいらに置いて忘れてしまいます」'12.10/26
高校二年のとき、ボブ・ディランの30曲入りベスト盤のLPレコードを買った。
それは二枚組のレコードで、デビューからの約18年間、そのときどきの傑作曲が入っていた。
その二枚組を、どれだけ聞いたことか。
どの曲もみんな良かった。曲の個性があり。
気に入った曲が出来ると、どうしてもその曲が収録されているアルバムが欲しくなり、
今度は一枚一枚また注文していった。
こんなふうにひとつのアルバムを、本当に楽しんだ。
僕にとって忘れられないアルバム。人生を大きく変えてくれたアルバム。
あのアルバムがなかったら、今の僕もないだろう。
それほどに豊かだったのだ。
思い返せば、、レコードは大きかった。外に出していれば常に目立った。
今はもうコンパクトディスクの時代になった。
それでも素晴らしい音源はいくらでもある。古いアルバムもCD化されている。
しかし、CDは小さい。そこいらに置いてしまうと忘れてしまう。
一日、二日、三日たってしまうと、意識から遠くなってしまう。
同じボブ・ディランのベストアルバムもCDになっているだろう。
ワゴンセールでは1500円くらいで手に入るかもしれない。
手にとって、ポイと聞いて、ポイと置いてしまうかもしれない。
置いたまま、忘れてしまうかもしれない。
「たいへんお待たせしました。ごゆっくりどうぞ」'12.10/24
早い・安い・うまい・と言えば、牛丼の吉野家であるが、
最近は牛丼以外にもいろいろ作っていて、注文してすっと出てこない場合もある。
それでも、待ったなぁというくらいの時間ではない。
しかし、チェーン店の中には、ほんとに時間がそこそこかかる店もある。
どことは言えないが。10分くらい待つときも多い。
ほんとは注文して数分で出てくるのが理想だ。
急いでいて、すぐに食べたいから、お店に入っているんだけどなぁ。
「たいへんお待たせしました。ごゆっくりどうぞ」って言われる。
どうもそれが腑に落ちない。
すくに出てくると思ったのに、待ってしまって、
こちらはガツガツ食べるわい。そのぶん時間もないわい。
たいへん待ったわい。腹へったわい。
わいわい。
「扉」'12.10/22
僕らの以前の企画ライブの映像を今、デジタル化している。
観ていると、実際のライブの当日のことが思い出されてくる。
みんな良い歌をうたっているなぁと思う。
ライブの日から25年以上はたっていて、今、その人はほとんどライブをしていない。
もったいないなあと思う。思うけれど、歌い続けるかは、本人の気持ち次第である。
それでも、歌いたくなって、まずどこで歌ったらいいかと思ったら、
僕らの企画ライブに声をかけて欲しい。
いつでも扉は開いている。心配はいらない。
僕らは待っている。
「絵のない絵本」'12.10/20
もうずっと前から持っている本だが、
アンデルセンの「絵のない絵本」の文庫本を最近、
電車の行き帰りに、一編ずつ読んでいる。
月が観た話を語る三十三夜の物語で、一編は2・3ページで終わる。
小説はなかなか読めないのだが、このくらいの短編ならすっと読んでいける。
月が観た話を絵描きが聞いてゆくという話なのだが、
表現力がとても豊かで驚かされた。子供向けの本でもあるのだろうが、
月が語るという設定であることから話がどこか、
時間と距離が自由に行き来しているところが良い。
誰も観ていないものを視るところも、異空間を作り上げている。
読んでゆくと、シンプルながらも光景がぐーんと浮かぶ比喩が出てくる。
それが実にみごとだ。おもわず絵本の挿し絵にしたくなるような・・。
そして話の内容は、月がこっそりと観た話ばかり。
誰も伝えないような、月の観た話。
それも世界中のいろんな場所の。
1840年に出版された本であるので、
当時は世界のことを知るのもなかなか大変だったであろう。
しかし、観てきた月が話すのだから、なんとも自然だ。
・・・・・・・・
この文庫本は、20年以上前に、
古本屋の店頭ワゴンで50円で買ったもの。
部屋の本棚にあって本当に良かった。
「テデイベアキャンディー口内宇宙」'12.10/18
きおつけをしている小さなテデイベアのキャンディーをもらった。
身長2.5センチ。
なめていゆくと、もちろん少しずつ小さくなってゆく。
いつもならばガリッとかみくだいてしまうみことも多いのだが、
さすがにテデイベアだと思うと、かみくだくことが出来ない。
僕にとってはめずらしいこと。
でも、これならば実行できた。
きおつけをしたままのテデイベアは、口の中でだんだんと小さくなってゆく。
それはまるで宇宙の中を遠くなってゆくようだ。
口の中の遠い宇宙。
やがては消えてゆくのです。
「わたしの便利帳」'12.10/16
もう20年以上、杉並区に住んでいるが、
毎年なのかわからないが「わたしの便利帳」という冊子が届けられる。
中身はいろんな連絡先などが載っている。
つい先日は、荒川区の「わたしの便利帳」を見かけた。
どの区でもあるんだな。もしかして日本全国あるかもしれない。
「わたしの便利帳」、、なんとも良いネーミングだ。
「わたし」と言うのだから、本当は個人個人で、作るオリジナルノートというイメージだ。
いいなあ、そんなノートを作ってみたい。
いろんな便利なことを書いて。
それぞれが、それぞれに。
楽曲の転調コード表とか、何でも。
みんなが持っているといいな。
「わたしの便利帳」を。
「鼻歌変換」'12.10/14
鼻歌で楽曲を唄っていると、
歌詞と歌詞のつなぎの間に、演奏も口ずさんでいることがわかる。
バンド演奏であるならば、そのときどきで印象的なギターやベースのフレーズ、
キーボードやドラムス。
歌詞と歌詞、メロディーとメロディーをつないているフレーズが、
楽曲にとってとても重要なことがわかる。
♪じゃじゃじゃん、じゃじゃじゃじゃん、
♪パーンパーン、パパパンパパパン
擬音語は、いくらでも出てくる。
それは音楽用語では「おかず」と呼ばれるもので、
それによって、楽曲の「ノリ」が決まると言ってもよいものだ。
ベース・ギター・ドラムス・キーボード・コーラス・etc
それぞれが、音を続け、楽曲の演奏となるわけだけれど、
その演奏と歌を鼻歌変換すると、歌詞のメロディーとメロディーのつなぎに、
印象的なフレーズが出てくる。楽器ズームアップというのかな。
僕もやっているが、他のみんなも鼻歌変換するときに、
演奏もついているであろう。
もちろん、耳の中では、演奏全体が聞こえているだろうが。。
あまり、その鼻歌変換については、語られていない。
「猫の身の上話し」'12.10/12
近所にとても猫好きなおぱあさんがいる。
路地路地を歩いては餌をあげているようすだ。
猫たちも自然と集まってくる様子。
あるとき、ふと細い路地に目をやると、
その猫好きなおばあさんが、またちがうおばあさんに話しているのが見えた。
生け垣のところにには一匹の猫。それは白だったか。。
猫好きのおぱあさんは、もうひとりのおばあさんに、
その生け垣にちょこんと座っている猫の、身の上話しをしていたのだ。
「あら、そう〜、、たいへんね〜」「にやぁ〜」
考えてみれば、猫にも身の上話しというものはあるものだ。
どれだけ憶えているかはわからないが、、。
もしかしたら、猫同士もそんなふうに語っているかもしれないな。
「にやぁんとも、たいへんだったにぁ〜」
それはともかくとして、その猫好きのおばあさんは、
猫を愛さずにはいられないのであろう。証言者として。
「冬」'12.10/10
今朝はとても寒く感じた。
まるで冬のように。ストーブをつけたくなった。
もう冬支度して出かけてもよいと思えた。
つい先日までは、真夏のようだったのになぁ。
今年の九月はとても暑く、記録的だったという。
おかしいなぁ、、。秋がないなあ。
今年の夏はとても長くて、体が暑さに慣れてしまったのではないか。
ずっとあたためられた、おでんの具のように。
たぶん今朝、日本中の人が冬を感じているだろう。
しかし本当はまだ秋だ。
冬はもっと寒い。
本格的な冬がきたら、今年はきっと凍えてしまうにちがいない。
「新曲作り」'12.10/8
今、新しい歌を作っているが、
最初のフレーズを見つけるまで、ひと月半かかった。
毎日ギターに向かっては、いろんなフレーズを見つけていったのだが、
どうもしっくりこなかった。イメージとちがうのだ。
この状態で作り進めていっても、たぶんだめだろう。
聞いている側にも、イメージがわかないであろう。
そしてやっと昨日、最初のフレーズが出来た。
ギターの弾き方も決まった。
あとは、そのフレーズの続きを埋めてゆくだけである。
メロディーが持っている言葉を探してゆくだけである。
これからが、またひと山ふた山み山と、作業は続くわけだけれど、
なんとかなるであろう。
なんと言っても最初が肝心だ。
「歌の渦」'12.10/6
風の強い中で、立っていたりすると、
まるで地球ゴマを持った時のような、
強力な磁場の中にいるように感じになるときがある。
腕ひとつ足ひとつ動かすのにも、重くなるような。
・・・・・・・
歌の中の旅を行けば、途中でブリッジと呼ばれる部分が出てくる。
いままでとは違うメロディー展開になるところである。
その「ブリッジ」の部分だけでは歌はなりたたず、
その歌全体と、深くかかわっている。
歌詞の磁場の中にいて、バランスがとれているようなものだ。
言うなれば「ブリッジ」は、その歌そのものの部分なのかもしれない。
歌の中の渦の部分。
台風のとき天気図の衛星写真のような渦。
歌のその部分にさしかかると、強力な歌の磁場が出来あがる。
混沌としてて、それでいて、正体を現した雲の中の龍のようにリアルだ。
迷いこんだ森の中の中心、それは街のどこからも遠く。
・・・・・・・・
先日聞いた大御所シンガーの新しい音楽アルバムは、どこか物足りなさが残った。
どの歌もそれなりなのだけれど、一曲の中に、
ぐっと引きずり込まれる部分が足りないように思えた。
以前だったら、どの作品にも、
途中で渦のようなブリッジの部分があったのだが、、。
「メロディー風景」'12.10/3
毎日、ギターを弾く。
知っているメロディーを弾くこともあるけれど、
創作で、いろんな弾き方やメロディーサウンドも弾く。
ときどきは、まったく未知のサウンドにもなる。
その未知のものが、僕のギターから鳴っている。
それを弾いているのは自分。
自分というより、指が勝手に弾いたというか。
どこにもないようなイメージサウンド。
それは素晴らしいことだと思う。
「そのギターテクニックは」'12.10/1
とてもテクニックもあり、うまかったのだが、
なんだか、やっぱり、人が弾いているようだった。
ときおり入るリードのメロディーの指づかいも、
うまいのだけれど、人が弾いているようだったんだ。
もちろん、ギターは人が弾いているわけだけれど、
音の流れが、ひとつの生き物のようには感じられなかった。
ギターという生き物の。
あなたのギターは、どこかよそよそしかった。
計算された音のようであった。
僕なら、あんなふうには弾かないであろう。
ギターがひとつの生き物のように弾くであろう。
説明するのはむずかしい。
「何気なくでなく」'12.9/29
とある大好きな大御所ミュージシャンの新譜を聴いた。
そのレコーディングに関するエピソードを読んだ。
スタジオにやってきて、バンドメンバーに新しい録音曲を渡し、
数時間リハをして、ラストのツーテイクで録音してゆくのだという。
バンドのメンバーも、一流のミュージシャンなので、
自由自在に音を練り上げられるのであろう。
何でもそうだが、最初のイメージテイクが一番良かったりするものなのだ。
集中力というのかな。
時間をかけるにしても、最初のインスピレーションが肝心であろう。
ニューアルバム用の新しい曲を渡されて、それから仕上げてゆく、
あとはバンドの実力次第であろう。
そして作られたアルバムは、世界中で発売されるのだ。
じっくりと練られたものではないかもしれないが、
新鮮さに満ちた音になっているであろう。一曲一曲が。
僕だったら、事前に何度かリハをして、
録音は一日に三曲とか同時に録ってしまうだろう。
それも、どの歌もライブで何度も歌い慣れた後であろう。
だんだんと歌い方のアイデアも出てくるし。
ミュージシャンに今日録音する曲を当日に渡すなんてとても出来ない。
しかし、歌詞が生まれるとき、曲が生まれるときが、ほぼ即興であるように、
演奏が生まれるときも、同じ状況かもしれない。
そして、やっぱり集中力を使うのは4時間から5時間が限度であろう。
「新譜」'12.9/27
ボブ・ディランの新しいアルバムの国内版を、
発売当日に買って来た。
以前からだが発売当日にやっぱり買ってしまう。
71歳になったとうディラン、まだまだ現役という印象。
家に着いて、新譜を聴いてゆく。
サウンドをあびる感じで聞くのは、以前から変わらない。
二回目を聞いてゆくと、だんだんと曲のイメージがつかめてくる。
三回目くらいから、口ずさめるようにもなる。
明日からは、電車の行き帰りにも聞く。
歌詞に合わせても聞く。
食事をしながらも聞く。
三日四日すると、細かい演奏まで聞き分けてくる。
鼻歌を歌う。
一週間もすると、ギターで弾き出す。
ひと月もしたら、気に入った曲を日本語の歌詞をつけたりする。
これがだいたいいちれんのながれ。
「タイムスリップ」'12.9/24
その喫茶店は、古く柱時計もみんな止まっている。
かかっているレコードは、SP時代のクラシックのもの。
椅子もテーブルも作られてから60年以上はたっているであろう。
ランプの灯りもまた古めかしい。
見回してみると、空調だけは現代のものだが、
他は、ほんと古いままのようだ。
SPレコードからは、古い音源のバイオリンが響いている。
なんだかそれは、今そこで弾かれているようであった。
この喫茶店には時間がないようだ。
時間が止まっているのだから、ここに座る僕にも時間がない。
ただそこに湯気のたつ珈琲の今があるだけ。
ここは地下室にあるのだが、一歩、足を踏み入れたら、
そこはいつの時代でもなくなってしまう。
「川」'12.9/22
柏崎の実家にいた頃は、裏に川が流れていた。
「鵜川」の海につながる下流であった。
僕の小さい頃の日々を思いだすと、「鵜川」がいつもそばにある。
先日、インターネットで、その眺めていた鵜川の写真を見た。
全国、世界中にいろんな川はあるけれど、地元の川は愛しいものだ。
何か、ひとつの人格を感じた。
川はいつからそこに流れているのであろう。
それも24時間、止まることなく、ずっと。
気が遠くなるくらいの昔であろうか。
川は旅人である。
川は赤ちゃんから長老である。
そして言葉も話す。
地元の川は僕らに一番近い言葉を話している。
「横断歩道おじさん」'12.9/20
仕事先の下町の道を、朝に自転車で走っていると、
学校の通学路の横断歩道のところに、初老のおじいさんがいつも、
黄色い旗を片手に立っている。
もう一年半、同じ道を走っているが、いつもそのおじさんはいることに気付いた。
最初は当番制なのかなと思ったが、毎日同じなのだから、
自らそこに毎朝、立っているのであろう。
雨の日も風の日も、夏の日も冬の日も、
そこを通る子供らに「おはよう」と言っている。
僕がそこを走る一年半前より、もっと前からきっとそこに立っているのであろう。
そのおじさんが立っていることで、事故はないのでないか。
ほんとに毎朝、やりがいのある仕事をしていると思う。
そこを通う子供らは、忘れられないだろう。
ほんの朝の一時間かもしれない。
僕はそこを自転車で通るたびに、おじさんが風景のように見えてしまう。
それだけ自然にそこに馴染んでいる。
どうして、そこでそうすることになったか。
いつかそれを尋ねてみたい。
「よく唄う」'12.9/18
日頃から、もっと唄を口ずさみたいと思っている。
一番良く唄うのは自分の歌。
どの歌も唄いたいために、作っているから、それは当然かもしれない。
気に入ったメロディーとフレーズとリズムがあるのだ。
最近、ずっと唄っているのが、自分のふたつ前の新曲である。
なかなかに気に入っているが、
その歌を口ずさんでいる人は、まだ僕だけであろう。
もう二ヶ月はずっと口ずさんでいるので、つい唄ってしまう歌なのだ。
そんな歌が作れて自分で嬉しい。
まだその歌を唄っているのは僕だけだろう。
その歌のこの先が楽しみだ。
「君の見るはこだて」'12.9/16
先日のライブより一曲、動画サイトYou Tubeにアップした。
「君の見るはこだて」という唄。
これは1990年に作ったもので、自分にとってはとても思い出多い唄のひとつ。
新しいタイプの唄を作ろうとして、やっと出来た一曲目で、なんと電子ピアノで作った。
出来てから、多くの人が、この唄を気に入ってくれて、特に北海道の友達には評判が良かった。
それもこれももう20年ほど前の話。
当時はよく唄っていたが、途中の10年ほどは過去の唄として歌詞ノートにしまわれていた。
またこの5年くらいで唄うようになった一曲だ。
ライブで唄うたびに、このフレーズはもっとこんなふうに唄ったらいいなとか、
いろいろと試しながら、唄い方を探っていった。
一行一行、効果的なアクセントを試しながら。。
だから、1990年の作った頃に比べると、かなり唄い方がちがっている。
ギターの弾き方も違う。
ほんと一行一行、唄い方とギターの弾き方を見つけていったのだ。
どんなふうに変わっていったのか、僕自身はよく知っているが、
今、聞く人には、よくはわからないだろう。
ただ、そんなふうに唄っているんだなと、感じられれば良いと思う。
「六時半スタート」'12.9/14
1980年代最初、北千住のライブハウス「甚六屋」によく通った。
当時のスケジュールをみると、夜六時半スタートになっている。
今にして思えば、六時半スタートは早い。
当時、僕は仕事場が目白にあり、午後5時半終了であった。
それから一時間で北千住へ向かったものだった。
1980年の頃ならそれも出来たが、この2012年では、
仕事で5時半にあがるというのは、きびしい。早くて6時頃ではないだろうか。
たいがいのライブハウスも7時スタートである。
ほんとは7時スタートでもぎりぎりではないかな。
1980年当時は週休二日制ではなかったしね。
・・・・・・
話しは変わるが当時のアルバイトは週に六日働いていたので、
それなりに暮らしていけたのかな。
・・・・・・
六時半スタートなら、六時すぎには行っていたわけだ。
夜も長かったね。
「通い道」'12.9/12
両国には約20年通ったあと、
昨年より、仕事の通い先が南千住になった。
先日のこと、ほんと久し振りに両国の駅のそばを自転車で走った。
その道は20年ほど朝に夕に通った道であった。
自転車で走ってゆくと、懐かしさと一緒にいろんな感情がよみがえった。
その通った20年の間にあったいろんなことを。
あの日、この日、いろんな気持ちでこの道を歩いた。
用があり急いで帰った日もあった。
とても悲しい気持ちで歩いた日もあった。
その道はなんとも言い難い懐かしさに満ちていた。
つい一年ほど前まで、通っていた道なのに。
歩いていたときは、慣れすぎていてわからなかった。
久し振りにやってくると、通い道は感情で出来ていた。
「うたを感じるとき」'12.9/10
先日、映画を観ていて、突然に唄の題材がひらめいた。
それはあまりないことではあるけれど、あるときは確実にわかる。
どんな唄になるかはまだ不明ではあるが、その唄の核心部分はつかめた。
唄がひらめくとき、
頭の上がパーッとすっきりするようである。
気持ちの良い風や雲が一瞬で脳の中をすーっと抜けるようである。
発明家がアイデアをひらめくときってこんな感じなのかな。と、思う。
自分自身確実にわかる。
そういう唄のひらめきが来ないで、何か新しい唄を作ることは難しい。
ある程度、題材があったとしても。
これから新曲に変えてゆくには、いくつものいくつもの段階がある。
それは魂に体をつけるようなものである。
「日本人」'12.9/8
アメリカンシンガーの弾き語りのアルバムを聴いていた。
途中で、バンジョーにてトラッドソングを弾き語るのだけれど、
お客さんもアメリカの人であるし、トラッドの良さを共有できるのであろう。
アルバムで聞いている僕は日本人なので、ある程度は楽しめるが、
アメリカの人のようには、楽しめないであろう。
僕がもしアメリカで生まれたなれば、やっぱりアメリカントラッドソングを、
ライブでやっていたかもしれない。
ほぼ同じノリで。
音楽にな国籍はないよと、言われるみなさんも多いだろう。
しかし、やっぱり自分を追ってゆくと、自分のリズムというものが感じられてくる。
それはそれでいい。
僕は日本人で良かったなと思う。
僕は僕なりのトラッドソングを唄い、演奏できる。
アメリカのみなさんには、トラッド感を感じられないかもしれないが。
自分の中のルーツのリズムを楽曲に表現したいと思う。
まだそれははっきりとつかめてはいないのだが。
見えない道がずっと続いている。それとももう見えているのか。
とにかく、つかめてはいないのだ。
探し旅が待っている。僕は日本人で良かったと思う。
「始発には気持ちがある」'12.9/6
始発に乗ってゆく人がいる。
それ以上には、早く行けないよと。
ホントはもっと早く出かけたいのだけれど、
始発に乗ってゆくしかないと。
そんな日が僕にもある。
ホームに立てば、同じように待つ人がいる。
まだ夜が明ける前、そして夜明け間近、夜が明けてすぐ、
一年のうちには夜明け時間も変わる。
そこにいることはなかなかないけれど、
始発には気持ちがある。
二本目には、ない気持ちが。
「SONGS」'12.9/4
僕はよく、自分の歌をくちずさむ。
もともと自分で歌いたくて作ったものなのだかから、
それはあたり前なのだが。
自分の気持ちのよいリズム、気持ちの良いメロディーで、
作ったものだから、口ずさむのは当然だ。
プロのシンガーが「自分のアルバムも持っていない」という話を、
よく聞いた。それはそれで、良いのだが。
みんな自分の作品を愛情込めて作っているのだろうに、
歌うのは、ステージやリハのときなのだろうか。
もともと、みんなどんな歌を口ずさんでいるのだろう。
古い外国のヒット曲とかなのかな。
音楽は聴くもの。そして聞かせるものなのだろうか。
自分の歌では酔えないのであろうか。
僕はもっともっと口ずさむ歌が欲しい。
どんな歌を口ずさむかは、口に任せていよう。
「突然にギターが」'12.9/2
先日のライブのリハをしているとき、
突然にギターが良い音で鳴り出した。
以前より、そういうことはあった。
僕のギターの場合、確かにそれはある。
しかし、なぜかは不明。
それはギターの方ではなく、自分の耳の方なのかもしれない。
それとも、その場所と耳がリンクするのかもしれない。
単純にギターの鳴りがホントに良くなっているの可能性も高い。
とにかく不思議だ。
以前から、それは起こっている。
振動が関係あるのかな。
ギターの目が覚めるのかもしれない。
「それでも何かキラッとするものがあった」'12.8/31
ここ一週間、新曲を作っていた。
お風呂屋さん帰りにイメージ湧いた歌を作った。
まずリズム、そしてギターフレーズ、イメージ出し、、
作ってゆくうちに、材材が少なくて、完成しないのではないかと思えてきた。
シンプルな歌なので、ゴチャとした歌になっては失敗してしまう。
ほんのふたつかみっつの材料を、ぽろっとそろっと並べて歌にしていった。
できるだけ、余分なことを考えないように。
そしていよいよライブ当日となった。一応作った歌詞を並べてみても、
歌にはなりそうもなかった。
物足りなさが、あった。
しかし、考えてみれば、物足りないと思うのは、歌う側の問題であって、
そういうふうにやってきた歌なのだから、それ以上にすることはないのであろう。
ライブで歌ってみたら、なんとなくではあったが「歌」になっていた。
短くて、間奏もない歌であったが、何かキラッとするものがあった。
僕がお風呂屋帰りに感じたイメージは表現されていた。
それでよい。それを作ったということなのだろう。
「歌空間彫刻」'12.8/29
今、新曲を作ってはいるけれど、
さて出来るかどうかは微妙なところ。
材料をそろえてゆくということも出来るが、
完成していないが、完成した歌を、自分の頭の中の耳できくということも大事だ。
難しい言葉になってしまったが、
その歌の完成したであろう歌詞を、自分がどこかで聴いているという設定。
たとえば、それが日本武道館。
客席にも自分がいるし、ステージにも自分がいる。
ステージでその歌を歌い出して、僕が客席で初めて聞く。
一行目が出来ていれば、それは出来る。
どんなふうに二行目が来るのか、そして二番三番の展開。
やっぱり、それは空間彫刻に近いように思える。
時間とともに変わる。
イメージ、イメージは大切だ。
「耳を澄ませば」'12.8/27
最近は、電子メールが電話よりも便利になっているが、
メールのない頃は、まず手紙や電話であった。
コンサートやライブの企画をしていると、よく久し振りの友達に、
電話で出演依頼をした。
お元気ですか? お久し振り、から始まり、
ライブの出演依頼へ。
最近は、それも電子メールで済むようにはなった。
・・・・・・
夏の午後、横になって休んでいたら
今はもう亡くなった友達のことを、ふいに思い出した。
最初によみがえったのが、電話での声であった。
数年ぶりに話す電話の声。
呼び出し音が何度か鳴って、そして「もしもし」の声がした。
ずっとたった今、想い出すのはその声である。
久し振りの電話の向こうの声。
今なら電子メールでやりとりをしているだろう。
・・・・・・・
その昔はみんな電話であった。
想い出すのは、その声のこと。
「熟アルバム」'12.8/25
ジャクソン・ブラウンのファーストアルバムを以前に買った。
良いというレビューは何度か読んだこともあった。
二年ほど前に買って、少し聞いてそのままにしておいた。
ロックに近いサウンドということで、あまり聞かなかったのかもしれない。
そのときの僕の気持ちがアコースティックに向いていたのかな。
二年たって、何気なしにそのアルバムをかけてみたら、
あら、どうだろう。一曲目から、心に沁みてくるのがわかった。
曲とボーカルとサウンド、歌詞の一体感が感じられた。
そう思えたら、次ぎの曲も次ぎの曲も、それなりに良く感じられた。
どの曲も似ているといえば、似ているのだけれど。
独特のうねりがある。
声とバンドサウンドの一体感は、さすがだ。
こんなふうに、熟してゆくアルバムもあるんだな。
時には忘れていたアルバムを聴いてみよう。
「風と僕のメロディー」'12.8/22
夏の下町を仕事で歩いていると、
猫がそっと休んでいる場所がある。
たぶんそこは涼しいのであろう。
僕もそんな場所を見つけて、涼んでいたい。
何も考えずに。ただ休みたい。
ゼロになって、メロディーをききたい。
風と僕のメロディー。
「1番で2番を歌うとだめよ」'12.8/20
みんなで歌うという場所をもうけて、
ひとりひとり何かしら歌っていった。
何も曲を用意してこなかった人もいたけれど、
まあ、歌いなれた歌を選んで、わからないところはみんなで協力して、
歌うようにした。
みんなもよく知っている歌を友だちが歌い、僕がギターを弾いた。
そこに六人ほどいたのだが、ほぼみんなその歌の歌詞を知っているはずだった。
友達は、何度も何度も自分のレパートリーで歌っているので、
歌詞を憶えているとみんな信じていた。
そして友達は歌いだした。
自然な感じで1番、、そして2番に入ったところで急に歌詞が出なくなった。
そこにいたほとんどの人がその歌を知っているのに、
誰も2番の出だしがわからなかった。そして2番を飛ばして3番へ。
あとでわかったことは、1番の歌詞の中で2番をもう歌ってしまっていたのだ。
どんなに思い出しても出てこないわけですよ。
「2500円の価値」'12.8/18
中学生の頃、LPレコードは2500円。
アルバイトをしたときは別だが、基本ひと月にアルバムは1枚しか買えなかった。
2500円の価値の分だけ、楽しんでいたよね。
それから社会人になり、いろんなことにお金を自分で使うようになった。
飲みに出かけても2000円、他のことでもすぐに2000円、
いいアルバムを見つければ2500円。
そんなふうに2500円の価値は自分の中で低くなった。
そして今また2500円の価値が自分生活上大きくなった。
しかしおこずかいのすべてがアルバムと変わるわけではない。
中学・高校生の頃、おこずかいの2500円はすべてであった。
ひと月の間、それを楽しまねばならなかった。
今よりお金が大きかったのだ。
2500円は、25000円くらいの価値があったのだ。
「世界阿波踊り」'12.8/16
電車の車内広告で「南越谷阿波踊り」を観た。
僕の住んでいる高円寺も「高円寺阿波踊り」が有名だ。
阿波踊りって、ある程度は決まりがあるが、一応、誰でも踊れそうな感じである。
それにとても独特でなリズム感があり、観ていてもあきない。
世界的にも、素晴らしい踊りのひとつだと思う。
世界中の人が「阿波踊り」を観たら、感動すると思う。
そして踊りたいと思うだろう。
ここまで来たら、「阿波踊り」を世界の踊りにしないか。
コミュニケーションとしてもとてもいい。すぐ友達になれそうだ。
僕は提案する。
「阿波踊り」を世界の踊りにしませんか。
「自転車屋」'12.8/14
自転車で走っていると、突然前ブレーキのワイヤーが切れてしまった。
どうしょうかと思いながら、舗道を走っていると、古い一軒の自転車屋が目に入った。
全開になっている入口に、老人が腕を組んで座っていた。
「あっ、、すいません。。前ブレーキ、すぐになおりますか」
「すぐに、直るよー」
老人は、いろんな物を下に落としながらもすぐに修理してくれた。
「はい、800円」「どうもー、助かりましたー」
僕の自転車を修理している間も、他の人が、店先で止まった。
そうか、、店先でああやって、待っているんだな。
何か気配のようなものをきっと出しているのだ。
もし、店の入口がしめてあったり、店の奥にいたならば、
声はかけずらかったであろう。おじいさんは商売を知っている。
店先で腕を組んで座り、待っていればいい。
「さらっとぱらっと」'12.8/12
10年ほど前から、よく耳にする歌い方がある。
それをうまく伝えることは難しいのだが、
声がよく飛ぶ紙飛行機のようなのだ。
メロディーに合わせて、気持ちよくその声の紙飛行機は飛ぶ。
ゆっくりと微風に乗り。
自分で飛んでゆくその紙飛行機を見ているのは清々しく、気持ちがよい。
それは確かに気持ちのよい歌声ではあるけれど、
さらっとぱらっとしてて、どこか平面的だ。
たしかに聞くには、耳馴染みがよい。
さて、それはただの歌い方の話に過ぎないのかもしれないが、
この世にやって来て、育って、やがて唄を作り、暮らし、また唄を作り、
自分の声を見つける。それはたぶん自分の生まれたところ。
その声からやって来たのだ。
さらっとぱらっとの声のみんなは、さらっとぱらっとの国から来たのであろうか。
否 否 否 もっとしめった場所ではなかったか。
「URCレコード」'12.8/10
1974年、中学二年のはじめ。友達のお兄さんが、
岡林信康のアルバム「見るまえに跳べ」を持っていて、
それを聞いたのがURCレコードを聞く始まりだった。
「URCレコード」(それがアングラ・レコード・クラブの略だと知るのはずっとあとだが)
1969年よりの最初は会員制のレコード会社であったという。
僕が聞き出した1973年から74年には、かなりの数のレコードが出ていて、
大好きな弾き語りシンガーたちのアルバムをもう多く出していた。
たいがいはファーストかセカンドアルバムで、それ以降はメジャーレーベルに移った人も多かった。
URCレコードは、僕の田舎の柏崎でも売っていて、注文すれば、ほとんど手に入った。
マイナー感たっぶりのレーベルであったが、それでもインパクトはすごいものがあった。
今思い出してみると「URC」の言葉の響きには、独特の親しみが僕にはあった。
他のメジャーレーベルにはない、強さもあった。
自分たちの力で良いシンガーたちを発掘し、そしてレコードを出してきたのだ。
オリジナルソングを作るように。
僕のマイナー体験の最初はすべて「URCレコード」から始まっている。
今も続いていると良かったのになぁ。
いや、今もその魂はこうして続いている。
「よーいどん、ばいばーい」'12.8/8
秋葉原の駅のホーム、階段のところで、午後6時すぎに、
体操服の三人組の中学生の女子が、電車が来たと同時にこう言った。
「よーいどん、ばいばーい」
そして三人は、三方向に走って散っていった。
たぶん秋葉原乗り換えで、三人ちがう電車に乗るのであろう。
何よりも僕にとって感動的だったのは、その言葉だ。
「よーいどん、ばいばーい」
よーいどんとは、何のことであろうか。
反対ホームまで走って行って、こっちの電車に手を降るのであろうか。
その可能性もある。URC
これは新しい挨拶なのだろう。
「よーいどん、はいばーい」
今時の中学生はこんな別れ方をしている。
「よーいどん」。それは、
一番爽やかな別れの響きかもしれない。
「沈黙の音」'12.8/6
沈黙の音といえば、、「 サウンド・オブ・サイレンス」だが、
今日、僕が書きたいのは、バンドでの「沈黙の音」。
実際のライブでは、その沈黙の音が見えているので、体感的にわかるのだが、
ライブではない音源のみとなってしまうと、その一瞬の沈黙感がうまく伝わらない。
ライブでは、他のメンバーがじっと音を待っていて、そこに生まれる静けさがある。
みんながひとつの小さな音に集中するように。
そこにはたぶん、少し聞こえてくるざわめきがある。
クラシックのビアノコンサートでは、大きなホールで咳をする声も聞こえる。
レコードにもそれは入っていて、ノイズというより逆に静けさを感じさせてくれる。
バンドで沈黙の音になるとき、そこにはかすかなざわめき音が聞こえる。
それで音に臨場感が生まれるのではないか。
「和室音楽」'12.8/4
古い和室のタイ料理を出すお店に入った。
昭和30年代と思われる、普通の民家。
外国の音楽が流れていたが、どの歌も厳選されていた。
激しいバンドサウンドではなく、弾き語りに近いユニットもの。
やっぱり、こんな古い和室には、アコースティックなユニットがよく似合う。
すぐそばで歌っているようだし。
楽器のまとまり感のあるサウンドより、ひとつひとつの楽器の音が聞こえるほうが気持ちよい。
ギター一本でもよい。特にフィンガーピッキングの歌は。
リラックスできる。
最近のJポップと呼ばれる歌は、ほとんどがバンドサウンドだが、
さて、この和室に似合うだろうか。
リラックスできるだろうか。
音楽がすっと吹いてくる風のようであった。
大きなホールとかあるけれど、それらはほとんど近代的だ。
和室なホールとかあるといいなと思う。
「言うのは簡単ですが・・」'12.8/2
友だちが「いいよ」って教えてくれる歌い手の歌もある。
みんなが「いいよいいよ」っていう歌い手の歌もある。
ライブハウスにゆくと、大きな拍手をもらう歌い手の歌もある。
いろいろ聞いてみるけれど、なかなか「これっ」と思う歌には出会えない。
歌詞を聴くと、展開がもったいないなぁと思える歌もある。
それらのことにひとつひとつ言葉を書いてゆくことも出来るが、
ここはひとつ「有言実行」で、ゆくしかないなと思うわけです。
自分なりに、歌いたいと思える歌を自分で作る。
それを聞いてもらってメッセージを伝えることがいいな。
うたいなさーい、つくりなさーい、
歌として歌として、歌を咲かそうよー