1938年陸軍航本技研の藤田少佐(航研機の記録飛行の操縦者)の指導のもと、三菱は地上部隊や地上の飛行機に奇襲をかけるための襲撃機として試作されたが、後に武装を変更し、偵察機としても使用されるようになる。機体の割に風防が大きく、視界が広かったのはそのためだ。特に優れた飛行機とは言えないが、操縦はやさしく運動性は優秀、頑丈で整備も簡単だったため、1939年から1943年まで合計1,472機が生産た。
その後も生産は続き、1944年末からは250kg爆弾を胴体下につけた特攻機までが製作され、まさに日中戦争から太平洋戦争の終結まで、第一線で働き通した飛行機だった。
作品の背景はフィリピンのジャングル。樹木が生み出した大量の酸素が構成する、濃密な大気が感じられそうだ。「この作品のように、背景を描く方が時間かかかる場合も多いんです」と笑う小池さん。この生命感溢れるジャングルは今も健在だろうかと、ちょっと心配にもなってしまう。 |