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10: コップを叩いたからコップが割れたのですか

物理学が人間と自然界との関係を描く学問だとしても、自然現象のなかに見られる因果関係は客観的な現象ではないでしょうか。このことにこだわってみます。

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コップは叩いたから割れたのか

「コップを叩いたらコップが割れた」と言うのと「コップを叩いたからコップが割れた」と言うのは同じでしょうか。

前の方は目の前でおきた事実をそのまま言っているだけです。後の方はコップが割れた原因を説明しています。つまり、眼前の事実を解釈しています。どっちが妥当な表現なのでしょう。


よく調べてみると・・・

コップの例で言えば、コップにはひびが入っていてまさに壊れようとしていたということは考えられないでしょうか。または誰かが離れたところかが電磁波のような衝撃を与えていたということも考えられます。

私たちがまだ知らない物理現象がおきたのかもしれません。これと似たことは私たちの周りで時々おこります。

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コップは割れなかったかもしれない

「コップを叩いたからコップが割れた。」という言い方は「コップを叩いた」ことと、「コップが割れた」こととを直線的に原因と結果の関係に結びつけています。

しかし、もしかしたら「コップを叩く」ことによってさまざまな現象が引きおこされ、その現象の一部として「コップが割れる」ということがおきたのかもしれません。何かほかの条件が不足していてたら、コップを叩いてもコップは割れないこともあるかもしれません。

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因果関係と相関関係

自然界ではひとつのことが単独でおきることの方が希です。ひとつの変化はさまざまな要素に波及し、その周辺にはさまざまな変化が波のようにわき起こり、互いに干渉しあうことが自然界では普通だと思います。このような場合、この一連の現象は相関関係にあると言います。

因果関係は「A→D」といったイメージでしょうか。見た目にはAによってDがおきた、と言えます。これが因果関係です。しかし、よく調べてみるとA→B→C→Dと連鎖反応がおき、そのひとつとしてDがおきた、ということもあります。これは相関関係です。

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日常生活では因果関係ですます

私たちは日常生活の狭い範囲では因果関係と相関関係を区別しません。支障がなければ現実はそれですぎていきます。まだ確認されていない自然現象まで想定して日常生活をするのは現実的でありません。

一方、ダムの建設とか新薬の開発とか大規模で多くの人に長期にわたって影響を及ぼすような場合は、因果関係だけで物事を決定するのは危険です。取り返しの付かない影響が出てしまうかもしれません。相関関係ということをどのように私たちは扱ったらいいのでしょう。

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大気汚染による健康被害の裁判では

ある工場が汚染物質を排出し、大気汚染で住民に健康被害がおきて、訴訟に発展することがよくありました。争点となるのは企業の排出した汚染物質と住民の健康被害との因果関係です。

同じところに住んでいても喘息にならない人もいるのだから、汚染物質は喘息の原因であるとは必ずしも言えない、と企業側は主張します。患者側は大気汚染のない地域での住民の喘息患者の率と比べて高い発症率を根拠に因果関係を主張します。どちらが正しいのでしょう。

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因果関係を証明することは難しい

企業側は汚染物質を排出したことと住民が喘息を発病したことの間に因果関係を証明せよと要求します。

しかし、大気汚染という大規模で複雑な構造をもつ自然現象と住民の生活条件・身体条件という多様な現実との間に直接的な因果関係を証明することはまず不可能です。患者側が主張するように統計的な数字で二つの現象に相関関係が読み取れることだけで十分と考えるべきではないでしょうか。

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科学性を要求することに慎重であるべき

自然科学が証明するのは狭い範囲の限られた条件下でおきる現象の因果関係です。だからといって私たちの複雑な自然界や多様な社会に自然科学の成果をそのまま持ち込み、それを科学的だと評価するのは、科学を物語化することです。

科学という言葉にそっと願望を忍び込ませ、自分の主張をとおそうとするたくらみにほかありません。

似たことが、「正義」という言葉の周辺で頻繁に起きています。今度はこれについて考えてみましょう。

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