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旅行記その4:新幹線前夜のひとりたび(2002.11.30〜12.1)

さよならはつかり(盛岡〜青森)

 

一ノ関駅の騒ぎ

一ノ関駅の幅7〜8mはある広いホームは、大混雑していた。

しかも普通の客と異なり、電車の到着を待つ人は、カメラを構えてホームから身を乗り出さん勢いであった。そんな中ゆっくりと、警笛を鳴らしながら、青白ツートンの大柄な電車が入って来たのが、今日これから乗る臨時特急「さよならはつかり583系」である。

この583系、夜は寝台特急・昼は座席特急として使える、昭和40年代に製造された車両である。以前は昼夜を問わず全国各地の特急で使われていたが、現在では車両自体の老朽化や近距離用車両への改造により、わずか数十両が臨時列車・夜行急行用に残るのみとなっている。

列車到着に合わせて、構内放送で今日をもって廃止される特急はつかり号の紹介が行われていた。昔の鉄道全盛期を思わせる広く寂しい駅構内、今にも雪が降りだしそうな東北の寒空と相まって、朴訥と語られる東北訛りの案内放送がしみじみと聞こえてくる。

ただし、駅構内にはその「はつかり」をカメラ片手で貪る鉄道ファンでごった返しており、そのエネルギーに圧倒される。もっとも、わざわざこの「さよならはつかり」に乗りに来た自分、しかも列車を見るだけで満足し、写真等は必要最小限しか撮ろうとしなかった自分は、その集団の中でもひときわ浮いているように見えた。「マイノリティの中のマイノリティ」というものは、辛いものである。

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特急「はつかり」

ここで、特急「はつかり」というのがどのような列車か、ごく簡単に紹介する。

特急「はつかり」は、昭和33年に上野−青森間を蒸気機関車が牽引して運転が始まった、東北地方で一番最初の「特急列車」である。

その後、昭和57年まで、上野−青森間を走る特急として運行が続いた。新幹線が盛岡まで延びてきた昭和57年には、新幹線接続特急として、盛岡−青森(一部は函館)間に運転区間を変更して、今日まで運行され続けて来た。

車両も、当初は専用のブルー塗装の客車や開発されたばかりのディーゼル特急車が奢られてきた。この「583系」も、この「はつかり」ではよく使われていた。

「始発」だった盛岡駅

この「さよならはつかり」は、青森−一ノ関間を往復する列車であるが、K氏とは途中の盛岡駅で待ちあわせることになっている。そのK氏に遭わなければ、肝心の指定券が手に入らない。い。まだ消えぬ人垣を見ながら、午後3時10分、一旦新幹線で盛岡まで出た。

廃止になる東北本線を引き取る第三セクターの開業準備が進む盛岡駅。時間は午後5時、日は短くあたりはとっぷりと暗くなっている。K氏と落ち合い、昔ながらの盛岡駅2・3番線ホームに出る。ここは、今日まで新幹線の連絡を受けて青森に向かっていた「はつかり」の発着ホームとして使われていた。売店の冷凍ミカンが鮮やかに見えた。弁当売りのおじさんもワゴンを転がして新幹線客を待っている。ホームの反対側には、定期の「はつかり」が入ってきて、東京行きの客を吐き出した。

そして新幹線からの乗り換え客・待ち客も多数いる。しかしこの賑わいも今日まで。明日の新幹線開業からは、盛岡で乗り換える客もだいぶ減るのだろう。

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特急はつかりの走った道

午後5時39分、一ノ関駅でいったん別れた「さよならはつかり」が、橙と青の見慣れたヘッドマークを掲げて、ゆっくりと盛岡駅の3番ホームに入ってくる。狭いデッキから車内に入り、あてがわれた座席に座ると、すぐ発車。

列車は、沼宮内あたりを走っている。このあたりは当初単線で開通し、後になって複線に改良された区間である。後から増設された下り線は切り通しの下を、上り線はその上を走っている。ちょうど、盛岡方面に向かう普通列車とすれ違ったようだ。窓の上の方で「ヒューン」という音とともに矢のような真っ白い灯が飛び去っていった。

今回廃止になる盛岡−八戸間では、車窓の「見所」が3箇所ある。

1つはこの沼宮内。この複線化のやり方は、まだ土木技術が発達していなかった頃のものである。特に盛岡まで単調な高架の新幹線でずっと走ってきた後であれば、その「土木技術の差」がひときわ大きく感じられる。2つ目は奥中山の大味というか雄大な峠越え。鉄道と国道と谷筋とが、並行して互いにからみうねりながら山道を越えている。そして八戸到着前の山肌に沿う大カーブである。今回、奥中山は暗くて何も分からなかったが、八戸の方はちょうどすれ違った長い貨物列車の影で、それとなくカーブの全容が分かった。

途中の駅では、駅名票が第三セクターの独自デザインのものに取替えられていた。加えて、新幹線の停まる二戸駅では、新幹線の開業準備も行われていた。夜見た新幹線駅は、明るく全面証明で、駅というよりも「長〜い体育館」のようであった。「体育館」の中での作業の声がこだまして、外まで響いてくる気がした。

この列車の乗客は、そのほとんどが鉄道ファンらしい男性であり、中にはツアーを組んで乗りに来ている団体客もいた。

途中、定期の特急列車に追い抜かれる三戸駅では、乗客の大部分が列車からホームに降り、この特急列車の写真を撮っていた。その横では、駅員でもない人が「危ないですから下がって下さい」と大きな声を張り上げている。どうやら、団体客の添乗員のようであった。テンションの上がった客の世話、というのは、非常に大変そうに見えた。

そのような乗客の中で、ごくまれにカップルで利用している客もいるし、聞いたところでは八戸−青森間だけ「ちょい乗り」をする客も結構いたようだ。

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一つの「旅」の終わり

「さよならはつかり」の車内、3号車5番D席。

「特急らしからぬ」向かい合わせの座席であるが、座り心地は素晴らしかった。普通列車の向かい合わせ座席等は比較にならず、他の特急の普通席と比べてもゆったりと腰掛けられる。背もたれは楽に寄り掛かれる角度、足元は広々としており、まだ「汽車」だった頃の一等車を思い起させる座り心地だった。

しかし、長い時間の旅で疲れを感じなかったのには、座席が良かったこと以上に、相席になった人と気持ち良く過ごせたためである。

しかし、あと1時間と少しで終点に着いてしまうのが惜しくなってきた野辺地駅で、自分の向かいの席に、どうしようもなく無愛想な太った男性が入ってきた。

「すいませんここはあなたの席ですか?(座席に置いていた荷物をどかそうと立ち上がる)」

「ああそうだよ(無愛想、それ以上のことは言わずに割り込んでくる)」

撮影機材が入っているであろう大きなカバンを無愛想に片づけ、座席に座っても終始むくれっ面。彼はきちんと座席指定を受けてこの座席に座ってきたのであり、こちらが文句をいう筋合いも権利もない。しかし、そうは言っても、目の前で空気を読まずむくれっ面で踏んぞり返っている男を見ていると、こちらも感情的になってくる。

今まで自分たちが座っていた座席の雰囲気が良かったから、その反動も大きかった。最後の野辺地−青森間が、非常に窮屈に感じられた。

「新幹線の開業により、目に見えない何かが終わる」ということを今回の旅行記で書きたいと思っていたが、その「何か」は多分これである。相客の善し悪しで雰囲気が大きく左右される、昔ながらのボックス席の時代なんか終わりだ。

列車は東青森の長い操車場をゆっくり通過、終点青森まであと5分少しである。上野からこの列車に乗り続けていたかのような、少しウンザリした気持ちで大きく背伸びをして、降りる用意を始めた。

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更新日 2003.11.30
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