1995年3月20日のことはよく憶えています。東京で「地下鉄サリン事件」が起きた日です。あの時、テレビの報道を見ながら、動揺する気持をどうしても抑えられませんでした。
事件の大きさもさることながら、自分も事件を起こす側にいたかもしれない、と強く感じたからです。
どうしてそう感じたかは分かりませんが、その時の動揺した感覚は未だに残り、気になり続けています。そして、そのことをずっと考え続けてきたように思います。
あれから20年以上が経ち、世の中もずいぶん変わってしまいました。だからこそ、見えてきたこともあるように思います。いま、あの事件をどう考えるか、ここに書いてみたいと思います。
その大筋は次のようになります。
以下、どんな道筋でそのような結論に至ったのか考えてみたい。
DV(ドメスティック・バイオレンス)・ストーカー事件をおこしたり、依存症やひきこもりにおちいってしまう人たちと、地下鉄サリン事件の実行犯の人たちには、次のような共通点があることに気づいた。
(「境界性人格障害」・「依存症」で検索すると、このような症例がたくさん出てくる。)
それほど極端な行動にはしるわけではないが、そうした傾向をもつ人は多いように思う。(私にもそんな傾向があるような気がする。少なくとも、あった。)
趣味で紛らすとか、自分探しの旅に出るとか、人生とはそんなものと納得してしまうとか、そんな選択肢もあるかもしれないが・・・
「異常」と「正常」の間に線を引くのは難しい。
日常生活に支障が出るほどだと、やはり何とかしなければならない。しかし、その判断は難しい。「神経科」とか「精神科」とか「カウンセリング」とか、行き慣れている人はそれほど多くない。
そうした悩みの相談に応じる窓口が多くある。
「カウンセリング」・「メンタルクリニック」で検索してみると、すごいヒット数だ。よく知られた検索サイトでは、(平成24年現在)
「カウンセリング」16,200,000件
「メンタルクリニック」981,000件と出た。
カウンセラー養成講座の案内もあり、盛況のところも結構多い。NPO法人や研究機関もあった。
多くの事例が踏まえられているだけに、参考になることも多い。
特に、「アダルト・チルドレン」・「共依存」という言葉が気になり、いろいろ調べてみた。
まず、アダルト・チルドレン(AC)。聞いたことがあるような気がする。アメリカでアルコール依存症を扱うケースワカーたちの間で使われ始めた言葉のようだ。こんな説明があった。
アルコール依存症の夫をもつ妻たちは、離婚しても同じような男性を再びパートナーにしてしまう。夫の依存症が治ると、今度は妻たちに不調が現れる。そうした傾向が彼女たちには多く見られる。夫のアルコール依存に苦しむのが自分の役割になってしまい、夫の依存症を実は支えていたのだ。
依存の対象はアルコールだけではない。ギャンブル・衝動買いによる浪費・万引き・薬物・性的放蕩など、いずれも人には言えないことばかり。こうした深刻な問題に家族も呑みこまれていく。問題は外には秘密にされ、やがてそれが家族関係の軸となってしまい、子供も巻き込んでしまう。
こんなふうに理解した。
このような両親は、子供に対して親としての責任を十分果たすことができず、その結果子供の精神的な成長を阻害してしまう。
「機能不全」と呼ばれるそのような家族に育った子供は、役割を果たせない両親に代わって、大人の役割を担うことになると言うのだ。
(子供らしくない大人のような子供という意味で「アダルト・チルドレン」と言うのだろうか)
家族の問題を背負いすぎ、子供としての時代を生きられなかった人は、家族からいつまでも自由になれず、自立した一人の大人として安定した人間関係をきづけない。
一見、しっかり者に見えたりするが、本人は、強い自己喪失感に苦しみながら生きている。そして、親と同じような人生をおくってしまう。
その苦しみは、親亡き後も続くことになるから、できればそうした親とは早く対決すべきだ、とさかんに勧めるカウンセラーや精神科医もいた。
「機能不全家族は世代連鎖する」とも書いてあった。親から子に引き継がれてしまうらしい。「次の世代に引きつながないためにも、それを断ち切るのはあなたの使命」。いきなり、「対決」と言われても・・・
本当にそうなのだろうか。勧められるままに親と対決して、そのことを一生後悔することになりはしまいか。
そして、気づいた。そういう親はなぜそうした家族をつくることになったのか。自分もそうだったから、そうなったのではないか。
もしそうなら、被害者でもある親は、子供から責められれ、どうしたらいいのだ。責任をとって失意のうちに最期を迎えるしかないのか。なにか違う気がした。
深刻な事態になっていれば、法律に裏付けられた強制力をもつ医師の力を借りるしかないが、本人の性格や生育歴だけの問題として精神分析などに打開の道を探るのは、限界があるような気がする。
実際、怪しげなカウンセラーも多いような気がする。短時間の研修(しかも高額)で、カウンセラーを養成する機関も多くある。
精神科医の斎藤環(まどか)氏によれば、精神分析は科学ではなく、治療のための技術だとか。だから、それをマスターするには、熟練者による訓練が必要だとか。
一時は、のめり込むように読んだが、ACとか共依存とか、家族の問題から取り出せるのは、「母子分離の失敗」という考え方だけのような気がする。
このことにこだわってみる。
(「母子分離の失敗」って、「マザコン」のこと?これって、男の子だけの問題?そんな疑問をもちながら、いろいろ読んでみた。)
百パーセント頼りきって、浴びるように愛情を受けて育つからこそ、人は人になる。人生の初期に体験する母親と一体になった世界のことだ。旧約聖書の「創世記」でも、人類の初期の姿を「エデンの園」としてそのように描いている。
問題はいつまでもそのような逸楽の世界にひたってはいられないことだ。「聖書」でもアダムとイヴはそこから追放され、苦難の道を歩き始める。時には創造主を裏切り、時には信仰を深めながら、創造主との関わりを問い続ける。「聖書」のテーマはまさにこれだ。
(人類は創造主から未だに自立できていないということか。神の子、迷える子羊、アダルトチルドレン。)
人もまた母親と一体化した初期の世界から自立して生きてていかなければならない。実はこの過程が複雑なのだ。
母子一体とは言っても、体は母親とは別だ。だから、子供は成長にともなって母親から自立するのは自然なことだ。
母親の姿がちょっと見えないだけで、赤ちゃんは大泣きするほどだから、心理的には「逸楽の世界」から切り離されることには大きな不安がともなう。
しかし、この葛藤こそ、成長の証しのはずだが、これに失敗し、母親との分離が不十分なまま終わると、後にさまざまな問題を抱えることになる。
母子分離の失敗の原因は何か。端的に言えば、母親が手を放さなかったからだ。なぜ?その答えは単純ではない。さまざまな事情がそこにはある。
家族の経済・健康状態、夫婦の関係、母親の生い立ちや性格、子供の健康状態、社会や時代の制約。まさにさまざまとしか言えない事情だ。
例えば、母親が、子供を自分の生き甲斐にしてしまい、干渉しすぎる。テレビドラマでよくあるケースだ。或いは、予定外の妊娠で、仕事を辞めざる得なかった母親が「お前なんて生まなければよかった」などと言う。そんなストーリーもあるし・・・本当にいろいろだ。
成長にともない、身体的には成長しても、心理的には母親と一体化した世界を引きずることになれば、まず人との関わりがうまくいかない。
我がままだったり、引っ込み思案だったりする。自意識が強く自他の関係を客観的に評価できないから、微調整が利かず、自然な人間関係がきずけない。人間関係が自分本位で一方的なのだ。だから、まわりから疎んじられていく。そんな事態にいっそう母子関係が強化される。
(母親は、子供の問題は自分の責任だと、自分を責める傾向にあるみたいだ。「何をやっているんだ!」と妻をすぐに怒る夫もよくいる。そんなセリフをはいたことがあるような気がする。いや、あった。)
母子の関係に立てこもり、孤立して不安な二人に、周りの注目を集められるチャンスがやってくる。学校の勉強だ。これなら、二人で戦える。成果は数字で現れ、周りからも高い評価が得られる。何よりも、子供の将来が約束される。頑張らない理由がない。
頼りない息子を褒めてくれる学校の先生。母親には「天使のようだ」。顔がほころびる。子供にとっても、母親の喜ぶ姿が何よりの励ましになる。
整理するとこうなる。分離に失敗した母子関係が、学校教育によって強化され、思春期にさまざまな問題となって現れる。これが「悩める若者」の基本構図だ。
母子分離が不十分なまま育った子供に、様々な問題が現れるのは思春期になってからだ。なぜ思春期なのか。性に目覚める季節がやって来たからだ。答えは簡単明瞭だが、理由は難しい。フロイトの弟子の一人であったラカンという思想家を参考にすると、こんなことになる。
(難しい本なので、私の読み違い、理解不足ということもあると思う。だいたいそんな話かな、ぐらいで読んでください。納得できない、という人は自分で読んでみてください。斎藤環氏が読みやすい解説書を書いておられる。)
人生における最初の危機は二三歳のころ訪れる。ママに「おちんちん」がないと気づく時だ。子供にとっては神にも等しい完全無欠のはずの母親に欠損が発見されたのだ。
ラカンはこの衝撃を「去勢」と言った。自己充足した十全の世界が奪われるイメージだ。女の子は自分がそんな母親と同じだと知り、男の子は母親が完全無欠でないことに傷つく。ちなみに男女の決定的な違いはここから始まるらしい。
(確かに、三歳前後、性器の違いを発見し、すごくそれに関心を持つ時期がある。私もそうだったと、聞かされた。この時から、女性は自分にはない「おちんちん」を欲しがるようになる、とフロイトは言ったらしい。でも、これは女性には人気のない説。男根期とか、やたら性器につなげたがるフロイトの理論は比喩だと、私は理解することにしている。でも、そうでもないらしい。)
この時、子供は「エデンの園」を失う代償として「言葉」を得る。母親に代わる世界の秩序として、言葉の体系を受け入れる。自立への道がここから始まる。心の世界にとって母子分離とはこのように訪れる、とラカンは言うのだ。
母親が相対化されることによって、母親の存在によって支えられていた世界の秩序が崩れ、それに代わる世界像が必要になるのだ。読んで、そう理解した。
(ここも分かりにくい箇所だった。「言葉の体系」・「文脈」などと聞き慣れない言葉の用例が出てきて、ぴんと来なかったので、「自分なりの理解」とか「ものの道理」と言い換えてみた。自分なりに世界を秩序だったものと理解しようとする姿勢みたいなこと。母親に頼れなければ、自分で世界を背負うしかない。)
人は「セックス」として性を理解する前に、ジェンダー(役割)としての性を知る。そして家族の世界で育っていく。男と女の違いのほんとうの意味を知るのは、思春期になって、異性への関心が強まり、「セックス」としての性を理解するときだ。
(「自我の目ざめ」とか「第二の誕生」っていうやつ。)
身体的な成長は自然に訪れる。しかし、母子分離が不十分で、人間関係がうまくきずけない者にとって、異性へのアプローチは絶望的に困難な課題に映る。親にも秘めて、孤立して悩む心に、強いコンプレックスが育っていく。
「彼女ができたら、たちまちひきこもりが解消してしまった」。そんなことがよくあるそうだ(斎藤環氏)。なんとなく分かる話しだ。母子分離が終わっていない若者にとって、思春期とはそんな自分の現実を突きつけられる「残酷」な季節なのだ。
学校教育によって母子関係が強化される過程を描いてみることにする。
「小学校では勉強ができる子、中学校では運動が上手な子、高校では性格のいい子。モテル男の子はそんなふうに変わっていく」。
うまく言い当てている。簡単に言えばこんな事になるのだが、もう少し説明してみる。
「ようこそ先輩」(NHK)という番組があった。一分野で名をなした著名人が、出身小学校で授業する様子を取材した記録だ。小学5・6年生のクラスでの授業が多かった。
印象的だったのは、児童たちの真剣な表情だ。考え方も感じ方ももう「一人前の大人」に見えた。
日常生活の決まり事など具体的な内容が中心だった低学年までの授業とちがって、高学年になると社会的・抽象的になってくる。その面白さを知った子供は、このころから真剣に勉強しはじめる。
(インテリになる人は、この頃からその傾向が現れるようだ。自伝などを読んでいると、そう思う。)
小学校高学年になって、自分から机に向かう息子の姿を見て母は喜び、遅くまで一緒に起きて、夜食なんかを作って運んで行ったりする。
中学に入ると、学習内容はさらに学問的になり、親は塾にでも頼るしかなくなる。学校の成績が上がれば、確かな将来像も見えてくる。
中学校までの勉強は、努力すれば、しただけ成果となって現れる。自信がつけば面白くなる。だから夢中になれる。孤独に机に向かい、自他共に認める優れた学習成績を残し、難しい進学を実現して、「やれば何でもできる」という自信が生まれる。
この意識はなかなか消えない。このころ培った学習能力は一生ものだ。脳の発達は十五歳ぐらいで止まるという説とも付合する。
現象を記述できる方程式、論理による図形の証明、世界の歴史の法則性、自然現象の背後にある秩序だった体系。知らない世界が広がり、「普遍的」なもの深さを知るうちに、知がもつ万能感を体感する。
「中二問題」という中学生をめぐる現象があるらしい。14歳だ。この頃、進路選択が大きなテーマになってくる。また、男女との違いが目立つようになり、異性への関心が強くなってくる。男子はわき出す性欲に悩まされはじめる。
学校の成績とは別の価値観が生まれる。
異性への関心が芽生える頃から「できる子」として確立したアイデンティティーはやがて、「勉強しか出来ない自分」の自覚につながっていく。
高校に入ってテストで百点を取るのは難しい。中学までの完全主義ではとても間に合う量やレヴェルではない。はっきりした目的をもって戦略的に努力するしかない。
「できる子」でいたいだけではとても追いつかない。アイデンティティーの危機だ。
高校生だったとき、返された答案用紙にはいつも10点から20点がついていた。赤点だ。しかし、学年末の通知票には「2」とか「3」。低い平均点が調整されたのだ。みんな赤点だったのだ。
30年以上勤めた高校教師の実感では、高校の勉強すべてについていけている生徒は、5%もいないと思う。教師の方も、自分の生徒が他の科目でどれだけの課題を抱えているのか分かっていない。それなのに、教科書に書かれていることはすべて教えようとする。生徒を全員、学者にでもする勢いだ。生徒は諦めるしかない。
落ちこぼれた自分たちを笑い合えればそれでいい。しかし、笑い合う友もなく、一人孤立して悩むのは、母子分離が不十分のまま、勉強だけが自慢でここまでやってきた「できる子」たちだ。
ここで挫折が始まる。親はそのことを知らない。本人には「できる子」の勲章が重荷になる。だが、「頑張れば何でもできる」という感覚は消えず、何を頑張ればいいのか将来への不安を抱えたまま、焦る心は孤立感を深めていく。
こんな時、自分を認めてくれる存在が現れたら、ほとんど抵抗できないだろう。何かの教祖でも女の子でもいい。
ひきこもり・リストカット・摂食障害などが多くなるのもこの頃だ。
迷いと焦りをひきずったままでは、進路を決めるのも難しい。たとえ決められても長続きはしない。本当の居場所はここじゃないとばかりに、迷いと焦りは深まっていく。
もう勝敗はついていて、それぞれの人生が始まっているのだ。比較しても意味がない。しかし、「できる子」のプライドは捨てられず、この事実が受け入れられない。「このまま終わるわけにはいかない」。認めたくない現実を前に、どんどん追いつめられていく。
(資格をいっぱい取るとか、何度も大学や専門学校に入学し直すとか。そんな人がよくいる。進路って、悩み始めるとキリがないみたい。)
母親も子供の現実に気づきはするが、母子一体の感情は引きずっていく。母子一体の成功物語が諦め切れないない。諦めるわけにはいかない。母子分離ができていないから、母親が諦めれば、見放されたと子供は絶望し、期待し続ければ負担になる。
親は、引くこともできずに見ているしかない。黙っていたら、子供はひきこもり、「お前のせいでこうなった」と責め立てる。「どうしてこんなことになったのだ」、と親も嘆く。
進学しても就職しても、不満ばかりでは、近寄ってくる者もいない。異性と親しくする同世代の姿を横目に、将来に不安を抱えたまま、孤立してこの時期を過ごすことはかなりきついことだ。
逃避できる何かを見つけて、依存状態になっていく危険が周りには溢れている。世間をアッと言わせることをしでかして、一瞬の恍惚にすべてを終わらせるか・・・ とんでもない妄想が頭をよぎる。
(秋葉原で大量殺人事件をおこした青年に、自分を重ね合わせて書いてみた。書いているうちに、どこまでが自分のことで、どこからがあの犯人のことか分からなくなりそう。)
「君の名は」という古い映画をBSでやっていた。空襲の夜、銀座の数寄屋橋で出会った男女の再会物語。七十年ほど前、ラジオでこの番組が始まると銭湯の女湯が空になったという伝説のラジオドラマの映画化作品。
メロドラマだと覚悟して視てみたら、それは第一話だけで、二話三話は、再会を諦めて結婚したヒロイン真智子が、マザコンの嫉妬深い夫から責められる話しが続く。今で言う「モラルハラスメント」(精神的虐待によるDV)。
まだ男のことを思い続けているのではないかと妻を疑い、嫉妬に苦しむ夫はキャリア組の有能な官僚。
こんな設定は今ならありふれているが、七十年前のドラマにそのような男が登場していたのには驚いた。典型的なDVタイプだ。
「一流」と言われる大学を卒業し、職場では有能で人望も厚いが、家ではねちねちと妻を責め立てる。その卑劣なやり方に自己嫌悪を感じながら止められない。いや、自己嫌悪を感じるからこそいっそうはまっていく。依存の典型的な症状だ。
仮面をかぶって世間をわたり、家庭ではくつろげない男たち。やがて人知れず孤独な心を癒し始める。遊び慣れない彼らは、はまりやすい。ギャンブル・アルコール・薬物・恋愛・倒錯的性愛。もしかしたら仕事も。情報も資金の余裕もあるエリートたちなら、選択肢は多様なはずだ。(マラソンのランニング・ハイだって一種の依存。依存が悪いのではない。コントロールできなくなるのが怖いのだ。)
強い意志で青年期を問題なくのりきり、栄光の地位を手にすることができでも、その心は空洞のまま。
成功物語の筋書きは母親が書き、その母親を喜ばせるためだけに頑張ってきただけだから、どこを探しても自分はいない。孤独な青春時代を勉学に励んできた彼には、「ただの人」に戻って気を許せる友もいない。回りは同じような同僚達だけだ。
才色兼備のパートナーも、経歴と肩書きだけで得た相手だから、心を開くこともない。結局、彼らには、会社のため、役所のためにと働き続けるしか道はない。
そして孤独な妻は、かつて姑がそうしたように、今度は自分が、我が子と一緒に母子一体の新しい成功物語を夢見はじめる。こんなことが、百年以上も続いている。
土佐(高知県)や薩摩(鹿児島県)には「郷士」と呼ばれる下級武士がいた。日頃は農業をしながら、武芸や学問に励んだ。龍馬も西郷も大久保も「郷士」だった。幕府側ではあったが、新撰組の隊士も身分は武士ではなかった。
そして、明治維新。「非正規」の彼らが、政治力を失った「正社員」の武士たちに代わって、政権を取ったのだ。その結果出来た社会は、「四民平等」ではあったが、身分にかかわらず、だれでも「武士」になれる社会でしかなかった。官僚が「武士」に代わっただけだった。
「正規の武士」になれなかった彼らだったからこそ、武士社会の体質が明治以降にもひきつがれてしまったのかもしれない。列強との競争に追われた時代だったから、そのまま突っ走るしかなかったのだろう。
(将軍から天皇に、武術から西洋の学問に替わっただけだった。)
明治5年「学校令」が出され、近代化の担い手を育成する組織づくりが始まった。狙いは成功し、小学校・中学校・高等学校・大学と全国に配置された学校からは、有能な人材が中央に集められていった。
帝国大学を出た逸材は役人・軍人・学者あるいは大手企業のエリート社員の地位を約束された。月々決められた収入と退職後の生活が保障された特権的な身分だ。
休めば休んだ分だけ給料から引かれた日給月給や日雇いが普通だったこの時代、「月給取り」と呼ばれた彼らは、別世界の住民として、「嫁にやるなら月給取りに」と庶民にとっては羨望の的だった。
江戸時代には武家に生まれなければ武士になれなかったが、明治以後、誰でも「武士(エリート)」を目指すことができるようになった。
それを可能にしたのが学校教育で、そのはしご段を上まで登りつめられたのは、経済的に恵まれた家庭の子弟(男だけ!)か、特別に援助を得られた逸材だけだった。
だから彼らは故郷の代表として中央に出て、自他共に認めるリーダーの意識をもてたし、「お国のために頑張る」という自負もあった。だから強いつながりの中で長い勉学の年月を耐えることができた。名実ともに「武士」だったのだ。
(知っている人は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟や正岡子規をイメージしてみてください。)
敗戦後の民主化で身分制度は一掃され、制度的には男女平等になったが、身分制度は社会の二重構造として残った。
例えば、「武士」になれない女性は、職場では未だに差別的待遇を受けているし、大企業と中小企業では、賃金・労働時間・福利厚生・年金の格差が歴然としている。
(敗戦後、日本の官僚制度と天皇制は残った。残した方が占領政策がうまくいくとGHQも考えた。有名な話だ。まあ、結果として財閥も軍隊も復活することになったのだけれど・・・)
門戸が広がれば、競争は厳しくなる。戦後、いっそう多くの子供たちがエリートを目指して勉学に励むようになり、競争はかえって激しくなった。
受験「戦争」・高校増設運動・高校全入・大学進学率の上昇・大学院の一般化という経過をたどって、学校教育の期間は長期化した。
それと並行して、産業構造は根底から変動していった。高度経済成長の時代に、農業をはじめとする第一次産業の就労人口は著しく減少した。そして、1975年を境に、経済の中心は第三次産業に移っていった。
自営業は衰退し、大工の子供ですら棟梁ではなく、専門学校で「木工」を学ぶなど、学校教育が社会のすみずみまで浸透していった。
その結果、今や、エリートは国づくりのための逸材ではなくなった。ましてや、地域の代表として活躍する「希望の星」でもない。
地元や地域から切り離された彼らは、ただ所属する組織(企業や省庁)の利益のためにのみ働く存在に過ぎなくなったのである。
(そうした人びとによって日本の社会が動かされていることの恐ろしさは、福島原発事故の経過とその後を思いおこせば十分だ。責任をとらなくても許されるエリートたち。このままで、本当にいいのだろうか。戦争へ突入していったあの頃の日本に似ている)
しかし、戦前から続く社会の二重構造は依然として強固で、経済的な安定を保障するその地位は、身分に等しいニュアンスを保ち続けている。だから、親もエリートになることを子供に期待する。
エリートを目指す母子の闘いは、父親までも巻き込んで広範なひろがりをもちながら、ますます長期化し、孤独なものになっていった。そのレースに敗れた者は、自らを「負け組」と卑下して、いたずらに敗北感をつのらせるばかりだ。
両親が階下で眠る二階、少年は、深夜ひとりでふと思う。「もし、この家に生まれていなかったら、僕はどんな人間になっていただろう」。中学二年の頃だろうか、そんな夜があったような気がする。
ここではなく、違う場所にいたかもしれない自分など存在しようがないにもかかわらず、「もし」と考えてしまう自分。「第二の誕生」とも「自我の目ざめ」などとも言う心の揺らぎ。この厄介な「自我」をめぐって、危機の時代が始まる。
「誰が産んでくれと頼んだ?」親に向かって言ってはいけない言葉。答えようがないことと知りながらも言ってしまいたくなる卑怯な詰問。幸い、こんな台詞を吐くことはなかったが、親への反抗の末、つい言ってしまいそうになる言葉ではある。
親に向かって、産んでくれとか産んでくれるなとか、言える存在など在りようがない。それは「もしこの家に生まれなかったら・・・」と考えている自分と同じ架空の自分だ。
(そう言う自分を「超越論的自己」と言うことにする。そんな話が後から出てくる。)
自分の意志ではなく存在している自分。それなのに、自分の意志で、つまり自分の責任で生きていくことを求められている自分。このギャップこそ、「危機」なのだ。理屈では埋められないギャップだから。
しかし、このギャップを埋められず、生きることをいつまでも引き受けられない人生は、孤独で、空疎で、味気ない人生でもある。生真面目な青年ほど、「危機」は深刻になる。
ドイツ文学に「教養小説」と呼ばれるジャンルがある。ゲーテ・トーマス=マン・ヘルマン=ヘッセに代表されるドイツ文学の伝統のひとつだ。
「教養小説」の主人公たち。多感な彼らは、思春期を迎え、周囲の大人達の平凡な毎日を見て、「こんな人生はおくりたくない」と感じ始める。そして人生に意味を求め、人には伝えられない心の悩みを抱えて彷徨う。青春の物語がくり広げられる。
やがて彼らは、さまざまな体験の後、平凡な日常にこそ人が生きる価値があることに気づいて、生活の世界に戻っていく。ドイツ「教養小説」の典型的なストーリーだ。
「成熟」と言い換えてもよいだろうか。銀幕の向こうの世界や、舞台の上での喝采を夢見た一時の興奮や熱狂が、まるで熱にうなされた一夜の夢のように終わり、落ち着いた結婚の末、家族をもち、それなりの責任をきちんと担っている一人の大人の生活。
これが、思春期の混乱を収拾する定番のスタイルだった。誰もが、「成熟」して大人になっていく、と考えられていた落ち着いた社会がかつてあった。大人達は、若者が悩む姿を静かに見守ることができた時代があったような気がする。
「さ迷う」ではなく、「彷徨う」と書いた方が相応しい。生まれ育ち、見慣れた世界ではなく、知らない街で初めて出会う人びと。平凡で単調でありながら、そのひとつひとつにドラマがあり、それが何にものにも替えがたい人生だと知ったとき、彼は、懐かしい故郷の人びとを思い出す。そして、両親の人生もこれと同じだと分かったとき、世界の一員である自分を発見するのだ。「成熟」とはそう言うことだと思う。
現在、「成熟」という境地にたどり着くには、難しい条件がそろいすぎている。
まず、長い学校教育の期間。しかも、座学中心のカリキュラムでは、出会いも発見もない。出会いはモニターの向こうの知らないゲーマーか交流サイトの無言のメッセージ。
格差社会の現実を眼前にして、厳しい競争に明け暮れる。即戦力を求められる就職戦線を勝ち抜くには、あてのない旅や手当たり次第の読書などに割いている時間はない。
孤立してはいるが、それを自覚して悩む余裕もない。しかし、負けても勝っても、競争が終わるとき、危機は必ずやってくる。
孤立に気づいた孤独な心は、承認されることに飢えている。まるで幽霊のように存在が希薄な自分を、世界の中に発見し、見つめてくれる人が現れたら、どうなってしまうだろう。
恋なんて何度も失敗した末に、信じて安心してそばにいられる相手を見つける、試し運転のようなものなのに、孤立した心には、初めて出会った人が最後の人に思えてしまう。相手がどう思っていようと、自分たちは結ばれなければならないと思い込む。
「もうこのような人は現れない」。余裕のない気配が苦しくなって相手が避けようとすれば、どこまでも追っていく。思いが遂げられないのなら、「お前を殺して自分も死ぬ」。「お前がいない人生など考えられない」となってしまう。そこに至るプロセスは思いのほか短い。
「そんなに真剣に思ってくれるなら」と相手が立ち止まれば、「俺がこんなに想っているのに」と相手への不満が募る。「すぐに返信しろ」「携帯を見せろ」「他の男と口をきくな」。自己愛の一人芝居が始まっている。
ある精神科医が書いていた。孤立感と無力感が長くつづくと、高い確率でそれは狂気につながる、と。拒食症、リストカット、ひきこもり。DVやストーキングが極端な自己肯定だとすれば、これらは自己否定だ。
たとえ寄り添う人が周りにいたとしても、本人にはそれが分からない。他者とのつながりが感じられないから、未来につながる道筋が見えず、そのエネルギーも湧いてこない。そんな時、人は消しゴムで自分を消すかのように、この世から消えようとする。
ドイツの「教養小説」とは違った青春の世界が、ロシア文学の中にある。「成熟」を拒んで、現実を変えようとした若者たちだ。
19世紀、ロシアではまだ農奴制が堅固で、貧しい農奴の上にあぐらをかいて、西欧文化に酔いしれる貴族たちがいた。そして、この閉塞状態を何とかしようと立ち上がり、挫折していった若者たちがいた。
ツルゲーネフ・ドストエフスキーなどこのロシア文学の伝統の中で、レーニンたちの革命の青春がはぐくまれた。孤立して悩むインテリゲンツアの青春の蹉跌。日本の多くの若者がそれに共感した。
自分探しの旅に出るのではなく、虐げられた人びとに連帯して、社会の変革を夢見る若者がかつては多くいた。今では、「世界は変えられるか」と真剣に問う人は少ない。答えが出される前に、社会の変革は人々の関心から消えてしまったようだ。
しかし、今は流行らないこの問いに、きちんと答えを出しておくことは無駄でない。「理念によって世界を変えよう」という動きは形を変えて、これからも復活してくるだろうから。
古代の学者アルキメデスは言った。「私に支点を与えよ。さすれば、地球を動かして見せよう」。そんな支点は地球の外でしか得られない。敢えて不可能なことを言ったのだ。
水に浮かぶボートから隣のボートを押してみる。すると、相手のボートだけでなく、自分のボートも反対側に動いてしまう。引っ張れば、互いに引き寄せられる。ボートを思いのままに動かすには、陸に上がるしかない。
「世界を変える」ことはそれと同じだ。強引に変えようとすれば、自分の立場も相手の立場も変化する。思ったようにはならない。それでも変えようとすれば、力で強制するしかない。独裁の始まりだ。
「陸」に上がって、湖面のボートを眺める視線とは、人間界の外側から人を見渡す視線だ。人間界の外側なんかには立てるはずがないのに、見えてしまうと信じられている視線。
これが見えてしまうことが人には時としてある。しかし、隣人と交わう日々の「ごたごた」や「じたばた」で、すぐにそれは「戯言」となってしまう。
だが、それにこだわり、その視線でしか世界を見られなくなってしまうこともある。孤立した魂の悲劇が始まる。
社会での体験が貧弱な若者にとって、集団に属することは、活動の範囲が拡げられるし、互いに認め合うことのできる仲間をもつことにつながる。だから、スポーツや芸能、趣味、政治や宗教などさまざまな集団や組織に加入し、そこでの体験を踏み台にして、多くの若者が自分の人生を切り開いていく。
しかし、中には閉鎖的で厳しい掟を持つ宗教結社のような集団もある。
集団とは、特定の目的を実現しようとする人びとの集まりだ。目的が困難なほど、その活動は厳しく、組織は強固になり、結束も強くなる。それだけ周りからは孤立する。
やがて、メンバーの生活のあらゆる場面で、組織の活動が優先され、組織なしに自分の人生を考えることすら出来なくなる。もはや、世界の外にいるかのように自分を感じ始める。組織との一体感と引き替えに、彼は世界を失う。
1970年代、「カモメのジョナサン」という本が広く読まれたことがあった。群れから離れて、ひたすら飛行訓練する一羽の若いカモメの話しだ。エサを得るために飛ぶのではなく、ただ飛ぶことだけに意味を求めて、過酷な訓練に励む孤独なカモメ。
長いこと気になっていた作品だったので、今回はじめて読んでみた。やっぱりそうだった。主人公のカモメと「地下鉄サリン事件」の実行犯たちはよく似ている。
エサを求めて海の上を飛び回る毎日に、ジョナサンは空しさを感じていた。そして、ひとり「究極の飛行」を求めて、自身を傷つけながら厳しい訓練を始めてしまう。
そんなジョナサンを両親はじっと見つめているしかなかったが、心配したように、ジョナサンは仲間から疎んじられ、やがて追放される。そして、遠い空の彼方で、自分と同じようなカモメたちに出会い、「究極の飛行術」を身につけていく。
いま読むと、ただのカモメの話しにしか読めない。ジョナサンのナルシズムが鼻につく。しかし、かつては、多くの若者が秘かに自分を「ジョナサン」に重ねて読んだのだろう。
重要なのはこの「秘かに」である。「ジョナサン」の気持が分かるのは自分だけだ。その頃読んでいたら、きっとそう感じただろう。この感情こそ、多くの若者を魔の世界へ引き込む原動力となったのだ。
「サリン」の実行犯たちには、優秀な成績で卓越したストイストが多い。しかし、彼らはエリートの道には満足できなかった。手にしてみれば、つまらない世界だと気づくのだ。そして、「究極の境地」をめざして、命の危険すら覚悟して厳しい修行に励んだ。それが、「世界を救う道」。もう、それしかなかった。
そんな彼らには反抗期がなく、子供の頃の彼らはみんな「手のかからない良い子」ばかりだったそうだ。象徴的な話である。自分の感情や取り巻く人とのしがらみより、理念や理想の方が価値がある。そう感じてしまう彼らは、苦しくても努力し続ける。そう生きてきたこれまでのように。
明治、人間のありのままの姿を描こうとする自然主義の文学の影響を受けた、日本の作家たちから、私小説の伝統が生まれた。作家自身の日常生活をただ描くだけの作品だ。
その中で彼らは、自分の醜さや卑小さをさらけ出して、私生活を執拗に描き続けた。それを支持する熱狂的なファンも現れた。
私小説はなぜ文学たりえたのか。作家たちは、惨めな自分を曝すことで、何かを求めて止まない自分の姿勢を肯定したかったのだ。曝せば曝すほど、自己純化するという思い込みがそこにはあった。
人々がそれに共感した背景には、「解脱の境地」を求めて修行する修行僧や菩薩道の伝統があったような気がする。
仏教をひらいた仏陀も、若い頃、生きる意味を求めて、苦行をしたとされている。そして、厳しい修行の末、その限界を悟り、瞑想に入ったという伝説がある。
自己鍛錬・仙人・出家・苦行・修験道。インドからチベット、中国を経て日本に至るアジアには、世を捨て山野に入り、苦行をする伝統がある。限界まで身体を鍛え、その末に体験できる「究極の境地」を求めて、修行するのである。
(スポーツ界などに未だ残る精神主義もこの伝統の一変種かも)
生命、自然として存在する自分を限りなくゼロに近づけた、極限の世界にある自分への憧れ。そのような境地に至れたら、死をも恐れない、完全な自由を手に入れることが出来ると信じられてきた。
これは、「世界を変えよう」とすることの対極にある願望だ。自分を「是」として世界を「否」とするのではなく、自分を「無」として世界から消え去ろうとする試みなのだ。
「生まれてくる子供には、親を選ぶことができない」、とあたかも自明なことのように言う。しかし、少し考えると、変だと気づく。もし選ぶことができるとしたら、誰がそれを選ぼうとしているのだ。自分だ。その自分は親から生まれたからこそ、存在しているのではなかったか。
存在しないのに、存在していることにされている、この奇妙な自己を「超越論的自己」と呼ぶことにする。姿も見えず、その存在を証明することも出来ない自己だ。だから、「超越」。
こいつが厄介なことに、「世界を変えよう」としたり、「自分を消し去ろう」とするのだ。思春期に突然現れ、人生を「危機」にさらす、青春の疫病神、あの「自我」のことだ。
どれだけ深遠な哲学を構築しようと、人生は受精卵から始まることを疑う人は、今ではほとんどいない。それから細胞分裂をくり返して、この世界に誕生する。
誕生したら、まず世界を感受する。正確には、快や不快な状態の塊だ。この段階では、それが自分なのか、世界なのか、はっきりしない。その境界すら知らないのだから。いや、知るということさえ分かっていない「状態」なのだ。
「個体的自己」の原型がここにある。「自分」でも「自我」でもない。生命の基礎単位としての「個体」。
快・不快の「状態」にすぎない赤ちゃんが、一番先に認識するのは「母」だ。不快な「状態」から自分を解放してくれるこの存在こそ、赤ちゃんが最初に知る対象だ。「知」は快という「喜び」とセットになってやっていくる。
かぐわしい香りが近づいてくる。思わず吸いつくと、不思議な感覚に襲われ、体中の細胞がわき立つ。
苦しくなって泣き叫ぶと、またあの甘い香りが近づいてくる。原因と結果、結果から原因。そんなくり返しが続くうちに、母がいて自分がある。そんな自分が母を求める。そのやりとりが、何とも言えず甘味なのだ。
何かを知ることと自分を知ることは表裏一体。セットになっている。こうして形成されるのが、「相関的自己」だ。
この母子一体の世界はやがて広がり始める。母→父→祖父母→伯父・伯母→兄弟姉妹→いとこ→隣人→母の知人→保育士→友達・・・。
こんなふうに、母を中心に少しずつ半径を増しながら、人間関係の世界は拡がっていく。拡がっていけるのは、その中心に母がおり、その母と一体となっていた体験があるからだ。
この人間関係の範囲が広がれば広がるほど、母との一体感感は薄らいでいき、子供である自分自身を中心とした関係にかわってくる。母を中心とした同心円が、自分と母を焦点とした楕円になり、やがて自分を中心とする円に変化するイメージだ。
「この人は自分に愛情を注いでくれる人か」。人はまずそれを判断しようとする。そのうち、同じ人でも危害を加える場合もあることを理解する。やがて、敵と味方の見分け方、貸し借りの駆け引き、演技と真実。己の捨て場所。甘え方。さまざまな関係を身につけ、人生は佳境に入っていく。
同じ相手でも、こちらの出方、相手の出方で関係は変わっていく。人生は出たとこ勝負。相互に影響し合う、先が読めない世界。だから、ここでの自己は「相関的」なのだ。
父親の存在は多様なので、略して親のことを母と呼ぶことにする。産んだ母でなくていい。ミルクを飲まし、守って育ててくれた母のことを指すから、他人でも男でもここでは母だ。
その母はどこから来たのか。やはり母からだ。その母はどこから・・・ そう問うと、無数の人びとが母になる。ビッグ・マザーだ。このビッグ・マザーの存在も、母との関係の延長上に感じられている。ここに母子分離の重要さがある。ここから、「世界」への信頼が生まれるのだから。ビッグ・マザーに出会えなかった魂は永遠にさ迷い続けなければならない。
母子一体となった至福の時代があったからこそ、人は安心して少しずつ母から離れていける。不幸にもその時代を十分に体験できなかったら、自信をもって離れていけないから、いつまでも母にしがみつこうとする。
やがて思春期になって、離れたくても離れられない自己矛盾に陥り、精神は混乱する。そして、母に代わって自分にしがみつくのだ。ビッグ・マザーの存在にも気づかず、「超越論的自己」という自分だけの神にすがるようになる。
「人には人権があって、国家がそれを保障する。自由だし、財産だってもっていい。お金持ちになって幸福になる権利もある」。そう憲法に書いてある。
「契約は自由。それが社会の基本原則。だから約束を守ることは大切。その結果、貧しくなっても、それはあなたの責任。文句は言わないで」。これは、世の中の常識だから憲法には書いてない。
でも、「自由や権利があったのだから、どんな結果になろうとも、その責任は取らなければね。これ義務だから」と言われても、素直には納得できない。どこか変。
「自由で平等だ」と言っても、現実はどうだろう。
健康な体・ゆとりのある家族・豊かな財産・恵まれた教育環境・適切な情報・多様な選択肢・頼れる人脈・チャレンジして失敗しても困らない生活保障。人生の始めから、これだけ差があったら、どうだろう。
初期条件も環境設定もまったく違う。これがゲームなら、勝敗は初めから分かっている。自由で平等なのは法の世界の中でだけ。
(芸能界も政治家もやたらに二世・三世が目立つ。)
「人は誰でも経営者。自分自信をプロデュースして、素晴らしい人生を」、と言われて、進路に悩んで、努力、努力の末に大人になってみたら、妻や夫の自分には子供までいて、肩にはずっしり「家族の責任」。
そんな私には、選挙権はもとより被選挙権まであって、総理大臣にだってなれることになっている。何か変。何か変。そんな私は一体だれなのだ?
ふざけているのではない。こんなふうに、人生は過ぎていく。踊らされているだけなのだろうか。
憲法。実はこれは、一部の市民が国王に認めさせた約束にすぎなかった。市民革命は国王との闘いだったのだ。
後に先進国と言われる国ですらフランス革命から80年を経て、日本の幕末・明治維新の頃まで、内乱や独立・統一戦争があって、したたかな封建勢力との闘いが続いていた。国としてのまとまりなどほとんどなかった。大衆は法律の外で生きていた。(合衆国は北と南に分裂しそうだった。)
一般大衆に人権が認められたのは、戦争で多くの人が死ぬようになった、第一次世界大戦後のこと。20世紀になって、やっと普通選挙権が認められるようになったのだ。
くり返して言うが、国民国家の基本理念を描いた憲法は、国王の専横や身分制の社会体制を否定することを意識して制定されたもので、一般大衆の権利をうたったものではなかったのだ。
そして、今も権利が認められているのは、法律の世界でだけ。一般大衆の生活がどんな状態になっていたとしても、国家には関係がない。国家は法律を守っていさえすればいい。手続きが適法ならそれでいいのだ。国家は法律の世界で完結しているのだから。
生活がかかっている大衆はそれでは納得できない。法の「正義」ではなく、生活の「現実」が問題なのだ。
(国家は、国民がどれだけ犠牲を払っても、国民を守るためと言って、「合法的」に戦争を続けることができる。その典型的な例が、太平洋戦争末期の沖縄だ。)
人は自由で平等、すべての人が商人、契約は自由で対等。これが近代社会だ。だから、好きなものを生産して売ればいい。儲けは自分のもの。トマトを栽培して出荷する農家のように、立派な「労働力」を生産して売るのもひとつの選択だ。
だから、気の利く奥さんと結婚して、毎日元気に働こう。丈夫な子供を産んで、家族のために、頑張ろう。そうすれば、世の中回っていく。そう信じられた時代が続いてきた。
しかし、「飢える自由」が「保障」されているのも近代社会。経営が失敗すれば会社は倒産する。売上げが少なければ、店をしまうしかない。仕事がなければ、賃金が低すぎれば、飢えるしかない。それも平等に自由だ。人びとは孤立して競争している。
「権利」と(義務)。「自由」と(責任)。いつもセットのこの二組。
よくよく考えると、「権利」と「自由」は「法律の世界」の話。(現実)は(義務と責任)だけではないか。
本当は、「自由」に選ぶ「権利」などないのではないか。働かなければ、飢えて死ぬ。人は孤立して、(義務と責任)だけを背負って生きている。そう感じさせてしまうのが近代社会なのだ。
個体的自己から遊離してしまい、彷徨っているのは「超越論的自己」。現実の生活とは無関係に、法律の世界だけで完結しているのは「近代国家の理念」。
実は、「超越論的自己」は「近代国家の理念」の申し子なのだ。どういうことか。
「近代教」の牧師であるところの教師は言う。
「たった一度の人生です。あなたはたった一人しかいません。自分の個性を見つけて、それを大切に伸ばし、悔いのない人生を歩んでください」。
生徒が尋ねる。「先生。たった一人の《僕》は、たった一人で、どこからやって来たのですか」
先生が答える。「憲法の授業で学んだはずです。人には、誰にも奪われない基本的人権がある、と。それは天賦の権利、つまり天より与えられたものです」
生徒は、半信半疑でうなずく。そして、厳しい競争が待つ社会へと巣立っていく。孤立しやすい社会で「超越論的自己」だけを大切に守って生きていく。
かつては人生の二大ビッグ・イベントだった就職と結婚。その成否が幸福度のバロメーターだと思われていた。人生はそのためだけにあるような時代が続いてきた。
しかし、今、仕事はつまらなく、雇用は不安定。だから、結婚も負担だけが大きい割の合わない選択になってきた。自由だといっても、選択に魅力がなくなれば、選択の自由など意味がない。
近代社会の前提、枠組みが大きく揺らぎ始めている。
戸建ての並ぶ古い団地。晴れた真っ昼間のなのに、誰にも会わない。路上にも児童公園にも人影がない。軒下には洗濯物が静かにぶらさがり、カーテンが半分だけひかれた窓からは、部屋の灯りがわすかにもれている。
決して新しいとは言えない団地。築30年から40年というところか。若者は出ていき、住人は70代から80代だろう。老夫婦や独居老人たちは終日、居間やダイニングでテレビを見て過ごしているのだろうか。テレビだけが唯一の友達、社交の世界。
聾学校の体育の時間の話だ。ピッチャーが投げたボウルがバッターにあたった。バッターは猛然とピッチャーに駆けより、酷い暴力で報復した。余りに酷い報復だったので、「どうしてあんな酷いことをしたの」と教師が尋ねると、「だって、テレビでそうやってたもん」。返す言葉もなく、考えこんでしまった、と教師。
耳が聞こえないと、強弱の加減がわからない。目だけに頼ると、判断を誤る。私たちは全身で周囲を感じて生きているのだ。
電車の中も、喫茶店も、奇妙に静まり返っている。みんな黙って画面に見入っている。目と指先だけが激しく動いている。穏やかな時間が流れているわけではない。スマホの画面は、殺す殺されるの格闘ゲーム。販売開始後、数秒でドーム球場のコンサートチケットが売り切れ。アイドルをけなしたブログは、殺到する抗議で炎上中。
私たちは、もう一つの世界で生き始めている。誰の視線を気にすることもなく、激しい感情をむき出しにできる匿名の世界。クリックひとつでヒーローになれたり、世界を滅ぼしたりもできる自由な世界。バーチャルな世界で、もう一人の自分が育っている。
灯下、部屋にこもって手紙を書いた。本当の気持ちが書けたと大満足。やっと寝ついた次の朝、封筒から出してもう一度読んでみる。恥ずかしくて読めない。「よくこんなことが書けたのもだ」。「投函しなくてよかった」、と破ってゴミ箱の中。手紙は、夜書くものでない。
自分だけと向き合う世界。一瞬で世界の果てまで飛んでいけ、万能感に酔いしれる空想の自分。誰も見ていない。何も言われない。「相関的自己」は消え、「個体的自己」は置き去られ、「超越論的自己」だけが肥大して、世界の大きさまで膨れていく。
危ない、危ない。
社会の仕組みが人を孤立させている。
「法律の世界」では、一人一人が自由で平等な個人。当然、違法でなければすべて適法。
「生活の世界」では、一人一人が商人。契約は対等だから、飢えるのも自由。それは本人の責任。
情報はテレビとネットから。自分の眼より匿名の情報を信じ、リアルな会話より、メールのやりとり。いつもつながっているようで、よく考えると、孤立している現実。
学校では、「負け組」にならないようにと、無意味な授業に耐え、厳しい競争にあけくるれる長い年月。
孤立しない方がおかしい、社会の現実。
世界中で格差が拡大し続けている。異なった条件での競争が続けば、格差が拡大するのは当然だ。「正規」・「非正規」の雇用差別があるままでは、なおさらだ。
放置すればどうなるか。低賃金・低収入→税収・社会保険料の減少→歳出の増大→社会保障の水準低下→生活保護を受ける人の増加→財政破綻→信用崩壊・社会不安。これに、人口減少、増税→資産・富裕層の海外流出という流れも加わる。
孤立した人びとの目からは力が消える。
誰が考えても想像できる結末だ。なぜ、問題解決の動きが見えないのか。
ひとつは、政府が何とかしてくれる、と国民の大半が思っているからだ。何を根拠に信じているのか。「近代教」だ。国民の基本的人権を守るのが国家ではないか。選挙で国民に選ばれた政府なのだから。と、根拠もなく、民主主義を信じているのだ。
もう一つは、社会の管理側にいるエリートたち。彼らには、問題解決という発想がない。ただ所属する組織(企業や省庁)の利益とそこでの自分の地位にしか関心がない。つまり、エリートとしての自分の立場を守りたいだけなのだ。それが彼らのアイデンティティーだし、やっぱり彼らも、ずっとそうやって生きてきたのだ。(ママの期待に応えようとして)
「家族の一員」、「国民の一人」。それが自分だと普通に思ってきた。努力して職業を得て、家族のために仕事に励み、財産をきづくことが人生の目標だと信じてきた。そうすれば、社会は滞りなく循環し、みんなが潤うと信じられてきた。なぜなら、母子一体の幸福の世界を包むようにして、ビッグ・マザーが守ってくれていると信じられてきたからだ。
しかし、現実はどうか。山盛りの問題を「家族」という小さな容器に押し込んで、「国家」という宝くじの当選を夢見ている。
就職にも結婚にも期待が持てない今の社会を前にして、はっきりと真実が見えてきた。「家族」も「国家」もただの物語。信じられていたのは「近代教」。
一度思い込んだら、世界はそのようにしか見えない。世界が新しい姿を見せるようになるためには、具体的に動くしかない。
そんな世の中になったら、私たちはいつでも、ビッグ・マザーのまなざしを感じながら毎日をおくることが出来るようになると信じたい。(了)
【参考文献】
・「生き延びるためのラカン」・「文脈病」(斎藤環)
・「アダルトチルドレンと家族」(斎藤学)
・「家族の病をときほぐす」(遠藤優子)
・「アダルトチルドレン問題」
(「共依存とアディクション」に収録)(遠藤優子)
・「あなたがストーカーになる日」(小早川明子)
・「毒になる親」(スーザン・ホワード)
・「アキバ通り事件をどう読むか」(洋泉社編集部)
・「対象喪失」(小此木啓吾)
・「オウムと私」(林郁夫)
・「オウムからの帰還」(高橋英利)