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17: どこでも通用する絶対的な正義はないのですか

「平等の原理」「共同体の危機管理」「期待された物語」「弱さへの配慮」。これらは人間社会が自然に培ってきた正義です。これらの物語は強制力をもつことがしばしばありました。その強制力は人為的につくられたものではありません。また、いずれかが優先的な強制力をもっているわけでもありません。強制力がはたらいたり、はたらかなかったりもします。正義とはそうしたものかもしれません。

こんな正義に対して私たちは絶対的な基準が欲しくなります。誰かの物語でない、どこでも通用する絶対的な正義はないのでしょうか。

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「正義の味方」水戸黄門

「弱き助け、悪をくじく」勧善懲悪ドラマは視聴率がいいようです。水戸黄門はその典型です。配役を取り替えてこのドラマが何度も放送されるのも、勧善懲悪ストーリーのわかりやすさが強みとなっているのでしょう。「黄門様が正義なのは悪を懲らしめるから。」それでは悪とは何でしょう。

悪とは権力を我がものにする者、弱き者を虐げる者。そんなイメージが水戸黄門のドラマから浮かびます。公の立場を利用して善良な第三者を陥れ、私欲を肥やす強欲者のイメージが水戸黄門のわかりやすさを助けています。


「反権力は正義」という立場

本当の悪は水戸黄門のドラマのようにわかりやすくはありません。「俺は悪だ」と言って登場する人は多くはありません。だから正義も難しくなります。

政治の世界では「万年正義」という人たちがいます。「権力者は悪」という信念を心の支えとして永遠に権力と戦い続けているという物語を大切にしている人たちです。

ところで、彼らが批判する権力者が失政によって権力の座から去り、彼らが権力の座に就いたとき、彼らは自分たちをどう位置づけるのでしょう。「自分たちは正義だから俺たちに反対する者は悪だ。」「悪はやっつけろ。」こんな論理でフランス革命では恐怖政治がうまれました。権力とは何かもう少し考えてみます。

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権力は中立

私たちは権力という言葉に否定的なトーンを連想しますが、権力とは集団が目的を持って行動するときには不可欠なものです。総理大臣の命令に従わない閣僚、統率がとれていない軍隊、不統一な作業マニュアルの工場。このような集団は正常に機能しません。

目的が達成するため合理的なルールにしたがい実行する力が権力です。権力は善悪からは中立な概念です。

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どんな権力でも批判される

権力を行使する立場にある人は刻々と変化する現実のなかで、一定の制約を受けて仕事をしなければなりません。

その結果がいつも人びとの支持を受けるとは限りません。むしろ厳しい批評にさらされるのが普通です。なぜなら、人びとは結果をふまえて新しい願望を抱くからです。つまり、新しい物語が語られ始めているのです。

権力が批判されるのは権力が現実を担っているからです。批判は現実をふまえた新しい物語ですから権力を批判する人はいつも正義の側に立っているかのように見えます。

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少数の支配者がなぜ多数の人を支配できるのか

歴史を見てみると、支配する側は支配される側よりいつも少数です。多数のびとびとの余剰を搾取するのが支配ですからそれは当然です。しかし、なぜ少数者が多数を支配できるのでしょう。

「支配者は悪賢い。」「支配者は権力で民衆を抑えている。」こうした説明は私たちを喜ばせますが、納得できる解答ではありません。

支配者はその時代の大衆の現状にあった方法で支配します。それはあたかも大衆が自発的に服従しているかのように映ります。勿論、時代や地域のよってそのニュアンスは異なりますが、大衆が自発的に服従する方法で支配しなければ、支配のコストやリスクは大きいものになり、支配は長続きしません。

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正義は疎外された者の立場に立つ

否定されなければならない権力があるとすれば、それは特定の人びとを排除する権力です。強制力をもった物語が特定の人びとを疎外しなければ成りたたないとしたら、この疎外された人の立場にたつ物語こそ正義でなければなりません。

なぜなら、平等を保障する共同体こそ正義という物語の出発点だったからです。それではこの立場とは何でしょう。つぎは立場と物語の関係について考えてみます。

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