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No.6 マンハッタンの定番観光地

「ニューヨークで何かを見ようと思ったら、キリがないだろう」と書いたのは阿川弘之だったか。とにかくこの街には観るべきものが多すぎる。うかうかしていると、定番の観光地すら廻りきれない。

今回ぜひ見ておこうと思ったのは、以下の5箇所。

なお「グラウンド・ゼロ(世界貿易センタービル跡地)」に対する考え方・接し方は後に述べる。

自由の女神

フェリー乗り場で

自由の女神は、マンハッタン島から少し離れた小島の上に立っている。そこへは、マンハッタン島の南端から出るフェリーに乗ってゆけば良い。

【フェリー乗り場まで】

マンハッタン島の西側からフェリー乗り場へ行くには、通常なら各駅停車の地下鉄(1・9線)の終点「South Ferry」駅まで行くのが最も簡単である。しかし、この路線は作者が行った2002年7月現在テロの影響で運休中だったため、途中まで1・9線と平行する急行線(2,3線)の「Park Place」で下車。そこから徒歩でフェリー乗り場へで向かった。

フェリー乗り場は、テロの影響かセキュリティ・チェックが厳しくなっていた。新しく建てられたテントの中で金属探知器を使った身体検査を経なければならない。その後、全米・全世界から集まってきた観光客がざわついているテントの中でフェリーを待つ。人でごった返すテントの前方で、係官らしき人がが何か話を始めると、テント内の各所から「Shhhhhh!(シー、静かに)」という声が聞こえる。

フェリー乗船。まず向かうのは屋上デッキに登る。観光客はほぼ全員、目の前の自由の女神に注がれているが、振り返って見れるマンハッタン島の摩天楼群もなかなか良い。

女神の膝元

自由の女神がある島(リバティ島)に到着後、まず女神像のもとへと駆けつける。意外にも石組みの土台の方が立派に見え、女神像自体はその上にチンマリと収まっていた。まるでおみやげの置物を見るようである。

リバティ島は小さく20分も歩けば1周できるが、ちょうど島を半周する頃同じ船で渡ってきたであろう多くの観光客とすれ違った。みんなグループで来ており中国語やら日本語やらでポーズを取り合っているが、こちらは一人。寂しくデジカメを反対にして写真を取っていると、「Would you take your picture?(写真を撮りましょうか?) 」とアメリカ人の家族連れが声を掛けてくれた。

自由の女神を写真に撮ろうとするとき、おすすめのアングルは2つ。マンハッタン島の方から日本風の案内板を手前に、女神を背景に写し込んだアングル。写真全体がニセモノ臭くなるところが良い。もう1枚はリバティ島からマンハッタン島へ戻るフェリーに乗ってすぐ、一瞬だけ「マンハッタン島を背景とした自由の女神」が撮れる。自分は撮りそこねたが、「ニューヨークに来た」説得力満点の1枚になるだろう。

  • (写真)人はあまり撮らないアングルから自由の女神を1枚。前の日本風看板を「面白い」と見るか「無粋」と見るか・・・。

バッテリー・パーク・シティ

かつて世界貿易センターがあった「グラウンド・ゼロ」の隣に、都市計画の教科書にも出てくる「バッテリー・パーク・シティ」に出る。ここは、昔港湾地区だった箇所が廃れていたもので、1970年代〜80年代に再開発した、ニューヨークでも比較的新しい街である。

貿易センタービル跡地と幹線道路を挟んだ向かいに、この再開発地区の中心となる「ワールドファイナンシャルセンター」ビルが建っている。このビルも、同時多発テロ事件の際に大きな被害を受けたが、2002年7月現在オープンしていた。ちょうど内装工事が進められており、建物内は少し埃っぽかった。時間は午前10時前、通勤ラッシュ後の人通りが少ない時間帯だったためか、テロ事件の影響を引きずっていたためか、建物内の人通りは非常に少なかった。

そのたもとには、日本の新しい住宅団地でもよく見るような、小奇麗なデザインの住宅ビルが建ち並んでおり、街路も住宅ビルに合わせた色調の石積みで仕上げられている。再開発地区はちょうどハドソン河の河口と並行しており、川沿いには遊歩道と緑地帯が整備されている。そのまま、ずうっと公園もしくは緑地になっている、川沿いを南に歩いていった。

【グラウンド・ゼロ】

「観光地」か「事件現場」か

あの、世界貿易センターの2棟のビルに乗っられた飛行機が突っ込み、ビルが崩壊して3000人以上の犠牲者・行方不明者が出た、「同時多発テロ」事件が発生したのが2001年9月11日。世界貿易センタービルに何の関わり合いを持たない観光客が、その現場に行くことについて。

「展望台」なるものも出来たしここは「観光地」となるのか、それともここは「事件現場」に過ぎず観光客は訪れる場所ではないのか。自分の「観光客」としての振る舞いをあれこれ考えた結果、自分は現場近くにある『展望台(Viewing Platform)』には登らず、また事件現場が直接写る写真も撮らないといった「自主規制」を課したうえで、事件現場を見に行くことにした。

「現場を見てみたい」という欲望に負けた人間の、手前勝手な自己満足と批判されるかもしれない。しかし、事件現場に対する考え方を整理することで自分の振る舞いに自らタガははめたつもりである。

「曝心地」

2002年7月当時、「グラウンド・ゼロ」は瓦礫の撤去も終わり、たくさんの建設機械が動く更地となっていた。唯一、地下鉄のものと思えるトンネルが行き場を失って地上でぽっかり口を開けていた。

その近くに教会があり、その金網張りの壁に、花とかメッセージと顔写真とか千羽鶴とか様々なものが飾られている。のが目に入った。同時多発テロによるの行方不明者の尋ね、犠牲者のメッセージに違いない。ものすごい数だ。貼られた顔写真はたくさんあるが、その中にした東洋人の写真も貼られており、余白に見紛うことない日本語の書き寄せがされているものもあった。これを見て、突然、押さえようもない感情がこみ上げてきた。嗚咽をなんとか押さえるのに必死だった。

「日本で」

帰国後、親が真っ先に聞いてきたのは「あの事件の現場はどうだった?」であった。現場の写真は撮っていないこと、現場は既に更地となっていることなどを淡々と話した。事件当時の衝撃的な映像と比べるとあまりにも平凡だったためか、それ以上のことは聞いてこなかった。

海の向こうの日本でいくら事件当時の映像を見ても「ハリウッドのアクション映画」くらいの実感しか湧かないだろうと思う。しかし、あの映像の裏で数多の人が現実に犠牲になっており、その数倍の人が現実に悲しみに暮れている。犠牲になった人の国籍も人種も経済的環境も様々。その痕跡や証拠はニューヨーク中に残っている。

同時に、この事件が、一国で繁栄を貪るアメリカに大して引き起こされたもの、という気がしなくなった。テロ事件が起きた直後に日本の某国会議員が吐いた、「あの事件はアメリカの異常な繁栄に対する鉄槌だ」という趣旨の発言が、改めて腹立たしく思えた。

  • (写真)市内に掲げられていた、同時多発テロで行方不明になった人を探すボード。(グランドセントラル駅)

グランドセントラル駅

威風堂々

次の観光地は「駅」である。「駅」とはいっても、ここは鉄道ファン以外の人も楽しめる場所になっている。

ニューヨークのグランドセントラル駅は。各所に彫刻が散りばめられた石造りの豪勢な造りである。正面から入るとすぐ、何もない玄関があり、天井の高い巨大なコンコースが一望できる。見るからに堂々とした「ニューヨークの中央駅」である。

切符売場とかがある、だだ広いコンコースに出てみた。まず目につくのはものすごく高い天井。天井はグリーンに塗られ、星座が描かれている。階段や出札窓口等は、木と石を贅沢に使った、非常にゆったりとした。その奥には、プラットホーホームへの入口が連なる。ちょうど大広間から各部屋に続くようにも見える。そして人の多さとその活気ある動き。いままで自分が見てきた中でも一番レベルの高い「駅」である。

マーケット

グランドセントラル駅は2階建てになっており、コンコースの下の階は「フードコート」というのだろうか、テーブルと椅子が並んでおりいろんな料理店が並んでいる。いろんなガイドブックや旅行記にも出ているので、訪れた人も多いだろう。

まだ、昼食の時間には早かったが、地下のフードコートの店は早速営業している。片隅ではカレー屋がいろんな色のカレーを煮込んでいい匂いを建てており、別の店では寿司とかいろんな日本食を売っていたり、その隣では「コーシャ」と呼ばれるイスラエル料理を売っていたり、さらに中東料理とかドイツ料理とか、ここだけで世界各地の料理が揃いそうである。

グランド・セントラル駅には「オイスター・バア」や「マイケル・ジョーダン・ステーキハウス」とか、もっと本格的なレストランも店を出しているが、こっちの地下の方が面白そうである。

「駅」

規模は大きく人の出入りも活発なグランドセントラル駅だが、肝心の列車の出入りはあまりない。昔はここから全米各地に向けて出発する、ドーム型屋根を持つ大陸横断特急が並んでいたのだろうが、いまこの駅から発着する列車のほとんどは「Metro North」と呼ばれる近郊列車、50線は線路がありそうなホームも大部分は遊んでいるようだった。

薄暗いホームに出る。線路には列車が何本も停まってはいるが、駅というよりは地下鉄の車庫に紛れ込んだかのようである多くの店舗が駅構内で店を開いた駅の再開発の結果、今でこそ観光客を含めた人通りは多くなっているが、一頃は相当さびれていたように思えた。

エンパイア・ステート・ビル

エンパイアの展望台

エンパイア・ステート・ビルは「夜景がきれいな夜の7時頃出向いたら『2時間待たされた』」という話もあるくらいの人気スポットらしい。したがって、あまり混みそうにない朝のうちに行くことにした。せっかくニューヨークまで来て「行列待ち」というのは耐えられない。

8時50分に地下鉄の34丁目駅到着。歩いてエンパイアステートビルの入口まで行ってみると、9時半のオープンを前に、すでに長い行列になっている。我慢して並ぶ。入口すぐで行っていたボディチェックを経て、チケット売場に並び始めてからチケット購入まで20分。まぁこのくらいで済めば御の字である。

エレベータに乗って、大展望コーナーにある86階で下車。これまであちこち廻ってきたニューヨークの街が一望できる。マンハッタンのビル群が遥か下で立体地図のように小さく見える。地上ではゴマ粒のような車がチョコマカと動いている、高いところは嫌いではないので結構面白いのだが、日本のビルのように金網とかは貼られておらず、結構ドキドキする。もしここからカメラとか落としたら・・・。

展望台自体はあまり人でごった返しておらず不快ではなかった。入口部分での入場制限のおかげである。

ちなみにこの上にも展望台があるようだが、この日は閉鎖されていた。

地上に降りて、今登ってきたエンパイアビルを見上げたのだが、さっきまでいた展望台ははるか上にかすんでよく見えなかった。

国連本部を覗き見

エントランス

国連本部は、マンハッタン島とクイーンズ・ブルックリンとの間を流れるイースト川の河岸にある。地下鉄もバスも不便な場所であり、個人客が訪れるためには、暑い中トコトコと歩く他ない。

エンパイアビルから10分ほど歩いて、国連本部に到着。建物の入口の前にはボディチェック用の設備が設けられている。このニューヨーク、観光地へ行くたびにボディチェックをさせられている気がする。ボディチェックの度ごとにベルトまで外すよう要求されるので鬱陶しい。いまニューヨークに行くのなら「プラスチック製のベルト」を用意したほうがよい。

国連本部では、会議室等のツアーをやっており、社会科の教科書で良く出てくる「本会議場」とか「安全保障協議会」とかの会議場をナマで見せてくれる。申し込んで、ツアーの出発時間までしばらく待つ。中国人とおぼしき団体客がドカドカとやって来て、チャイナドレス姿のガイドに案内されて中に入っていった。

ツアー

定時で開催される英語ガイドツアーの待ち合わせ時間。集まった人たちでまず自己紹介。全米各地、果てはイギリスとか南米とか日本とか世界さまざまな人が集まってくる。ガイドの女性はスウェーデン出身、聴き取りやすい英語で話してくれる。この日の午後には、特別に日本語ガイドツアーもセットされていたが、それまで待っていられなかった。

国際連合が発足して間もなく60年、国連60年の歴史やPKO活動その他現在の活動状況の説明の後、大会議場へ。「昨日まで理事会が開かれていた」という安全保障理事会の会議室を見せてもらう。これは確かに教科書とかに出てくるアレだ。みんなカメラやビデオを向けていた。

その後、いくつかの会議場(本会議場は現在回収中なので見せてくれない)を回る。さらに各国から贈られたギフトを見てから原子爆弾・対人地雷・麻薬汚染等の惨状を伝えるコーナー(その中の一つに広島市所蔵のものもあった)を回って、1時間ほどでツアーは終了。

作者が訪れた土曜日は、(当然)会議等は開かれていない。この国連本部は、会議等が行われている平日に訪れると面白かろう。

あと、ここ(国連本部)のおみやげ売場はオススメ。国連グッズのみならず世界各国の民芸品が揃っている。

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更新日 2004.05.23
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