多くの人びとによって語られた物語に神話があります。古代の人びとは神話のかたちで世界の成り立ちや自然現象を説明しました。まずこの神話から考えてみます。
古事記や日本書紀によると日本列島は男女の神のセックスによってできたことになっています。世界各地には世界の始まりを説明するさまざまな神話があります。これらの神話がいつごろ創られたかは明らかではありませんが、現在まで語り継がれてきたことは事実です。
しかし、私たちは不思議な物語としてこれらを読むことはあっても、この世界の成り立ちの実際を説明したものだとは思っていません。神話ができたころでもそれが真実として信じれられていたか疑っているほどです。むかしの人は本当に神話を信じていたのでしょうか。
「太陽や月が東からあがり、西の空に沈むように見えるが、本当は地球が回転しているだけだよ。」とはじめて授業で習ったのは小学校何年のころだったでしょう。地動説と天動説の話を聞いたのはたしか中学校のころだったと思います。
そのときは「地動説が正しいのか」と信じただけでした。天動説を教会の僧侶から聞かされてそれを信じた中世の人びとのように、現代の私たちは教科書や学校という権威に従い地動説を信じているだけです。
そう考えると現代人の科学も古代人の神話も専門家以外の人にとっては基本的には変わらないものかも知れません。
神話も科学もこの世界の成り立ちを知りたいという人びとの欲求に応えて創られました。「己の拠って立つところ」を知りたいという人の根源的な欲求が元になっています。その説明に満足できればそれは立派な科学です。
それを説明してくれる人は古代ではシャーマンなどのように超人的な能力をもち、人びとから畏怖されているような人物でした。現代では科学者として尊敬される知識人たちです。
両者がそれぞれ拠って立つ方法や能力にこそ違いがありますが、それぞれの人びとが特別な能力をもった人として信頼を寄せられた人物であることは同じです。
現代の私たちが科学的な説明で納得するように古代の人びとは神話による説明を信じていました。
しかし神話と科学は明らかに異なるものです。神話と科学の違いはその表現方法の違いにあります。説明しようとする世界の見方が異なるため、説明の方法も納得の仕方も異なってきます。
また、世界に対する人びとの気持ちや関わり方によっても違ってきますし、観察や測定の方法によっても異なります。
しかし、自分をとりまく世界を説明した物語であるという点では神話も科学も同じです。その意味でこの二つは真実にもなりえます。神話については古代人に聞く術はありません。だから科学がどんな意味で真実なのか、しばらく考えてみます。