350.三菱 一〇〇式司令部偵察機3型(キ-46-3)[日本一陸軍]

MITSUBISHI TYPE100 STRATEGIC RECONNANCE (Ki46-3) [JAPAN・ARMY]

全幅:14.70m 全長:11.00m 総重量:5,724kg 最大速度:630km/h/6,000m
発動機:ハ112-2(金星)1,250馬力/5,200m×2 武装:無し 乗員:2名
初飛行:1939年11月
Illustrated by Shigeo Koike , イラスト:小池繁夫氏

 試作2号機が朝日新聞の「神風号」として訪欧の都市間飛行の国際記録を樹立し、日本中をわかせたのが97式司令部偵察機である。その後継機が一〇〇式司偵だ。

 昭和12年陸軍航技研側から藤田少佐(航研機の操縦者)、安藤技師、三菱側から久保富夫技師が設計主務となり、また当時最高の空力性能を得るため東大航研の河田三治教授に高速風洞試験を依頼し、その結果抵抗が最も小さく、外観的にも美しい日本独特の流麗な機体が誕生した。

 試作1号機は1939年11月完成し、テスト飛行で540Km/hを出したが、陸軍の要求の600Km/hに至らず少数機の生産で終わった。2型はエンジンをハ-102(瑞星)に交換し多結果、604km/h/5,800mを出し、本格的に量産を開始した。

 そして速度、航続距離、高々度性能をさらにアップさせるため、発動機の換装と風防を前端まで延長した独特のスタイルに生まれ変わったのが、このイラストの3型だ。活動範囲は、北はアッツ島から南はニューギニア、西はインドまで及び、まさに神出鬼没の戦略偵察機らしい活躍をした。

 日本軍用機の最高傑作とも言われるだけあって、対B29用の防空戦闘機タイプも作られるなど様々な逸話を残した。最も象徴的なのは1945年に排気タービンを装備した4型が樹立した記録、追い風ながら北京-東京を3時間15分、平均時速700km/hで飛行したという。終戦まで各型合計1,742機が生産された。

 そのうちの1機が現存しイギリスはコスフォードにあるエアロスペース・ミュージアムに5式戦とともに展示されている。

 作品は旧ビルマの山岳地帯を飛ぶ一〇〇式司偵。「流線型の風防が広々として快適そうだけど、光が乱反射して不評だったそうですよ」と意外な話を小池さんが聞かせてくれた。

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