昭和8年(1933年)、陸軍は戦闘機並の速度と運動性を持つ高性能偵察機を中島に試作発令した。これは前年に採用した三菱製九二式偵察機が軽量にかかわらず速力および運動性が不足なため急遽指示された。
中島では大和田繁次郎技師を主務者として、陸軍の安藤成雄技師の指導のもとに、拠物線形状の1葉半の美しい楕円翼形をもつ機体に、「寿」系列のハ-8エンジンを搭載したキ-4試作1〜4号機を昭和9年5月までに完成させた。その後、機体を延長するなどの改修を重ね好成績を得て9年7月に制式採用となり昭和14年まで生産された。
複葉機としては成熟した構造で、操縦性運動性ともに良好で、整備性もよく、実用的な直協偵察機にもなった。初期の甲型と後期の乙型があり、初の300km/hを超える偵察機として好評を博し、大陸戦線での偵察任務はもとより、地上攻撃にも参加したほどの多用途機であった。しかし以降、多用途偵察機のニーズは衰退し、司令部偵察機、軍偵察機、直接協同偵察機と用途別に専門の機種を採用する方針に改めることとなった。 |