U:世の中の仕組みについて
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(4) 公的サービスはどこまで減らせるか

公的な資金が公正にしかも効率よく使われているという信頼がなければ、ナショナル・ミニマムや国民負担率を議論することはできません。このことは国民的な合意を成り立たせる不可欠なプロセスです。>

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1.行政サービスは劇的には減らせない

一度定着した行政サービスはなかなか減らせません。ですから、財政支出を劇的に削減することは大変に困難な作業になります。ここを乱暴に進めると、大きな不公平感が残り、その後の改革が難しくなります。

ナショナル・ミニマムの水準と国民負担率の二つの数字を見ながら、行政サービスの削減する必要があります。量的な削減(合理化)だけではなく、行政サービスの質的な合理化も必要です。

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2.行政サービス合理化の視点

患者を健康にすると収入が減る病院、高齢者の自立能力を高めると要介護のランクが下がり減収になる福祉施設。企業努力すれば収益が減るというような不合理なことをなくすためにも、サービスを合理化すれは利潤が増えるようにシステムを工夫し、行政サービスの質が向上しや経費が全体として削減されるようにしなければなりません。

公的なサービスを民営化します。たとえば、学校の授業の一部を各種の塾(学習塾・音楽教室など)に代行してもらうようにします。これにより、家庭の教育負担が削減され、全体としては行政サービスの合理化になります。

公的なサービスにボランティアを活用し、公務員の人件費を削減すします。これには「大きな社会」の考え方が欠かせません。

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3.経費がかかる「無縁社会」

無縁社会は経費がかかります。たとえば、育児ノイローゼに悩むお母さんたちを集めて指導したり相談にのったりするサービスを行政が担当すれば、経費がかかります。都市に住む核家族では、相談したり支援を求める人が見つけにくい背景がそこにはあります。無縁社会は行政コストがかさむ傾向があります。

一方、役割を求めている人もいます。十分体力や気力がある人たちが仕事から離れ、孤立して時間をもて余しています。そうした人たちに社会とのつながりや役割を提供する機会は、公的な分野にはたくさん残されていると思います。(図書館や博物館の案内、育児や教育や福祉の分野)

お金がからめば無駄が増える傾向が確かにあります。職業や行政がサービスを提供すれば、そこにはお金が介在します。利用する人はコストを負担しなければならなくなります。代金をとったり税金で運営すれば、高い質のサービスが求められるようになり、それは過剰サービスの原因にもなります。お金がからめば、「いい加減(ちょうどいい)」のサービスが難しくなります。そこに無駄が発生します。

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4.助け合い社会への転換

専門家と素人の連携で専門家が中核になって公的な各種サービスを企画し、ボランティアが実行部隊となってこれを支えていく。こうした形の活動が多様に展開されれば、公的な支出は削減できます。さらに、「いい加減」なサービスが提供できるようになります。

弱肉強食の自由主義時代(19世紀)の「小さな政府」、大恐慌以後の大衆社会(20世紀)の「大きな政府」。そして財政赤字で苦しむ21世紀は「大きな社会」で対応するしかありません。セーフティー・ネットを背景とする助け合い社会へ発想の転換がいま求められています。

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5.一人一人の「わがまま」が大切

「助け合い社会」、「ボランティア」と聞くと、どこかべたべたした人間関係が連想されて、うんざりしてきます。「大きな社会」とは大家族中心の昔の人間関係に戻ることでしょうか。「せっかく、わずらわしさから自由になったのに」、「大きな社会」が「昔」に戻ることを意味するのでは意味がありません。「大きな社会」とはどんな社会でしょうか。

インターネットの世界は触れあいを求める人でひしめき合っています。孤立しながら触れあいを求めるという矛盾は何を表しているのでしょうか。それは強制はされたくない、自己決定権は担保しておきたい、という気持ちだと思います。一見、甘えとも思われがちな、こうした心情は実は大切なことを含んでいます。

一人一人が我慢しながら何かをしていると、本当は変化していかなければならない関係が強化されることになります。つまり、我慢している本人だけの問題ではなくなるわけです。しかし、各自が自己決定権をもっていれば、一見わがままと思われる行為の積み重ねによって、新しい問題がいちはやく現れるようになります。

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6.21世紀で可能になった「大きな社会」

制度が変わらないうちに、各人が勝手に行動すれば混乱が起きます。IT技術の進歩によって、少しぐらいの変動ならカバーすることは可能になりました。たとえば、当てにしていた人が、突然こなくなっても、代わりの人を見つけることは、情報ネットワークがあれば可能です。

また、そうした傾向が多くなれば、それは情報ネットワークによって、たちまち明らかになってきますから、問題への対策も立てやすくなります。IT技術は人びとの動向を映す鋭敏な鏡を提供しています。

こうした意味で「大きな社会」は21世紀でこそ可能な社会だと言えます。

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