News   BBS     Biography   AlbumReview   Bootleg   Japan Tour   Single Jacket  
Your Voice 
 Book   DVD,Video  音楽つながり  R&R切り絵  What's New


1974
 最初で最後のフェイセズ来日公演


フェイセズ日本滞在記

 イアン・マクレガン 著 「ALL THE RAGE 」より
Hazex   翻訳





セットリスト

OPENING-THE STRIPPER(TAPE)
MC-TETSU.YAMAUCHI

  1. IT'S ALL OVER NOW
  2. (I KNOW)I'M LOSING YOU
  3. ANGEL
  4. TRUE BLUE
  5. STAY WITH ME
  6. I'D RATHER GO BLIND
  7. MEMPHIS
  8. TOO BAD -DRUM SOLO
  9. EVERY PICTURE TELLS A STORY
  10. MY FAULT
  11. I WISH IT WOULD RAIN
  12. JEALOUS GUY
  13. YOU WEAR IT WELL
  14. MAGGIE MAY
  15. BORSTAL BOY
  16. -AMAZING GRACE - GASOLINE ALLEY
  17. TWISTIN'THE NIGHT AWAY
  18. POOL HALL RICHARD
  19. -WE'LL MEET AGAIN
ENDING-AMAZING GRACE (BAGPIPE SYMPHONY)
(武道館20日)
ツアー・スケジュール

2月15日 大阪 厚生年金会館大ホール
2月17日 同上       (キャンセル)
2月19日 東京 武道館大ホール
2月20日 東京 武道館大ホール

 1974年2月19日、
 このチケットはフェイセズの
 演奏を「聴いていた」はず・・・・・。
 フェイセズのサウンドが、
 ロッドの歌声が、
 ファンの歓声が、
 武道館の空気が、
 薄っぺらな厚さに染み込んだ紙切れ・・・・・・・。
 武道館大ホールのアリーナN列、  92番の席で・・・・・・・・・・・・・・・。


ライブを体験

日本公演の
ライブ音源が
聴けるのはコレ!
他にも幾つかあります。

内容についてはクリックして下さい。

ライブレヴュー


完璧に酔っぱらい状態

 フェイセスの公演は、楽しかったけど、武道館のアリーナ真ん中あたりの席だった私は、2日間とも見たけど、み〜〜ん前の方に押し掛けちゃうし、全然ステージが見えませんでした。仕方ないので、2日とも1階席まで行って、係員と押し問答の末、そこで見ました。銀色のライトがスッゴクきれいでしたよ。
 オフにも一応会いに行ったけど、ロッドにはサインももらいませんでしたね。だって、完璧に酔っぱらい状態で、友人がサインしてもらってるとき、そばで見てたけど、サインしてそのままサインペン持ったまま、ダァ〜〜っと走って階段を下り、階段の壁にそのペンで線ひいてました。そんなの序の口だったらしく、彼らの暴れっぷりは、ZEPに次いで大変なものだったそうで、あとで呼び屋さんが「ああああ、また○○○百万円の弁償だよ〜〜」と泣いてました。
 個人的には、ロッドよりロンの方がステキだったわね。ロッドは、どっちかと言えば、苦手なタイプ。音楽的には大好きで、レコードもいっぱい持ってるけどね。

フェイセスの悪さ、その1
夜中に、同じ階の全然知らないお客さんの部屋に押し掛け、靴の木型でそこの人の頭をひっぱたいた。
フェイセスの悪さ その2
同じく夜中の3時ころにお遊びから帰ってきて、ホテルのロビーにある大きなソファーをどかして、そこで相撲大会を始めた。

呼び屋さんから聞いた話だから、本当なんでしょう。
                        (夏川翠さん)


メンバーに会わせろ!

 何を隠そう私はあの大阪キャンセルの日の経験者でして、ロッドにはえらい目にあわされました。あの日は内田裕也とクリエーションが前座だったんだけど、急遽彼らのワンマンショーになってしまいました。
 当日ラジカセ持ち込んで録音準備万端だったんですが、残念ながら録音はクリエーションだけになってしまいました。それはそれでやけくそで盛り上がりましたけどね。残っていた客は四分の一程度でしたが、当時では珍しくキャンセルの腹いせかほとんどオールスタンディング状態で、ステージ前にみんなが集まりえらい盛り上がりましたよ。内田裕也もさすがプロで、ロッドの分までということで楽しませてくれました。
 当時高校生であった私はなにせ田舎四国から一日がかりで大阪へやってきたもんだから、キャンセルの案内を聞くなり楽屋裏へ乗り込んで暴れた次第です。裕也さんがそこへ出てきて、「こいつらだけは先にチケット代返してやんな」って主催者に掛け合ってくれ、すごすごとお金を握って帰途についた記憶があります。
確か我々はメンバーに会わせろって、暴れたような気がします(笑)当時の数千円は高校生には大金だったようです。ロッドは結局見えなかったけど、あの当時のフェイセズは脂が乗り切っていた頃なので、今から思うと残念ですね。
  (kagemusyaさん    '70's Rock rare pic.秘蔵写真館 





キラキラしていた

 74年のロッドとフェイセズの武道館ライブは最高でしたよ!(笑)あんなにハッピーでゴキゲンなコンサートは無かったですね。フロントのロッドとロンには,なにかオーラがあったね。細い体のテツもカッコよかった。白いアンペグのアンプをずらっと並べて,スポット・ライトに当たったロッドのキツツキ・ヘアーもキラキラしていた(笑)。テクや緊張感のあるバンドは一杯あるけど,フェイセズみたいにフィーリン・グッドなバンドってその後,2度と無いね!(笑)
 武道館ブートは持っているんですけど、音だけではあの日の後光の指したフェイセズの魅力は半分くらいですね!テツがいると,ロニ−・レイン在籍時のフェイセズと音もルックスも違ってくる。いろんなビデオやLDで見ても,あの日のフェイセスはイメージがちょっと違うんですよ。ステージ後ろのアンプを白いカバーで覆って,背景がすごくきれいに見えたんですよ。ZEPみたいに薄暗い照明にしないで,パッと明るく輝いた照明にして,それでロッドが光り輝いて見えましたね。まるでラブラトリー犬が尾っぽを振って飛び跳ねている感じで、もうたまらん,と言うわけです。(笑)
                   ( サキツミベイビーさん)



日本公演初日


 なにをかくそう、小生は1974年2月のFACES大阪公演体験者です。高校1年の冬でした。ステージは、テツの凱旋MCの後、サッカーボールがステージ中央に転がってきて始まりまりました。20年以上たった今でも、あんなにカッコ良かったライヴはありません! 

 大阪公演は2回の予定だったのですが、ロッドが喉を痛めて2日目は中止。 1日目を選んだ小生は、本当にラッキーでした。
(森泰三さん)



幻の大阪2日め

  フェイセズが70年代に来日した時、大阪公演は"ロッド急病の為"中止だったんですが、客入れが始まってからの発表だったので、前座の日本人バンドがえんえん3時間ぐらいやって、お客をなだめたそうです。ブルースクリエイションをはじめそうそうたる面子を堪能したうえ、全額払い戻しとゆー今では考えられないケースでした。
(C.Tmix さん)
 


ロッドへのインタビュー


日本の観客の反応はどうですか?


「友達から日本のことは聞かされていたから興味はあったんだけど、それにしてもあれほどのリアクションがあるとはね!思ってみなかったよ!何より嬉しかったのはさ、僕の曲を知ってる人が一緒に歌ってくれたこと(^^)!」

大阪公演の2回目をキャンセルされたのはどうしてですか?

「コンサートができなかったことはとても残念だし申し訳ないと思ってるよ・・・。初日に張り切り過ぎたのか、翌朝声が出なくなってしまってね。医者にも診てもらったんだ。で、こうなったら東京公演でベストを尽くす方がいいと思ってさ、やむをえず、2回目はキャンセルしてしまったんだ。僕は煙草も吸わないし、ロンドンではこんなことはないんだけど・・・・・。日本の空気はちょっとひどいんじゃないかい?ロンドンの方が何百倍かましだよ。」

ところで、今のマーキュリーレコードから離れる噂があるんですが?

「いったい誰がそんな事言ってんだ? まだ契約があるし、第一、もうすぐ新しいアルバムがでるんだぜ!」

へぇー、それはどんなアルバムになるんですか?

「4月頃に発表できるはずなんだけど、まだ録音は完全に終わってないんでね。イギリスに返ったらすぐにとりかかるつもりさ。マテリアルの多くは僕と相棒のロンが書いてて、他にはマーティン・クインテットンと僕とで書いた曲、それからエルトンとバーニー・トウピンのがひとつ、ポール・マッカートニーのがひとつ、という感じかな?あ、そうそう、アルバムタイトルは「スマイラー」っていうんだ。」

明日はイギリスに帰ってしまうんですね?

「ああ、明日はイギリスに帰れるよ(^^)。

日本がそんなにつまらないですかぁ?

「君がジャマイカにいたら、どんな気持ちになる?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



*このインタヴューはミュージック・ライフ1974年4月号に掲載されたロッドの実際の発言を再編集したものです。
 インタヴュアーは私hazexがやっている、という設定です。


 
山内テツへのインタビュー


日本のファンをステージから見てどうですか?


「やっぱり大人しいんだねぇ。僕らは皆を楽しませるバンドだから、もっと楽しんでくれればいいのにね。やっぱり言葉が分からないからかなぁ?」

向こう(アメリカ、イギリス)ではどんな感じです?

「気違い的に、もっともっとスゴイよ!」

なるほど。ところで貴方がフェイセズに誘われた経緯を教えて下さい。

「去年(1973年)の5月だったかな?ウッディから電話がかかってきて、“ベースを探してるんだけど、ちょっと来てやってみない?”っていうんだ。フリーの連中とフェイセズはすごく仲が良いんだけど、俺はフェイセズメンバーに会ったことも曲を聴いた事もなかったんだ。いろいろオーディションをやったけどいいのが見つかんなかったらしいね。とにかく、ジャムったあと、全員が気に入ってくれて、是非入れって言われたよ。でも俺にはアイランド・レコードとの契約があったから社長やフリーのメンバーに相談してみたんだ。そしたら驚いた事にさ、みんな喜んでくれて、“お前絶対にやれ、とんでもない素晴らしいことだ。”なんてこと言ってくれて・・・・・ほんとに俺は嬉しかったよ(^^)。」

それはほんとに、良い仲間に恵まれましたね。で、フェイセズメンバーなんですが、あなたが一番の大酒飲みとか?

「ああ、ウイスキーを良く飲むよ。でも二日酔いにはビールだね(笑)」

レコードはどんなの聴いてるんです?

「黒っぽいのだけ。特にスティーヴィー・ワンダー!」



*このインタヴューもミュージック・ライフ1974年4月号に掲載されたテツの実際の発言を再編集したものです。
 インタヴュアーは私hazexがやっている、という設定です。