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旅行記その3:通勤ひとりたび(2003.10.1〜)

第5週(2003.10.27〜10.31)

10月27日(月曜日):座席の問題

ローカル線の「定説」

今週で電車通勤は終わり。

毎朝同じ時間の電車に乗って、きっかり1時間同じ座席に座り続ける生活を送ってきた。改めて考えると、行き帰りで毎日2時間、1日の10%近くを過ごす「座席」というものが、通勤の中にとどまらず1日の生活の中でも意外に重要なところを占めているように思える。

「ローカル線の電車の座席」の話といえば、たいてい「お見合い電車(ロングシート)」か「昔ながらの向かい合わせ(クロスシート)」のどちらが良いか、が話題のほとんどを占めている気がする。10年ほど前の「701系騒動(地方部の電車を都市型のロングシート車両に総取替して、大ヒンシュクを買った)」などにもあるように、普段都市部に住んでいて、たまに観光のため地方に出掛ける人にとっては、その答えは「クロスシートがいいに決まってる」というのが定説らしい。

しかし、そんなのは都会人の勝手な論理である。

確かに、向かい合わせの席を一人で独占して反対側の座席に足を投げ出してマッタリするのは気持ちがいいし、前を向いて座る方が景色も見やすいから、個人的にも「クロスシート」の方が旅らしくてイイ感じであるとは思う。しかし、ここで話題にするのは「毎日の通勤」であり「旅行」ではない。

通勤ラッシュに効く車両

実際に地方部の通勤ラッシュを経験して、特に通勤時間帯は「クロスシートよりもいいロングシートの方が良い」と思うようになった。まず第一に、客がドア付近に固まらず車内中ほどに入ってこれること。この「ドア付近に客が集中する」問題は都市部でも地方部でもみられる。

ドア付近に客が固まるのはどうすれば防ぐことができるか?個人的には「ドア付近はもう少し座席を削ってでも十分な立席スペースをとる」のが一番よいと思う(実際にそれをやった鉄道会社があるが、乗客の評判はすこぶる悪かったようですぐに座席を増設する結果になったらしい)が、次に効くのが「車内中ほどに入りこみやすい座席の構造」である。それは「通路が狭い座席部」と「出入口部」とがハッキリ分かれているクロスシートより、その辺があいまいになっているロングシートだと思う。

次に、座席に座る人数。確かに1両あたりの着席定員は、クロスシートの車両(平均72人)の方がロングシートのそれ(60人)よりも多い。しかし、定員と実際の着席人数は案外異なる。ロングシートにしろクロスシートにしろ「目一杯着席している」とは限らず、むしろ「着席定員」は守られていないことが多い(今朝乗った電車でも、10人掛けのロングシートに8人しか座っていなかった)。したがって、いたずらに着席定員の枠を大きくするより、きちんと着席定員どおり座ってもらう対策のほうが効果的である。

さらに、その「クロスシート」。空いているときに座るのには打ってつけであるが、混んでいるときに座ると、結構窮屈であり我慢を強いられるのである。これは、クロスシートの中でむ比較的昔の、着席定員が多い方の車両の方が顕著である。まるで「膝をかかえてしゃがみこむ」感覚である。むしろロングシートの方が座っていてラク。

以上のような理由から、自分はローカル線のラッシュには「クロスシートよりいいロングシート」の方が向いていると思っている。もちろん、ロングシートにして「着席+立席」の1両あたりの定員が増える→列車全体の総定員は変わっていないと言い張って1列車あたりの編成を減らし、結果として混雑がひどくなる、といったことは論外である。

いいロングシート

先に書いたように、混んでいる時にロングシートとクロスシートを乗り比べたら、ロングシートの方が混雑時の客の動線や、座っている客の快適性などから、ロングシートの方がいいと思われるのだが、これまで繰り広げられてきた議論を見ると、「ロングシートかクロスシートか」というところで話が止まってしまい、この「座席自体の善し悪し」にまで話が行かないことが非常に多い。

で、実際にはどんな座席がいいのか。

その「いいロングシート」というと、下の写真左側で示した、415系電車(シルバーの車体ではない在来車)のそれである。いままで東京に住んでいて、いろいろな電車に乗り続けて、いろいろな座席に座り続けてきた来たが、そのどれよりも座っていて楽であった。良くない座席は、座面のクッションの塩梅がおかしいのか、短い時間座っているだけでもヒザのすぐ手前モモの裏が押されて圧迫感を感じる。

座席の座面が深く、クッションも厚く、背もたれも他の車両より大きく傾いている。これに座っていると、ゆったりとした自然な姿勢で腰と尻を座席が支えており、1時間くらいだったら普通に座っていられるくらいラクである。このページに載っている、他のロングシートの写真と見比べていただきたい。そのソファのような(ちょっと大げさ)座り心地を期待させる見た目(ふっくらと大きく傾いている背もたれとか)も、良い印象を与えている。広い車幅によって生まれた幅方向のゆとりを、そのまま座席に充てた感じである。

この車両は、大都市圏内にとどまらず地方までを守備範囲に持つ「近郊型車両」の中では、一番最初に「ロングシート」を採用したものである。座っていると「人を長い間座らせるためにはどうあるべきか」という検討が様々なされたように思えるが、乗る方は「なんだ通勤電車と同じか」ということでほとんどの人が評価しなかったようだ。

ちょっと残念なことではある。自分は、今日もゆったりしたロングシートに腰かけながら今更ながらそう思っている。

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10月28日(火曜日):戦い終わって完全日没

通勤途中、駅売りのスポーツ新聞を買って、真ん中らへんにある白ポスト直行の紙面を読む(宅配版のスポーツ紙には載ってないんだなこれが)昨晩の日本シリーズ・ダイエーの優勝のシーンを再度読もうと思ったのだが。

スポーツ紙、買い忘れちゃった。

そもそも、ヒイキにしている巨人がシーズンを通しての体たらくで、ファンの熱狂さでは世界一の阪神がセ・リーグ優勝したときの、GDP(国内総生産)が20〜30%増になるとも噂される、あの日本離れしたのランチキ騒ぎも見れないんじゃあ。(一部では、ヤケになったファンが勝手に胴上げとか道頓堀ダイブしたらしい)

ダイエーファンには大変申し訳ないけど、そのくらいどうでもいい日本シリーズの結末だった。

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10月29日(水曜日):考える時間

何もしない時間

精神的なトラブルでボロボロになった時に読んだ本の中で、「いつもバタバタしている人の気持ち切り替え術(バルバラ・ベルクハン著、瀬野文教訳、草思社、『アタマに来る一言へのとっさの対応術』で有名)」という本がある。自分はこの本に助けられて立ち直ったようなもので、そういう意味では非常に意味ある1冊である。以上、余談。余談から入るな。

その本の中で「スイッチを切って、世の中とつながらないこと」の大切さを説いているところがある。その理由として、「長期的な目標を追い求めることができる」「仕事を完成させることができる」「無駄話をしないですむ」といった項目を挙げ、「上手にシャッターをおろす方法」「何もしない時間に何をするか」といった項目をわざわざ設けて、その具体的な方法まで書いてあった。

会社に復帰(1ヶ月近く会社を休んでいた)する前に、この本を何度も繰り返し読んだ。そして、満を持して出勤再開、毎日長〜い距離を電車に揺られるようになって「おや?」と思うところがあった。この電車に乗っている時間、実は結構貴重な「スイッチを切った」時間である。自分の場合は毎朝たいてい座席に座れることもあるが、居眠りしたり、本を読んだり、音楽を聞いていたり、他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい。逆に、何もしなくてもよい。

この時間を使って、1日の仕事を振り返ったり、明日の仕事の作戦を考えたり、はたまた高尚なことがら下世話なことまでどうでもいいことをあれこれ考えることが出来そうだ。これは、クルマ通勤の時には思いもしなかった、電車通勤の効用である。運転中にそんなことを始めたら、たちまち事故だ。

歩く速度で考える

我ながら「臭い」小見出しつけたな。そうじゃなくって。

最初のうちは上のように「電車の中の時間は金」と思っていたが、毎日通うにつれ、自分にとっては「電車の中」というのは案外「考え事」には向かない空間であることが分かってくる。起きているときは手持ち無沙汰なので、何かしらはしていないと駄目なのである。混んでいてキュウキュウで本すら開くのがはばかられる時もあり、そういう時こそ「何もしない」であれこれ考えるいいチャンスなのだが、ひどい時には携帯電話を取り出して、音を出さないでゲームとかをしていることすらあった。まるでサル。

その代わり。帰り道、駅から自宅までの10分〜15分程度「歩く」その時間で、いろいろ考えることが多いことに気がついた。もちろん「タリー」などといいながら、考える方向までエネルギーが行き渡らないまま、惰性で帰り着くこともあるが。

上半身は本当に何もしていないので、頭が考えたがるのだろうか、考えるときには、結構いろんなことを考える。このページへの書き込み構成とか、もっと大ざっぱに「こういうことを書きたいな」ということまで。ホームページとは関係なく、普段口には出さない、日常の疑問から世の中への不満やうれしいと思ったものまで、考える内容はどんどん独り歩きしてゆくこともよくある。

さらに、「このまま自分や自分の国は、他社とのとの競争に負けて駄目になってしまうのか?」といった感じで、デフレスパイラルの如きマイナス方向にまわるの思考に取りつかれて渦を巻いたことも3〜4回あった。精神医学の本で「自分が不安でいないと、否定されないと逆に不安になる」という悲劇的な状態が存在するとあったが、マイナス思考の渦に囚われる時には、「いま自分はちょうどその『入口』に戻ってきた」感覚を実感できる。

しかし、「考える」時間は限られている。自分を責め苛むのもこの10分で終わる。精神科医の斎藤茂太も、訳書の中で「一五分間、思う存分クヨクヨしなさい!」とた、同じことを言っていた。

今日のオチ

そんなわけで、この10〜15分の空白の時間、結構役に立ったような気がする。これも、クルマ通勤では絶対手に入らない時間である。

で、その「考える」時間の中で、肝心の仕事のことはどこまで考えているのか?振り返ってみると、実はあまり考えていないようだ。駄目駄目じゃん。

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10月30日(木曜日):車内でモバイル

電車の中から

昨日の話の続きになるが、自分が「電車の中で何をしていたか」を述べるにあたって、1個落としていたことがある。とはいっても「電車に乗るなりトイレにこもって15分だけの悦楽タイム!」・・・ではない。「ツッパリハイスクールロックンロール」じゃあるまいし。そもそも歌詞の引用からして間違っている。

電車の中で、このコラムの文章を書くため、または家ではつながらない(AirH゛が入らない上に電話線がモジュラージャックではない)インターネットにつないでメールやらネットサーフィン(もはや死語。そもそも「サーフィン」というほどあちこち見ているわけではなく、せいぜい「水遊び」といったところ)やらをやるため、パソコンを開いている時間がかなりあった。

そもそも「スイッチ切ってないじゃん」と突っ込まれそうだ。

モバイラー旧人類の代名詞・パソコン

日本では、「モバイル」というと、もう携帯電話でやるのが当り前のようになってしまっており、ノートパソコンを持ち歩いてウンヌンというのは、もはや特急列車の車内でしか見かけることがなくなっている。現に自分が毎日使ってきた(既に過去形)水戸線ではそんな人は自分以外には1人しかいなかった。

ましてや、個人主義というのか、他人のやることに干渉しないことに慣れている都会人ならともかく、こっちの人はそう言うのに慣れていない。一度、電車の中で自分の持っているPHSを指して「ポケモン通信だー」と言われ、それを止めると「通信失敗、落ち込んでる落ち込んでる」と地元の高校生に馬鹿にされたことがある。いやホント。

しかしこちらにも「意地」はある。決して電車の中で仕事をするわけではないが、そもそも自分用のパソコンを買おうと思った理由は「電車通学での長い時間に、何がしかの作業を行い、時間を有効に使いたいから(当時、自分は卒業論文着手を控えていた)」である。電車通勤・通学とは切っても切れないほどのものである。

第一、携帯電話だとメールやiモードとかを見るのにはいいが、どうしても12個のボタンで文章を作りメールを送る、という作業が駄目である。アドレスやら文章を打ち込みのだけでも、ゴマを指で潰し続けるような根気の良さが必要で、ちょっとやってられない。パソコンなら、広い画面を見回しながら、たくさんあるキーを使って、かなり思い通りの入力をすることが出来る。

ましてや、自分の場合、パソコンで見ることを前提としたホームページを作っており(しかも誰から頼まれたワケでもないのに「毎日更新!」なんて調子こいた企画を立ち上げている)、自宅で自由にパソコンが出来ない(早く寝ないと次の日に起きられない)事情もあるので、どうしても電車内でパソコンとにらめっこ・・・という日が多くなる。昨日書いた「スイッチを切って、世の中とつながらないこと」なんて、電車の中ではハナっから出来ない訳だ。

AirH゛の善し悪し

「つながっている」話を続ける。

就職してすぐ電話の引けない仮住まいをしていたこともあり、自分は携帯電話の他、「AirH゛」に使うPHSも持っている。何が良いか・・・って、AirH゛は「使い放題」であることである。しかも電話線は全く必要ない。自分のような移動中によくネットをやる人間には、夢のようなサービスである。

しかし、夢があれば現実もある。水戸線の場合は、AirH゛が「圏外」となって通信が途絶えることが良くある。今までの経験から「新治−大和」「羽黒−福原−稲田」「笠間−宍戸−友部」がダメである。しかも、移動中は通信速度が著しく低下する。4〜5分間かかる駅間では全くデータのやり取りが進まなかったのに駅に着いたとたん通信終了、といったこともザラであった。

もっとも、PHS自体が、当初は「走っている電車内での使用は不適」と言われていたことを考えれば、ローカル線の水戸線におけるこの成績は「上出来」と言えるだろう。常磐高速道を走る高速バスでも一応つながったのはつながったので、だいたい「時速100km程度なら切れない」と言えよう。

で、最近は電話線を引かず自宅で使うためだけにAirH゛を入れている人も結構いるが、自分はその辺どうか?水戸の寮で試したところは電話線でつなぐのよりも遅かったが、人によっては「結構速い」という人もいたようだ。だったらそれを実家で使えば・・・とは思ったが、実家はPHSが入りませんでしたとさ。

通信内容のバクロ

で、その通信でやり取りしている内容だが・・・。

メールが3日に1通くらい。コンピュータウイルスの仕業と思われる宣伝メール(大部分は英語。それで「Sweet Girls...」とか「Hentai(英語でこう綴っても通じるらしい)...」とか「末承諾広告・・・」とかそんなのばかり。頭悪っ)が1日に20通くらい。ホームページで毎日チェックしているところが2〜3箇所、自動巡回で見れる掲示板が約10種類(「スレッド」と呼ぶらしいが、こう呼ぶとどこの掲示板を指しているのか一目瞭然)。あと自分のページの毎日の更新と動作確認。

このくらい。羅列してみると割と淡泊である。

職場の元同僚で、ADSLを入れてエロ動画を片っ端からかき集めている強者がいるが、自分は公衆の面前でそんなことはできないし、そもそも大きくない写真が4枚入っているだけのこのページですらダウンロードに時間がかかるのに、動画なんてダウンロードしていたら日が暮れてしまう。したがって、自分のパソコンにはエロ動画は1ファイルも入っていないです。ホント。

静止画のストックについては聞かないで。自分もやっぱりにんげんだもの(何故に相田みつを?)。

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10月31日(金曜日):最終回

1ヶ月の期間限定の通勤生活も、とりあえず今日でおしまい。明日から、2ヶ月前まで住んでいた水戸の寮に戻る。

自分の人生で2回目の長距離通勤(1回目は大学の時。下宿先→学校まで1時間半かかった)。せっかくだから、何か総括めいたことをしたい。

この「通勤」によって得られたメリットとして、以下の内容が挙げられる。

逆にデメリットとして、以下の内容が挙げられる。でも、これだけしか思いつかない。

まぁ、結局のところ、この通勤生活は「ヨカッタ」ということでまとめてしまえると思う。

以上、「通勤ひとりたび」終了!これ以上続けると、公衆の面前で自分のハジをさらすだけだし。

だから最後の最後でそういう3流のオチをつけるのはヤメレ。

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後日談


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更新日 2003.10.31
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