日本海軍はよほど水上偵察機が好きだったらしい。第2次大戦終了までに14タイプを試作・開発していろ。艦上・水上・陸上合わせても15タイプだった戦闘機とほほ同数なのには驚かされるが、そんな水上偵察機の歴史の中でも"傑作水偵"と称されたのがこの九五式水上偵察機である。
複葉・単フロートという当時でもオーソドックスな部類に入る設計だが、運動性・安定性・実用性は申し分なかった。
1928年(昭和8年)海軍から愛知、川西、中島の3社に九○式水偵に代わる艦載水偵の試作が指示された。中島は三竹忍技師を主務設計者として九○式をベースに試作1号機を翌年完成させた。 これに対し川西は単葉の近代的な試作機を提案したが、実用性の点で中島を採用して海軍最後の複葉水偵となった。
日中戦争では近距離偵察、着弾観測から急降下爆撃、空中戦(なんと中国軍戦闘機と互角以上に渡り合つた)まで幅広く活躍、主に戦艦や巡洋艦に搭載され、海軍あるところ常に九五式水偵あり、と言われたほどである。1934年から1940年の間、中島で約700機、他に川西で約50機が生産された。
「どちらかというとクセのある飛行機が好き」と自認する小池さんだが、「贅肉がなく引き締まった、実用性のよさを感じさせる好きな飛行機です」。作品の、陽に映える多彩な海の色と波しぶきの描写が実にすばらしい。 |