ホテル・カリフォルニアの冬
ちょうど今、関東地方は今年3回目の記録的な降雪により一面白銀の世界と化しています。少なくとも僕にとっては、『ホテル・カリフォルニア』というとこのような冬の雪景色を思い出さずにはいられません。 なぜなら、このアルバムが発売された当時、僕は金沢という日本海側の町で高校生活を送っていたのですが、その冬がやはり豪雪の年で僕達はその雪になかば埋もれ、雪景色を見ながら発売されたばかりの『ホテル・カリフォルニア』というイーグルスの5枚目のアルバムに聞き狂っていたように思います。 家にいることに退屈した僕達は遅れてくるバスをあきらめて、よく歩いて街へ出たものでした。今はどうなっているのかわかりませんが、片町あたりのロック喫茶『年老いた子供』、『ラスト・サマー』などにたむろしては、暖かいコーヒーをすすり、くだらない話をしながら退屈な北陸の冬を過していました。よく店でもかかっていたこの『ホテル・カリフォルニア』は暖かい南カリフォルニアの風を寒い日本の片田舎の冬に運んでくれたのです。 しかし、少年ながらそのサウンドの背後に見隠れする何かしらの陰りあるいはイーグルスの苦悩は僕達の話題の中心でもあり、その冬のイメージとともにやがて大人にならなければならない僕達の心に焼き付いていったのです。 |
いささかポピュラーになりすぎた嫌いがあるにせよ、『ホテル・カリフォルニア』がイーグルスあるいは70年代のロックの最高傑作であることに反論することはエネルギーの浪費にしか過ぎません。そして、作品がアーティストを超えてしまうと幸福な悲劇を彼等にもたらしてしまいました。このような現象は、後にも先にも、ピンク・フロイドの『狂気』とこの『ホテル・カリフォルニア』しかないのではないでしょうか? セカンド・アルバム『ならず者』というコンセプト・アルバムで西部劇のアウトローのストーリーに自らに姿を投影させ、すでに精神的完成の域に達してしまった彼等が、今度は肉体つまりサウンドの強化を目ざして『オン・ザ・ボーダー』、『呪われた夜』と徐々にパワー・アップしていった結果、この『ホテル・カリフォルニア』がリリースされたのは、アメリカ建国200年でもあった1976年の暮れのことでした。 70年代という時代の空虚、カリフォルニアという楽園の退廃をすっかり暴露してしまうという自らの存在をも否定しかねない究極のコンセプトを選んだのは、彼等の生真面目さによるのでしょうが、これじゃ次にやることなくなちゃいますよ、ほんと。まさに駆け足の人生さながらというわけです。もう少し『呪われた夜』的アルバムを残してほしかったけど、1969年できらしてしまったスピリット、これ以上延命できなかったのでしょうね。 (1998.01.15) |
おまけ!
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