第二次世界大戦前夜に発生したスペイン内乱から、ドイツ第3帝国の崩壊する日まで戦い抜いた、ドイツ空軍の象徴的主力戦闘機。開発が開始されたのが1934年と、大戦に登場した各国の主力戦閾機の中では最も旧い歴史をもっている。
出現当時の列強各国の戦闘機隊は格闘戦重視の複葉戦闘機が全盛だったが、一撃離脱のロッテ戦法に徹した高翼面荷重の小さな主翼と長いテールアームの、低翼・単葉・引込脚という新技術で対抗し、戦闘機の運用と設計に新しい時代を切り開いた。
武装が貧弱、航続距離が短い、轍間距離が狭く離着陸が難しい、などの批判はあるが、スペイン内乱に登場したB型、バトルオブブリテンのE型、砂漠のアフリカ戦線から氷雪のロシア戦線まで広大な戦域で活躍したF/G型、雲霞のごとく押し寄せてくるアメリ力第8空軍のポ-イングB17「空の要塞」の大梯団に立ち向かったK型と、不断の改良が加えられ、敗戦の日まで常に一流戦闘機であり続け、30,000機を超す量産が行われたところに、言葉では表せない、この戦闘機の原設計の非凡さかある。K型は対爆撃機戦闘を重視した最後の量産型で、緊急最大速度は710km/h/7,500mに達していた。
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