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旅行記その6:九州鉄人旅行(2004.7.23〜27)

No.4 3日目(2004.7.26)熊本〜霧島温泉

 

なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という名言を産んだ、Uchida Hyakken(注1)の名作「特別阿房列車」。しかしながら、その「特別阿房列車」においても、ほんとうの「何にも用事がない」行程は、行きの「東京−大阪」間しかない。帰りは「帰る」という用事(それも極めて重要な用事)が控えている。

自分の「弩阿呆(注2)な旅行」をこれと比較するのは、我ながら非常におこがましいとは思うが、昨日の、鈍行だけで熊本まで来てしまった行程は「なんにも用事がないけれど・・・」に近いピュアなものがある。翻って、今日からは「鉄道ファンだったらだれでも憧れる肥薩線」「鹿児島の山奥の霧島温泉の巨大浴場」「きちんと休日が終わるまでに帰り着く」などの「目的」がついて回る。

まだ出発して3日目なのだが、どうも「後半戦」のような気がしてならない。

(図)

熊本の宿

熊本に着いたのは夜の9時半前。ここからは、市電に乗って熊本市内を横断して水前寺まで出る。日曜とあって、市内の繁華街はもう暗くなっていた。予約していたビジネスホテルに着いた時には、時間は10時を廻ろうとしていた。さすがに食欲は湧かない。前払いの料金(注3)を払い、部屋に入って速攻で洗濯物をランドリーに放り込んだところで記憶はプツリ。それでも意地汚いことに、途中で買ったカップ売りの焼酎にはチャッカリ手をつけていたようであった。

朝4時ないしは5時頃に目が醒め、焼酎を一口含んでから冷茶で口を漱ぎ、昨日の行程を書き連ねてホームページにアップしてから、風呂に入り直す。風呂の中でも寝ていたようで、気がついたら午前6時を過ぎようとしていた。カーテンを少しだけ空けると、熊本市内を横断するJR豊肥本線の線路が見えた。

午前7時半、身支度を整えて、その豊肥本線新水前寺駅に向かう。

肥薩線(八代〜人吉〜吉松〜隼人)

今日は月曜日。しかしながら夏休み期間中ということもあって、電車はそれほど混んでいない。熊本で八代行きの電車に乗り換えたガラガラの電車に乗り換え、南に向かう。さすが九州、まだ朝の8時だというのに陽射しはとてもきつい。

今日はここから、肥薩線と呼ばれる山の中を走るローカル線に乗り換えて鹿児島県に出る予定である。この肥薩線、今でこそローカル線と化しているが、昔はそうではなかった。昭和2年に水俣・川内を経由する海沿いのルート(九州新幹線が開業するまでは「鹿児島本線」と呼ばれていた)が開業するまでは、この山の中を縫うルートが本州・福岡・熊本と鹿児島を結ぶ「本線」の役割を持っていた。

日本全国に鉄道網を張り巡らせようとしていた明治時代、鹿児島と熊本とを結ぶ鉄道のルートを決めるにあたり、海沿いを廻って鹿児島に向かう現在の鹿児島本線・九州新幹線のルートではなく、人吉・吉松といった山の中を走るルートが選ばれた。

建設工事や列車運転の点で不利であるにも関わらずこうなったのは、海沿いのルートは軍艦からの艦砲射撃に弱いといった、当時の防衛技術上の理由によるためである。ちなみに関門海峡が封鎖され、万が一九州が孤立した際には、同様に山の中にある肥薩線沿線の人吉を基地とする、といった構想も存在した。

これから乗る肥薩線は、そんな背景を持った「由緒ある鉄道路線」である。

今日は普通列車限定の「青春18きっぷ」ではない(注4)ので、ここからは特急列車に乗った。

八代駅を出ると球磨川沿いを遡ってゆく。「日本三大急流(注5)」にも例えられるこの球磨川は、山と山の間を縫って流れる風情ある河川である。ところどころダムでせき止められているところでは、蓄えられた水に回りの急な山々が鏡のように写り込んでおり。急流の部分では、非常に険しく激しい流れに目を見張る。端目にはとても舟など出せない急流であるが、昔は人吉相良藩の参勤交替で船便が出ていたようである。

1時間強で終点の人吉。何かと見所の多いらしい街であり、最初はここで1時間くらい時間を取って、温泉に浸かるなり観光をするなりしてもよいかな?と思った。

ここから先肥薩線は球磨川から分かれ、「矢岳越え」と呼ばれる非常に厳しい峠越えをする。この区間は明治時代の昔に、当時の最先端技術で建設された。しかし今となっては、県境を跨ぐ山間のこのルートは、鈍行列車が1日につき4往復するのみになってしまった。

そんな肥薩線矢岳越えであるが、鉄道そのものが観光資源として注目されており、JRでも在来車両を展望席付きに改造した観光列車「いさぶろう・しんぺい」を今年(2004年)より走らせ始めた。

車両真ん中に展望席を備えた、シックな赤銅色の「いさぶろう・しんぺい」専用気動車に乗り換える。この列車は、車内も昔ながらの木造・電球の照明となっており、非常に雰囲気がある。この列車、沿線の見所では、その都度停車したり徐行したりして、観光案内をしながら運行されている。この日の乗客は、親子連れの乗客が数組と独りで旅をする鉄道ファン数名、それにお年寄りのグループが2〜3組であった。

たった1両の観光列車ではあるが、人吉を出ると昔は蒸気機関車を3両連結してやっと登れたという急勾配を必死になって登り、何とか大畑(おこば)駅に辿り着く。この「いさぶろう・しんぺい」は、エンジンを強力なものに載せ換えており同系列の他の車両よりも山道に強くなっているはずだが、それでも駅に着いた時には「息タエダエ」であった。

しかし自然の地形は厳しさを増す。ここから先は、普通に走ったのでは坂道を登りきれないので、ループ(線路を円を描くように敷いて、距離を稼いでより高いところに登ってゆく)やスイッチバック(線路を坂道に対してジグザクに配置して、列車はそのジグザクを行ったり来たりして坂道を登ってゆく)といった昔の先端土木技術を駆使して坂道を登ってゆく。

観光列車の「いさぶろう・しんぺい」では、(例えばループ線で今まで走ってきた線路と交差するところ等)見所で列車を一旦停止させたり徐行させたりしている。その度ごとに車両中央部にある展望スペースに子供連れの乗客がワーと来る。この展望スペースには、子供の目線からも風景が楽しめるよう低い位置にも窓が増設されており、また車両の屋根肩の位置にも天窓が設けられている。沿線の木々の葉っぱが、天窓にぶつかってこすれる音が聞こえる。

しばらく時間がかかって、矢岳越えの頂上にある矢岳駅到着。旅行前に読んだ「秘境駅に行こう!(牛山隆信著、小学館文庫)」の影響で、この肥薩線矢岳越え区間の沿線には、人家などほとんど存在しない印象を抱いていた。しかしここ矢岳の駅前には十数軒の民家があり、小学校も近くにあった。さしづめ「沿線最大の集落」と言える。ここの駅前には肥薩線最後の蒸気機関車であるD51型蒸気機関車が展示されている。矢岳駅の停車時間の大部分は、これを見学して時間を潰した。

ここから先は、下り勾配となり、えびの盆地を俯瞰(注6)する雄大な風景を見ながら宮崎県入り。列車は冷気の漂うトンネルを抜け、駅も何にもない茂みの中で一旦停止した後、逆向きに走り出して真幸駅に到着。鳴らすと幸せが訪れると言われるホームの鐘を、子供がはしゃいでカランコロン鳴らしていたた。

肥薩線、期待に違わず、いい路線であった。

ここから先は、ひたすら海を目指して下り勾配を駆け降りるだけである。ここまでの一歩一歩を刻んできた登り坂とは異なり、途中の印象もあまり残っていない。乗り換えの吉松駅で買う予定を立てていた駅弁は売り切れで腹の減る思いをしたくらいである。終点の隼人から特急に乗り換え、霧島神宮駅まで向かった。

雨の霧島温泉

霧島神宮駅駅からここから今日の宿を予約している霧島温泉まではレンタカーを予約していた。

霧島神宮に詣でた後は、そのあと霧島の山々を見ながら温泉入りしようとしたのだが、車を走らせているうちに前が見えなくなるくらいの大雨。当然山々など見えない。ひそかに日頃の行いを反省した。昨日も、熊本で大雨にやられて乗っている電車が遅れるなどの被害を被っており、ひそかに日頃の行いを反省した。

午後3時に今晩泊まる「湯之谷山荘」に行きチェックイン。

荷物を置いたらまたすぐに車で外出、温泉街中心から少し山を登ったところにある「霧島ホテル」に向かった。ここには、全国的に有名な巨大庭園風呂に浸かってきた。ここは日帰り入浴料が1000円と若干高価ではあるが、温泉の種類が非常に多く、また大きい庭園風呂はぬる目でいくらでも浸かっていられる。実際、熱い風呂が苦手(もっと言うと日焼けの跡が残っており熱い湯に浸かれない)自分も、優に1時間以上は白濁した湯を楽しんだ。もう一度行きたい。

夕食ぎりぎりまで庭園浴場に浸かって、湯之谷山荘に戻り夕食。鹿児島名物の豚肉焼をはじめ、刺身から野菜までいろんなものが出てきた。今回の旅行の中ではケタ違いに豪華な食事(というより自分の場合は他の食事が貧相。今日の昼食は結局スーパーで買い込んだコロッケ食パンだったし)である。一緒に泊まったおばあさんとかは「私肉ダメ。困ったわ」とか言っていたが、このページを主に読んでいるであろう若い男性には、丁度よいボリュームである。

ビールを飲みながら食事しているうちに、どうにも気持ちが良くなってきて、部屋に戻ったらそのまま寝入ってしまった。これぞ温泉旅館の幸せである。温泉宿に泊まってよかった。

(注1)Uchida Hyakkenn
内田百●(●は門の中に月。変換では出てこない)。
(注2)弩阿呆
作者が勝手に作った「ドアホウ」の当て字。一番最初の「弩」は「超ド級」の「ド」を当て字で綴ったもの。
(注3)前払いの料金
素泊まり、事前予約で税別3885円とカプセル並の値段であった。
(注4)今日は普通列車限定の「青春18きっぷ」ではない
この日の切符代は3570円。水戸から東京都区内を往復する4400円に比べて安価である。後日水戸から東京にでる用事があったため、その日のためにこの日は青春18切符を温存することにした。
(注5)日本三大急流
残り2つは「最上川(山形県)」「富士川(山梨県・静岡県」と言われる。
(注6)えびの盆地を俯瞰
この風景は、当時の国鉄が募集した「日本3大車窓」に数えられている。残り2つは「根室本線狩勝峠(三大車窓の区間は廃線)」、「篠ノ井線姨捨」。

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更新日 2004.12.22
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