530. 中島 艦上偵察機「彩雲」一一型 [旧日本-海軍]

NAKAJIMA RECONNAISSANCE PLANE "SAIUN" (C6N1)(MART) [JAPAN-NAVY]

全幅:12.50m、全長:11.15m、総重量:4,500Kg、
発動機:「誉」21型 1990馬力/離昇、 最大速度:609 km/h/6,000m
武装:7.9mm旋回機銃×1、乗員:3名、
原型初飛行:1943年5月15日
 

                     Illustrated by KOIKE, Shigeo   イラスト:小池繁夫氏 1984年カレンダー掲載

 「ワレニ追イツク グラマンナシ」。「彩雲」は、この電文にあるように、太平洋戦争に参加した日本軍用機の中で最も速い飛行機だった。

 中島十七試「彩雲」は1942年海軍の試製計画N-50は、あらゆる戦闘機より優れた艦上偵察機として、この時期に開発された大馬力小直径の「誉」使って群馬県の中島飛行機小泉製作所で試作された。

 小泉製作所の開発は吉田孝雄所長(1924年入社)以下、技師長に三竹忍(1926年入社)、設計部長に山本良造(1928年入社)、機体主任に福田安雄(1930年)らの百戦錬磨の陣容で約1,000名の設計部隊で構成されていた。1943年4月に1号機が完成した十七試艦上偵察機の姿は、エンジンカウリングの直径をそのまま直線で後方に流した細長い胴体となり、また航空母艦のエレベーターに合わせて全長を11mギリギリにとるため垂直尾翼の後縁を3点姿勢で垂直に、飛行姿勢では前方に傾いた独特の形状をしている。

 新設計の油圧式親子ファウラーフラップに加えエルロンもフラップの役目をするエルロンフラップとし、更に油圧式前縁スラットの高揚力装置を採用した。その他、推力排気や層流翼型、主翼の80%を占めるインテグラルタンク、超平滑仕上げなど世界のトップを切る技術が投入された。
 
 この試作1号機は最高速度639Km/hの抜群の好成績であった。自重2,825kgに約2,000リットルの燃料を搭載して5,000kmの航続距離を誇った。小泉製作所では試作19機が製作されたが、以降は新たに設立された愛知県半田製作所(所長三竹忍)で橋本公平技師らによって量産を行い、終戦まで379機が生産された。
 
 そして終戦も間近い1944年高々度性能の向上のため、百瀬晋六技師を中心に日立92型排気タービン(4発機「連山」と同一)装備の開発が進められたが試験飛行の段階で終戦となった。
   彩雲の2009年追加ページをご覧ください: 「彩雲改」C6T : C6N2

 長大な航続性能と、グラマン戦闘機より速い高速を活かして、アメリカ機動部隊の泊地の戦略偵察に当たっていたが、ボーイングB-29やアメリカ空母からグラマン戦闘機/攻撃機の空襲が本土に加えられるようになると、来襲する敵機の編隊を追尾して、その情報を戦闘機隊に知らせる戦術偵察にも使われていた。


          彩雲(改):夜間戦闘機改修機
     全幅:12.50m、全長:11.15m、総重量:4,500Kg、発動機:「誉」21型 1990馬力/離昇、
              武装:30mm機関砲×1、乗員:2名

                                    イラスト:小池繁夫氏 1996年カレンダー掲載

 「彩雲」はもともと艦上偵察機として開発された機体なので、激しい運動は出来ないが、斜め上方に向けて発射する機関砲を取り付けて、敵機の腹の下に忍び込んで一気に撃ちあげる夜間戦闘機としてならば、その高性能が活用できるのではないかと考えられた。少数機が夜間戦闘機として応急的に改造されたが、上のイラストはその中の1機に行われた30mm機関砲の装備である。この大口径機関砲は、発射する「彩雲」にも激しい反動衝撃を与えたが、3〜4発命中すれば、さすがのB-29も空中分解するはずだった。しかし威力を発揮する前に戦争は終わってしまった。



                                イラスト:小池繁夫氏 1978年カレンダー掲載

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