第2章 これまでの開発経済学

2.1 序論

1940年代後半〜60年代前半に一世を風靡した初期開発経済学は「構造主義」という言葉に集約できる考えを共有していた。この考え方によると、途上国の経済は先進工業国のそれとは構造的に異なっており、その結果豊かな「北」の諸国と貧しい「南」の諸国との経済格差はますます増大する(いわゆる「南北問題」史観)。そして開発経済学の課題は途上国の貧しさの諸原因を探ることであり、また貧しさからの開放を探るさまざまな政策手段を提出することであると論じられた。

1960年代後半以降の開発経済学は類型化すると新古典派アプローチ、改良主義、新マルクス主義的従属論の三つの潮流に分裂した。その中から、新古典派アプローチがあらたに主流派としてのポジションを占めるようになった。この新古典派アプローチは構造主義を徹底的に批判する中から形成されたものである。新古典派アプローチは途上国でも先進国同様に市場は機能し、また途上国の開発が失敗したあるいは歪んでしまった主原因は、途上国政府による過度のまたは誤った介入にあると論じた。

しかし1980年代も後半になると、新古典派アプローチに対するさまざまな批判が噴出し始め、開発経済学は再度のパラダイム変換の時期を迎えることになった。新しい開発の政治経済学、新制度派アプローチ、新成長モデル・アプローチが有力な仮説として浮かび上がってきた。いずれのアプローチも新古典派アプローチが前提としていた「途上国でも市場は機能する」という信念に対する批判から出発している。途上国では不完全市場あるいは市場の欠落が支配的な状況であると想定され、政府と市場の役割があらたな観点のもとで再評価されはじめ、制度あるいは組織の果たす役割に大きな焦点があてられるようになってきた。

この章で問題にしたいのは、これまでのこういった流れのなかで、どういった点が中心課題として論じられてきたかであり、さらにどういった観点のもとで産業政策が理解されてきたか、である。ここではそれぞれの主張に対して緻密に触れていくことはスペースの関係上不可能であるが、幸い、戦後から今日にいたるまでの開発経済学の変動、学説史に関してはすでに充分な研究があるので、そちらを参照されたい(絵所秀紀(1997)「開発の政治経済学」日本評論社など)。ここでは、それらの中心課題の変遷および、産業政策への理解の在り方についてのみ触れることとする。そしてさらにどういったことが現在の中心課題となっているか、今後どういった議論の上に議論が重ねられていくのかを示していく。

まず続く2.2では構造主義から開発国家的見解に至るまでの主な主張とそれに応じた産業戦略を敷衍する。2.3では、新古典派以降の新しいアプローチについてその主張と中心課題について説明される。すなわち、コーディネーション問題と新ケインズ主義のいう複数均衡、そしてさらにそこでどのように政府の役割が期待されているか、という点についてである。最後に2.4において、従来の産業化に関わる理解及びその基盤について、さらに今後の議論の基盤についてまとめを試みる。

  1. 構造主義〜機能的アプローチ

・構造主義

1940年代後半から1960年代前半にかけての初期開発経済学を支配したのは、「構造主義」である。途上国の発展を阻んでいる主要な要因は供給サイドの硬直性であるという認識と、先進工業国の経済構造と発展途上国の構造とは「異質」であり、その異質性が先進国と発展途上国の経済格差の源泉であるという考えである。構造主義は供給制約論、後期工業化論、輸出ペシミズム論、市場の失敗論という諸仮説を軸にさまざまな壮大な開発理論が構築された。

供給制約論とは、工業化にとって不可欠の財、とりわけ資本財の供給または輸入が外貨不足のため困難であり、発展が頓挫するという考えである。さらに成長の阻害要因として経営者の欠如、インフラの欠如、近代的な法体系や政治制度の欠如、勤労倫理の欠如などがあげられる。産業化に必要と思われる多くの要因が供給され得ないために、具体的な供給のみならず、要素供給も構造的に発展しないと考えられたのである。これはヌルクセの「貧困の悪循環」に端的に見ることができる。つまり、「実質所得の低い途上国では人々の購買力は小さく、したがって投資要因が働かない。その結果資本形成が行われず、生産性は低いままにとどまり、ひるがえって実質所得は向上しない。一方供給面では、実質所得が低いために貯蓄能力が低くなり、充分な資本形成が行われない。その結果低生産性状態から抜け出すことができず、実質所得は低いままにとどまってしまう」。これをヌルクセは「低水準均衡のわな」と呼んだ。

二つ目の重要な仮説は「偽装失業論」である。偽装失業とは「労働の限界生産性がゼロ」である状態と定義された。農村において従事している仕事はあるのだが、それは別の誰かが農業産出高を減少させることなく“兼任”することができる状態のことである。つまり潜在的な余剰労働力といいかえることもできよう。途上国においては、人口に対して有効な労働需要が少ないために、必要以上の労働者を農業部門が受け入れているという概念である。

三つ目に触れるべき仮説は、輸出ペシミズム論である。ヌルクセは19世紀におけるイギリスとその植民地のあいだでは、イギリスの急速な成長が一次産品への活発な需要増加を通じて植民地に伝播され、植民地の成長を牽引したと説明した。19世紀には貿易は成長のエンジンであった。しかし、戦後は工業生産の構成変化、サービス部門の比率上昇などの変化を受けて、途上国はもはや一次産品輸出による成長が見込めなくなったと主張した。同時に、ラウル・プレビッシュとハンス・シンガーも「先進諸国に対する発展途上国の交易条件は構造的に悪化傾向をたどる」(プレビッシュ・シンガー命題)と主張した。まずプレビッシュは「歴史的にみて技術進歩の波及は不均衡であり、これが世界経済を工業中心国と一次産品国の生産に従事する周辺国とに分割することに貢献し、その結果所得の成長に差が生まれることになった」と主張した。シンガーもまた、「先進国での工業セクターにおける技術革新の利益はもっぱら所得の増加(すなわち生産者の利益)としてあらわれるのに対し、途上国での食糧及び原材料生産セクターにおける技術革新はもっぱら価格の低下(すなわち消費者の利益)としてあらわれる。したがって先進国と途上国との間で貿易が行われると工業製品に対する一次産品の交易条件は悪化せざるを得ない。つまり先進工業国は一次産品の消費者としてまた工業製品の生産者として二重の利益を得るのに対して途上国のほうは逆に一次産品の生産者としてまた工業製品の消費者として二重の損失をこうむることになる」と主張した。このように自由競争を前提とする国際貿易は途上国には不利に作用すると考えられ、途上国は「自由ゆえに不公平」な競争には参加しないほうがよいという思想を与えた。

最後の重要な仮説は、ケインズ経済学から継承した市場メカニズムの限界を強調する市場の失敗論である。ケインズ経済学は、先進工業国でも市場メカニズムは充分に機能することなく、したがって総需要と総供給を均衡させるためには市場への政府の介入が必要かつ不可欠であるという考えに立っている。途上国においては先進国以上に市場機能が働かないので、当然市場機能を代替する政府の機能は巨大化された。

これらの仮説に対応して構造主義のなかからいくつかの具体的な戦略が生まれた。まずひとつは閉鎖経済を基盤にした単線発展的な工業化である。輸出ペシミズムに由来して国内経済はできるだけ国際経済とは切り離されるべきであり、次いで工業化は一次産品輸出による外貨獲得を通じて国内経済を漸次発展させることが最も近道であると考えられたのである。輸入した財を国内企業が代替する過程で工業化をすすめようとするこの戦略は一般に輸入代替戦略として呼ばれた。そして当然その管理貿易及び国内の未熟な市場を代替するべき政府は万能であるという認識があった。国民の福祉の増進と経済発展の推進のために邁進する「私心のない有能な政府」であることを暗黙の前提とし、政府はすべての市場情報を持ち、政府計画は完全であるという認識があったのである。しかし上記のいくつかの仮説に批判が与えられる一方で、その論理展開にも後に批判が加えられるようになる。その批判者は主に新古典派と呼ばれるグループからであった。

・新古典派

1960年代以降、開発経済学の主流となったのは新古典派アプローチであった。この見解の基盤となっているのは「先進工業国同様に途上国においても市場は機能する」という考えである。そして彼らは構造主義を形成していた仮説のうち、「構造異質論」「輸出ペシミズム論」及び「市場の失敗論」を徹底的に批判するとともに、構造主義の結論として現れた「私心のない有能な政府」に対しては「政府の失敗論」をぶつけた。

まず、輸出ペシミズム論を基盤にした輸入代替工業化戦略が資源配分の歪みをもたらし、そのために成長に貢献しなかったことが理論的にも実証的にも強調された。市場競争を介しない資源配分は恣意的であり、最適な配分からは程遠いと理解されたのである。輸入財を安く仕入れるために自国の為替を高めに設定することは逆に輸出財を弱体化させ、輸入障壁は国内競争を弱め、国民に高い価格を強いるという結果になる。

次に市場の失敗に対しては政府の失敗論をぶつけた。すなわち、経済厚生の観点からすれば、市場の失敗の方が政府の引き起こす失敗よりは被害が少なく(註2-1)、途上国発展の失敗こそは政府の過度の介入が招いたものだとされたのである。

新古典派は以上のような観点からいくつかの工業化戦略を推奨した。まず、規制緩和を主体とする「市場の自由化」である。新古典派は市場至上主義に拠ってたつので、政府の介入を極力避ける傾向にあった。国内市場と国際市場を分ける貿易障壁を撤廃することで国内市場を熾烈な国際自由競争に組み込み、自由競争の資源配分最適化を達成するとともに、比較優位を持つ製品輸出で外貨を稼ぎ、さらに海外の安い製品を輸入するという構造をイメージしたのである。また、先進国の多国籍企業は途上国の安い労働力に魅力を感じて直接投資を行い、技術と知識を移転してくれるものと信じられた。そしてそれらは同時に政府計画が内包する非効率性を脱色するものでもあった。

一方で政府はできるだけその機能を市場メカニズムに移転し、「小さな政府」でいることを望まれた。政府の負う役割は「市場の失敗を是正すること」のみであり、国営企業の多くは民営化し、政府は市場に介入せず、市場機能を最大に活かすことが開発への近道だと考えられたのである。

しかしこれらの主張とは裏腹に、現実の世界では「強い政府」を擁した東アジア経済が目覚しい発展を遂げていた。この事実に立脚して新古典派に再び批判を加えた一派もあったのである。

・開発国家的見解

ジョンソンの日本についての研究、アムスデンによる韓国の経済発展の研究、およびウェイドの台湾の研究はいずれも経済発展における必要不可欠な政府の姿を強調しているものである。

いずれも個別の地域を対象にした研究であるが、共通しているのは、未熟な市場機能を政府が代替して、それを成功させている点である。このことは同時に、新古典派が批判の対象とした「政府の失敗論」を否定するものであり、「必ずしも政府は失敗しないこと」を明らかにしたものといえよう。それだけにとどまらず、政府が市場機能をあえて歪めたことが成長要因であったとするアムスデンの主張は、新古典派の市場至上主義に対して鋭い批判となった。韓国の例を挙げて彼女は「政府が価格を歪めた」ことが国内の輸出産業の発展を刺激し、輸出の増大を通じて経済が発展したと主張しているのである。(註2-2)これは、バラッサが「政府が価格の正常化に努め、同時に時期を誤らずに輸入代替戦略から輸出志向型戦略へ転換したこと」を韓国の経済発展の理由だとする意見(註2-3)と真っ向から反対する主張である。

たしかに、東アジア経済ほどの高い経済成長を達成した経済地域はほかにはなく、その東アジア経済の中においては政府が強いリーダーシップあるいは政府介入を行った国が大半であった、この事実を前にして、世界銀行のスタッフは理論の再構築を迫られることとなった。

・市場友好的アプローチ・機能的アプローチ

新古典派のパラダイム転換としてあげなくてはいけないのは1991年度の世界開発報告および1993年度の『東アジアの奇跡』だろう。この中で、世界銀行の新古典派グループは政府の役割を認めるという点で画期的なパラダイム転換を果たしている。

1991年度の「世界開発報告」によると、政府のなすべきことは次の4つである。第一に、初等教育、保健衛生、家族計画など人的資本を蓄積し改善するための投資。第2に、民間部門の競争を促進するための規制緩和および必要なインフラストラクチャーの整備。第3に、輸入保護撤廃や外資規制緩和を通じる対外開放。第4に、マクロ経済安定。これらの政策は一括して「基礎的政策」と呼ばれている。政府介入は、個々の産業や企業を優遇あるいは差別するのではなく、市場経済の枠組みを全体として改善するために行われるべきである、という考え方を「市場友好アプローチ」という。他方で、政府が国有企業を設立して生産活動に直接かかわったり、保護や規制を通じて特定産業を振興することは望ましくない政策として退けられた。

『東アジアの奇跡』は、やはり基本的には新古典派に立脚しながらもいくつかの点で従来の世界銀行には見られなかった新しい見解が提示されている。まず注目されるのは、「主に北東アジアのいくつかの国(日本、韓国、台湾)では、政府の介入は、それがなかった場合よりもより高くより公平な成長をもたらした」と、積極的な政府介入の友好性を条件付きで部分的ながら、初めてはっきりと認めた点である。ただし、介入が成功するためにすぐれた制度が必要であり、それを整備することはきわめて困難なので一般の途上国はまねをするべきではないと指摘されている。

また、1991年のマーケットフレンドリーアプローチに加えて、あらたに「機能的アプローチ」という考えも示された。これには二つの方法が必要で、一つは市場ベースの競争を裏づけるファンダメンタルな政策である。これは1991年の報告で示されたものと同じである。そしてもう一つが、政府能力が整った国において、より積極的な選択的介入が生み出す「コンテストベース」の競争原理である。コンテスト・ベースの競争とは、望ましい報償を求めて、明確なルールに基づき、官僚が審判となって行う政府主導の企業間競争である。具体的には輸出実績に基づく低金利融資割り当て、銀行の業務成績に基づく支店認可、コスト引き下げ目標の達成に対して与えられる税制上の優遇措置などである。これらのシステムは自由放任政策よりは困難が伴うが、うまく運営されたときは「市場競争」よりも「より優れた結果を引き出すことができる」という。具体的に、東アジア経済の成功については以下の4点を挙げて説明している。

  1. 基礎的条件を正す

    「東アジアの奇跡」はHigh-Performing Asian Economies において実施されてきた政府の政策選択を、"Fundamental Policy"と"Interventional policy"の組み合わせとみなしている(pp15)ファンダメンタルな政策とは、マクロ経済の安定性、高度の人的資本投資、金融システムの安定性と安全性、価格の歪みの制限、外国の技術および農業の発展に対する解放性を促進させる政策である。『東アジアの奇跡』は市場友好的見解に依拠しながら、ファンダメンタルを正すこと(=getting the fundamentals right)があらゆる政府によって行われるべき一義的な任務であることを強調するとともに、HPAEsの政府がそうした任務を首尾よく行ってきたと断言している。しかし、「ファンダメンタルな政策だけでのことの真相を完全に究明することはできない。 こうした経済の大半において、政府は発展を促進するために、そしてある場合には特定産業の発展を促すために、__体系的に多数のルートを通じて__さまざまな形で介入を行ってきた」(pp.5)とも主張している。『東アジアの奇跡』は政府による介入がとりわけ発展の初期段階において市場の失敗をもたらすようなさまざまな調整の失敗に対する反応として合理化されていると考えている。

  2. 政府・民間部門間の仲介機関の重要性

    開発指向型国家モデルは、日本の通商産業省、韓国の経済企画院、多数のHPAEsにおける開発銀行といった国家機関の役割を強調するのであるが、『東アジアの奇跡』は、「審議会」(政府の役人と民間部門の代表が参加して開かれる一種の場)のような政府・民間部門間のさまざまな仲介機関が情報交換を則すことによって市場で生じる調整の失敗を解決したり、情報の非対称性の条件の下で信用供与の効率的配分を実現すなどとおった場面で、重要な役割を果たしてきている点を認めている。『東アジアの奇跡』は「開発指向国家モデルは、政府・民間部門間の協力の中心的役割を見落としている」(pp.13)と主張している。

  3. 成長の成果共有の原理

    『東アジアの奇跡』はHRAEsにおいて高成長が相対的に平等な所得配分を伴ったものであったことを認めている。HPAEsのリーダーたちは、権威主義あるいは温情主義いずれかの傾向を強めていたが、みずからの正当性を打ち立て社会全体の支持を得るために「成長の成果共有の原理(principle of shared growth)」にしたがい、経済が拡張した場合あらゆる集団に対して便益をもたらすことを確約していたと『東アジアの奇跡』は論じている。さらに、成長の成果共有アプローチのもとでは、すべての手段に対して教育が施され、人的資本蓄積を通じて質の高い公的サービスの実現にも寄与することになり、経済は熟練労働者と企業家能力の蓄積を高めるという恩恵にも浴したとも論じている。

  4. 輸出振興戦略

経済の効率的運営を妨げることなくファンダメンタルを正し、成長の成果を共有するという目的を追求するためには、有能な官僚を採用するとともに、それを政治的圧力から遮断した存在にしておく必要がある。そうでなければ、選択的な政府介入によって生み出される経済利益の獲得を狙った特定の利益集団による非生産的なレントシーキング活動が蔓延することになろう。『東アジアの奇跡』は輸出信用などによって支えられた輸出振興戦略(export push strategy)の採用が、資源浪費的なレントシーキング活動を防いできたと論じている。本質的には、政府介入の際に利用されうる補助金は、示された輸出実績によって勝者を決定するというコンテストメカニズムを通じて配分されたとされる。輸出市場が競争的であるために、そうした補助金は、効率的に企業に配分されることになり、効率の促進に一役買った。『東アジアの奇跡』は「輸出振興戦略は最も成功したファンダメンタルと政策介入の組み合わせであり、他の途上国に対して成功の見込みを与える」(pp.24)と主張している。さらに、東アジアにおいて広く実践された国家介入のなかでも、特定産業の促進は、一般的にはうまく機能しなかった。…政策金融と組み合わせられたゆるやかな『金融抑圧(financial depression)』は特定の状況においてはうまく作用したものの、高いリスクを伴うものである」(pp.24)という主張を展開している。

このように、限定付でありながらも政府の効率的な役割を認めた点では従来の新古典派とは一線を画し、開発国家的見解とのギャップを埋めたかのように見えるが、そこにもさらにいくつかの問題点が浮かび上がってくる。部分的にであれ政府の積極的な役割を認めたことは「小さな政府」以外のイメージを抱えたことになるが、それはいったいどういうものか。次に、産業化に対する個別の政府の役割はいくつか説明されているが、大局的にはどういった共通項を持つのか。どういった条件のもとで政府の役割が合理的であるのか。1993年度世界開発報告はこれらについては答えていないのである。

  1. 新しいアプローチとその中心課題

従来の議論においては、中心課題は市場の失敗と政府の失敗のどちらがマシかという部分に集約される。構造主義に対する新古典派の批判は、市場機能をもって政府の失敗を批判したものであったし、その新古典派に対する開発国家的見解の再批判は事実をもって市場の失敗の存在と政府機能の効果を示したものであった。

しかし1991年の世界開発報告以降、その議論は徐々に別のものへと変化していった。すなわち、市場の失敗と政府の失敗という二項対立がもたらす「市場か政府か」という代替イメージではなく、市場機能と政府機能の効果的な組み合わせというイメージである。この変化は当然、中心課題を「失敗量の比較」から「効果的組み合わせの在り方」へと変化させた。

・市場拡張的アプローチ

この新しいパラダイムを最もよく著わすのが、青木昌彦などが主張する「市場拡張的アプローチ」であろう。青木は「東アジアの経済発展と政府の役割(1996年・日本経済新聞社)」のなかでこのように説明している。「市場拡張的見解はコーディネーション問題が生じる場合はつねに、その解決のために民間部門の制度を利用するという指向を具備した政策が望ましいと考える。民間部門は、政府がもっていないような競争、参入、退出といった自己調整的な特性を組み込んでいる。さらに民間部門の経済主体は集権的制度がなしうる以上に局所的な情報に対して適切な形で反応することができる。そうした民間部門の優位性のために、政策論議の範囲を民間部門によって解決されないでいるコーディネーション問題の枠組みのみに限定するとともに、政府行動主義に対する境界を設定する必要がある。」(pp.38)(註2-4)またその一方で「しかしながら政府の境界は経済の発展段階によって左右されよう。経済が低位の発展段階にあるような場合、仲介機関の利用が制約されているのみならず、企業の能力も不充分であり、また経済の統合性の欠如や所有権の取り決めの未発達といった問題が市場の効率すらも妨げることになろう。こうした状況のもとでは、民間部門が挑戦的なコーディネーション問題を解決できる能力を有しているかどうかについては懐疑的にならざるを得ず、政府の政策は発展の促進という領域において大きな意義をもつことになろう。」とも述べている。これは市場機能そのものと政府機能そのものが代替するのではなく、市場を調整する能力と政府の調整能力補完機能が代替関係にあることを示すものである(註2-5)。これと同様の議論は1997年度の世界開発報告の中にも見られる。「市場が未発達な場合、国家が情報の調整の問題と情報の格差の問題を軽減し、市場の発達を促進させることが可能である。長い工業化の歴史をもつ現在の先進国の多くが、開発の初期段階で市場の成長を促すためさまざまなメカニズムを使用した。比較的最近では、日本、韓国、その他の東アジア諸国が経済的、社会的、制度的基盤の確保に加えて、市場の強化のためのさまざまなメカニズムを使用した。介入は時として高度に戦略的な補助金の活用など、きわめて洗練されたものであった。また、輸出促進、特別なインフラストラクチャーへのインセンティブ導入という控えめな介入も行われた」(pp.9)。「有効な国家なくしては持続的な経済・社会開発は不可能である。最小限度の国家ではなく、有効な国家こそが経済・社会開発の中心となる認識はますます強まっており、その際の国家の役割は、開発の指導者ではなく、開発を促進するパートナーである。国家は市場を補完するよう機能すべきであり、代替しようとすべきではない」(pp.27)しかし、同時に「これらの介入の手段の中から、賢明な選択を行い、介入手段を有効に活用する能力が決定的に重要となる。間違って立案された貿易・信用・産業政策によってもたらされる費用はきわめて高い。誤った介入主義的産業政策を追及した途上国の多くは失敗している」(pp.9)とも述べている。そこで次にこれら主張のなかに見える「補完すべきコーディネーション問題」が何であるかを問わなくてはいけない。

・複数均衡モデル

しかし実はコーディネーション問題も普遍的に存在する問題であり、すべてを羅列することは不可能である。ここでは途上国の産業化という課題にのっとって、「どういったコーディネーション問題が開発を妨げるのか」という質問に置き換えて考えていきたい。この質問に対してはクルーグマンなどの新ケインズ主義がよいモデルを与えてくれている。それは複数の企業家による投資決定の事前的調整の有無に対応した複数均衡のモデルである。クルーグマンは、それぞれが規模の経済を実現させる技術的可能性をもっている複数企業ないし部門が存在しており、かつそれら複数企業・部門での投資決定に他の企業化の投資決定に自らの投資決定も依存してしまうという戦略的補完性が存在していることに注目している。このような強い補完性のもとにある複数企業家の間で、投資決定に先立って情報交換が行われなかったり、またたとえ情報交換が行われても他人の投資決定への信頼が形成されない場合には投資決定の調整に失敗してしまうことになり、すべての企業が「規模の経済」を実現させてより高い経済的利益を得るという結果を達成することができない低均衡しか実現されえないことになってしまう。

しかし複数企業家間で個々が自らの方針を情報として出し合い、全員がそれを共有し投資行動へのコミットメントをもつような相互信頼関係が形成される場合は違う結果となる。このときには、複数の主体間で投資決定の調整がうまくおこなわれることになり、それら相互補完関係に諸企業・部門間での金銭的外部経済の利用が可能となり、すべての企業が「規模の経済」を実現しうる「高位均衡」を達成しうるのである。個々の企業が規模の経済を達成しうるだけでなく、中間財の連関、関連労働者のプール、技術知識の拡散といったことを通じて、各企業が構造的に産業ネットワークに組み込まれていく。

つまり、環境次第では個々がもっとも適切な戦略を選択したとしても必然的に全体的には望ましくない結果となってしまったり、反対に望ましい結果につながったりするのである。これを複数均衡という。

特に、前方・後方連関を特性とする重化学工業などでは、前工程部門の投資戦略(=供給)及び後工程部門の投資戦略(=需要)が自らの投資戦略(=生産計画)を決定するので、情報交換は非常に重要なものとなる。もしその情報がなかったりあいまいであった場合は自らの投資戦略が消極的なものとなり、大胆な投資戦略を決定できなくなるという低位の均衡が成立するのである。

2.4 小括

従来、構造主義から新古典派、そして開発国家的見解に至るまで、中心課題とされてきたのはいずれにおいても市場の失敗と政府の失敗、あるいは市場機能と政府機能の比較であった。そしてそれら産業化に関する議論の背景にあったのは未熟な市場を政府が「代替すべきか否か」という議論であった。

しかし1991年の世界開発報告以来、徐々にその議論の中心課題は変化してきた。すなわち、「市場機能と政府機能をいかに効果的に組み合わせるか」「政府はいかにして市場機能を補完すべきか」というところに焦点が移ってきたのである。さらにいえば、「市場機能ではなく市場における民間部門の調整機能をいかに補完すべきか」という問題に集約することができる。新しいパラダイムでは、「市場において普遍的に存在するコーディネーションの問題は、局所的情報を持つ民間部門が担うのが望ましく、政府はその調整能力を補完するところに効果的な役割がある」と認識されているのである。

そして開発を妨げるコーディネーション問題としては複数均衡というモデルが良い例を与えている。新古典派のいうように完全自由な競争の下においても、個々に最適化された戦略が常に全体として最適であるとは限らないのである。これは、個々の企業ではなく国全体の産業化を目指す途上国にとってみれば、重要な問題である。従って、産業化に対して政府が何らかの積極的な補完的介入をする理由はここに端的に求められるだろう。

政府が介入を行う背景は以上のようにが示された。次に第3章において産業化がどのようなコーディネーション問題を孕んでいるかを検討する。

 

註)

2-1:「不完全な市場は不完全な政府介入よりもベターである」Lal(1993)pp.15-16

2-2:彼女によると、先進諸国の発明と革新に基礎を置く工業化とは対照的に、後期工業化の第一の特質は「学習」に基礎を置く工業化にある。後期工業化国では、競争の基礎は低賃金を国家の補助(広範な政府の支持)におかれ、すでに存在する生産物での生産性の増加と質の改善が競争の源である。また、後期工業化の諸制度として1、介入的国家、2、大規模で多角的なビジネスグループ、3、競争的なサラリーマン経営者の豊富な供給、4、低コストでよく教育を受けた労働の豊富な供給を挙げ、韓国を「後期工業化の特別例」として描き出した。

1、韓国では、経済活動を刺激するために「意図的に相対価格をゆがめる」目的で国家がさまざまな補助を用いた。

2、韓国では、補助を与えるかわりに、国家が民間企業に対してパフォーマンススタンダード(目標達成基準)を課した。

3、韓国のサラリーマンエンジニアは後期工業化においてはキーパーソンであり、外国からの技術移転の門番としての役割を果たした。

4、韓国の生産労働者は教育のある労働者である、彼らは世界中でもっとも労働時間が長く、かつて工業化を遂行したどの国よりも高い実質賃金の増加率が見られた。また、労働力は高度に分断化されていた。すなわち、男女感の大きな賃金格差、および軽工業と重工業とのあいだの製造業賃金のきわめて大きな格差の存在。

5、韓国では、国家は外国企業との競争から、新規産業を保護した。しかし、同時に輸入ニーズを満たすためには自由貿易が必要であったために、市場諸力を媒介する役割を果たした。つまり、為替レートと金利の設定において複数価格制度を創出した。

韓国では比較優位のある産業でも国家の補助は必要とされた。韓国が他の後期工業国と違う点は、民間企業に対して国家の規律が課せられた点である。すなわち、輸出目標達成のために輸出パフォーマンスの悪い企業に対してはペナルティーを課す一方で輸出パフォーマンスのよい企業に対しては充分に報いるというシステムを作りあげたのである。

2-3:朴政権が1960年代中がに実施した貿易自由化や為替・金融改革を市場メカニズムの正常化を促した政策と評価している。(Balassa(1989):pp.)

2-4:これと同様のことを末廣昭も述べている「(市場と)政府との関係をとらえる際にはまず業界の秩序化能力ないし調整能力に注目し、それを補完するものとして政府の役割を意味付けるべきだ」(「20世紀世界システム4〜開発主義」東京大学出版(1998)pp.294)

2-5:一方で「しかし経済が成熟化すると民間部門の能力が向上して政策の範囲はより限定されたものになる」と述べ、その政府の役割が民間のコーディネーション機能の充実化に伴って逆に小さくなることを説いている。これは民間のコーディネーション機能が成熟したと思われる先進諸国で民営化が成功し、構造調整で途上国における民営化が失敗した原因を端的に説明している。つまり、民営化が成功する条件として、一定以上の民間のコーディネーション能力が必要であるということだ。IMFが東アジア経済に対して強制した構造調整プログラムや、従来新古典派がアフリカや南米に対してアドバイスした民営化政策はこの点の認識に欠けていたといわざるを得ない。必ずしも民間のコーディネーション問題解決能力が充分であるとは限らないのであり、その場合には政府によるコーディネーション問題解決能力が唯一存在するものとなるからである。