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旅行記その6:九州鉄人旅行(2004.7.23〜27)

No.5 第4日目(2004.7.27)霧島温泉〜別府

朝6時、空は今日も住んだ青空である。今回の九州旅行では、毎日そうだった。しかし。

朝どんなに天気が良くても、午後になると必ず大雨にやられる。今回の九州旅行は、毎日そうでもあった。

さてさて、九州最終日の今日はどうなるか・・・。

(図)

九州自動車道(溝辺鹿児島空港〜鹿児島)

今日は、朝8時17分の新幹線に乗る予定である。

本当はもっと宿でゆっくりして、それからチンタラと鹿児島まで降りてきて、鹿児島ラーメンなぞを啜ってから新幹線に乗って北上、という予定であった。事業があって急遽予定変更し、朝ごはんも抜きにしてもらって(そのお金はそのまま夕食のビール代に化けちゃったのはここだけの秘密である)朝の6時半に宿を出た。

この時間、まだ温泉街は散歩している人すらいない。朝のガランとした道路を飛ばし、山の中から突然鹿児島空港に出、そこから先は躊躇なく高速道路を使い、高速道路の車窓から見える桜島には目もくれずに(それは脇見運転)鹿児島インターの終点に到着。あとは国道のトンネルを1つをくぐれば、鹿児島駅である。

ああそれなのに、それなのに。

鹿児島ICを降りたら朝の大渋滞。20分かかって数十メートルしか進まない。地方都市のラッシュというものを、生まれて初めて身をもって身をもって実感させられた(注1)。結局、新幹線は最初考えていた便より1便遅らせることとなった。

ともかく、レンタカーを返却し、駅に入って新幹線の切符を買って、改札をくぐった。

その目の前には、今年大流行した九州焼酎の売店が建ち並んでいる。いかにも有難そうな瓶が並んでいるのをみて、思わず興味をそそられた。しかし。改札に入る前、駅構内の何でも売っているような売店で、どうでもいいような焼酎の四号瓶をお土産で買い込んでしまっていた(注2)ので、恨めしそうにそれを眺めながら過ぎるだけである。

「鹿児島土産に焼酎」を考えている人は注意した方が良いところである。

九州新幹線「つばめ」「リレーつばめ」(鹿児島〜熊本)

いよいよ。今回の旅行のメインである「九州新幹線」に辿り着いた。

今さら論じるまでもないが、九州新幹線は、鹿児島から途中の新八代までの間が今年の3月に開業した。将来は新八代から延びて熊本を経由し、博多までつながる予定である。

喜びいさんで鹿児島駅の改札口を通って新幹線ホームに昇ると、いましたいました。白い車体に赤い帯を締めた「新幹線」が停まっている。この列車は、8時45分発。新八代のりかえ博多行き(注3)新幹線「つばめ2号」である。

在来線の線路と直角に交わる新幹線は、北から延びてきた線路が駅前の西郷像の方角を指して終わっている。偶然なのか意図したものかは分からないが、「新幹線の終点」たるにふさわしい演出に見えた。自由席の車両の前では、だいたい1車両10〜20人近い乗客が列をなしている。今日は平日でありスーツ姿のサラリーマンが目立つが、指定席コーナーには家族連れも若干数見られた。

車内整備が終わり、客室に招かれる。入ってみての第一印象は、「う〜ん(微妙)」。JRも新幹線の内装についてはかなり様々な検討を加え、その結果「和風」のコンセプトに基づいた内装となったように思われるが、その「和風」がちょっとおかしいのである。具体的には、同じ「和風」といっても、例えば夏のものと冬のものが混在していたり、江戸時代らしいものと明治時代らしいものが混在していたりで、雑多な印象だけが感じられたのである。スダレを模したカーテンとか、電話室のノレンとか、個々のモノにはかなりの「こだわり」が感じられるのだが。

これとは別に興味深かった点が一つ。車掌の他に「客室乗務員」といった位置づけのスタッフを配したり、走行中運転士が自らマイクを持って、天候・気温や現在の走行速度その他を車内放送したり、車内放送とかサービスとかが「飛行機」のそれを模したものであったことが興味深かった。

鉄道の旅でもっとも重要な位置を占める「車窓」。しかしこの出来立ての新幹線それは、案の定「必要なければトンネル」といった、現在の鉄道工学を忠実になぞっただけのものであった。ところどころしかない地上部を走る時、一瞬照りつける太陽の光から、「いま自分が九州にいる」ということがわかるくらいであった。

列車は30分ほどで新八代に到着。新幹線はまだここまでしか出来ていないため、ここから先は在来線の「リレーつばめ」に乗り換えることになる。とはいっても、今までの「新幹線−在来線」の乗り換えとは異なり、新幹線の改札を出る事なく、単純にホームの向かい側に停まっている列車に乗り換えれば良い?自分もその動線をなぞって乗り換え・・・ることはなく、一旦ホームの端まで出て、新幹線の写真を撮った(鹿児島ではホームが短くてうまく写真が撮れない)。

新八代発の「リレーつばめ」は、定刻新八代駅の新幹線ホームを出発し、保線用設備を転用した連絡船を経由して在来の鹿児島本線に乗り入れる。これは当然、新八代暫定開業でしか体験できないサービスであり、有難く体験させていただいた。「リレーつばめ」は、ここから1時間40分をかけて博多まで走り抜くが、新八代から20分くらい経った熊本で下車。

豊肥本線(熊本県内)

熊本からは豊後(大分)と肥後(熊本)を結ぶ豊肥本線で大分まで出る。今回の旅行では、途中の阿蘇からレンタカーを借りて観光をする予定であり、取りあえず阿蘇まで出る。

この沿線では、大きな見所が一つあった。昨日の旅行記でも書いた「スイッチバック」である。本やら雑誌やらで豊肥本線の途中にある立野駅にスイッチバックがあることは知っていたが、想像以上のものであった。立野駅に到着した列車は、折り返し今まで来た方向に出発して行く。ただしさらに高いところを目指して坂を登る。その様子は「攀じ登って行く」と例えてもイイくらいであった。。1分近く逆走した後、再び正規の方向に走り去ってゆくのだが、この時列車のディーゼルエンジンからほんのり焦げた匂いが漂ってきたような気がする。現代の技術のディーゼルカーですらそうなのだから、これが蒸気機関車だったらどうなることか!?

立野駅のスイッチバックを登りきった後は、阿蘇山の中のカルデラの間をチンタラ走ってゆく。そのまま惰性で阿蘇駅に着いた。列車で来る観光客はあまりいなかったが、その中でも外国人の観光客が結構みられた。

やまなみハイウェイ(阿蘇〜天ケ瀬〜豊後中村〜九重(筌の口・寒の地獄)〜阿蘇)

阿蘇からはレンタカーを借りる。阿蘇駅から真北にある大観峰を越えてゆくが、その時は雲の上の稜線を走るような気持ちになってきた。

車は日産の新型キューブだったが、乗っていてこの車が気に入ってしまった。多分自分が自動車に対して「タイヤとハンドルがついて走ればいい」という程度の興味であったら、帰ってから真剣に購入を検討することになったと思う。この車、車でありながら運転なんてどうでも良くなる車である。運転していて「そんな運転なんてどうでもイイじゃん。マッタリとソファーでダレながら運転してれば」という気になった。癒しとか和みとかに通じる、ソファみたいな座席とか、ハンドル・ペダルは軽いがそれ以外(ギアとかダイアルとか)が重くて操作しにくい点とか、そのあたりの微妙な演出がすぐれているのであった。

  • (写真)(写真)レンタカーで借りた日産キューブの外装と内装

 

しかし峠道を降りて空を見ると、どうも雲行きが怪しい。九州には「3日雷が続けば・・・」ということわざがあるとおり、雷雨は3日間続くものらしい。事実、一昨日は雷雨で乗った列車が遅れ、昨日も雷雨で観光がポシャになった。さて今日は?鹿児島を出たときはあんなに空が晴れていたのに。

まあ困ったらその時に対応すれば良いと思い、そのまま車を走らせた。今回の旅行では、阿蘇とか黒川温泉とかメジャーなところは、また後で訪れるだろうと思い省略。敢えてどちらかというとマイナーな飯田高原とか天ケ瀬とかの温泉地を回ることにした。まず、車をそのまま北に走らせ、天ケ瀬温泉まで行く。ここは、川のほとりに小さな共同浴場が数軒ある。100円の入湯料を払い、その中の一つに入った。川べりの露天風呂は簡便でなおかつ風情あるものだったが、風呂の中にコケが生えていたりするのでちょっと気持ち悪い。

天ケ瀬温泉を堪能した後、車を走らせているうちにポツリポツリと雨が降ってきたと思ったら、前が見えないくらいの豪雨になった。やられました。雨なんて言葉が似合わないくらい厳しい降水である。水をかくワイパーが追いついていない。車など安全に走らせられないが、そうはいっても、レンタカーを返すのは阿蘇で契約しているので、そこまでは何としても帰らなければならない。

雨の中、やまなみハイウェイ(別府−阿蘇間を結ぶ観光道路)に並行する県道を走る。写真は雨でダメだったが、水分をたっぷり含んだ湿っぽい渓谷というのは結構いいものであった。その途中にある、泥色の筌の口温泉に立ち寄る。古くから建っている共同浴場に立ち寄り、名物の泥色の風呂を堪能した(入った感じは「泥」というより「酸化した鉄みたいな鉱物」である)。

ここからやまなみハイウェイに出て、晴れていれば絶対景色が良さそうな高原の道をひたすら走る。雨は小降りになったが、曇天が本当に憎らしい。ここの途中には「寒の地獄温泉」というものがある。読んで字の如く、ここは温泉といいつつも浴槽には温度14度の冷たい水が張られているだけである。浸かってみると氷水みたいに冷たい。とても入っていられないので併設されている採暖室に逃げ込む。みると、部屋中にあれこれメッセージが落書きされており、さながらゴマンの暴走族が集会を開いた後のようであった。夜露死苦。

豊肥本線(大分県内)

豊肥本線は、列車の乗り換えの便が非常に悪い。

時刻表を手にアレコレ調べたが、幾度も接続駅で待ち呆けを喰う接続ばかりである。仕方なく、阿蘇から途中の豊後竹田(「竹田の子守り唄」の竹田。「荒城の月」のモデルとなった岡城がある)まで特急で出る。せめてせっかく払った特急料金のモトを取ろうと、元々グリーン車として製造された車両を見つけ出し、その車両の空席を選んで座った。非常にゆったりしているのだが、かくの如き「貧乏臭い」発想で乗っているため、車内での振る舞いまでどこか卑屈になってしまっている。缶ビールの栓を切った。

で、乗り換え予定の豊後竹田で下車。しかし、ホームの反対側でこの列車を待っているはずの普通列車は全く来ていない。どうやら雨で遅れているらしい。そうこうしているうちに、特急列車の後を追ってこの豊後竹田まで来て、そこで行き止まりとなるはずの普通列車が追いついてしまった。数百円の特急料金が無駄になった格好である。

本当に今回の旅行は、豪雨に振り回されっぱなしである。マジ勘弁してよ。

今日はこのあと別府まで出て深夜便のフェリーに乗る予定で、しかもそのフェリーの切符は東京で予約を入れてしまっている。列車に運休されたらフェリーの出る別府に出ることすらままならない。それを考えたら列車がキチンと走っていること自体が有難い。・・・そう考えなければいけないのは頭では理解しているつもりであるが・・・どうしても腑に落ちない。1時間遅れの普通列車の車内で自棄酒を煽って気を紛らすことにした。酒ダ酒酒持ってこい・・・といっても車内販売は来ないので、旅行初日で大牟田で買っておいた焼酎の飲み残しをあおる。

列車が大分に着くころにはすっかり酔っ払ってしまい、どの列車がどこに行くのか訳が分からなくなってしまい、別府とは逆方向に向かう列車に乗ってしまっていた。発車直前に気がつき、冷や汗とともに酒が一気に皮膚から抜けていった・・・別府温泉?ナニそれ???

 

(注1)地方都市のラッシュを実感させられた
現在、渡辺は地方都市の中心に住みつつ郊外の会社まで通っているので、この『ラッシュ』というものはそれほど実感せずに済んでいる。
(注2)どうでもいいような焼酎の四号瓶をお土産で買い込んでしまっていた
ちなみに、ここで買った焼酎のうち1本は、両親の体を経由してとっくに土に還ってしまったが、もう1本は人知れず会社の冷蔵庫で、熟成を重ねている。
(注3)新八代のりかえ博多行き
列車の案内や切符の販売など、博多までを1本の列車として扱っている。

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更新日 2004.12.22
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