日本の戦闘機が、国民性を反映してか、伝統的に格闘戦を重視していたなかで、スピードと上昇力そして強力な武装を活かして、有利な立場から急襲を加えて、そのまま飛び去るという、一撃離脱法に徹して設計された異色の
戦闘機。
同じ時期に設計が進行していた軍歌・加藤隼戦闘機隊で有名な戦闘機キ-43「隼」も、旋回能力重視の伝統に縛られて、開発はジレンマに陥つていた。どんなに努力しても、貧弱な武装に軽快な旋回性を組み合わせた戦闘機では、世界の趨勢や昭和14年に発生したノモンハン事件の戦訓からみて、将来の航空戦の主導権がとれないことは明らかだった。
伝統的な戦術思想に飽きたらない中島飛行機(株)は小山悌技師長を設計主務として森重信、内田政太郎、糸川英夫技師ら若い技術者達の逆転の発想が、この二式単戦キ44「鍾馗」を生み出した。
特にファウラー式蝶型フラップは油圧操作で離着陸時は当然だが、空戦時には15〜20度に下げ格闘性にもおおいに貢献した独特のものであった。また、後方スライドの視界の良い近代的なキャノピーの採用、操縦席後方に13mmの防弾鋼板の装備など、パイロットの生命軽視の中であったが、中島の設計思想がきちっと反映されていた。優れた上昇力のための大出力エンジン、排気推力を得る集合エギゾーストの採用、スピードを追求した14.5%の薄い小さな主翼、そして強力な火力とその射撃を安定させるための長いテールアーム。新しい課題への挑戦がキ44「鍾馗」の独特のスタイルを生み出した。
発動機は中島の初代傑作の「寿」のボア×ストロークを継承して2列14気筒化を図ったハ109型で公称出力1,440馬力、離昇1,500馬力を発揮したが、「栄」に較べ外形が150mmも大きく、このため実に滑らかなカウリング形状により空気抵抗の最小化を図るなどにより、上述の独特のスタイルとなった。
日本戦闘機では初めて時速600キロを超えたキ-44「鍾馗」の性能は、革新的なパイロットか'ら強い支持を受けたが、日本軍の古い格闘戦重視の思想と貧弱で短い滑走路がキ44「鍾馗」に真の活躍する場を与えなかった。 |