「ほとんど資料が残つっていなくて苦労しました」と小池さんが語るように、名機と言われた九〇式艦戦の後継機として、日本初の全金属製低翼単葉機・九六式艦戦が誕生するまでの中継ぎ役を果たし、比較的短命だった九五式艦戦である。
陸軍の九五式戦闘機とともに日本最後の複葉戦闘機だった。九〇式艦戦に較べ発動機は「寿」から、より強力な「光」となりカウリングの直径も大きくなった。航続距離を延ばすために主翼下に増加燃料タンクが設けられ、これは不時着水時に燃料を緊急放出して浮舟の役目をすることにしていた。
昭和11年納入の86号は「報国女学生号」と銘打って活躍した。("女は載せない戦闘機"の以前の話し?)総生産機数は221機であった。
日中戦争の初期に使用され、パイロットから「慣れるとこんないい戦闘機はない」「格闘戦の強さでは世界No.1ではないか」と愛着を持たれるほど運動性と安定性には定評があったという。九六式艦戦の第一線への配備が進むとともに姿を消していくが、戦闘機王国・中島飛行機最後の複葉戦闘機として恥ずかしくない機体だったに違いない。
作品の九五式艦戦は九〇式と異なり、構図も、塗装も、背景の煙や砂塵も、沈みがちに抑えた感じ。セピア色の記念写真を見ているようで、最後の複葉戦闘機にふさわしい。 |