キ-115「剣」誕生秘話(4)

具体的構想

 戦闘機は、図体こそ小さいが技術的には最もぜいたくな飛行機である。しかし、いまやわが国は家庭内の小さな金物まで集め、松の古根から燃料油を絞るようなことまでしている。各種の資材が底をつき始めたのであろう。ぜいたくをいっている時代ではない。いままでの戦闘機をよそ行きのドレスとすれば、古い布をつぎはぎして作った簡単服のような飛行機となるだろう。それでも飛行機であることに代わりはない。あらゆる資材が底をつきかけているわが国としては、こんな飛行機でも我慢してもらうしかない。

 航空機とは、本来主翼と尾翼とこれらを連結する胴体のほかに、エンジンとプロペラがあればよい。降着装置は離着陸に必要なだけで、飛行そのものには必要無く、むしろ邪魔になる。これより先の1931年10月、二人のアメリカ人が操縦するミス・ヴィードル号が青森県淋代海岸からアメリカの西海岸まで、史上最初の太平洋無着陸横断飛行に成功した。その際、降着装置を離陸直後不要として投下し、胴体着陸した例がある。また、降着装置の故障で胴体着陸をした例はいくつか聞いているが死亡した例は少ない。

 この場合は、意味は違うが降着装置を省略できれば、設計上大きく時間を節約できる。降着装置は、大きく分けると緩衝装置を含む支柱と車輪の引き揚げ装置とこれを作動させる油圧系統との三つの部分から成り立っている。これらは、いずれも精度の高い機械加工部品の集積で、製作には時間がかかる。そのうえ、格納のために主翼にも面倒な構造が必要である。ことに、戦闘機の場合は薄い主翼の中にぎりぎりに収めるため、回転軸の取付と格納室との微妙な寸法関係によるからである。過去の戦闘機をみると、一度で脚がぴったり収まった例は少ない。引込み式降着装置を省けば、ゆうに数ヶ月の時間はかせげる。この際、降着装置は離陸直後に投下し、爆弾倉の蓋を廃し、弾倉の底の両側の縁材を橇(そり)にして、グライダーのように胴体着陸することにする。多少危険を伴うが、これは操縦者の腕に頼るしかないだろうが、これによって操縦者の生命は守られ、エンジンも回収できると考えた。

 最後に、問題はエンジンである。こればかりは簡素化できない。いまエンジンの余っているものなどあるはずはないが、とりあえずもっとも入手の可能性高いエンジンを当てにして、設計を進めるしかない。それには、隼と零戦で使用している「栄」シリーズのエンジンを当てにすることにした。エンジンが決まれば、プロペラもそれに準じて隼用ブロペラを使うことになる。このプロペラなら、予備品として使い残しの新品もあるはずである。こうして具体的構想をまとめた。

「剣」の命名

 太田の設計本隊が解散になった昭和19年の秋ごろから、われわれが岩手県に疎開する20年春までは、実に様々なことが起こった時期である。その一つ一つのことは頭に残っていても、その前後関係となると記憶ははなはだあいまいである。次に述べることも、たしかそのころのことであったと記憶している一つである。秋も深まったある日、フィリピンでいよいよ米軍と決戦が行われるという記事が大きく新聞で報道された。その大きな見出しの中に、山下軍司令官の「…フィリピンは広い、戦い甲斐がある。われに剣を与えよ…」という意味の言葉があった。言外に武器の不足を訴えているように聞こえた。われわれは、その言葉の中の「剣」をとって、考えている小型攻撃機に「つるぎ」という名をつけることにした。

設計の基本方針

 設計にかかる前に、解決しておかなけれぱならない大きな問題が2つあった。1つは風洞実験をどうするかである。航空機は、設計に際し風洞実験を行なって、空気力学的性質を確かめるのが定石である。しかし、それには極めて精度の高い木製の風洞模型を造ることから始まり、測定を終わるまでかなりの時日を要する。この小さな攻撃機は、戦闘機のように曲芸的飛行を繰り返して空戦をするわけではない。低空から隠密裏に目標に近づき、爆弾を投下したらただちにUターンして引き返えせばよいのである。着陸は、砂浜なり島なり空き地に胴体着陸するだけである。このように、単純な飛行しかしないのであるから、緊急を第一とする時期なので風洞実験は省略することにした。いままでわれわれの経験した戦闘機を参考に、基本的な寸法、重量、配分、舵面の大きさなどを決めたら、普通の一般的操縦性は十分確保できると考えた。

 もう一つの問題は、強度の標準をどの程度に選べばよいかということで、つまり荷重倍数の選び方である。飛行機でもっとも注意を要するのは強度である。そのためにはボルト1本まで強度計算を必要とする。その計算は荷重倍数が決まらなければできない。(注・飛行機は着陸したり各種の運動を行うとき、その重量の何倍かの荷重を受ける。安全率とその倍数の積を荷重倍数という) 過酷な飛行に耐えねばならぬ戦闘機の荷重倍数はおよそ13倍である。すなわち、主翼の強度が全備重量の13倍の荷重に耐えなければならないという意味である。荷重試験に当たっては、実際の機体を裏返しにして胴体で支え、翼の上に全備重量の13倍の重錘を風圧分布に応じて積みあげ、その負荷に耐えることを必要とする。全備重量3トンの戦闘機なら、あの薄い主翼の上に荷物を満載した総重量10トンのトラックを、片翼に2台づつ載せても破壊してはならないということである。その他の構造部分も、これに応じた強度を待たなければならない。したがって、荷重倍数が大きくなれば、構造を強化するため重量は重くなる。この攻撃機は、形は小さいが戦闘機のように行動するわけではない。それにしても、1,000馬力を超えるエンジンを搭載し、最高速度は600km/hに近いと予想されるので、いい加滅なことはできない。荷重倍数を明確に定めて、これに則って強度計算をしなければならない。いろいろ考えたあげく、荷重倍数は爆撃機並みに「6」と定めた。

▼次へ   △戻る 中島飛行機目次へ戻る