入室者660000人突破記念特別企画
驚異と当然の「読者の声」
犀川&萌絵シリーズへのメッセージ
Update:98/12/01

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「FからΔ(微小)へ」
竹田寿之さん (京都市、29歳)

 すべてをFにして物語は始まり、すべてを微小にして物語は終わった。
 しかし、10連作の最後にして「これ」を持ってくるとは・・。(感嘆)

 この物語たちに出会えた2年前の偶然に感謝。
 あの日、「もう学位は取れないだろう」という重い心を抱えて書店に行かなければ、「冷たい密室と博士たち」というタイトルに心引かれることもなかったろうし、この物語に、そしてネットで出会ったすばらしき友人達に出会うこともなかったのでしょう。でも、この物語を読んでいくと2年前の偶然もすべて「仕組まれた必然」に思えてくるのが不思議です。(最後の登場人物たちが「アレ」ですからね(笑))

 これで終わりなのですか・・。

 でもちょっと、大学院生になった萌絵嬢に会いたい気も少しします。

「Fは何処へ辿りつくのでしょう?」
みけさん (東京、永遠の24歳)

 「F」から始まったこのシリーズ、作品自体が巨大な テーマパークだったみたいです。「有限微小」のパビリ オンはクライマックスに相応しく、壮大な仕掛けで、 読みながらVRの空間に居るようでした。RPGをしな がら、トリックだのn次元だの、2組(萌絵くん、ごめ ん)の青春カップルだの、味付けも豪華で、国枝さんの 突飛な行動をスパイスに、トリップさせてもらいました。
 あの人とのご対面で、最後に萌絵は安定したのでしょう か? それとも、揺れが多きくなってしまったのでしょう か?
 一方の犀川先生は?暗い宇宙空間を漂うような雰囲気、 そして終わりは夜明けの海、なんだかとても綺麗なSF 映画をみているようでした。
 ラストは、文化祭が終わって、延々と繰り返される日 常にもどったような。 読み終わった今も、祭りの後の気分です。
 それにしても、「下世話な」興味のつきない、犀川と 萌絵の関係ですが、こちらは・・・。そんなもんですね。 最終回の最後20分でハッピーエンド、は嫌いです。 何がハッピーかなんて、決められるものではないし。 きっと時間はまた静かに流れていくのでしょう。

「僕と森ミステリィ」
TAKUさん (神奈川、2?才)

 「7は、孤独」「君が決めるんだ」「モノには、名前がある」、など森先生の手がける犀川&萌絵シリーズ では、僕の思考にとって様々な影響を与えた作品でした。いつもいつも読了後のは2時間くらい森先生の思考 の後を追っているような気がします。

 さて「有限と微小のパン」では、それが何だったのか?天才は、相対する感情を同時に存在させられる?、 世の中は、装飾であふれている?僕が一番に考えてしまったのは、これらじゃありません。「思考の場所は、 一つじゃない」です。思考とはなんだろう?と考えたとき、それが脳の神経細胞間のコミュニケーションを さすのか、それとも神経細胞内で行われている電子伝達をさすのか、それとも全く別の反応かなのか。答え は、それら全て。考えを進めていくうちにそうなってしまいます、どれも思考の一部で一つに限定できない。 さらにこれを発展させると電子の移動や情報伝脱物質の移動、さらに人間という枠にかぎらず。なにかが動 いていれば、つまり変化していることが思考というモノではないのか?という考えに到達します。もしこれ が思考というモノの本質であるなら、この宇宙の変化も誰かの思考として考えてもよいのでは?と思ってし まいます。神様の思考と考えるのが一番自然でしょうか。この場合宇宙空間全体が神様と定義されるわけで すが。ここまで飛躍してしまうとなんでもありっぽくなってしまいます。思考というモノが区切れなくなっ てくる。「どこまでが一つか?」です。区切れないということが分かれば思考が自分の外に存在しても全然 かまわない。誰かの頭の中にあっても良いということになる。それが「西之園萌絵のなかに真賀田四季がい る」ということでしょう。そしてその範囲をどんどん広げていくと宇宙空間全体が自分の思考と考えること もできます。「真賀田四季の世界は、彼女一人しか存在しない」です。別の言い方をすれば「神は僕だ」( 出典:京極先生)でしょうか(笑)。

 と、この様に毎回色々考えてしまうわけですが、この犀川&萌絵シリーズ全体を通しての森先生のメッセ ージというものが存在します。というより僕がそう錯覚しただけかもしれませんが、それが「思考をやめる な」です。人間性がもっとも現れているのが思考であるということは、小説でも森先生はおっしゃっています。 そして思考というのは、「思考している」という時間にのみ存在する。つまり思考することをやめたらそれは、 思考じゃなくなるわけで人間である意味は、なくなってしまう。そのために答えのない様々な問題をこのシリ ーズを通して提示してくれた。と僕は、思っています。こんな大切なことを気づかせてくれた犀川先生、萌絵 ちゃん、真賀田四季博士そして、森博嗣先生に感謝の気持ちを込めて、ありがとうございました。
 そしてシリーズ完結お疲れさまでした。

「睡眠は死の予行演習なのでしょう」
おーかわさん(東京都、23歳)

私は寝付きも寝起きも非常に悪いです。
覚醒‐睡眠の境界線を跨ぐのに時間がかかります。
おそらく、それぞれの状態で実行中のプロセスを終了させるのに時間がかかるのだと思います。
私のOSはもう少しそこに能力を割いたほうが適当なようです。
その境界線を素早く超えられるようになれば、いえ、境界線が曖昧になれば、天才の思考も少しは理解できるようになるかもしれません。
少なくとも、毎日楽しく死ぬことができるでしょう。

両者が、コーヒーが飲めるか飲めないか程度の差だ、ということくらいは理解しています。けれども、コーヒーが飲めないのも困るな、と思う自分が可笑しかったりもします。

「正義のヒーロー」
税所義寿さん (鹿児島県、16歳)

 犀川先生は正義のヒーローである。
と言うのが、僕がシリーズを通して率直に感じていることです。
 だって、彼は萌絵がピンチのときに必ずと言って良いほど現れますから。まるで、 白馬の王子様のように颯爽と登場し萌絵を助ける。時には、事件の謎を証明したりも する。いやはや、ヒーローです。
 犀川先生以外の人々も皆、魅力的です。特に、萌絵。
 恐らく彼女は、「友達にしたい小説キャラ」で堂々第一位を獲得するでしょう。

「夢の続きは思い出なのか」
野球ディスコさん (札幌市、19歳)

 博士の作品は、去年の12月頃から読み始めましたが、そのときに手にとって本当に良かったと思います。これでこのシリーズは一応の結末がついたことになってしまいましたが、これからも読み返していくことになります。特に好きな作品は、「すべてがFになる」と「笑わない数学者」「封印再度」「まどろみ消去-キシマ先生の静かな生活」「幻惑の死と使途」「数奇にして模型」「有限と微小のパン」です。
 謎などよりも、ウィットに富んだ会話と思考にウィットリします。
 それから、博士と直接的な関係はないかもしれませんが、装丁は格好良いです。タイトルも、エピローグも、毎回感動が激動し躍動するほどです。

 シリーズを終えて:たとえ、犬の糞の上にて地団駄踏んでも特に好きなうちの一冊を手に取ってしまえば、憤怒は飛びます。次のシリーズもほぼ無条件で購入します。それだけ信用できる信頼をこのシリーズにて得ました。阿鼻叫喚でした。 僕にとっては、どこまでも続くループ、終わらない素敵なループです。

「すべては・・よく、わからない」
海風さん (埼玉県、21歳)

 犀川&萌絵シリーズ全十巻(?)発行、おめでとうございます! そして、森先生。楽しい作品をどうもありがとうございました。
 ふぅ〜。「有限と微小のパン」のオビにある、すべては「F」から始まった・・と言う通り、犀川先生も萌絵も、面白いように最初から最後まであの天才に振り回されっぱなしという感じで、あっぱれ。
 萌絵には是非とも犀川先生と幸せになって欲しいので、「これ以上、犀川先生を天才の世界に誘惑しないで下さい」とあの人に言いたいところですが、憎めないくらいこころが綺麗な人なので、言えないでしょう。言ったところで、アナログ時計の秒針のように優雅なあの天才は、「ふふっ・・」と笑をこぼすだけでしょうし(涙)。自明ですね。
 全くの私見ですが、このシリーズに始終ある何とも言えない寂寥感は好きです。偉大なマジシャンや天才学者たち。超越したところにいる人の空虚な感じは、読み終わった後にいつもジーンとしてしまいました。マジシャンの名を叫ぶ犀川先生なんて、モロでした(しかも、恰好良すぎ)。
 それにしても、●●●●●という言葉にあんな意味が隠されていたなんて。「有限微パ」を読むまであらためて考えたことがなかったので、感嘆てしまいました。色々と遊び(封印制度、●●●●の夫の名前etc..).があって、気づくたびに嬉しくなりました。
 わからない・・と言えば、犀川先生と萌絵の今後です。結局、「封印制度」の●●●はどうなったのでしょう。あれが●●●に提出される日は、あるのでしょうか。

「良いか又は悪い読者の一独白、つまり感想」
和希さん (東京都、21歳)

 僕はシリーズ十作品の(それぞれの、又存在するならそれらで一つの)テーマがわかったことがありません。登場人物たちがとった行動の意味も、理由も、そしてそれを描くことで森先生が伝えようとしたことも。僕はただ、なぞるだけです。僕には、森先生はわかりません。ですが小説は正解を得る為に無理に努力することを期待されるものではないはずです。 言葉は情報を伝達する為つくられたのに、理解できないというのは、最適域をオーバーしているのでしょうか。そんな事を考えて僕は自分を納得させています。僕は、多分残念ながら、馬鹿です。シリーズを読み、それまで想像したこともない様な思考、そして才能に出会いました。それらはとても強くて、透明で、硬くて、高くて。僕は登場人物に、又は森先生に、のように、なりたいと思いました。けれどそんな理想のあるべき形を設定して専一にそれを目指すのは、甘えか怠惰かも知れない。同じシリーズで、そうも教えられました。僕は成長したのかもしれません。あるいは救われたのかも、しれません。これがつまり、僕がシリーズに触れられた幸せです。S・Mのテン・ストーリーズに感謝。

「犀川先生よ、永遠なれ」
つなみ亮さん (東京都、20歳)

 今日和、初めまして。この度、シリーズ完結と聞きまして、本来でしたら嬉しく且つお目出度いことですが、犀川先生と 萌ちゃんの大ファンである自分としては、非常に悲しく、嬉しさよりも悲哀十分な気持ちで綴っております。
 と言っても(書いても(正確にはキーボード叩いても))、せんなきこととは十分承知しているのですが、シリーズ終わるの知って悲しかったです。
 ああ、全く明るくないメッセージで申し訳ありません! このシリーズの何気無い一文に斜読みの目が思わず止り、一文 一文、ゆっくり文章を味わって、頭に映像を浮かべて熟考する楽しみを覚えました。トリックとか、そのレベルではなく、 私は小説として、犀川先生や萌ちゃんの自分には絶対にない(嘗て有ったかも知れないが、現在は忘却の彼方)理系的な発言にミーハーにならせて頂きました。
 もう、これから彼と彼女に会えないのが寂しいです。

 (どうしようもないメッセージの)最後に、森先生、素敵な人達をクリエイションして、我々の目の前に見せてくださって、ありがとうございました。

「PERFECT JUDGE」(完璧な判定)
細川慎主さん (名古屋市、26歳)

 この一連の「犀川&萌絵」シリーズに私がシリーズタイトルをつけさせてもらえるなら「PERFECT JUDGE」(完璧な判定)でしょうか。何年たっても価値観が変わっても永遠に支持される正しい判定。そんなコトが可能ならばの話しになってしまいますが。今の私が考えている思考の基盤となっているのは、この数十年のうちに固められた世間一般的な名前のついた常識なので、新しい情報が来ても最初のジャッジはその中のCPUで解析されてしまいます。
 でも不思議な物で人間は訓練と努力でOSをバージョンアップしなくてもCPUの速度を上げていける。これで何とかごまかせれる訳なのです。(機能拡張が頻繁にインストールされるのでしょうか?)
 ある程度まで演算速度を向上させたとして、振り返ってみると昔のCPUでは計算できなかった奥の方の答えが見えてくるでしょう。「その時一番最良な方法」は「PERFECT JUDGE」にはならない。そして「PERFECT JUDGE」は未来になっても「PERFECT JUDGE」として受け入れられる。
 このシリーズで多くの人達が悩み考えて到達した人間の正体みたいな出来事はすぐ崩れ去る瞬間かも知れないし、人類が存在する間は安定している歴史になるかもしれないと考えました。あまり上手い表現はできませんが、だいたいの感想はこの通りです。

「一文科系研究者の憂鬱と爽快」
濱野@武蔵大学大学院D2さん (伊豆、27歳)

 子供の頃からいわゆる創作が好きで、いろいろと手を出してきたのですが、何度挑戦してもものにならないのが小説でした。はて、どうしてだろう?と常々考えていたのですが、最新刊を読みながら、ふと考えた点を一つ。
 そう言えば、自分はこれまで、日夜全身全霊をかけて、自己の統合を目指してきたのではなかったか?
 先日、バフチンの『小説の言葉』という本を読んだのですが、その中に「小説の作者は様々な言語を統合する指揮者の様なものだ。」という一節があります。私見としては、全ての小説が統合を必要とはしないと考えますが、ちょっと目から鱗。(あるいは瘡蓋の可能性もある。)
 小説以外の芸術は一般に統合された自己の表現を目指すものであるのに対し、むしろ小説だけが、他者、さらに自己の第二の人格、第三の人格、それ以上を表現することが出来る。なぜならそこには二つ以上の言語の表現が可能だからです。言語とは意志である。とすれば、そこには複数の意志が存在しうるわけで、自分の中にもなるほど複数の意志があった(ある)と思う。
 しかし、それらを独立して成立させるためにはあまりにCPUの処理速度が遅く、どうしても一つの意志に纏めざるを得ない。
 ああ、そうか。
 これが詩は書けても、小説の書けなかった理由なのか。と。
 ここが天才と凡才の違いなのだとすれば、そうか。自分は天才ではなかったのか。と気づいたことが憂鬱の種。
 そうか!自分は天才ではなかったのか!と気づいたことが爽快の素です。
 つまり、自分の立っている位置を変える必要はないということなのですね。

「inheritance また外/内側への期待を込めて」
縄弘之さん (東京、24歳)

 他の皆様の晴らしい感想が色々と届いていることと思いますので,私は,一番気にいっている場面と次作品への期待を書くにとどめます.

「すべてがFになる」では犀川助教授が夜空を見上げて語るシーンがあり,「封印再度」では「耳泳暴洋,瞳座星原」という漢文が登場し,そして,「有限と微小のパン」の終わり近くで,その漢文をそのまま叙述するような場面ありました.最終巻のラスト近くということもあって,その場面には,とても鮮烈な印象を受けました.

「有限と微小のパン」で犀川/萌絵シリーズも終わってしまうかと思うと,寂しさを感じるのは当然のことですが,どれだけ続けば満足というものでもないので,さらに大きな期待をかけて,次シリーズを待たせていただきます.個々の作品がシリーズ内に共通するテーマを持っていたように,あたらしいシリーズの内側には,さらに外側の森世界が継承されることと信じています.

「萌絵ちゃんなんて可愛いの」
yu-koさん (八王子市、24歳)

 私は基本的にミステリにはミステリを、私小説には私小説を、恋愛小説には恋愛小説を、という求め方をする人間なのですが、森先生の作品はそれだけではありませんよね、最近そうでないミステリ作家の方も増えてきていますが、数にするとそうでもない。
「有限〜」は特にミステリ以外の事を感じました。真賀田四季の登場、投げかける謎、萌絵と四季、四季と犀川、犀川と萌絵。まさに凝縮、といった感じがします。
 好きなシーン、は萌絵がスカートを履いているいるのに気付いた犀川が、「今気付いた」という表情(?)を隠すため素知らぬ振りをするが、それを萌絵が見抜く。すでにミステリだけとして捉えてない(笑)。そんな駆け引き的文章がツボで す。萌絵も可愛い、犀川も可愛い。可愛いと云い切ってしまえるのは、私が女であるからなのでしょうが、それでも云ってしまう。
 萌絵ちゃんなんて可愛いの、と。

「言葉にならないなにかって?」
しろさん (富山、25歳)

 森先生の作品の緻密な構成や言い回しにとても惹かれて、今まで夢中で読んできました。
 犀川先生や萌絵、真賀田博士の無駄な修飾を省いたセリフが新鮮だったし、トリックを最後にあっさりと明かすのが気持良かったです。
「トリックは明かすけど、これがメインではないんだよ」という感じでした。
 クールだけど微妙に思いやりのある人間関係や(一部熱い方もいましたが)、あまり意味のないジョークの後パッと画面が切り替わるところなどなど、小粋な洋画を見ているようでした。
 諏訪野さんの異常なほどていねいな言葉遣いを見て、日頃職場でいまだに慣れない敬語をつかっている身、こういう風に話してるのかなあと反省したりも・・・
 最終巻を読み終わった時、言葉ではなく心にどっとくるものがありました。
 気迫に押されたというか、緊張から解放されたような気分でした。
 新シリーズすごく楽しみだけど犀川先生や萌絵とも離れがたい、矛盾した心境です。
 いずれふたたび彼等の物語を読めたらいいなと思っています。

「犀川のキャラクタについて」
和田英人さん (横浜市、35歳)

 犀川はたばこについての体に及ぼす害も知っているし、お酒の功罪も分かっているようです。それとも「認識されている」と書いた方が犀川らしいのでしょうか。私はタバコもお酒もギャンブルも、あるきっかけからいっさいやりませんが、『すべF』を読んだ時から、この犀川というキャラクタはどこか自分に似ていると感じていました。

「**は無意味だ」「**の質問は適切ではない」などという会話があるたびに、心の中で拍手をしながら(実際は本を持っているのでしませんが・・・)賛同しておりました。萌絵のわがままな(?)問いかけに対しても、この次は何を言うのか、どんな反応をするのか。何が無益で何に有益性を感じているのか等を想像しながらページをめくるのも好きでした。また、なんとなく微笑んでしまうようなライトなジョークや意味不明な台詞も味がありましたね。

 私は通常ミステリを読む際、キャラクタに気持ちを入れ込んで読むことは少ないのですが、犀川だけは別でした。ですから、萌絵や喜多にミーハーする事もありませんでした。(笑)
 犀川は今後どこへ行くのでしょうか、助教授を楽しんでいるのでしょうか。萌絵は卒業したらどうするのでしょうか。儀同の双子ザウルスはどのように成長するのでしょうか。一番の興味であり、このシリーズのミステリであった、あの紙切れはその後どうなったのでしょうか?

 今後彼らにまた会える機会があるとするなら、それまでに空想しておきたいことのネタには困りません。森氏は10作で1つの物語を書き終えた感じ、とおっしゃっていましたが、とにかく面白い物語(ミステリ)をありがとうございました。次回からのシリーズにもきっと興味深い人物が登場するのでしょう。楽しみにしております。

 犀川と萌絵は今でもどこかで不思議な事件に遭遇していることでしょう。
 元気で頑張るようにお伝え下さい。それでは、失礼いたします。

「私と犀川さんのエクセレントな出会い」
白昼ドリーマーさん (北海道東部、14歳)

 萌絵ちゃんはあんまり好きじゃないので、より思い入れの強い創平さんを。

 彼の多面性(?)が好きです。
「統合されていない」人格。
 いいですね。会ってみたいです。そういう人に。

 ところで喜多助教授はストーリー全体の中で、どういう役割を持っているのでしょうか?
 犀川の過去には関係があるし、重要なところには名前が出てきたり。

 私は、森さんの作品のテーマは「天才」だと思っています。
 違ってたらごめんなさいね。
 実際、「有限微パ」の中では「天才」が言及されているし。
 四季博士は文句なく天才です。
 ただ、犀川については...どうなんですか?
 それと、天王寺博士、有里匠幻とか、その他いろいろ。
 天才なので、動機の線からの追及は無理でしょう。

 森さんの本を読んでいて楽しいのは、キャラ、ストーリー、トリックのほかに、「章ごとのタイトル」です。
 バラエティに富んでいて、エクセレントです。あれ、全部一人で考えてるんですか?

「リフレイン」
浅田浩二さん (浜松市、33歳)

 97年6月4日、森さんの日記で初めて英題を見た時に「四季博士にまた会える!」と確信してから早や16か月待って手にいれた本。しかし帯、裏表紙、登場人物表を見るにつれ、逆に「本当は出ないんじゃないか」という疑心暗鬼と格闘しながら読み進め、先程読み終えました。

 読後最初の気持ちは「そうか、これを読みたかったんだ」です。特に最終章の雰囲気が好きで、今、とても良い気持ちです。

 小説の中で、一度過ぎたシーンを別の視点で繰り替えすというさざ波の様なリフレインが何度かありましたが、最終章を読んで最後に大きな波にさらわれたような感覚を覚えました。「すべてがFになる」の最終章のリフレインを見た様な気がします。

 ここ最近、厚い本を3冊読みました。記憶の果て、姑獲鳥の夏、そして有限と微小のパンです。この3冊を続けて読んだのは全くの偶然であるのに3冊とも人間の意識について触れていたのが不思議な符丁を感じました。

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