『ガクらん』   <PRE  NEXT>



 13・ちょっと、どうかと思う。




「早乃早乃、今日は部活? それとも生徒会?」
「どっちもなかったらさぁ、これからあたしたちと一緒に、服見に行こ?」
 いつもの放課後。
 早乃はこうして、よく友達に声をかけられる。
 この子たちに限らない。早乃には友達が多く、こうしたお誘いを受けるのはひっきりなしだった。
 早乃が、自分の中で一番誇りに思えるものは何かと尋ねられたなら、恐らく挙げるのは、剣術の腕でも生徒会役員の立場でもなく、友達がたくさんいるということだろう。
「あー。ごめんねー。今日は生徒会」
 そして、そんなお声に、早乃はいつものように断りを入れる。
 ……そう。いつものことなのだ。
 剣術部と生徒会。その両方に所属している早乃には、放課後の空いている日が極端に少ない。だから、こうして誘いの声が多いことは、嬉しい反面、申し訳ないという気持ちもかきたてられる。
 しかし、早乃はいくら忙しくとも、友達たちと付き合う時間は出来る限り作るようにしている。友達のためというだけでなく、早乃自身が、そういう時間を求めているからだ。
「くっはあっ。相変わらずいっそがしいねえ、早乃」
「遊びたくなったら、いつでも声かけなよ? あたしらはどうせ年中暇星人だかんね」
 早乃が忙しい身であることは、彼女らも十分に承知している。
 それでも懲りずに声をかけてくれるのだから、早乃としては、そんな友情がいとおしいと思わざるをえない。こんな友達と過す時間を得るためなら、多少の無理もしようというものだ。
「あはは、ありがと。……でも、よっちゃんもふーみんも、あんまり遊んでばっかだと、ちょっとマズいんじゃないの?」
「うひ、痛いとこ突かれた」
「そうなんすよー。ここんところ、本業のお勉学の方が、ずうっと右肩下がりでして」
「ちゃんと勉強もしなよ……と、そんなことを言う私も実は、最近ちょっぴり数学が危ないかもなのでした」
「おいおい、しっかりしなよ生徒会?」
「んじゃさ、テスト近くなったら、みんなで勉強会しない?」
「あ。いいねいいね。テスト前だったら、部活も生徒会も休みだから」
 嬉しいお誘いである。
 ……と言っても、まだ今はゴールデンウィーク前。中間テストは、まだ先のことだ。
「ともかく、今日はお仕事。……ごめんねー、いっつも」
 ちょっとだけ申し訳なさそうにしつつ、軽く言う。
「それは言わない約束だよ、おとっつぁん」
「にしし。早乃、おとっつぁんだー」
「……なっ、なーに言っちゃってるかな、もうっ」
 からかったり、からかわれたり。
 たとえ付き合いが悪くても、こんな風に仲良くしてくれる友人ばかりだった。
「……んじゃ、がんばんなよ?」
「がんばってこいー」
「うん。それじゃあねー」
 ばいばいと手を振って、友達を見送る早乃。
 クラスメイトが次々と帰宅する中、ひとり、教室に残される。
 ――さてさて。言われたとおり、今日もお仕事頑張ろう。
 剣術部の部活も、今日は自主トレのみの日だ。顔を出せるなら出すくらいでいいだろう。
 それよりも、生徒会の方がそろそろ忙しい。各部活の新入部員数や今年の活動予定などをまとめなければならないし、ゴールデンウィーク明けには、球技大会などのイベントも控えている。
 もちろん、各種行事に関しては、それぞれに専門の委員会があるか、もしくはそのつど設置されるので、生徒会が全ての仕事を行わなければならないわけではないのだが、総括や運営監督といった重要な仕事は、こちらに回ってくることになる。だから、大規模な校内行事の前には、どうしても生徒会に顔を出し続けなければならない。
 まして今は、昨年の三年生の方々がすでに卒業されてしまっているので、人数的にも少々辛い。
 といっても三年生は、二学期の後半には、ほぼ引退の身となるので、実質的にはそれほど変わっているわけではないのだが、やはりそれでも、引退後も何度となく手を貸し続けてくれた、前三年生の方々がいなくなってしまったのは大きい。
 なにしろ、一学期から二学期にかけてのこの時期が、生徒会は一番忙しいのだ。行事が集中しているし、人手も足りていない。
 だから本当のところは、なるべく早く新一年生を加えたいところではあるのだ。
 ……まあ、自分が生徒会に入ったのも、そんなに早い時期というわけではなかったし、無理に急ぐことはない……と、早乃は自分に言い聞かせている。
 できることなら、新しく生徒会に入ってきてくれる人を、単なる人手として扱いたくはないのだ。
 それが、単なる理想論だということは承知しているけれども、やはりそうあって欲しいと思う。未来の生徒会を背負って立つ人は、然るべき決意を抱いていて欲しい。
 早乃は、生徒会に入るとき、とても不安だった。
 決して表には出さないが、実はいまだに不安が残っている。生徒会に入って一年が経とうとしている今もなお、その思いは消せない。
 早乃がなぜ、生徒会で仕事をしているか。
 それは、去年の今ごろ……よりはもう少し後の話。
 早乃はあの頃、とある男子生徒の周りをうろちょろしていた。
 本当は、うろちょろというほどにさえ、近づけてもいなかったのだが……ともかくそんな自分を、とある優しい先輩が見かけて、どういうわけか声をかけてくれた。「生徒会に入ってみないか」――と。
 それで思わず、はい、と答えていた。
 ただそれだけだった。
 昭葉の生徒会は、特別な存在だった。そんなところに入るのならば、当然、その責務を負うことへの決意や信念が必要とされる。
 しかし早乃は、ただ流されるだけの返事で、生徒会に入ることになった。
 ――つまり。
 自分はただ、昔好きだった男の子の側にいたいがためだけに、責任のある生徒会に入ってしまったのではないだろうか?
 そんな自分の葛藤を、何の関係もない新一年生に当てはめるのは見当違いだということは重々承知している。
 それに、今の自分が、生徒会の一員としては恥かしい存在だと思っているわけでもない。至らぬところはいくらでもあるだろうが、それを克服していこうという意欲もある。
 しかしそれでもなお、自分が生徒会に入ったときの、不確かな気持ちから来る不安は、いまだ心に引っかかっている。
 だから、せめて。
 新しく生徒会に入ることになる子には、そんな思いをさせたくはないと、早乃は思うのだ。


 生徒会室へ向かう途中、早乃は、よく見知った長身の姿を見つけた。
 生徒会三年書記、綾部葉先輩だ。
「綾部先輩。こんにちわー」
「こんにちわ、早乃ちゃん」
 挨拶を交わす。
 振り返る際、綾部先輩の長くてキレイな黒髪が、顔の動きにあわせ、さらり、と滑らかに流れた。
 その美しい絹糸のような髪から覗く、とても優しげな笑顔。
 それを見て、早乃はふと思い出した。去年、不確かな心を抱えて悩んでいた早乃に、生徒会をいう居場所を与えてくれたのは、まさにこの、綾部先輩の笑顔だったことを。
「綾部先輩、今日は生徒会、出られますよね?」
「――ん」
 短い肯定。
 でも、綾部先輩の場合、それで言葉が足りないと思わせるようなことはない。
「あまり、こっちを休むわけにはいかないから」
「ええ。そろそろ忙しくなってきましたから」
 綾部先輩も早乃と同じく、部活動にも入りつつ、生徒会の仕事もこなしている人だ。
「部活動と一緒だと、どうしても大変なんですよねー。最近、ようやく落ち着けるようになったって感じですけど」
「そうだね」
 剣術部の方は、ようやく新一年生に基本的な心得などを教え、実際の稽古に移れるようになったところだ。もちろん、指導そのものはこれからが本番だが、自主性を重んじる剣術部の場合、その最初に教わる心得こそが、なによりも肝心な部分である。
 綾部先輩は、美術部に所属している。もちろん、剣術部とはまるで異なる活動を行っているのだろうが、新一年生への指導という部分では、同じような状況なのかも知れない。
「早乃ちゃんは、特に大変そうだね」
「――え? あ……いや、そんなでも、ないんですけど」
 突然、ねぎらいの言葉をかけられて、少し早乃は戸惑った。
「疲れてない?」
 そんなに疲れているように見えるだろうか――だとしたら、少々考え物だ。
 確かに、三年生の部員は受験勉強などで忙しく、部長以外はあまり部活に顔を出せないので、二年生とはいえ副部長である早乃のやるべきことはそれなりに多いのだが、それに疲れを残してしまうようでは、下級生たちに示しがつかない。
「だ、大丈夫ですって」
「そう」
 にこり。
 綾部先輩は、たとえ笑っても、そんなに表情が変わらない。
 それなのに、どうしてこんなに包んでくるような優しさがあるのだろう。
「せ、先輩だって、美術部の方で忙しそうじゃないですか」
「……ん」
 ――そんなに、忙しくはないよ。
 言葉が無くても、その少しの表情と、微妙な間だけで、言わんとしてることがわかってしまう。
 早乃はいつも、この綾部先輩という人が持つ雰囲気が、不思議なだなあと思う。
 こちらが思っていることは、何か言う前に、大体のところを察してくれるし、逆に、先輩が何を思っているのかも、側に居ればよくわかる。
 先輩から伝わってくることのほとんどは、暖かい思いやりの心であり、それがとても心地よい。ただ、側に居るだけで、幸せな気分になれる人なのだ。
 きっと、感性が他人よりずっと鋭い人なのだと早乃は思う。だからこそ、あんなに素晴らしい絵も描けるのだろう。
 学園の一階に飾られてある風景画は、なんと、この先輩が描いたものだ。しかし、言われてみれば、あの優しげなタッチの風景が、この人によって描かれたというのは、いかにも頷ける話だった。
 そんなことを思いつつ、生徒会室へと足を進める。
 しばらくの間は、お互いに言葉を交わすこともなかった。それでも、居心地が悪いとは少しも感じない。
「時間が過ぎるのって、早いね」
 ふと、綾部先輩が口を開いた。
「え?」
「早乃ちゃんたちがウチに来て、もう一年経つんだ」
「あ、はい――そうですね」
 突然の言葉に少しだけ戸惑う。
 でも、言われてみれば確かに、この時期には色々と感慨深いものがある。
「早いです……ね」
 生徒会に入って、そろそろ一年。
 その日々は、これでもかというほどに充実したものだったと、胸を張って言える。
 ただ一つ。自分の中にどうしても残る、ほんの少しのわだかまり。それだけが、いつまでも心に引っかかり続けている。
「あの、先輩」
「なに」
「先輩が、去年――その」
 ――自分を、生徒会に誘ってくれたのは、どうしてですか?
 そんなことを、尋ねられるはずもなかった。
 それに疑問を挟むということは、自分のみならず、先輩のことをも否定しかねない。
 ただ、ひとつだけ言えることがある。
 きっと、声をかけてきたのがこの人だったからこそ、早乃は、生徒会に入ることを良しとしたということだ。
「――なんでもありません」
 すみませんと続けて、てへりと笑う。
「ん」
 気にしないとばかりに、短い反応。でも、それだけで安心できる。
 いくら先輩でも、早乃の言いたいことを全てわかっているわけではないのだろう。しかし、それでも安心できるというのは、この先輩の前なら、たとえどんなことを言ったとしても、自分の気持ちを汲んでくれるに違いないという確信が持てるからだ。
 だからこそ、この人に、あまり甘え過ぎるわけにはいかない。
 うっかりすると、ひたすらすがってしまいたくなるような人だから。
 たとえば。あと一年だけならば、いくらでも甘えられるかも知れないが、来年、先輩が卒業してしまったら、どうすればいいというのか。
 だから、この優しい先輩には、甘えるよりも、自分の足でちゃんと立てるよ……ってところを見せてあげたいと早乃は思う。
 つまりは、自分の抱えてる問題は、自分自身でなんとかするということだ。
 それにもし、早乃が自力で立てなくなるようなことがあったら、この人はきっと、たとえ何も言わなくても、いつの間にか隣にいて肩を貸してくれるに違いないのだ。
「先輩こそ、もう三年生ですよ? 部活に生徒会に、受験勉強。大変だ」
 ちょっとだけからかうように、先輩に言ってみる。
「それは、来年の早乃ちゃんも、同じ」
「あはは。それもそうですねー」
 軽口を叩いて、笑いあう。こういうお喋りにも、ちゃんと乗ってくれる人だ。
 早乃は、先輩のことが好きだ。一年上の先輩だけど、恩師という風にさえ思える。
 心の中に抱えているもやもやは、そう簡単に消えはしない。でも、綾部先輩のことだから、それをきちんと見抜いた上で、早乃のことを選んだはずだ。そういうものをきちんと乗り越えられると、信じてくれたということでもある。
 信じられたからには、裏切らない。
 こうして、何気ない接し方をしてくれる先輩には、早乃もそれに習い、何気ない恩の返し方をしたいと思うのだ。


 ふたりいっしょに、生徒会室へ着いた。
「こんにちわー」
 鍵はすでに開いていたようだったので、挨拶をしつつ、扉を開く。
「おいーっす」
「やほー、早乃ちゃん」
 中ではすでに、北館先輩と天城先輩が居た。北館先輩は、だらーっと机に突っ伏して、気だるそうに挨拶を返してきた。天城先輩の方は、暇を持て余していたのか、椅子に座りつつ、前後にゆらゆら動かしていたようだ。
「あ。葉だー」
 ぎゅむふ。
 早乃の後ろに綾部先輩の姿を見つけ、天城先輩がとてて、と走り寄ってくる。そしてそのまま、何の遠慮もなく、綾部先輩の懐に飛び込んだ。
「どうしたの、由香利」
「葉の顔見たら、急に抱っこしたくなったのー」
「そう」
「えへへー」
 まるで答えになっていない答えを返す天城先輩。もっとも、この先輩の場合、他人を突然抱っこしたり頭を撫でたりするのは、いつものことなのだが。
 早乃も、天城先輩にはしばしば抱きつかれる。だが早乃は、それにいまだに慣れることができない。別にイヤというわけではないのだが、相手が年上で、まして自分の直属の先輩なので、どうしたらいいかわからなくなるのだ。かわいいー、と撫で返してあげたくはなるのだけれど、どうにもそれがはばかられる。
 天城先輩も、そういう早乃の迷いを察してくれているのか、綾部先輩や、天城先輩を一途に慕う他の下級生ほどには、ベタベタしてこないような気もした。それでも、いざ甘えモードに入ったときには、容赦なく抱きつかれてしまうのだが。  よく見れば綾部先輩も、ほんのちょっとだけ困った顔はしているのだが、これも毎度のことなので、特に気にはしていないのだろう。
 だが、綾部先輩はああ見えて、実はわりと神経質な方だ。今は生徒会室の中だから平気だとしても、もし人前で天城先輩に抱きつかれたりしたら、表面には出さなくても、内心ではけっこう動揺するに違いない。
 ……こういったことも、早乃がこの一年を先輩たちと一緒に過してきたからこそわかることだった。
「葉ー、今日は手作りのお菓子とか持ってきたりして無いー?」
 机に寝そべりながら、北館先輩が尋ねた。綾部先輩は時々、生徒会室に色々と差し入れを持ってきてくれることがあるのだ。お家でしばしば作っているらしい。早乃ももちろん食べたことがあるが、これがまた、そこいらの有名店のものより美味しかったりする。
「無い」
「ちぃ。葉のスウィーツならば、肝臓がフォアグラになってしまうほどの勢いで暴食することも辞さないつもりなのに」
「聡美は、もうちょっと、食事には気をつけないと駄目」
「ふぁーい」
 北館先輩の無茶な言葉を、軽くいさめることまでする綾部先輩。基本的に人の言うことはまるで聞かない北館先輩に対し、曲がりなりにも何か諭すことができるのは、およそこの学園の中では、綾部先輩ただ一人だろう。
 たとえば、今こうして要求しているように、北館先輩は旺盛すぎる食欲の持ち主であり(そのくせ、体に無駄な肉などまったくついていない)、しばしば女子高生の限界を軽く超えるような健啖ぶりを見せることがある。だが、そういうときにも、大抵は綾部先輩が止めてくれる。野獣化した北館先輩は、他の生徒では止めようがないからだ。威嚇して逃げるか、全力で抵抗するかのどちらかだろう。綾部先輩だけが、うまく北館先輩をなだめられる。
 そんな先輩たちをよそに、荷物を降ろし、自分の席に座る早乃。
 なんとなく、一息ついたような気分になり、ふと言葉が漏れた。
「今日は久しぶりに、全員で仕事できますね」
 席を空けているのは主に自分だということを思い出し、しまった、と思わないでもなかったが、別にそれを追求されることはなかった。
「そういえば、きちんとみんな揃って集まるのは、けっこう久しぶりかもね」
「そーねえ。葉も早乃ちゃんも、忙しそうだったから」
 かくいう先輩おふたりも、早乃たちほどではないにしても、それなりに忙しそうではあった。天城先輩は、習い事があったりお家の用事があったりして、わりと放課後はお忙しいらしく、北館先輩も、よく知らないが、何かをやっているようで、しばしば忙しそうにしている。
「早乃ちゃん、部活の方はどう?」
「どう……とは?」
 いきなり部の話を振られて、思わず意図するところを尋ね返す早乃。
「新入生とか、入ってきてるでしょ」
 ――新入生。
 ああ、そういう話かと思い、早乃は少しだけ身構えるような気持ちになった――が、
「可愛くって、思わずそそられてしまうような子は、入部してきまして?」
「……そういうお話ですか」
 脱力しつつ、しょうもないことを真面目に聞いてくる北館先輩にジト目を返す早乃。
「仮に私が部活をやってて、その内部で権限を持つ立場だったとしたら、可愛らしい新入生にはすかさず目をつけ、もれなく全身全霊で愛であげることは間違いないのだけれど」
「……あのですね」
 とはいえ、北館先輩が言う「可愛らしい子」というのが、具体的にどういう子のことを指しているのか、早乃にはなんとなく理解できた。可愛いといっても、顔とか外見のことも少しはあるのだろうが、そういった外的な部分よりはむしろ、いかに弄りがいがあるか、からかいがいがあるかという意味の可愛らしさを、北館先輩は求めているに違いない。
 ちょうど自分の身近に、その好例とも言うべき男子生徒が一人居るので、わかってしまうのだ――どちらかというと、あまりわかりたくはないのだけれども。
「あー。いいなあ。私も新入生を可愛がりたいー」
 今まさに、綾部先輩に可愛がられている(そのようにしか見えない)天城先輩が口を挟む。
「先輩は今だって、十分に可愛がってるみたいじゃないですか」
 これは別に、今の状態のことを言っているわけではない。
 休み時間や放課後、一年生たちに囲まれる天城先輩を見たのは、一度や二度ではなかった。
 早乃の反論に天城先輩は、少しだけ「んー」と考えるそぶりを見せた。
「それはそうなんだけど……やっぱりもうちょっと、近しいところに居る子が欲しいなー」
「近い、って……あ」
 そこまで言われて早乃はようやく、自分はやはり、遠まわしにカマをかけられていたのだということに気がついた。
「ま、気長に待ってるからね」
 早乃の心中を気遣ってか、そんな言葉をかけてくれる天城先輩。
 別に、揺さぶりをかけているような態度ではない。それでも、早乃には少しだけ耳の痛い言葉だった。
 ちょうどそのとき。まるで、気まずさを感じている早乃を助けるようにして、恭佳が部屋に入ってきた。
「こんにちわ。……すみません、遅れてしまいましたか?」
 ここのところ休んでいることの多かった、早乃と綾部先輩の姿が両方見受けられたためか、恭佳はそんなことを口走った。
「んーん、ぜーんぜん」
「それに、まだビリケツではない」
「そうでしたか。……となると」
 天城先輩たちに言われ、室内を見渡す恭佳。
 すでに前三年生の方々は卒業されてしまっている以上、後の一人といえば、もはや言うまでもない。
「ども」
 その直後、これまた見計らっていたかのようなタイミングで、最後の一人がやってきた。
「健ちゃん、びりー」
「びりけつ」
「どんじりですよ、健四郎さん」
「……あの、別に遅刻したわけでもないのに、何故にいきなり三重奏で責められるんですか、俺?」
 最後とはいえ、集合時間のちょうど五分前にやって来た武田くんは、早乃と綾部先輩を除く三人に次々と指差され、何か言いたげな表情をありありと浮かべた。
「わっはっは、ちょうどそーいうタイミングだったのよ、健クン」
「いや、タイミングって言われましても。話全然見えません」
「やっぱいいねー、健ちゃんは。押さえるべきところは、しっかり押さえてくれるもの」
「だから、なんなんですかー」
「いいのいいの、健ちゃんは気にしないで。ほーら、いい子いい子」
「……う、うあ」
 さらに追求しようとする武田くんを、なでなでして黙らせる天城先輩。
 外見だけだと小さな子供にしか見えない天城先輩に、完全に子供扱いされている男子高校生の図は、いくら天城先輩の本質を知っているとはいえ、ちょっとどうかと思わざるを得なかった。
「……まったくもう」
 ぼそりと呟く。
 そんな呟きが聞こえるはずのない武田くんは、まるで助けを求めるかのように、早乃の方を見てきた。早乃はというと、いくらいつもの事とはいえ、ちょっと情けないぞ、と思ったので、ついつい顔を背けてしまった。ぷいっと。
 それを受け、さらに困ったような表情になってしまうのが、早乃としてはますます好ましく思えなかった。
 いざというときになれば、それなりにカッコいいくせに――。
「――あれ、綾部先輩」
「ん」
 そんな表情を浮かべたのもつかの間、部屋に綾部先輩が居るのを見て、武田くんは妙に嬉しそうになった。早乃のことなど、もう見てはいない。
「そっか、今日は全員揃ってるんだ」
 だから、さっきからそれを話してたんだって、と言ってやりたくなったが、これ以上揚げ足を取ってしまうのもかわいそうなので、止めておいた。
 ――それに。
 言われてみれば、早乃にだって、わりと感慨深いものがあった。
 前三年生の先輩たちは抜けてしまったけれど、去年、様々な苦労を乗り越えてきた仲間が、新しい学年を迎え、こうして改めて全員集った。
 これからも、きっと色々なことがあるだろうけど、この人たちとまた一年、頑張っていきたいと思うのだ。


 今日の集まりは、話し合いや打ち合わせではなく、単純な作業を行うためのものだった。
 昭葉学園では、五月に球技大会が行われる。今日行わなくてはならないのは、各部署へ提出するための資料や、大会のプログラムなどの製作だ。原稿の作成からその印刷、果てはそれらをホチキスで綴じたりと、ちょっと気が遠くなりそうなほどの作業量である。
 もちろん、球技大会のための運営委員会は設置されているが、それは主に、前日と当日の実作業のために用意されている部署だ。企画・運営の段階だと、やはり生徒会にもっとも多くの仕事が割り当てられることになる。
 校内の各部署を総括する機関である生徒会とはいえ、こうした雑務も、むしろ全校生徒に率先して行わなくてはならない。
 そのため、むしろこういう日だからこそ休めなかったりする。話し合いや打ち合わせなら、各機関の委員長らを集めて行う規模のものでもない限り、大抵は任せておけるものなのだ。
 久しぶりに全員が揃った生徒会の面々は、みなそれぞれに作業を行っている。早乃たち二年生の三人は、後日行われる総打ち合わせの際、各委員会に配布するための資料の作成に従事している。まとめて、綴じて、テープを張る。その流れ作業は、三人で組まないと効率が悪い。
「……うわー、まだ山のよう」
 その流れ作業の頭となる、ページのまとめを行っていた早乃は、テーブルの傍らにうずたかく積まれているページの束を見て、苦しげにうめいた。これはまだまだ時間がかかりそうだ。
「せめてもう少し、人手がいればいいんですけどねえ」
 ぱちん。ぱちん。
 隣の早乃から手渡されるページ束を、ひとつづつ丁寧にホチキスどめする恭佳が、それに同調する。
「うー、それは……」
 できればあまり話題にしたくないことなのだけれど、と内心で呟く。
 現在の生徒会の人数は六名。基本的に、各学年から三名が選出されるのが原則である。一年生の分の席が、すっぽり抜けている状態なのだ。
 先輩たちの反応が気になり、早乃はふと天城先輩に目をやったが、別に気にしているそぶりは見えなかった。
 基本的には、先輩たちは新一年生の勧誘について、不干渉を保つことにしてくれているようだ。それは、もうすぐ三役になる早乃たちの仕事であると、はっきり言われていることでもある。
 一年生が生徒会に入れば、それだけでずいぶんと仕事の分担は減る。それだけではなく、将来のことを考えれば、できるだけ早く入ってもらって、生徒会の仕事に慣れてもらっていたほうが、なにかと都合がよい。
 だから、早乃たちとしては、どうしても焦るような気分にならざるを得ない。だからといって、誰でもいいからとにかく入れる、というわけにもいかないのだ。
 実際には、それで悪いということはないのだが、そこはそれ、昭葉の生徒会がやや特別な存在というのがある。早乃だけでなく、恭佳や武田くんにも、色々と思うところがあるに違いない。
「私も色々と頑張ってはいますが、これがなかなか……」
「恭佳は別に、部活とかしてないしねえ……あ」
 と言って、早乃は、自分がふたたび墓穴を掘ったことに気付いた。二年生で部活やってるのは、自分一人ではないか――!
 ……で、その部活をやっている自分はというと。
 まあ、これはという子が、いないわけではないのだが……。
 部活という単語から当然続くであろう会話の流れに、どう対処しようかと思い悩んでいたところ。
「お茶、どうぞ」
 いつの間に煎れてくれたのか、綾部先輩が日本茶を出してくれていた。早乃だけでなく、全員の分を。
 ちょうど、思考を断ち切られるタイミングだったので、ちょっとだけ戸惑った――が。
「ちょっと先輩。お茶とかは、俺がやりますから」
 今まさに、早乃が言おうとしたのと同じことを、恭佳をはさんだ向こうに座っていた武田くんが口にしていた。
「だいたい、先輩にそんなことさせるのは――」
 後輩として当然思うべきところを、武田くんは続ける。
 ……確かに、正しいことではあるのだが、何もそこまでこだわらなくてもいいとも思えるし、ついでに言うと、なにもこれだけ女の子が揃っている中で、唯一の男の子が率先してお茶煎れしようとする姿は、ちょっとどうかという気がしてならない。そんなだから、ハーレムの奴隷だなんて言われるんだと思う。
 本来ならば、むしろ好感が持てるような態度でもあるはずなのだが、武田くんに限ってはどういうわけか、情けないなあと感じてしまう。
「気にしないで」
「は、はい……頂きます……」
 そのくせ、綾部先輩に、あの笑顔でそんなことを言われると、あっさり引き下がってしまう。ますますどうかと思う。
 ……まあ、もし仮に、自分が綾部先輩にそう言われたら、きっと同じく引き下がってしまうに違いないのだが。
「はぁ、美味しいです」
 そんな健四郎の狼狽をよそに、一人マイペースにお茶を啜るこの恭佳の肝の太さを、少しぐらいは見習うべきではないのかと早乃は思った。とはいえ、この子はこの子で、もうちょっとそのへんに細やかになってもいいのだが。さすがはお嬢様だけあって、こと食事関係においては、恭佳は完全なる消費者だった。
「でも、申し訳ありませんね。先輩にお茶を煎れていただくなんて」
 で、あらかたひとしきりお茶を楽しんだ後で、いけしゃあしゃあとそんなことを言ったりする。
「……うん。まあ、そうなんだけどね。年功序列にこだわるわけじゃないけど」
 言いたいことは、本当はもうちょっと別にあるのだが、あえて避ける。この子はやや天然な部分があり、それに真正面から向き合うと、やや疲れるということを早乃は身をもって知っているのだ。
「本当なら、そういうことをお任せできる、一年生の方がいればいいんですけれど。……早乃の方は、どうですか? 部活などでは」
「……え?」
 不意に、話題が元に戻ってしまい、早乃はふたたび動揺する。こういうとき、恭佳が持つ、天性の何かを感じてしまう。変な間というか、会話の流れというか。
「もちろん、お茶を煎れてもらうために入っていただくわけではないですけれど。どなたか、いい子がいらっしゃったりは」
「え、えーと。ちょっとどうかなあ……。いい子って言われても……」
 恭佳の追求に、戸惑いを隠せない。
 ――本音を言えば、いないわけではない。
 だが早乃には、たとえ誰であれ、剣術部の後輩を生徒会に迎え入れるというのは躊躇われる。
 どうあっても、ひいきになってしまうような気がするからだ。
 早乃は事実上、下級生を指導する立場にある。そんな中から自分のお気に入りを一人、生徒会へ入れるというのは、やはりどうしても、自分に都合の良いように先輩という立場を利用するという風に思えてしまう。
 もちろん、それだけが躊躇いの原因ではないのだが、ともかくこういう理由も、早乃の側にはあるのだ。
「……あ、そーだ。武田くんの方は、どう?」
「――え、お、俺?」
 言葉に窮した早乃は、話の矛先を、武田くんの方に逸らした。
 ほんの少しだけ、罪悪感が伴う。
 自分に都合が悪いからって、つい武田くんを盾にしてしまった。
「やっぱり、そう都合よくは見つからないかな?」
「あ、あはは……い、いやあ」
 聞いてはいたろうけど、突然話を振られた武田くんは、案の定、言葉に詰まっていた。
 まあ、早乃としても、こと今回の新一年生の勧誘については、武田くんにそう多くは期待してはいなかった。だからこそ、話を振って悪いという気にもなったのだが。
 なにしろ彼は内気だ。早乃はそのことを、子供の頃からよく知っている。昔から、知らない人に話し掛けたりするのがすごく苦手な子だった。高校生になって再会したときは、ずいぶんと変わってしまったと思ったけれど、こうして生徒会で再び一緒に過すうち、そういうところはあまり変わっていないんだな、とつくづく思い知った。
 そう。優しくて、強かったはずの彼は、変なところだけ昔のままで――。
「実は、その」
「……?」
 武田くんは、何かを言いにくそうにしていた。
 そして――続く言葉は、意外なものだった。
「いないわけでも……なかったり」
「――あら」
 いっしょに聞いていた恭佳が、驚きの声をあげた。
 早乃も、声をあげてしまいそうだった。
「へ、へえ……」
 動揺を押さえつつ、感心するように言う。
 その言葉は、確かに意外だった。
 だが、考えてみれば、別に彼は、人と話すのが苦手とか、対人恐怖症というわけではないのだ。単に、知らない人や、しばらく会ってなかった人などに、気軽に声をかけられないというだけで、人当たりそのものは、とても良い人でもある。
 なるほど。友達関係のつてか何かで、ちょうど、いい子がいたのかも知れない。
 さらに聞いてみる。
「そっか。ど、どんな子? 友達の弟さん……とか?」
「いや。そういうのじゃなくて、たまたま知り合った一年生。それに……今回はちゃんと、女の子」
 ――女の子。
 「今回は」というのは、自分がたまたま、昭葉の生徒会としては異例な、男子生徒だったことを言っているのだろうが。
 しかし、それより前に、「たまたま知り合った」女の子――そう言った。
 ……それはちょっと、どうかと思う。
 だって、この武田くんは。
 早乃自身も、少々よそよそしくしていたとはいえ――彼は、小学校のときにあれほど仲の良かった女の子と再会しても、会話さえ気軽にできなかったほどに内気な男の子では……なかったっけ?
「「ほほう」」
「おわっ!?」
 早乃の動揺――というよりは、焦燥――をよそに、話を耳ざとく聞きつけた先輩ふたりが、いつのまにか武田くんの背後に回りこんでいた。
「それはそれは――」
「聞ーちゃった、聞ーちゃった」
 なにやら邪悪な笑みを浮かべつつ、いじめっ子の顔で武田くんに迫る。
「ち、ちょっと待ってください! べ、別にまだ、決めたってわけじゃなくて。ただ、ちょっといいかなって思っただけの段階なんですけどっ」
「――『ちょっといいかな』! なんて聞こえのいい言葉なの――! 別に決めたとか決めないとかそういうことはいいから、その子が具体的にどういう方向に可愛くて『いいかな』なのかを、アナタの尊敬する先輩様に、くっきりめっきり明確に教えなさい」
「うわー、うわーうわー! どんな子ー? 健ちゃんのおめがねにかなった女の子ってー? 気になる気になるー!」
 北館先輩と天城先輩に、交互にはやし立てられる武田くんを、面白そうに見守る恭佳と、ほんの少しだけ、「やれやれ」という感じの表情を浮かべる綾部先輩。
 ――早乃はというと。
 別に、そんなことを思う理由など、ないにも関わらず――やっぱり、それはどうかと思わずにはいられなかった。



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