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ソウル訪問記(1998.2.27-3.2)

その1

クールなフライト

1998年2月27日の朝9時30分、池袋駅2番線に停車中の「成田エクスプレス」に乗車する。車内はガラガラ、いつもは山手線の中で立って見ている車窓を優雅に眺める。新宿からたくさんの人が乗車、立席も出る、優雅に成田に乗り付けるなら池袋発着に限る。

今回の旅行は、所属する研究室に留学していた先輩のところに、研究室の有志数人で遊びに行こういうものである。海外の航空会社が中心の成田空港第一ターミナルに向かう。このターミナルはウイングとサテライト(出国手続き後の待合室)からなるのだが、このターミナルが、実にこぢんまりとしている。第2ターミナル完成前の成田に行ったことはないが、昔はさぞかし混みあっていたことだろう。

出国手続きを済ませサテライトに向かう。飛行機の出発時間は午後1時25分、程なく機内への搭乗が始まった。あてがわれた席に腰を下ろして待っていると、ユナイテッド航空827便、ホノルル発東京経由ソウル行きの飛行機が動き始める。出来のよい案内ビデオを見ながら離陸。

機内食が配られるが、いわゆる「寿司蕎麦セット」であり、その寿司はずいぶんしなびている。蕎麦を食べようと葱とワサビをめんつゆの中に_気がついたらそれらは「コーヒー」の中に入っていた。コーヒーを取り替えてもらおうと外人のスチュワーデスを呼ぶが、意思が伝わらない。横にいた先輩が「Change cup, another coffee」と一言で言ってくれたので当方は二度恥をかいてしまう。

3時間ほど経つと、機は高度を下げて雲の中に突っ込んでゆくのであるが、いつまで立っても白い雲の中である。そのうち雲がグレーになり赤茶色になってしまい、視界は0に等しい状態になってしまった。砂嵐がやってくるような陰気な雰囲気の中、それほど大きくない衝撃で着陸。ソウル金浦空港に到着した。

初めてのソウル

空港前から宿泊するホテルまでのリムジンバスはなく、地下鉄では外は見えないので、タクシーを借りる。車は「模範タクシー」という黒のハイグレード車である。運転手は英国風の制服を着たりしてなかなか「模範」であるが、車の運転は決して「模範」ではない。赤信号の時からソロリソロリと発進、車線変更でもウインカーを出さず_というより車線に縛られず自由に走る。

車は右側通行、道路の幅は広く、信号はアメリカ式であり、周りの景色も広々と茫洋としていて、日本とは違う世界に首を突っ込んだ気になる。しかし走っている車は日本車とよく似た韓国国産車なら乗っている人も黄色人種、下半身は日本に残してきた気分である。

天気が悪く視界がロクスッポ無いので、隣を流れる漢江は全く見えない。わずかに大きい橋が架かっていることでそれとわかるだけである。途中で社宅と思われる高層住宅を見かけたが、建物の間隔が異常に詰まっている。そろそろソウル市内にさしかかったという時、大きな鉄道橋に差し掛かる。これはソウルと釜山との間を結ぶ幹線の鉄橋である。

まっすぐ進むとオリンピックスタジアムに出るが、このあたりでタクシーは漢江を渡る。坂を上ると長いトンネルに入る(南山第三トンネル)。これを抜けると旧市街で、混雑した幹線道路には車とバスが溢れている。運賃28,000Won(日本円で2800円)で「世宗ホテル」に到着。

再会とお楽しみ

1時間ほどして、留学生の先輩方が到着した。そのまますぐ裏にある繁華街の明洞へ。

店の前に屋台も出ている、奥まった一軒(どうやら「全州中央会館」という有名でおいしい店だったらしい)に入り、さらに奥のオンドル座敷に座る。まずビールで乾杯。テーブルの上には韓国の濁り酒も並んでいる。キムチなどのつまみは酒と一緒にすぐ出される。食べると独特の辛みと酸味、それにニンニクの風味がする。大したことなく食べてしまうが、後のトイレが心配だ。

驚いたのは、白魚の刺身が出てきたときにお店の人が上に辛そうな色をしたソースをかけてグシャグシャにかき混ぜてしまったことである。この国の人は本当に何でも「混ぜる」。もはや刺身ではない「辛そうな代物」を口にしてみると、これがトロリと甘いので二度びっくり。

いろいろ食べて飲んで、最後には石焼ピビムパプが出てきた。「1分40秒かき混ぜ続けると一番おいしい」とう研究の結果があるとのことで、律儀に1分40秒混ぜ続ける。だが、韓国では鉄製の箸を使うこともあって、途中で腕が痛くなってくる。かき混ぜが終わった「ピビムパプ」を食べる。これがおいしい。さらに器は熱く熱せられているのでオコゲができるが、このオコゲがさらにおいしい。

ビアホールで2次会を挙げた後、学生だけでロッテホテル地下のディスコに向かうディスコの中は会社員ばかりであり、軍隊鍛えの体の上に被さっているワイシャツが逞しい。いわゆる「肥満体格」の人は全く見かけない。肥満体を振り回すと目立つこと請け合いだったので、踊らずに出てきてしまう。

ソウルの朝

1998年2月28日、朝7時半に起きる。窓の外を見ると降っていた雨は上がっている。1時間後に自分も出発。まずは腹ごしらえをしなければいけない。コンビニではOLとおぼしき女の人がカップラーメンを食べていたりして勇ましい。朝食を出してくれる店は意外に多く、ハングルだらけの店のうち1軒に入って、覚えてきた「キムパプ(のり巻き飯)」を注文する。のり巻き飯(酢飯ではなくゴマ油の風味がする)とキムチ、スープが出てきて1800Won。店ではラーメンをすすっている人もいたが、店の中にはインスタントラーメン(日本でも売られている「農心(ノグリ)」の箱が詰まれている。こちらの安い店では「生麺」は出さないらしい。

そのあと目当ての「鉄道博物館」にいくが、これはソウル中心から電車で1時間ほどかかる。近くにあった地下鉄4号線(ソウルを南北に結ぶ)明洞駅から乗車。ラッシュが終わった後であり、車内は閑散としている。すると1人のおばさんが隣の車両から入ってきて何やら手にかざして演説を始めた。聞き流すふりをしているとおばさんは他の女の人のたもとに行って靴を磨き始めた。どうやら「高級クリームを使った靴磨きサービスは如何?」ということらしい。しばらく乗っていると漢江をわたる一瞬だけ地上に出る(ソウルの地下鉄のうち初期路線は鉄橋で漢江を渡っている)。舎堂という駅で降ろされ、後続の電車に乗り換える。国鉄と言っても地下線が続くが、我慢して乗っていると地上に出て京釜電鐵線(韓国では、漢字日本の旧字体にあたるものが使われている)の乗換駅に出る。乗り換えて2駅で鉄道博物館がある釜谷駅に到着した。

駅前は煉瓦造りの平屋が並んでおり、埃っぽい空気と相まって少しく殺風景である。ここから歩いて10分、鉄道博物館に入る。

鉄道博物館

鉄道博物館(ソウル駅にも分館がある)は開館前と言うこともあり、観客は誰もいない。順路に従うと「Heroic Locomotive ミカ3-129」という展示がある。これは朝鮮戦争の際に太田で北朝鮮軍の奇襲を受けた機関車を讃えるものである。この他館内には朝鮮戦争当時の国境線の変動の展示があるなど、韓国が「休戦中」の国であることを物語っている。日本の植民地時代に朝鮮半島に鉄道網が敷かれた経緯については、その後のスペースに展示されていた。

そのほか、鉄道建設当時からの展示物が並んている。それらの中には「JR九州」に関する展示(783系の巨大模型など)も見られた。

慣れないハングルを見ながら、充実した展示(因みに筆者が最初に読んだハングルは「セマウル」「カミンズ」である)と貧弱な模型パノラマ(韓国の代表的な列車を日本型模型の塗り替えで表現)を見て、屋外の展示場へ。屋外では蒸気機関車ミカ3-161号をはじめとして、戦前製の展望車や狭軌線の客車・ディーゼルカーが並んでいる。蒸気機関車の呼び方は「軸配置呼称+型式番号+製造番号」となっている。中国東北部に日本が作った南満州鉄道と同様の歴史的背景をもつ朝鮮半島の鉄道ではアメリカ型の機関車が多く用いられた。館内敷地の奥の方には高速線開業に向けて導入を決めたTGVの車両(中間車)展示がされていた。

食はソウルにあるか?

ソウルという単語は韓国語で「都」という意味である。都であるから人が集まりサービス産業も活発になる。ソウルの明洞は昼になると人でごった返す。鉄道博物館から帰ってきた帰り、メニューやハングルの読み方が書いてある「地球の歩き方」を見ながら昼食を取る店を選んでいた(これは「私は事情を知らない外国人旅行者です」と名乗りながら歩いているものらしい)。そうすると少し胡散臭そうな中年がやって来た。そこでいろいろ話を持ちかけられるが、つい口を滑らせて(純粋な親切心から自分に話かけたと思った)「参鶏湯の店は?」と聞いてしまった。その中のある1軒まで連れて行かれた。「tip下さい、1000円」と失礼なことを言い出すのだが、事後のトラブルを考えると1000円なら仕方ないと思って言われたとおり払ってしまった。まだまだ旅行者としては甘いな、と思うことしきりである。その上案内された店は重役級のサラリーマンばかりで、Gパンで入るのは気が引ける。

「地球_」を出していたのがそもそもの間違いのようで、食べ物のグラビアをはぎ取り、ハングルは手帳に書き写して残りは鞄の中に押し込んだ。その手帳を見ながら店探し、路地の奥の方にある店で看板とグラビアとを見比べていると「チャジャンミョン(ジャージャー麺)」を出してくれるらしい。中に入って注文する。キムチ(日本の漬け物のような感覚で出てくる)をつまみながら甘口の麺をすすると、ようやくホッとした気分になる。3000Won。

午後、街を歩いていると、地下鉄の駅にある街頭テレビの前には人だかりしている・・・何かと思って覗いてみるとサッカー韓日戦が行われていた。しかもスコアは同点である。人だかりが出来るのも無理はない。

2日目の夜は一行が集まって、国会議事堂がある汝妾島の焼肉屋でカルビを食べる。カルビ(牛あばら骨)は日本とは違って大きいまま焼かれ、焼けた頃になるとお店の人が切ってくれる。おいしい上に付け合わせの野菜もたくさん出てくるので栄養のバランスも悪くない。夜も遅かったため、この日はそのままホテルに戻る。

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更新日 2005.09.26/無断転載および無断引用はご遠慮ください/Link Free/・・・
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