3 産業化とは何であるか

3.1 序論

産業化が内包するコーディネーション問題と政府の関わりを議論する前に、当然産業化が何であるのかを考えなくてはいけない。前章において、途上国の内包するコーディネーション問題に由来して政府の介入の背景が説明されたが、そこで示されたコーディネーション問題も端的なものに過ぎない。政府と産業化の関わりを議論しようとする以上、その関わりは全体的なものとして捕らえる必要があり、投資決定における複数均衡という個別事象のみをもって説明を終わらせることはできない。従って産業化が意味するものが何であるか。言い換えれば何をもって産業化の核心部分ということができるのか。それを明らかにした上で、その核心部分に関連するコーディネーション問題を示す必要があろう。

産業化とは一地域内の産業構造を複雑化・高度化する過程であると定義できる。何が「産業」であるかについては次のような著述がある。

「工業すなわち製造業(manufacturing industry)を指し、農業・建設業・サービス・交通は含まれない。しかし電力事業などエネルギー関係の諸産業は通産省が所轄官庁となっていることからも産業政策の対象に含めて考えていることがおおい。」(「日本の産業政策」(1984)小宮隆太郎他編:pp.3)

しかし、たとえばアメリカのように巨大化かつ高度化した農業は、途上国工業よりも限界生産性が高い場合もあるし、一方で途上国における自転車修理業などはサービス業というよりも工業的色彩が強い。大規模コンビナートの建設が機械産業の高度化と直結していることについては異論はないだろうし、新幹線が他地域産業を密接に結び付けている事実も揺るぎがたいことだろう。従って、本論においては、産業の概念を広くとり、「経済的付加価値を生み出す行為全般」を産業の対象とする。

続く3.2においてはミクロレベルでの経済発展の原動力が何であるのかをシュンペーター及びオーストリア学派の理論によって説明する。3.3では企業のイノベーションをもたらすいくつかの要因を挙げ、経済発展の必要条件を示す。3.4は地域内競争に対して企業を積極化させ、市場をグレードアップさせる要因について説明する。3.5においては利益可能性について説明する。3.6はミクロレベルの経済発展要因から演繹的に導かれたマクロレベルの成長要因と政府行動の関わりについて議論を展開する。3.7は従来の産業化論および途上国における産業政策と比較しつつ、本章のまとめを行う。

  1. 企業レベルの成長要因

従来の開発経済学に登場するプレイヤーは主に政府と市場だけであった。構造主義においては未熟な市場観のなかに企業は埋もれてしまい、国家的に保護されるべきものとして描かれたに過ぎなかった。それは貿易保護の中でレント・シーキング行動をするものとして新古典派から批判されたものでもあった。一方で新古典派の理論のなかでは企業は静態的均衡状態の中で遅滞なく資源配分行動を担う「倉庫番」として描かれていたに過ぎない。

市場とは「私的利益・利潤及び効用の最大化を求める人々の競争を価格という非人格的パラメータによって調整する構造組織」と定義することができるが、企業家にとってはまた別の重要な意味合いをもつ。まず、新古典派の厚生経済によると市場の役割として重要なものに競争を通じた静態的均衡の実現とそれにしたがったワルラス的最適状態の実現があるが、企業家にとってそれは追加的利益機会の消失に他ならない。市場の均衡状態を決定するのはあくまでも需要量と供給量であり、それに従って他律的に行動するとみなされた点で、企業は主体性のない外部的存在になってしまうのである。

しかし実際、企業は主体的である。そして私的利益追求の主体的行動が市場をグレードアップさせ、企業間ないし産業内の構造を複雑化させるのである。それは静態的市場観ではなく、動態的市場観の中ですでに議論されたことであった。市場が静態的均衡状態ではなく動態的な競争の下にあるという認識はより現実的であり、私的利益追求の企業の特性と存在価値を認識している考えである。

オーストリア学派の想定する市場は、不完全であるとされた。市場の情報が常に完全に個々の企業にもたらされることはありえず、戦略の最適化は常に不完全な情報の下におかれる。次にその不完全競争のなかで、個々の企業は利益を最大化するように経営努力をする。均衡状態でなく不均衡であるからこそ、そこに利益機会があるのである。均衡状態の下で新たな戦略を持ち出すことは均衡を破って最適化された資源配分を破壊し、自らの利益を現象させることになる。しかしその最適と思われた戦略も実はもともと不均衡である状態を別の不均衡状態に変える程度であり、完全情報の下にある完全均衡状態を達成するわけではない。つまり、現実世界で完全情報の下で均衡状態を達成している市場は存在せず、企業が利益を追求する市場は常に不均衡なのである。完全競争が均衡をもたらす、または均衡状態は完全競争であるという状態は非現実的であろう(注:「必要とされているのは不均衡の理論であって、企業が最適化する一定の資源のセットや恒常的技術を仮定する理論ではない。成長理論を含む多くの新古典派の経済理論はこれらの仮定を採用することによって、説明されるべきものを捨て去った。事実は、技術は恒常的に進化し、資源は休みなく創造され、グレードアップされるのである。既存の制約条件での最適化で利益が得られるのではなく、制約条件を変更することで利益は得られるのである」『国の競争力優位』第3章註(2))。

この不均衡状態で企業が望む追加的利益は、他企業が持たない何らかの新規独自性をもって達成される。市場内の他企業がすべて保有している場合は、技術にせよ品質にせよ優位性にはならない。このような既存の状態を破壊して新しい与件を作り出す非連続的かつ創造的な変化をシュンペーターは経済発展の核だと考えた。この変化をもたらす創造的破壊ののエネルギーは企業者の革新ないし新結合にあると考えた。生産とは多種多様な生産要素を結合することであり、新結合とはその方法をこれまでにない方法に変更することである。シュンペーターはこの新結合については次のような説明をしている。すなわち、@新しい財貨や品質、A新しい生産工程や生産技術の導入、B新しい市場や新しい市場セグメントの開拓、C新しい材料やその入手先、D新しい形式の組織運営、のいずれの「新結合」かがそれを得た企業活動を高次なものに変え、新たな利益を与えるのである。産業レベルで見れば、新結合が非連続的に現れることによって、発展に特有の変化が現れるのである。シュンペーターはこの新結合がもたらす特有の変化を経済の発展と考えた。

(註:ここで注意しなくてはいけないのは、別産業において旧知の工程なり材料であっても「当該産業・企業において」新しい結合であればそれは「新結合」なのである。例えば、コンピュータも腕時計も従来からあるが、それを組み合わせて腕時計式コンピュータを開発すればそれは「新結合」と呼べるのである。また、自国市場内に未だ存在しない技術なり製品であれば、仮にすでに他地域市場に存在していてもそれは導入した時点で「新結合」と呼ぶことができるだろう。例えば、日本で一般化しつつあるDVD-RAMもいまだにアメリカでは一般化されていない。もしこれがアメリカ市場に導入されれば、それは「新結合」のひとつとして認められるのである。)

このように、上記5つの要素のうちどれかを含む「新結合」を企業が行うことにより、動態的競争市場の中で企業は利益をあげることができるし、そしてそれは同時に当該産業市場を高度化することになるのである。産業の構造的な複雑化の過程は、このように個々の企業が「新結合=イノベーション」を行うことによって達成されていくと理解される。(註:ポーターも『国の競争力優位』のなかで同様のことを述べている。「産業内で新しく優れた戦い方を知るか発見して、そのやり方を市場に持ち込むことで、企業は競争優位を創造するのだが、それは結局イノベーションの行為である。ここでのイノベーションは広い意味であって、技術の向上とよりよい方法ややり方を含む。それは、製品変革、工程変更、マーケティングの新方式、流通の新方式、スコープの新しい捉え方、といった形で示される。イノベーションは単に変化の兆候に対応するだけでなく、変化を速めさせるのである。現に、多くのイノベーションは急激に起こるというよりもむしろ日常的に起こり少しずつ進行する。技術的ブレークスルーによってもたらされるというより、小さな洞察と進歩の積み重ねによって起きる。『新しい』とはいえず、熱心に追求されたこともないアイデアが中心になることもある。正式のR&Dから生まれてくると同様に、企業内で習熟が進んだ結果起こることもある。イノベーションのためにはつねに熟練と知識の育成、設備、マーケティング努力への投資が必要である。」(pp.66))

3.3 イノベーションの発生要因

現実世界における市場はいずれも不均衡・不完全状態であり、それゆえ企業は新結合をもって追加的利益を追求することが可能なのである。そしてその新結合が産業を高度化・複雑化させていくのであるが、何がその新結合を促すのか、それを明らかにしなくてはいけない。自然状態で新結合が促進されるという保証はどこにもないのである。また、特に一地域内の産業の高度化を議論するにあたっては、個々の企業レベルの新結合ではなく、企業群レベルの新結合の促進要因を考える必要があろう。なぜなら特定の一企業が単独で高度化されるケースは稀であり、前後に強い関連性を持つ重化学産業などにおいては関連する企業群全体の高度化が必要になるからである。

何が企業の新結合を促すのか。ポーターはそれを直面する競争であると理解している。熾烈な競争圧力が企業のイノベーションを促し、さらにそのイノベーションが市場競争を高度化させるという相互的な関係がそこにあると論じているのである。「国の競争力優位」において国内のライバル間競争の重要性を以下のように述べている。

__情勢または障害を克服し、優位を変え、グレードアップすることに努める企業はほとんどの場合、競争相手からの圧力、顧客の要求、技術的脅威に刺激を受けている企業である。自らの意思で重大な改善や戦略変更をやる企業はほとんどない。大部分は追い詰められてやるのである。変革への圧力は社内から起こるよりも環境から起こるほうが多い。(pp.78)

__しばしば論じられるのは、国内の競争は努力の重複をもたらし、企業が規模の経済性を獲得するのを妨げるから無駄であるという議論である。外国のライバルと競争できるか、それとも企業間の協力を促進できるだけの規模と実力をもった「ナショナル・チャンピオン」となる一社ないし二社を育てることが正しい解決策だと見られている。しかし、実際には世界的なリーダーシップは国内市場で規模の経済性を享受する一社ないし二社から生まれるといった単純な考えは間違いであり、強い競争力をもった特定国の産業は相当数の企業によって激しい競争が行われている。グローバル競争で成功する企業は、国内で激しく競争し、互いに向上とイノベーションを競い合っている。(中略)静態的効率よりも向上とイノベーションが産業の競争優位の本質的要素だと認識される場合に国内競争は外国の競争よりも優越する(pp.172)。

__国内のライバル間競争などんな競争でもそうだが、企業に対して向上とイノベーションへの圧力を生む。国内のライバルは互いにコスト低下で争い、品質やサービスの向上、新しい製品や工程の創造で争う。企業は長期に渡って優位を維持できない一方で、ライバルからの盛んな圧力が追い落とされはしないかの恐怖と同時に先行したいという気持ちを生み、イノベーションを刺激する(pp.172)

__本拠地を同じくする企業間の競争はいろいろな理由から役に立つ。まず、強力な国内競争企業は向上しようと互いに非常にはっきりした圧力をかけあう。ひとつの国内ライバルが成功すると、それは他社に対して前進は可能だとの警告になり、実証ともなる。また産業に新しいライバルを誘引することにもなる。

__国内のライバル間競争はイノベーションへの圧力を生むだけでなく、国内企業の競争優位をグレードアップさせるようなイノベーションを刺激する。国内にライバルが存在するとその国にいるだけで生まれるような優位、たとえば要素コストの安さ、国内市場への接近または選り好み、供給企業への基盤、外国企業が負担しなければならない輸入コストなどからおこる優位は消されてしまう。例えばいくつかの韓国の競争企業がいたとしたら、どの企業も低賃金や低金利による優位は手に入らない。つまり、国の企業はどうしても高次元の究極的には持続力の強い競争優位を探さざるを得ない。企業は独自の技術を探し、規模の経済性を享受し、自らの国際マーケティングネットワークを作り、並みの企業よりも効果的に国の優位を持つわけだから、基本的要素優位に頼るという態度を捨てざるを得ない。(pp.176)

__ライバル間競争の仮定で個々の企業にとって外部環境となる国の全産業の優位が創造される。国内ライバル群はそれぞれ異なる戦略を試み、多くのセグメントをカバーするいろいろな製品、サービスを創造する。これによってイノベーションの機運は高まり、製品と作戦の幅が広がり、外国ライバルの浸透に対する防壁ができる。外国企業による参入路の一部を取り除くことによって国の優位はさらに強化される。優れたアイデアは国内競争相手が模倣し、さらに改善が加えられて産業のイノベーションのスピードをあげる。企業が互いに模倣しあい、従業員が企業間を移動するにつれて産業の知識と熟練のストックは蓄積されていく。個々の企業はすべての知識や熟練を身につけることは難しいが産業全体としてはイノベーションの加速化で恩恵を受ける。アイデアは国の間よりは国内で速く拡散する。というのは、外国の企業がこの情報伝達プロセスに参加するのは難しいからである。個々の企業が長期間イノベーションの主導権を持ちつづけることはできないけれども、国の産業全体としては外国のライバルよりも速く進歩し、これが国内の多数の企業の収益性を支える。(pp.177)

(註:これらについてはS.ラル及び1997年度世界開発報告も同様の主張をしている。「産業技術開発のための最も適切な誘引要因は安定したマクロ経済下での企業への恒常的競争圧力である」”Understanding Technology development”,1993,pp.743、「産業開発促進のイニシアティブは競争的市場の圧力を通じて誠実に維持されなければならない。競争は、他の国内企業や輸入によって、また輸出市場においても発生する。これらの競争形態の少なくとも一つ以上により、企業が挑戦を受けるシステムになっていないと、資源の効率的利用や技術革新へのインセンティブが欠如し、生産性は向上せず、産業の拡大は維持されないだろう。」1997年度世界開発報告pp.114)

また同時に、国内のライバル間競争は個別企業へイノベーション圧力を与えるだけでなく、直接産業構造を高度化する。

__国内のライバル群は、激しい競争と国内市場への注意に促されてマーケティングに投資する。国内市場シェアを獲得し、または保持するために価格政策は攻撃的になる。製品はまず国内で発売され、次々とその製品の種類が増えていく(pp.195)。

__関連支援産業の発展に最大の影響を与えるのは積極的な国内ライバルである。国際的に成功した国内ライバル群が挑戦し圧力をかけるので、供給産業も発展せざるを得なくなるのである。顧客の間の激しい競争から生まれる圧力の下で供給産業は革新し向上するか、そうでなければ他の企業にとって代わられざるをえない。本拠地の近くにいるために研究のために交流し、共同行動がとりやすい。供給産業はまた、外国の顧客に従ってその国際活動を助けることもでき、自らのグローバル化のスピードをあげることになる。活発な競争に没頭している強力な国内ライバル群は既存の供給企業をひきつけ、グレードアップさせるだけでなく、新規参入によって供給産業における競争基準を引き上げる(pp.204)。

__国が国際的優位をもつ産業では数社の国内ライバルが必ずいる。ライバル環境層が向上とイノベーションを刺激する直接的役割を果たしている。ライバル間競争があると、企業は他の決定要因、たとえば要求水準の高い書いてとか水準の高い供給企業などの恩恵を享受するように刺激されるので、その重要性が高まるのである。しかし、このようなライバル間競争がさらに波及して多くの他の重要な点で国を有利にしてくれることを明らかにする。それらをまとめると次のようになる。

このように、国内のライバル間競争が市場のグレードアップと企業のイノベーションの相互刺激を促進し、かつ同時に直接産業構造を高度化する。そこで、次に「何が国内のライバル間競争をグレードアップ」させるのかという質問を与えなくてはいけない。イノベーションのの促進要因は高いレベルで維持される必要がある。一回きりのイノベーション促進は長期の産業化においては無意味だからである。

  1. 国内の企業間競争を高位に維持するには?

国内競争の存在が国内市場とそのプレイヤーである企業をグレードアップさせうるのであれば、何が国内競争を高い次元で維持しうるのかを問わなくてはいけない。これは競争のプレイヤーが企業であり、国内市場そのものは無生物であることを考えれば、「何が企業を競争に駆りたてるのか」という質問に置き換えられる。市場と企業は相互刺激によってグレードアップされるが、市場は主体的に行動を選択しないからである。そしてもし国内にライバル企業があったとしても、必ずしも産業市場が競争的であるとは限らないのであり、市場と企業が熾烈な競争を維持する条件が明らかにされなくてはならない。

ところで、ハーシュマンの『経済発展の戦略』(1961年・巌松堂出版・小島清慣習・麻田四郎訳では、経済発展にとって最も重要な要因は「結束要因(binding agent)」であると主張されている。これは「発展の実現に必要な多種多様の生産要素、資源、能力を組織化し、相互に協力させるもの」(pp.10)であり、具体的には未利用の貯蓄能力、潜在的な企業者精神、利用可能な多種多様の技術、農業に存在する不完全雇用労働など要因を結びつけることである。その本質は、「成長の見通し」であり、これには「経済成長に対する願望ばかりではなく、成長にいたる道程の基本的性格に関する完全な認識も含まれる」(pp.19)と認識されている。しかし実はこの概念は企業者活動ないし企業そのものに他ならない。松永はその理由を、「資本、労働、技術、経営者などを結合して生産機能を担っていく経済主体こそ企業であり、企業による生産機能の遂行(生産拡大のための投資も含む)こそ企業者活動であって、こういった活動によってはじめて経済発展が実現できるからである」と説明している(pp.47)。また、「発展のための決意を実行する能力、特に投資実行力こそ、途上国における真の稀少資源であり、これをいかにして喚起するかという問題こそ、経済発展における最も本質的な問題である。社会資本の整備や経済計画の作成など政府の果たすべき役割を除けば、これまた企業が遂行すべき機能にほかならないのである。したがって、ハーシュマンが『経済発展の戦略』の中で一貫して探求した「誘発機構」とは単に投資実行力や決意形成能力を最大にするためのメカニズムにとどまらず、企業という「結束要因」の形成を最大化するメカニズムであったと考えられる」としている。引き続いて、「途上国の経済発展に最も必要とされる「結束要因」の主体は企業で」あると認識されている。これに従って「結束要因」の主体を企業と捉えれば、ハーシュマンのいう「成長の見通し」はすなわち「企業成長の見通し」あるいは「競争力強化の見通し」といった形で認識されうる。企業が私的利益追求を前提とする存在であるならば、その企業成長の見通し、あるいは競争力強化の見通しは転じて利益可能性と言い換えることができる。簡単にまとめてしまえば、企業は利益機会を明確に認識した時に、あらゆる要素を結合して利益を奪取するように競争に望むのである(註:「段階から段階へ発展していくには、長時間働き、高い賃金を稼ぎ、大きな利益をもとめ、新しい会社を設立し、大きな企業を作るように労働者やマネジャーが動機づけられることが必要である。モティベーションを持続させるには、国民が一生懸命はたらいたり、よいアイデアを生み出せば必ず報われると信じていることが重要である。資本家もまた、投資を持続するように動機づけられなければならない」(下巻:220)、「国内の成長が速いとその国の企業は現在の投資が無駄になるのではないかという心配もなく、新しい技術を急いで採用し、確信をもって大型で効率のよい工場を建設することになる。逆に需要の成長率の低い国では、個々の機牛は少しずつしか拡大しようとせず、既存の設備や人員に余剰を生むような新技術を受け入れるのに抵抗する。急速な国内需要の成長は技術的変化の時期に特に重要である。この次期は企業が新製品や新工場に確信をもって投資しなければならないからである」『国の競争優位』ポーター、M(pp.141))。競争を高位に維持するためには、利益可能性が条件のひとつとなるのである。この、利益機会を示して企業努力を強いるというのは、ポジティブな条件であるが、これとは反対に、ネガティブな条件をもって企業努力を強いることも可能である。それはすなわちコルナイのいう「ハードな予算制約」である。破産の可能性を示すことで企業に危機感を与え、その分慎重かつ洗練された戦略決定を強いるからである。しかしこの「ハードな予算制約」は私企業である以上当然のことであり、一般に「ソフトな予算制約」によって非効率性を生んでいるのは公企業である(註:しかし公企業のすべてが非効率性を生むわけではない。「中国の地方政府、そして地方政府所有企業の成功に重要であったのは、地方政府事態が直面するインセンティブであった。中国型連邦制が地方政府へ正のインセンティブを与えていると我々は主張する。中央政府の制約は、広範な市場介入を防止するばかりでなく、地方政府間の競争を強化した。それを受け、地方政府は生産要素ばかりでなく、その余剰創出においても競争する。地方政府が友好的な経済環境を育成したために、地方政府の大いなる成功がもたらされ、それが中国全体に伝播しつつある」「東アジアの経済発展と政府の役割」pp.305)。

ここで次に問わなくてはいけないのは、利益可能性が具体的に示す内容である。

3.5 利益可能性

企業が利益可能性を認識したときにライバル競争に駆りたてられるのであるが、上記のような認識に立つ場合、それは他企業に対する優位となる5つの「新結合」のいずれかを認識した場合となる。すなわち、@新しい財貨や品質、A新しい生産工程や生産技術の導入、B新しい市場や新しい市場セグメントの開拓、C新しい材料やその入手先、D新しい形式の組織運営のいずれかの要素である。これらのうちのいずれかを導入することで、他企業に対するアドバンテージになり、それは当然利益的であるからだ。しかしこれらは大きく見て二つに分類される。それは、B新しい市場や新しいセグメントと、それ以外のグループである。

企業が関わっている産業にもよるが、一般にどんな産業においても生産性の上昇が利益に直結する。生産性とはつまりインプットした要素量に対するアウトプットの要素量で示されるものである。少ないインプットでより多くのアウトプットが得られればそれは余剰生産が生まれるか、もしくは経費が節減されたことを示すので、企業にとっては利益的である。この生産性をさらに砕いてみると、そこには二つの要素がある。ひとつは技術革新であり、もうひとつは規模の経済である。前者は「同じ生産量であるが、生産工程/技術の改善によって生産性向上を得る」ものであり、後者は「同じ生産工程/技術であるが、生産規模を拡大することによって生産性向上を得る」ものである。当然製品の種類によってはあてはまらないケースもあるが、産業化で重要視される重化学工業においては概ねあてはまるものである。(註:クルーグマンは競争力政策と呼び得る東アジア型産業政策が有効ではない基本的理由として「ある国の人々全体の生活水準にとって重要な条件は貿易財・非貿易財を問わずその国の労働者全体の生産性である。その国の人々の生活水準の上昇率はほぼ生産性上昇率にひとしくなるのであって、その労働者が貿易財部門で外国の労働者と競争していようが、それはまったく関係ない」ことを強調している。そして生産性ではなく外国と競争している特定分野にだけ焦点をあて、競争力を軸として経済政策を論じることは「危険な妄想」でしかないと非難している。[”Competitiveness: A Dangerous Obsession”, Krugman,P, pp.142]この主張に対しては、さまざまな反論がなされており、ここですべてを羅列することはできない。しかしひとつだけこの主張のなかから重要な論点を取り上げるとすれば、それは生産性上昇の重要性であろう。貿易財・非貿易財問わず、というのはつまり国内市場商品であろうと海外市場商品であろうと関係なく生産性の上昇がその国の発展の軸となるということである。したがって、輸入代替戦略も輸出志向型戦略も最終的に求められるのは市場の場所や広さに関わらずその生産性の上昇率であるということだ。輸出志向型戦略は海外市場を利用し国際競争の下で技術革新を進めて生産性を上昇させたが、もし国内市場が充分に広く、技術開発能力も充分に具備されていれば、国内の閉鎖経済の中でも十分に発展は可能であるということだ。)

上記のような認識に立つ場合、「生産管理の新規技術」及び「規模の経済のための新規市場」が生産性の上昇につながるといいかえられる。また、シュンペーターの5つの要素は、Bを除く4つの要素が広義の意味での「生産管理の新規技術」であり、新規市場がそのまま「規模の経済を達成するための新規市場」を示すものと捉えられるのである。したがって、企業は広義における新規技術、あるいは新規市場/セグメントの存在が示された場合、競争に積極的になると考えられる。

3.6 利益可能性とコーディネーション問題

さて、これらの条件は自然な状態において常に企業の目の前に示されているわけではない。新しい技術や新しい市場がすべて常に明確な状態で存在することもないのである。例えば、コンピュータのOSを考えた場合、選択肢として1980年代後半の時期においてはWindows、FreeBSD、OS/2、MacOS、Tronなどいくつもあった。コンピュータのハードメーカーがどのOSを取り入れるかは同時にどれがデファクトスタンダードになるかわからないという危険を孕んでいたのである。ここに、前章で示した複数均衡のパターンのコーディネーション問題が浮上する。つまり、次期主流候補が複数あった場合、選択者は他の選択者の戦略に依存してしまうのである。もし他の競争者と違って自分だけ異なった選択をした場合、デファクトスタンダードから取り残される結果となり、市場から追い出されることとなる。しかし一方で選択者(=ハードメーカー)の間で情報交換や相互の信頼がなかった場合は、スタンダードの決定が遅々として進まず、市場競争が沈静化もしくは遅滞することになる。先進国の場合は調整機能や十分な情報フローによってこの複数均衡問題は回避されるが、そのどちらも持たない途上国においては産業の成長に致命的なダメージを与えることもあり得る。

また、新規市場に対しても同様である。もしそこに進出することが確実に利益的であるならば大胆な投資決定も可能だが、もし政情が不安定だったり、有力な外資企業の参入の可能性も同時に存在した場合には、当然利益可能性は低くなる。また、大胆な投資こそが利益可能性を実現する条件であるような場合に、消極的な投資をしてしまって失敗するケースも考えられる。

産業を高度化・複雑化する過程では個々の企業の戦略決定及び全体の戦略決定が重要であるのだが、それの原動力となる利益可能性はコーディネーション問題によって確実性が失われているケースも存在するのである。このような場合、民間の調整機能に期待するのが適切なのだが、途上国においては自生的な民間部門の調整能力は概して未発達である。結結論として、この部分を補完できるのは政府以外にはないということになる(註:ポーター『国の競争力優位』pp.189「政府の役割はどうしても部分的ではあるけれども、国の競争優位に対して重要な影響を与える。政府の政策はそれが国の競争優位の唯一の源泉である場合には失敗するだろう。国の優位の決定要因がもともと存在し、政府がそれを強化するような産業において、政府の政策は成功する。政府は競争優位を手にできる見込みを早めたり強化したりできるけれども、優位そのものを創造する力はないように思われる」)。

3.7 幼稚産業論との比較および小括

さて、このような理解の上にたつ産業化過程と政府の関係は従来の考えとどのように異なっているのだろうか。従来、一般的であった考えは幼稚産業は保護されるべきだという議論である。これの背景にあるのは、保護期間において企業家および労働者がその工業化過程で習得する経験の蓄積(学習効果)を通じて費用引き下げ能力を獲得し、最終的には国際的水準に匹敵する生産性を達成するのだという考えである。言い換えれば、当初低い生産性しか持ち得ない幼稚産業を政府が一定期間保護し、学習効果を蓄積させることで国際的に競争力をもつ産業に育成することができるということである。政府が自国の産業化に貢献しうるという点では本論の立場と同様であるが、その理論的背景となる理解にはひとつの大きな違いがある。

幼稚産業保護論は「実行を通じた学習効果(learning by doing)」が必ず一定の割合で外部からもたらされると信じている点である。ナショナル・チャンピオンがことごとく失敗している点から鑑みても、この点は妥当することはできない。生産性向上のひとつの在り方として先進工業国/企業の手法を模倣するというケースは多いにありうるが、それが必ず満足いく結果をもたらすとは限らないのである。ポーターのいうように国内に強力なライバルがいて、激しい競争があるところに新規技術/先進外国技術の積極的導入のインセンティブがあるのであり、企業の存在そのものもしくは産業そのものが保護された自然状態において、企業家精神を発揮するようなインセンティブが存在することは想定できない。ポーターがいうように保護すべきは企業そのものでも産業そのものでもなく、産業内の熾烈な競争状態なのである。これが前提にあって初めて効果的な学習効果が期待できるのである。幼稚産業保護論はこの点を見逃している。

産業そのものもしくは企業そのものを保護するということはすなわちコルナイのいう「ソフトな予算制約」を企業ないし産業に与えることになり、挑戦的な経営努力へのインセンティブを欠く要素となる。一般にナショナルチャンピオンが失敗しているのは主にここに由来する。産業内の熾烈な競争を維持するということと企業/産業そのものを保護することとは等価ではないのである。たしかに幼稚産業は内部の競争が貧弱であり、それゆえ産業自体が貧弱であるのだが、産業自体を保護すると、競争力の核心である競争そのものを弱体化させてしまうのである。もし産業を保護しようとするならば、企業ではなく、産業内の競争を保護ないし維持することが逆に重要となってくる。(註:同様のことをS.ラルも述べている” The best incentive framework for ITD is one which provide constant competition to enterprises in a stable macroeconomic setting. Full exposure to world competition, however, has to be tempered by the fact that a new entrant has to incur the costs and risks of gaining technological mastery, when its competitors in more advanced countries have already gone through the learning process. Depending on the extent of the learning costs and the efficiency of the relevant factor markets and supporting institutions, there is a case for infant industry protection, but protection itself reduces the incentive to invest in capability building.” Sanjaya Lall,"Understanding Technology Development",Development and Change (Sage, London, Newbury Park and New Delhi), Vol.24 (1993), 719-753,Pp743)

このように途上国の貧弱な産業を保護しようとする場合には、何らかの方法で個々の企業に対して競争への強いインセンティブを与えることが重要となるのだが、それはより具体的になんであるのか。どういった事柄が産業内競争を熾烈化させるのか。その点について議論を展開する必要があろう。本章では、「新規技術の明確な存在」及び「新規市場/セグメントの存在」がシグナルされることで企業に利益可能性を示し、競争へ挑戦するインセンティブを与えることを結論とした。そこで続く第4章では「新規技術の明確な存在」とはより具体的には何をいうのか。何が企業に新規技術へのインセンティブをあたえるのかを説明してみたい。また第5章では「新規市場の存在」がシグナルされるとはどういうことか、その点について論じていく。