入室者660000人突破記念特別企画
驚異と当然の「読者の声」
犀川&萌絵シリーズへのメッセージ

Page 2

<1ページ目へ> <3ページ目へ> <4ページ目へ>

「さよならの物語」
ねこたびさん (28歳)

 "Homo sapiens"
 "Homo erectos"

 ヒトは歩き続ける動物です。
 抱きつく力もない、巨大な頭脳を持つ赤ん坊に、
 両腕の自由を奪われた最初の母親たちは、呆然と
 立ち上がり、それでも歩き続けたでしょう。

 矛盾がこんなにも綺麗なのだと
 とうとう識ってしまったことを、
 とても、嬉しく思います。
 そして少し、残念に思います。

 さようなら。さようなら。
 振り返る長い足跡の、眩しさと痛みに眼を細めて。

「虚構と混沌と実際」
ハズミさん (東京都、21歳)

 読んでる時はとても楽しかった。
 でも、読み終わったらよく分からなくなった。
 分かるとか分からないとかではなく、なにかこう、漠然とした不安のようなものが残った。

 というのが私の正直な感想です。
 タイトルに引かれて読みはじめたこのシリーズで、私はこのような考え方をする人間がいるということをはじめて知りました。(犀川教授や萌絵、そして森先生です)

 今まで私の周りにはこんな人はいませんでした。
 いないと自分が思ってるだけで本当はいっぱいいたのかも知れません。
 自分と他人は違うということをあらためて考えさせられました。

 一度目の感想は最初に書いた通りです。
 しばらくはこのシリーズを再読することはないと思います。

 けれど、次に読む時には自分も、感想もどう変わっているかがとても楽しみです。
 犀川&萌絵シリーズ、本当に大好きです。ふふっ。

「犀川&真賀田?シリーズ完結」
白石武史さん 

 「有限と微小のパン」読了致しました。「すべてはF」から始まり、とうとうシリーズが完結してしまいました。今回の作品はページ数も多かったですが、最後の作品ということで、なるべくゆっくり読むようにしていました。読み終わっての感想ですが、このシリーズは本当は犀川&萌絵シリーズではなく、犀川&真賀田シリーズではなかったか、と気づいてしまいました。

 犀川と萌絵の2作目から9作目の絡み(変な意味じゃなくて)はすべて『装飾』で、『犀川と四季博士』がすべてではないのでしょうか。私個人としては「封印再度」での犀川先生と萌絵とのやりとりが、事件のトリック以上に目を奪われて非常に好きだっただけにちょっと寂しい気がしますが、結局犀川先生には四季博士しか見えていなかったのかもしれませんね。

 感情を言葉にする、という作業が本当に難しい、と最近つくづく思うので、この辺でやめとこうと思います。

 私の周りで森作品の読者がいないので、ちょっと癖のある奴に勧めてみようと思っています。ではまた。

「最良ではない、出会いと別れ」
小林 悠士さん (船橋市、25歳)

  それは決して最良とは呼べない出会いだった。

  ごく普通の本屋のノベルズコーナーに平積みされた何 冊かのうちの1冊。「すべてはFになる」――そのタイトルは当時の小林には、だいぶキザったらしく感じられたものだった。今流行の(恥ずかしい表現だが)コンピュータ犯罪ものだろうと勝手に判断し、中も見なかった日々。
 そして、何故かそれを手に取ったある日(いつだったかを思い出そうとして、今奥付を見てみたら、第四刷 1997年7月3日となっていた)。
 そこにあふれる「リアル」な世界。犀川助教授の、西之園萌絵の、そして真賀田四季の「天才」性。
 思い描いていた世界が鮮やかにうち砕かれ、より深いものへと構築されていく。
 一作ごとに自分の中でより深層へと世界が「広がる」のを感じたこの一年。

 けれど、終止符は打たれる。

  自分の中に構築された世界は、森先生(著者宛てにメッセージなんて送ったことないので、「先生」と戸惑いなく書けるのは気分が楽)によって作られたVRなんだと痛感させられ、改めてうち砕かれる。「有限と微小のパン」――何が本当で、幻惑しているのは誰なのか。その答えは一応示されたが、それすらも幻想かもしれない。
 最後に残されたものに、自分が何を感じるか。それをどうするのか。
 決めるのは、自分自身に他ならない。
 小林なりに、何とか学び取ったことは、たったそれだけ。
 けれど、その一つのことが確実に小林の世界を変えてくれた。

 森先生、ありがとうございました。

 いつかは来る別れ。別れは大抵、最良とはなり得ない。今回もまた、その多数の例に漏れることはない。
 けれど、僕らは、有限の生死と微小の涙の狭間で、出会いと別れを繰り返す。

また、改めてお会いしましょう。

「いろんな読み方」
佐良土淳一さん (東京都、30歳)

 真賀田四季は犀川先生にメロメロですね。二人にとっては恋愛の解釈が普通とだいぶ違いますけど。 たとえば物理的に拘束する事にはまったく意味がないとか、「あっ、今おなじ事考えてた」なんて シンパシーは感じないとかですね。はたまた、恋だと思ってないかな。でも、きっと彼女は自分の作った問題に誰よりも速く反応する犀川先生に ときめいちゃってるんでしょう。萌絵の場合、手品のタネを見抜かれると怒ってしまいますが、彼女の場合は誰もついてこれないという孤独があるし。 きっと妃真加島を出るまでは、ということは犀川先生に出会うまでは無かった感情だと思います。 自分よりも速度の遅い人間を認めるのって、睦子叔母様と●●●●●に似てますね。

 ところで秋も深まり、今日はなんだか萌絵と犀川先生は結婚しないだろうと思います。見守る者としては寂しいですね。萌絵はそれを自分で決めるからきっと幸せになります。犀川先生は一瞬だけ動揺して、またすぐに研究の事だけ考える 日常に戻るでしょう。しかしその時の彼の気持ちがどんなふうなのか僕にはうまく想像できません。萌絵は時々「犀川先生に会いたいなあ」と遠くから思ったりします。遠くで暮らすのでしょう。

 とこのように、完全にラブ・ストーリーとして読んでしまうこの頃です。ミステリーとか技術情報とか思索とか、たくさん入れ込まれた要素を意図的に背景にしてしまう訳ですが、やっぱ萌絵だよね、ということです。それらは時々で入れ替えが可能です。やっぱ桃子だよね、って日もあります。ネットワークをこんなに上手に書く人っていないし。こうやって楽しめるのも森先生の腕のおかげです。森先生がいて良かったね>自分。

 萌絵〜、またどっかでね〜 (あっ、一月か) 

「シリーズ完結ですか・・・」
かゑでさん (刈谷市、18歳)

 初めまして。メールを送ろうか迷っていた時、募集とあったのでせっかくだから出させていただきました。
 犀川&萌絵シリーズは本屋で目についた「封印再度」から読み始めたので二人の仲の進展を知ってしまい、読むのをやめようかと思いましたがめげずに全部読みました。
 あっという間の10巻だった気がしますが、次に発行されていく本と、このホームページの更新楽しみにしています。

「どきどきしました」
りえさん (埼玉県、17歳)

 この頃よくいろいろなことを考えます。森先生の本を読んでさらに考えることが増えました。「有限と微小のパン」を読み終えてすごくドキドキしました。森先生の本を読むと、何故かとても緊張します。一週間後くらいに思い出してみると、とても好きになります。
 萌絵&犀川シリーズは登場人物も好きなのですが、何よりも本の中の雰囲気がすごく好きでした。あと、会話も。10作が終わって思ったことは、『考えるということは楽しい』ということです。(なんか感想らしくなくなってしまいました。ごめんなさい。では、これからも頑張ってください。ホームページもいつも楽しみにしてます。)

「分裂する印象」
識さん (日本、約19歳)

A「森先生の本で、一番好きなのは何?僕は『笑わない数学者』かな」
B「ああ、君らしいね。やっぱり、最後の一文でしょ」
A「そうだね、あれは最高の言葉だよ。君は『夏のレプリカ』?」
C「ええ、そうね。号泣したもの。あんなに泣いたのは久しぶり・・でもないか」
B「うーん、『まどろみ消去』が最高だけど『有限と微小のパン』も捨てがたいね」
C「流石にシリーズ最終作だけあって、戦慄したところが多かったわ」
B「萌絵みたいに、だんだん感情の遮断が巧くいかなくなっているんじゃない(笑)」
A「うん、僕も言葉が時々「犀川化」するね」
B「影響されすぎだよね。それだけ魅力的だって事だろうけど」
C「でも、本当に良かったわ。錯覚かもしれないけど、前より成長した気がするもの」
A「錯覚も事実も同じ事だよ。成長と退行も同じだ。あるのは認識の差だけだ」
C「ところで、感想は?無いって事はないわよね」
B「でも、ネタばれせずに感想を云うなんて出来ないよ」
A「それに、感想を云うことは、作品を単純化することだ」
C「でも、ここはそのためにあるコーナーよ」
B「そんなメタな説得の仕方があるか(笑)」
A「そうだねぇ、ここは一つ、あの名言を盗作することにしようかな」
B「あぁ、うん。それが一番良いね」
C「私も賛成する。私的だけど最上級の褒め言葉だと思うし」

 森先生。ごちそうさま。

「広がり」
川合亜依さん (静岡県、25歳)

全体的なイメージは「拡散していく」様な感じでした。集結へ向かっているのではなく、
広がって行く。登場人物達の思考も、殺人の手段と解決も、物語も、
とにかく外へ外へと広がっていく気がしました。タイトルもそうでしたし。

いつもの作品では、殺人が起こるとその方法や犯人を突き止めるために
何度も何度も意見を出し合って、段々と核心に近づいて行くのが常だったのですが、
今回は萌絵の心境が揺れていたせいもあるのですが、いつまでたっても、
何度殺人が不可解な状況で起きても、なかなか推理がなされず、
次へ次へと進んで行く。たった何日間かの設定なのに、とても長い時間にも感じる。
そうやってどんどん振り回されて、いつの間にか解放されていたんです。

それは、一つのものだけを求めない、答えも一つじゃないし、人間も一つじゃない、
同時に沢山の物や事柄や人格が存在するのだ、ということを言っている様に思えました。
萌絵ちゃんや、犀川先生も、色んな物から解放されたのではないでしょうか。
同時に私も解放されていました。何から?何かから。

だから、私の中では、終わるのだけど始まる様な、そんな感覚で読み終わりました。
見えない場所で物語が続いて行く・・・。そうだ、そうしたら、凄く嬉しいなぁ。

「完結おめでとうございます」
遠野春日さん (福岡市、3?歳)

 これぞ本格ミステリー、の帯に惹かれて「F」を読んでから最終作まで、本当に楽しませていただきました。もうこれで発売月が待ち遠しくてたまらなかった日々にひと区切りついてしまったのかと思えば、いつかは終わりがくることとはいえ、残念な限りです。
 「F」で始まって「有限」で終わったこのシリーズ、とにかく形がうつくしかったです。
 「F」を読んだ時に感じた鳥肌が立つような気持ち、あの犀川先生が、彼女を、格の違う天才、と惜しげもなく断言する場面、見事に「有限」への布石だったと思います。
個人的には萌絵さんには好感は持てなかったのですけど、彼女の凡人離れした才能とセンス、食事や洋服の選び方は大好きでした。ひっそりとした住宅街に隠れるように建つイタリア料理屋さんのシーンが特に好きです。あれ、実にリアルでしたね。
 一般には皆さん、奇妙に納得されている気がするのですけど、先生と萌絵の●●●の件、たまらなく不愉快です。あんなふうにだまし討ちにして、結果を急がせて、どうするのでしょう。犀川も子供ではないのだから、誰に言われなくとも、するときはするし、しないときはしないと思うのです。まぁでも、やっぱり、彼女が学生であるうちは、関係は変わらない気がします。作品中で森先生が明確な答えを提示されなかったのはよかったと思います。犀川が本気で惚れるならあの天才でしょうし、あの天才はそんなことには興味がないというのが、実にらしくて、あれ以外の終わり方はなかったでしょう。
 とにかく、とにかく。 完結おめでとうございました。

「切れてる」ミステリィ
合力洋子さん (福岡市、28歳)

 森先生の作品を読むと何が楽しいかって? ミステリィだもの、謎解きがあるのは当然ですよね? 犀川・萌絵の一連のシリーズでは、探偵=犀川、助手(?)=萌絵という図式があって、その助手がしょっちゅう事件を引っ張ってくるのですが、その事件の謎と謎の解かれ方(?)が、とても「切れて」います。いつも「こんなことだったんか?」と目から鱗が落ちまくるほどの衝撃を味わわせてくれる、そんな斬新な「切れ」を私にもたらしてくれる森ミステリィが私は好きです。

 でも。でもでも。そんな当然のところだけを面白いと思っているのではないのですよ、私は。文章自体がとても「切れて」いるのです。

 私は特に萌絵と犀川の会話が好きです。洗練されているというか、洒落ているというか、とても気が利いてます。犀川が一人称の部分も好きです。「○○のように壊れている」など、比喩がとても斬新なんです、私にとって。気に入って自分で使ってみたりします。肩をふるわせて「くくく」と笑うこともよくあります。これではまるでアブナイ人ですね。時間が許せば、好きなたとえを作中から拾ってみたいものです。

 私はシリーズ物のキャラクターに愛着を持ってしまう方なので、萌絵と犀川の話が「パン」で終わるのは確かに残念です。けどそれでもいいと思えるような素敵な幕切れでした。今後も萌絵や犀川は、四季博士にちょっかいを出されながら生きていくのでしょうね。森先生、気が向いたらその世界をまた私たちにも垣間見せて下さいね。

「感想文?」
野霧伽月さん (横浜市、24歳)

 小説を読むとき、登場人物の顔を頭の中にイメージする事ってよくありますよね。僕の中での犀川創平は、どういう訳か作家の折原一氏のイメージになってしまうのです。たぶん、犀川&西之園シリーズを読み始める前、何かの本で折原氏の写真を見てしまったからだと思いますが、以来、ずぅーっとそのイメージが定着したままであります。眼鏡の印象が強いんでしょうか? 何度も変えよう、変えようと思っても、最終的には折原氏が浮かび上がってきます(笑) タバコを吸っているシーン、推理しているシーン、真賀田博士との会話のシーンetc... ま、別に悪い気はしていませんが・・・

 さて、そろそろ感想を書かないと。記念すべき、森ミステリー購入第一冊目は「すべてがFになる」ですが、これは装丁 のかっこよさに惹かれ思わず手にしてしまいました。シンプルでいいですよね。タイトル文字が途中で90度曲がる・・・あれ、この形どこかで見たような?と思った人が3人はいることを信じています。(笑)

 僕の場合、読み始めた頃には、すでに8作目まで出ていましたが、ひねくれ者なのか、刊行順には読んでいません。帯のコピーに弱いんですね。2冊目は「結末は決して他人には語らないでください」に手が伸びてしまいました。でも、最後に「まどろみ消去」を読んだことは、結構いい選択だったと思います。「ミステリー対戦の前夜」などシリーズ既読の方は思わずニヤリでしょう。あと、森先生のホームページを見ている方には「やさしい恋人から僕へ」はかなり楽しめるものだと思います。意外な結末も含めて・・・

 犀川&西之園シリーズ、終わってしまいましたね。でも、最後っぽくなくて良かったと思います。彼らの生活は続いていくんですからね。せっかくシリーズを完結させた森先生には酷ですが、シリーズ復活もすでに期待しているのですよ。でも、おそらく無理でしょう(こう書いておけば、復活するかも?)

 とにかくお疲れさまでした&新シリーズがんばってください。さーて、もう一度全部読み直すとしますか。2週間で?(無理無理)

「ありがとうございました」
町出智也さん (東京都、19歳)

 今まで、悩んだり迷ったりと暗く落ち込んでいたんですが、最近それが解消されました。森先生の作品がなければもっと後になっていたと思います。
 犀川&萌絵シリーズで感じた事は、天才って存在しないんじゃない、子どもになりたい、僕は僕になる、その他いろいろです。
 この作品を創られた森先生、それに関わったたくさんの人達、そして運命に心から感謝をして、卒業します。


TOMTOMさん (埼玉県、22歳)

 犀川&萌絵シリーズが10作を持ってひとまずの区切りがついた(ひとまずであってほしいという願いも込めて)ということで、僭越ながらメッセージを送らせていただきます。個人的なことですが、萌絵と私は学年にして一つ違いでありまた、萌絵は一年留年しているので、設定上私とは大学で同学年でした。このためか物語上の時間軸とユニゾンしているような感覚で物語世界に入ることができ、これまでに読んだミステリー小説の中でも最も思い入れの深いものとなりました。また、トリックもさることながら、キャラクタの何気ない仕種や言葉、時間軸を意識したキャラクタの微妙な変化が細かな配慮をもって描かれている点も、読んでいていいなと思わせるところです。推理小説が話にあがる時はどうしてもトリックがどうのという話になりがちだと思うのですが、私としてはミステリでもまずは小説であり物語であってほしいと思っています。その点犀川&萌絵シリーズには非常に楽しませていただきました。

 Fで始まりPanでひとまずの終わりを迎えたこのシリーズですが、「有限と微小のパン」は「まどろみ消去」を含めて11冊め、そしてFから11番目のアルファベットはP。これはただの偶然かはたまた、意図されたことなのでしょうか?

「先生がお気に入り」
ひさのみきさん (神奈川県、28歳)

 シリーズ完結おめでとうございます。
 ほんとは私自身にとってはめでたいことなのかどうか、まだ判断をつけかねているのですが・・・。
 シリーズを知って以来、この半年間とてもしあわせでいます。思春期の中学生のごとく、いそいそと本を買ってきては、どきどきしながら何度も読み返しました。こんなに好きになれるものを見つけたのは久しぶりで、これはもう恋ですね。ええ、私は、10冊のシリーズに、そして萌絵の気持ちで犀川先生に恋しています。キャラを絵にしてみようと試みても、犀川先生だけ未だ描けずにいるのがいい証拠です。
 私は頭が悪いのか、カンが悪いのか、想像力がないのか(これが一番ヤですね)、まだまだ謎がいっぱいあります。何度読んでもミステリィです。どうも、ほかの方の気づいている謎にも気づいていないフシが見受けられ、少し哀しいですが、私なりのはやさで、いつか自分の答えを見つけたいです。それが森先生の意図した、または解釈したところにより近いとうれしいです。思考・想像する余地をたくさん残してくれるのが、森先生の読者サービスかなあ、と考えて。
 犀川先生と萌絵の今後も気になるところではありますが、書かれていない以上、想像し放題ですね。願わくば、2人の軌跡がこれからも並んでいますように。萌絵なら、やりとげるでしょう。

「統合されない人格へ」
ひろこさん (大阪、24歳)

 ミステリィを買ってまで読んだことがなかった。ましてやゆっくり読んでさらに読み返すことなんてしたことなかった。それなのに「すべてがFになる」はすぐに買って読んだ。内部人格が葛藤する犀川先生と複数の人格を持つ四季博士に惹かれた。そして、なぜか萌絵が気になった。気になって仕方がなくて何度も読んだし、つづきを心待ちにして読んだ。

 10巻とも読んで、気になった理由はわかった気がする。わたしの中にも複数のわたしがいるから、萌絵の中にも複数の萌絵がいると感じたのだ。

 犀川先生、四季博士、そして萌絵もそれぞれの人格は統合されていない。統合されずにバランスをとっていられる彼らにわたしは憧れている。わたしは複数の自分を統合していかずにはいられない凡人だから。

 統合されていない人格の方が本当は遙かに人間らしい者たちだと思う。ただそれは社会の枠にははまりきらない。そのジレンマを越えていけるところに彼らはいる。「そんなこともできるのだ」と見せてもらえたことが何よりうれしい。願わくば、今後の彼らの行方も読み続けることができれば、と。

「曖昧になる境界と明確になる謎」
柴田信之介さん (東広島市、22歳)

 森先生の作品に出会って約一年、「すべてがFになる」から「有限と微小のパン」までシリーズを読み進むにつれて細胞が死んでは再生されていくように、思考の新陳代謝が起こっていたような気がします。まさに小さな死が繰り返されていた感じです。森先生の作品を読んでいる間、生と死・内側と外側・現実と虚構・自分と他人、あらゆるものの概念の境界が曖昧になっていく感覚に襲われました。これは今までに経験したことがなかった感覚です。

 また、シリーズが進むにつれて、何がわからないのか、自分が何を謎として認識しているのかが、はっきりして きたような気がします(気がするだけかも)。これが人間的ということですかね。謎を作り出し、問題を創造する、たとえそれが想像(妄想)の産物だとしても・・・いや、むしろそれこそが人間的なんでしたっけ。

 犀川&萌絵シリーズが(ひとまず?)終わってしまうのは寂しくもあり、犀川と萌絵のその後が気になるところでもありますが、残された(自分で残した?)謎も、気になるその後も、大いなる妄想力で補おうと思います(と言いつつ本音は勝手ながら、いつかまたアノ天才に会えることを望んでいます(笑))。そして、新たなシリーズでもすばらしい謎に埋没できることを期待しつつ、再度「F」から読み返して曖昧なる境界に身を委ねてみたいと思います・・・・・。

 ・・・・・・・あぁ、もう、うだうだ言うのは止めます。とにかく、楽しかったです!
 そして次シリーズも楽しみです!!

★ミステリィ製作部へ戻る★    <1ページ目へ> <3ページ目へ> <4ページ目へ>