ヴェガ、シリウスが高速長距離飛行で人々の耳目を集めたころ、設計者クロード・ドルニエは飛行機の将来への夢を、さらに大きく膨らませ、作り上げたのが Do
X である。
なにしろ民間輸送機の定員が10名前後だった時代に、150名を乗せて長距離飛行をしようというのだ。その桁外れの大きさ、主翼上に12基の合計7,200馬力のエンジンを並べた姿は壮観だったに違いない。
彼は定期的に大西洋を横断飛行できる豪華な巨人機の夢を実現したかったが、Do X は構造上の問題、エンジンの故障、効率の悪さなどから不幸な飛行機となってしまった。
初めはジーメンス・ジュピターの星型空冷525馬力を12基搭載したが、後方のエンジンの冷却が悪く全体で十分な出力が得られなかった。そこでエンジンを水冷のカーチスV12気筒600馬力に換装(上のイラスト)し、エンジンの過熱の問題は解決したのだが、依然としてパワー不足で500m以上の高度がとれなかった。
それでも宣伝飛行を続け、予期した性能が得られないが、エンジンを615馬力に強化したうえで、1930年11月2日に10ヶ月に及ぶ世界一周デモフライトに出発した。 アムステルダム〜リスボン〜リオデジャネイロ〜マイアミ〜ニューヨークのコースでアメリカ訪問に向かったが、ヨーロッパよりも高温多湿の南米の大気では、経由地に一度着水するとパワー不足で離水できなかった。
装備や内装を外し、乗員も減らしてやっと飛行するが、気温の高い日中は高度3m、夜間でも50〜80mがやっとだったという。 小池さんは「何と言つたらよいのか、苦労したクルーには同情しますね(笑い)。巨大飛行機の系譜を引きずってしまった飛行機なのかもしれません」と・・・。
このようにデモ飛行は途中で頓挫してしまったが、イタリアが Do X を2機購入することになった。フィアットのエンジンを搭載し、SANA社でトリエステからベネチア〜マルセイユ〜バロセロナ〜ジブラルタル〜カーディスの路線で使おうとしたが結局は運行されず、軍の実験的飛行に供しただけで解体された。 |