国民が何としても保障したい「人としての最低限の生活(ナショナル・ミニマム)」を実現すること。これを政治の目標とすることによって、議論はわかりやすくなると思います。
ナショナル・ミニマムを保障するには国民はどれだけの負担をしなければならないか。 これが次のテーマなります。
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ナショナル・ミニマムとは国が国民に保障する人間としての最低限度の生活の水準です。具体的には、子ども・高齢者・障害者・傷病者・失業者・生活困窮者など社会的に弱い立場の人々の生活水準です。
これらの人々の間には著しい格差があってはなりません。さらに、一般の人々との間にも著しい差別があってはなりません。この基盤がしっかりと確立されることによって、はじめて国民の間に共同意識が成立します。
セーフティ・ネットを根底から支えるのは最低限度の生活水準(ナショナル・ミニマム)です。この水準が低くければセーフティー・ネットとはいえません。その水準は財政状況次第です。
どれだけ財政支出を削減し、受給者(生活保護・失業給付・年金)を減らすことができるかで、国民が負担をどれだけ受け入れるかが決まります。
これらの努力により、受け入れることのできるナショナル・ミニマムの水準が決定されれば、人々は職業を変えたり、新しい分野に挑戦する勇気を持つことができ、社会の活力が増すと思われます。
財政支出を減らすには、公的部門での節約、民営化による合理化、ボイランティアの参入による経費削減などが考えられます。そのために削減される余剰人員は次のように吸収されます。
これらの公的な扶助を受けている人であっても、可能な範囲でその能力をボランティアなど社会的に活用することで、財政支出は削減されるわけですから、結果として国民負担率を下げたり、ナショナル・ミニマムの水準を上げることができます。
社会的な支援を受ける側の人々は、受け身になるのではなく、可能な範囲で自立し、できる範囲で社会参加することが、ナショナル・ミニマムの質を高め、それを永続性のある制度へと強化します。
社会的な支援をうける立場から、自立して社会参加するリカバリーの道筋がしっかり見通されることも大切です。
必要な人が必要な場所で活躍することは、人々の生活の質を高め、やりがいのある生活と社会的な信頼関係をきづくもっとも大切な条件です。
そのためには、どこにどんな人がいるのか。どんな人がどこで求められているのか。求める人と求められる人を的確につなげるための情報交換の場が必要です。学校は豊富なデーター・バンク:学校と地域は人材の豊富なデーター・バンクです。なぜなら、学校は人材を育成する場であると共に、社会と家族とをつなぐ貴重なコミュニティーになりうるからです。