私たちは日々、特に何ら意識することなく当たり前のこととして生活しています。この「生活世界」が当たり前であることを前提として、共同の認識(物語)をつくり、安定した生活をおくることができています。
一方、手段であったはずのものがいつのまにか目的になって予期せぬ事態に至ってしまったり、「前提」を忘れて「客観的」な事実だと思いこんで、判断を狂わせてしまうこともしばしば体験します。
このリアルな「生活世界」とイメージの「客観的世界」とはどのようなつながりがあるのでしょうか。
近代になるまでは、文字を学ぶのは特殊な人たちに限られていました。僧侶になるためにラテン語、クルアーンを読むためにアラビア語、仏典などの教典を読むためにサンスクリット語や漢字など、そして官僚(役人)になるために漢字などです。学校は、主にそのような少数者のために開設され、聖職者と官僚(役人)が教師を兼ねる例も少なくありませんでした。
そもそも、文字自身が限られた目的で生まれた歴史からして、それは当然です。しかし、近代になって、この文字に関する環境が革命的に変化します。
漢字中心だった日本で、ひらがなやカタカナで日本語がさかんに書かれるようになったのは、おおよそ西暦1000年以後のことです。読み書きはラテン語中心だったヨーロッパで、イタリア語、英語、フランス語、ドイツ語などの表記が成立したのは、13世紀から16世紀にかけてです。
このころ、世界の各地でこのような現象がおきています。古代文明発祥の地の周辺で、多くの民族が政治的、文化的自立をはじめ、地域間の交流がさかんになった頃です。印刷技術が各地に伝わり、発達しはじめたのもこの頃です。
その結果、限られた身分だけでなく、庶民も文字を学ぶようになっていきました。学校はまずは文字を習う場所だったのです。
地方分権の時代だった中世では、貴族や僧侶などの特権身分が政治の中核を担ってきましたが、国内の統一が進み、国王の下に権力が集中し始めると、多くの行政官が必要になってきました。
まだ権力をもっていた貴族や僧侶などの特権身分の出身者は、国王に逆らうことも多く、中央集権的な国家体制の確立を目指していた国王には、彼らは邪魔な存在でした。
そこで、国王に忠実な新しい行政官を特権身分以外の庶民から選ぶようになり、その人材を養成する教育機関が必要とされるようになりました。
やがて、試験で生徒を競わせて学習意欲を引き出す現在のような学校制度に発展していきました。すると、今度は、学校教育を受けて、エリートとなった彼らは、特有の官僚文化を構築し、特権階級を形成するようになったのです。
彼らは、生まれ育ったふる里の人間関係から切り離されていましたから、同じ境遇の仲間の組織には忠実で、学校で培われた合理主義的な思考で、古い慣習に縛られることなく、果敢に仕事をこなしていくことになりました。こうして、効率的な官僚組織が確立することになったのです。
産業革命のころのイギリスでは、競争が激化し、幼い子どもまでが長時間、工場で働かされるようになりました。このままでは国力の衰退につながりかねないと、子どもの過酷な状況を懸念する声がひろがり、利潤追求優先の大人社会から子どもを守るために公的な学校教育が求められるようになりました。
また、日本など遅れて近代化をめざした国では、より速く近代化を進めるため、国が率先して庶民対象の学校教育を普及させました。学校が啓蒙機関の役割を担ったのです。勿論、その中から優秀な人材を選別して、効率的な官僚組織を構築する役割を果たしていたことは言うまでもありません。
それでは、学校は現在はどのようになっているのでしょうか。
日本では、学校教育が始まった明治初期の頃こそ、政府が進める教育政策に庶民の反対がありましたが、やがて、世の中が変化するにともない、少しずつ学校教育も普及してきました。
中学、高校、大学と進学できるのは経済的に余裕のある限られた生徒だけでしたが、20世紀の後半になると、小学校に加え男女とも中学は義務化され、高校進学率も急速に上がっていきました。
「一流大学を出て、一流会社に就職」の思いで親たちは、高い教育費のために長い労働時間に耐えました。こうして、人口が多いベビーブーマーたちの世代を頂点に受験競争が過熱していきました。
やがて、彼らが学校教育を終える頃から、教育をめぐるさまざまな問題が噴出し、普及よりその内容へと課題は変化していきました。
このように、日本では「上からの近代化」政策の中核を学校教育が担い、庶民もそれを自主的に受け入れていきました。問題は、そのことの意味と結果です。
現在の日本では、小学校六年、中学校三年、高校三年、大学四年の制度になっていますが、児童・生徒の発達を考えるにはこれを次のように四年で区切った方が分かりやすいと思います。
このように学校教育は、日常生活と職業選択という二つの柱によって成りたっています。特に小学校低学年と大学(専門学校)では、まさにそのままの内容です。
それに対して、その位置づけが難しいのが中学・高校です。(発達段階としては、小学五年から中学二年までの四年間と中学三年から高校三年までの四年間ですが、ここでは現行の制度にしたがい中学・高校として区切ります。)
小学校低学年では日常生活にかかわる具体的な知識を身につけ、大学(専門学校)では職業生活にかかわる専門的な技術や知識を学ぶ、つまり、両方とも学習の中心が実生活に直結する具体的な内容になっていますが、その間に挟まれた中学・高校、特に高校では、生活に直結しない教養中心の内容ばかりの授業が続きます。
さらに、中学と高校での教育には力点の置き方が微妙に異なります。中学校では、小学校での日常生活に根ざした具体的な内容を、視野を広げて体系的かつ総合的に学習します。身の回りで体験することを論理的に整理し、それをよりいっそう深く理解できるようになり、学習意欲も自ずと高まりやすい時期でもあります。
高校では、大学(専門学校)での学習を前提にしたカリキュラムになっていて、内容的にも大学教育の準備のような配列になっています。多くの教科書が、学問的な基礎や方法論から始められ、その記述も分析的、抽象的です。
ですから、高校生になったばかりの生徒はその多くが、自分が何を学んでいるのか分からないままに、授業を受けることになってしまいます。
中等教育の前半と(中学)後半(高校)にはその位置づけがまったく違い、はっきりした段差がその間には存在するのです。
最近はあまり聞かなくなった言葉です。小学校の頃は成績もよく、周りの注目をあび、将来を嘱望されていた少年が、大人になってみたら平凡な普通の「オヤジ」になっていた。そんな半生を想像してみてください。どこにでもある話ですが、そこには中等教育の特徴がよく現れています。
思い出してみてください。小学校や中学で、学校のテストで「百点」 をとったことはありませんでしたか。しかし、多くの人は高校で「百点」をとったことは思い出せないと思います。「百点」にはこだわりません。中学の学習はなぜか「やる気」を起こしてくれるのです。なぜでしょう。
例えば、雑然とした自然界の背後に存在する秩序、図形がもつ性質を言葉だけで証明する論理の力、社会の仕組みにほどこされている巧みな配慮と工夫、歴史の変化にみられる法則性。こうしたことは、教わらなければ知らないまま終わってしまうことです。それを知ることができた喜びと自信。自分を取り囲む事象が合理的に説明できる言葉の力への信頼と尊敬。これらは、自分を信頼し生きにく力となって、人の生涯をささえるはずです。
このような純度の高い学びの喜びは、進路とか受験とかいった「下世話」な関心とは本来無関係です。しかし、現実はそれを放ってはおきません。