各地域、同時代並行の世界史
人類の再会物語
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8.国や民族によって文字が違うのはなぜか

世界では、多くの文字が使われています。同じ漢字文化圏の韓国と日本でも使っている文字はまったく異なります。同じアルファベットでも英語とロシア語ではすこしづつ違いがあります。

国や民族によって文字が違うのはなぜでしょう。そして、そのことにどんな意味があるのでしょう。

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文字の起源はエジプトと中国

解読されていない文字や使われなくなった文字を除くと、現在世界で使われている主な文字の起源はたった二つしかありません。エジプトの神聖文字と中国の甲骨文字です。両方とも絵から発展した絵文字であることは共通しています。

絵ですから文字には一つ一つ意味がありました。エジプトの神聖文字は神々や王家のことがらを岩に刻み込んで書かれていました。中国の甲骨文字は亀の甲羅や動物の骨に刻まれて占いに使われていました。初期の絵文字は堅い物に刻み込まれ、特殊な意味を表していました。

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絵文字を改良してアルファヴェットをつくる

表現することが多くなれば、絵文字では対応できなくなります。中国の山は日本では「ヤマ」と言うようにその文字を他の地域で使うには読み方も変わらざるえません。こうして、絵文字は改良され音を表すようになります。

エジプトの絵文字を改良したのは現在のレバノンを拠点に地中海貿易で活躍していたフェニキア人です。彼らはエジプトの絵文字を改良しフェニキア人の言葉の音を表す記号にしてしまいました。このフェニキア文字はギリシア人に伝えられてヨーロッパのアルファヴェットのもとになりました。

また西アジアの陸上貿易で活躍したアラム人はフェニキア文字を改良しアラム文字を作りました。これが西アジア、インド、東南アジア、チベットへと伝わり、それぞれの地域の人々の言葉を表す文字になりました。

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絵文字で意味と音を表した漢字

中国の甲骨文字もやがて音を表すようになります。絵文字の一部は意味を表す部分(扁)と、音を表す部分(旁)に改良され、それらを組み合わせて多様な表現に使われるようになりました。この仕組みによって漢字は中国を支配する皇帝の有力な武器となっていきます。

他民族を支配するようになった中国では漢字の意味さえ理解できれば、言葉が異なっていても互いに意思疎通ができるようになり、漢字は広い中国を支配する官僚たちの共通文字となっていったのです。

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古代帝国と周辺民族

ギリシア文字を学んだローマ人は地中海を征服しローマ字をひろめました。中国に本格的な古代帝国を確立した漢は「漢」字をつくりました。

こうしてローマ帝国の周辺にはアルファヴェットが、漢帝国の周辺には漢字が古代文化と共にひろがっていくことになりますが、これらの地域に本格的に文字が普及するのは次の時代を待たなければなりませんでした。

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宗教と一緒にひろがった文字

ローマ帝国も漢帝国も繁栄の時代を終えて崩壊し、混乱の時代が続きました。この混乱の時代に帝国の周辺地域へと移住していく人たちがありました。ヨーロッパで言えばキリスト教の修道士、日本で言えば帰化人たちでした。彼らはキリスト教や仏教とともに古代文化も広め、周辺地域で古代王権が芽生えるきっかけをつくりました。

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馬と剣と城壁の時代

古代帝国が滅んだあとは、大土地所有者が各地で勢力をふるい農民たちを支配しました。また、騎馬民族の活動も活発になり騎馬技術が普及し、武術に長けた人びとも力をもつようになりました。

彼らは各地で割拠し互いに覇権を争いました。まさに馬と剣と城壁の時代が始まろうとしていました。

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二つの巨大センター

このような動乱の時代に西アジアでは砂漠の民アラブ人が東アジアでは北方の遊牧民の血をひく一族が混乱の時代が、故に強大な権力を樹立することに成功し、それぞれ西ユーラシアと東ユーラシアに大帝国が建設されました。

西のアラブ人はイスラム教を団結の要としてイベリア半島からインドまで、東の唐帝国は東アジアから中央アジアまで覇権を確立し、周辺諸民族の一大交流センターを築きました。

この大帝国の秩序を受けいれれば、周辺諸民族はこの巨大センターの一員として先進文化を享受できました。こうして周辺諸民族は古代文化を本格的に取り入れていきました。

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自立する諸民族

9世紀のころからイスラム帝国にも唐帝国にも衰退の時が訪れます。古代帝国から十分文化を吸収した周辺民族はこの頃には政治的にも文化的にも自立の時代をむかえていました。

彼らは吸収した古代文化を改良して自分たちに合った文化をつくっていきました。日本では漢字からカタカナやひらがなが工夫されたように、それぞれの地域で文字がつくられていきました。民族文化がはっきりと意識されはじめたのもこのころのことです。

このように、文字を使うことは古代文化の受容の象徴であり、固有の文字を持つことは民族の自立の証しであったのです。

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