各地域、同時代並行の世界史
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【 D3 : 900 〜 1200 】
12.つながる都市

●遊牧民族の活動がさかんになり、ユーラシア大陸各地ではさまざまな変化が現れます。また、温暖な気候が続き、各地で生産力が向上し、経済活動が活発になりました。そのような状況の中で、諸民族は政治的にも文化的にも自立をはじめ、各地に新しい王権が生まれました。

  1. 東ユーラシアの経済成長時代
  2. 遊牧民族の台頭
  3. イスラムの多様化
  4. 封建社会の成立
  5. この頃の日本列島
  6. 文明論の視点
  7. チェックポイント

1.東ユーラシアの経済成長時代

●唐末・五代(十国):8世紀半ば、玄宗皇帝のころから、唐王朝は衰退を始めました。楊貴妃を寵愛するあまり、玄宗は楊貴妃の一族の楊国忠を重んじるようになります。

 地方の治安を任されていたソグド人出身の安禄山と楊氏との争いは内乱(安史の乱)に発展し、唐王朝は衰退へと向かいます。

●時代の変化:国境警備の官職であった節度使はやがて、徴税権をもち藩鎮と呼ばれる勢力に成長し、各地に割拠するようになります。

 こうした過程で、門閥貴族は衰え、開墾や干拓により力をつけてきた新興地主勢力(形勢戸)が佃戸を支配し台頭するようになります。

●宋時代:全国を統一した宋の趙匡胤は、武断政治の時代を終わらせるために、文治主義の政策を進めました。

 まず、軍隊を削減し、科挙合格者を官僚に採用しました。そして、皇帝に権力が集中する体制を整えました。そのため、この時代の文化は官僚の知識人が担い手となりました。

 一方、軍事力が弱体化したため、周辺民族の脅威にさらされ続けることになりました。

●宋代の経済成長の背景:10・11世紀は世界的に気候が温暖化した時代でした。江南では再び農業の技術革新により生産力は向上し、商工業も盛んになりました。

 また、農民一人一人から税を徴収する従来の税制から、土地所有者から徴税する税制に変わったことも、新興地主には有利に働きました。

●南宋の時代:南宋以後は、景徳鎮で盛んになった青磁を求めるイスラム商人との商業も盛んになり、海の時代が始まりました。こうした商業の活況により貨幣不足が生じ、紙幣がつかられるようになりました。

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2.遊牧民族の台頭

●この時代、宋の西や北では諸民族が建国し、宋を脅かします。

●遼:モンゴル系、ツングース系の要素をあわせ持つ契丹(キタイ)族は中国の北側に遼を建国します。

 宋はこの遼に燕雲十六州を割譲し、さらに「せん淵の盟」を結び、毎年遼に銀と絹を贈り続けました。

 遼は契丹文字をつくるなど中国文化を取り入れながら、文化的にも自立していきました。やがて、金に滅ばされ、一部は逃れて、中央アジアに西遼(カラ=キタイ)を建国します。

●西夏:チベット系のタングート人は中国の西(河西回廊)に西夏を建国し、交易の要衝をおさえて栄えます。宋はこの西夏とも「慶暦の和約」を結んで、毎年銀と絹と茶を贈り続けました。西夏も西夏文字をつくりました。

●金:遼を滅ぼした金は、宋の徽宗と欽宗を連れ去り(靖康の変)中国の北半分を支配します。高宗は南に逃れ、臨安(杭州)に南宋を開きます。宋はこの金とも「紹興の和訳」を結び、毎年銀と絹をおくりました。金も女真文字を考案し、中国文化を取り入れていきました。

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3.イスラムの多様化

●この時代、イスラム教はさまざまな地域に広がり、多様化していきました。アッバース朝は13世紀までメソポタミアに残りますが、かつての勢いはありませんでした。

メソポタミア
●イベリア半島でも、エジプトでもカリフを自称する者が現れ、バグダードのアッバース朝の影響力が弱まりました。
●しかし、アッバース朝はイスラム社会の要として存続し、13世紀モンゴルの征服によって滅びました。
イベリア半島
●後ウマイヤ朝はカリフを自称し、バグダードのアッバース朝に対抗しました。都コルドバはヨーロッパに対するイスラム文化の窓口として、独特のイスラム文化が栄えました。
●やがて、北部のキリスト教徒の中から、イスラム教徒により奪われた土地を取り戻そうという国土回復運動(レコンキスタ)がおこり、長い戦いが始まりました。
●11世紀末にはムラービト朝が12世紀にはムワッヒド朝が、イベリア半島の南半分を支配しました。
北アフリカ
●ベルベル人による王朝ムラービト朝とムワッヒド朝が成立し、イベリア半島に進出しました。
●ベルベル人のムスリム商人(塩)は西アフリカのガーナ王国(金)と交易をし、西アフリカにイスラム教が普及するきっかけとなりました。
エジプト
●10世紀、チュニジアでファーテイマ朝はが起こりエジプトを支配しました。また、ファーテイマ朝はシーア派の立場をとり、カリフを自称しました。
●ファーテイア朝の首都カイロはイスラム社会の新しい中心となり栄えました。
●12世紀、クルド人のサラデインはクーデターをおこして、エジプトにアイユーブ朝を建国しました。
●サラデインは第二回十字軍でキリスト教徒の軍隊を撃退しました。
シリア・パレスチナ
●ファーテイマ朝、セルジューク=トルコ、イエルサレム王国と相次いで支配者が入れ替わりました。特に、十字軍によって建国されたイエルサレム王国はイエルサレムをめぐりアイユーブ朝と争いを続けました。
イラン高原
●10世紀ブワイフ朝がおき、バグダードを占領し、カリフから大アミールの称号を与えられました。
●ブワイフ朝は軍人に俸給の替わりに徴税権を与えるイクター制を採用しました。この制度はイスラム世界各地に広がり、イスラム世界の経済の発展に影響を与えました。
●11世紀、カリフを保護下においたセルジューク=トルコは、アッバース朝のカリフからスルタン(支配者)の位を授かりました。この地位は以後、イスラム社会の支配者の地位となりました。
●セルジューク朝のマムルーク出身の将軍が力を得て自立しホラズム朝を起こし、交易の拠点をおさえて栄えました。
西トルキスタン
●9世紀末に建国されたサーマーン朝の時代、トルコ人を奴隷として購入し、軍人(マムルーク)としてイスラム各地に供給しました。
●サーマーン朝下でイスラム教を受け入れたトルコ人は11世紀には勢力を得て、サーマーン朝を滅ぼし、セルジューク朝を起こして西アジアのほぼ全域を支配しました。
●ホラズム朝はセルジューク=トルコから西トルキスタンを奪いました。
アフガニスタン
●マムルーク出身の将軍がアフガニスタンを拠点にガズナ朝を起こしました。ガズナ朝はインドへも進出し、ヒンドウー教寺院から莫大な富を略奪しました。
●12世紀、ガズナ朝を倒してイラン系のゴール朝がアフガニスタンに成立しました。ゴール朝の時代にインドでのスラムの勢力が強くなりました。
東アフリカ
●古くからインドや西アジアと交易があったモガデイシュ以北の港に加え、この時代にはさらに南のマリンデイ・モンバサ・ザンジバルなどの海港都市にもムスリム商人が住みつき、インド洋貿易で栄えました。アラビア語の影響を受けたスワヒリ語が共通語として使われるようになりました。
西アフリカ
●豊富な金がとれるガーナ王国にはムスリム商人が塩をもって交易に訪れていました。しかし、1076年ムラービト朝がガーナ王国を征服し、西アフリカのイスラム化がすすみました。

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4.封建社会の成立

●この時代に入り、西ヨーロッパ世界は大きく変化を始めます。10世紀には民族移動の影響を受けて封建制度が確立します。

 11世紀には農業生産の向上を背景に、都市が生まれ、対外的に進出する機運が高まってきます。十字軍はそうした機運の中で始められました。

●フランク王国その後:カール大帝の孫の代には、フランク王国は西フランク(フランス)、ロタール(イタリア)、東フランク(ドイツ)の三王国に分裂し、いずれの国も血統が途絶えて消滅します。

●包囲された西ヨーロッパ:この時代、西ヨーロッパは四方から諸民族の侵入を受けていました。特に、ノルマン人が9世紀の頃からヨーロッパの各地に移住し、建国しました。

デンマーク系ノルマン人
・ロロに率いられたデンマーク系のノルマン人はフランスにノルマンデイー公国を建国します。
ノルマンデイー公ウィリアムはイギリスを征服し、ノルマン朝を建国し、一部は地中海にシチリア王国を建国しました。
スウェーデン系ノルマン人
・リューリクに率いられたスウェーデン系のノルマン人はロシアを経て、イスラム教徒と交易をしました。
その中継点にできたノヴォゴロドやキエフなどの都市は後にロシアへと発展していきます。
マジャール人
・10世紀、ロシア南部からハンガリーに移動してきた遊牧民のマジャール人は農耕文化を受け入れ、その地にハンガリー王国を建国し、ヨーロッパを東から脅かしました。/dd>
ムスリム
・レコンキスタと十字軍でこの時代、ヨーロッパとイスラム勢力は対立関係にありました。

●封建制:ヨーロッパで封建制が成立したこのころ、中国では佃戸制、イスラムではイクター制による土地制度が普及していました。

有力者が土地を掌握し、在地の農民から税や地代を徴収する形が一般化した背景には、世界的な気候の温暖化や農業技術の改良により、生産力が向上したことが考えられます。

●ヨーロッパでは、騎士階級(皇帝・国王・大諸侯・諸侯・騎士)や聖職者(ローマ教皇・大司教・修道院長・司教・司祭)が領主となり、農民から地代をとりました(荘園制)。

●また、騎士階級は互いに忠誠と保護の関係を結んで、契約的な上下関係をつくりました(狭義の封建制)。聖職者にも教会の規則による階層社会が形成されました。

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5.ヨーロッパの変化

●農業革命:10世紀から11世紀にかけて、ヨーロッパでも農業生産が飛躍的に向上しました。

 温暖な気候に加え、三圃制農法や重量有輪犂や水車の利用など農業技術が改善されたことが背景になっています。春・秋・休耕と分けて農地を使うことにより、地力が回復し生産性向上につながったのです。

●農村の変化:そのため、領主直営地での労働地代がなくなり、農民保有地からの生産物地代だけに一本化されました。農村も確実に変わりはじめていました。

●商業の復活と都市の成立:農村の余剰生産物が市で交換されるようになると、商業が盛んになり、都市に発展していきました。

 遠隔地からの文物がヨーロッパの各地に流入し、人びとの関心も外へと向けられるようになりました。農村から都市に逃れる農民がいたり、領主と戦いその支配から自立する都市もみられるようになりました。

●膨張するヨーロッパ:農村や都市で大きな変化が起きていたころ、ヨーロッパ各地で開墾と干拓が盛んに行われました。

その勢いはドイツ人の東方植民やイベリア半島でのレコンキスタなど対外的な膨張もともないました。

また、この頃は巡礼が盛んになりヨーロッパのみならず聖地エルサレムに向かう人びとも出てききました。

●十字軍:ちょうどその頃、セルジューク=トルコの進出に危機感を募らせたビザンツ帝国の皇帝はローマ教皇に救いを求めます。教皇ウルバヌス2世はクレルモンの公会議で十字軍を提唱し、ヨーロッパ世界での主導権を確立しようと図りました。

●皇帝と国王:十字軍で中心的な役割を果たすのは騎士階級です。その頃のヨーロッパはどのようになっていたのでしょう。1000年前後まで少しさかのぼって見てみます。

イベリア半島
・ムスリムの征服をまぬがれた人びとのなかから、奪われた土地を取り返そうとする動きが始まり、ナバラなどの国が生まれました。
・11世紀、後ウマイヤ朝が崩壊すると、アラゴンやカステイリアなどの国がうまれ、国土回復運動(レコンキスタ)の戦いはキリスト教側が優勢になってきました。
イギリス
・ノルマンデー公ウィリアム(ウィリアム1世)の征服によりイギリスにノルマン朝が成立しました。
フランス
・聖職者や諸侯の選挙でパリ伯のユーグ=カペーが国王に選ばれ、カペー朝が始まりました。
イタリア
・国王不在の状態が続きました。
ドイツ
・部族の勢いが強いドイツでは、諸侯らがザクセン公を国王に選びましたが、王の力は弱く、諸侯分立状態が続いていました。
このザクセン朝のオットー1世はマジャール人を撃退したことから、962年教皇ヨハネス12世からローマ帝国皇帝の位を授けられ、神聖ローマ帝国皇帝になりました。
これ以後、ドイツで選ばれたドイツ王はイタリア王を兼ね、皇帝の位につくことになりました(神聖ローマ帝国)。
教皇
・しかし、皇帝と教皇は教会聖職者の人事権をめぐって争うようになり(叙任権闘争)、グレゴリウス7世とハインリッヒ4世による「カノッサの屈辱」事件がおきました。十字軍は、このように教皇の力が強まりつつあるころ、教皇によって呼びかけられたのでした。

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5.この頃の日本

●894年、300年近く続いた遣唐使は菅原道真の進言により廃止されました。「唐の都から学ぶことはもうない。」以後、崩れはじめていた律令体制が止めどなく崩壊し、貴族政治の時代になります。

●崩壊の時代は新しいものが生まれる時期でもあります。秩序が失われた社会で己を守ろうとする武士が現れ、この時代の終わりには自ら政権をうち立てるようになりました。

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6.文明論の視点

●この時代、世界の各地で「武士」が台頭します。

この背景には何があったのでしょう。

仮説1 「気候の温暖化」 :1000年ころより、世界的に気候が温暖になり、開墾や農業技術の改良などで生産力が向上し、人口が増えます。この「躍進の時代」に大土地経営に成功する人びとが多く出現したと考えられます。

仮説2 「遊牧民の台頭」 :古代文化を受容し、文化的にも政治的にも自立してきた遊牧民は、農耕社会に支配者として振る舞うようになり、それに対抗するためにも、騎士や武士などの軍事階級の役割が増えたことも考えられます。

仮説3 「製鉄の一般化」 :古代では、国家が先端技術として管理した製鉄技術が、この時代に地方に分散し、権力の地方分散化がおきやすくなったとも考えられます。

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7.チェックポイント

step1:唐代の貴族に替わり、宋代にはどのような人びとが力を握るようになりましたか。
hint1:形勢戸はどのようにして力を蓄えたのでしょうか。
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step2:宋は周辺の遊牧民族とどのような関係にありましたか。
hint2:宋は遼・西夏・金とどのような関係にありましたか。
もう一度読む
step3:この時代のイスラム世界はどのような状態にありましたか。
hint3:この時代、イスラム教徒を束ねるべきカリフは何人いましたか。彼らはそれぞれどこにいましたか。
もう一度読む
step4:この時代、西ヨーロッパは対外的にどのような状態にありましたか。
hint4:この時代に成立した封建制とはどのような社会ですか。また、そのような仕組みがなぜこの時代のヨーロッパで生まれたのですか。
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step5:この時代のヨーロッパの産業ではどのような変化がおきていましたか。
hint5:この時代のヨーロッパの農業や商業ではどんな変化がありましたか。
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point1:諸民族の原型
ユーラシア大陸のほとんどの地域で、それぞれ固有の王国が成立し、独自の文字を持つなど文化的に自立する動きも出てきます。現在の世界の各地域の民族文化の基本はだいたいこのころにさかのぼることができます。
point2:温暖な気候による経済成長
この時代のユーラシアの各地では、温暖な気候により農業生産力が向上し、庶民の生活にも活気が出てきます。
そのため、各地で商業が盛んになり、都市のネットワークが地域を越えてつながり始めました。とくに、海上貿易がこれまでになく活発になりました。
point3:封建制と武士
新しく台頭した大土地所有者は、自分を守るために領土を与えて(封土)し臣下(武士)としました。
封土された武士は、領民と土地を守るかわりに、農民からは生産物と労役を要求しました。
point4:ヴァイキングとノルマン人
この時代に北ヨーロッパから進出し、ヨーロッパ全土を荒らし回ったヴァイキングは時にノルマン人とも称せられる。
この二つを厳密に区別する人は、北ヨーロッパからヨーロッパ各地を荒らし回った人々をヴァイキングとし、その一部が居ついたフランスのノルマンデイー半島からイギリスや地中海へ進出した人々をノルマン人としている。

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