各地域、同時代並行の世界史
人類の再会物語
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6.地震で電気や水道がとまったら生きられるか

「地震で電気や水道がとまったら、生きていけるだろうか。」そんな不安に襲われることはありませんか。災害の規模が大きければとても十分な救援は望めません。避難する場所も食糧も水もなく、雨のなかに取り残されるようなことになったら、何日生きられるのでしょうか。

人口密集の都市に生きている人は想像以上にもろくて危険な状態にいると思われます。どうしてこんな危険な生き方を私たちは受けいれているのでしょう。

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文明以前の時代にもどる

災害で生活インフラが崩壊したら、私たちは文明以前の状態に放り出されます。水を濾過する装置を廃棄物を利用してつくり、廃材を集め火をおこし、それから食糧はどうしたらいいのでしょう。いよいよということになれば商店やスーパーは略奪され、食糧の奪い合いが始まることでしょう。

都市にいては自力での生活を工夫する余地はありません。豊かな自然環境を求め、自力で生きる生活をはじめるしかありません。歴史的には文明以前の時代にもどることになります。

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なぜ文明の生活を選択したのか

私たちはなぜ文明に頼って生きるというリスクの大きい道を選んだのでしょう。

それはメソポタミアで都市文明が成立した前3500年ころにはじまりました。チグリス・ユーフラテス川が毎年氾濫し、それによって肥沃な土壌がもたらされ、灌漑による農業が始まったとされています。ナイル川でも川の増水を利用する灌漑農業がはじまり、人びとが集まって住む現象が見られました。

早くから農耕がはじまった「肥沃な三日月地帯」に近いこの地域では、このころ乾燥化が進み人びとはやむをえず灌漑農業をはじめるしかありませんでした。

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余剰で変わった自然の意味と価値

大地の恵みに頼ったこれまでの生き方にかわって、自然のシステムを意図的に利用して大量の収穫をえるようになると、その仕組みを維持する集団の規模も大きくなりました。

天体の運行を観測する塔や余剰を貯蔵する倉庫や洪水や外敵から住民をまもる城壁がつくられるようになります。こうして、自然を改造する人類の新しい生き方が展開されはじめました。

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交易のセンターとしての文明

砂漠のなかの氾濫原は十分な物産に恵まれませんでした。文明の生活にはさまざまな物資が必要です。顔料・コールタール・銅・錫・木材・儀式用の香料などさまざまな物が遠くから調達され、これらの地域からも人びとが物資を調達にくるようになります。

こうして、都市は交易のセンターとしてさまざまな地域をむすびつけ、同時に周辺の地域に都市文明の生活をひろめていきました。

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濁流を治めた
中国の古代文明

ナイル川やチグリス・ユーフラテス川のように砂漠をゆっくり流れるオリエントの大河では、何ヶ月もかけて増水し何ヶ月もかけて水が引いていきます。この穏やかな氾濫を利用して灌漑が可能となりました。

かし、モンスーンの雨を集めて流れる東ユーラシアでは大河の氾濫は濁流となって人びとを襲いました。洪水は利用するものではなく治水の対象でした。この治水工事が中国文明を生む主要なきっかけになりました。

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海と草原の境界に生まれた中国文明

黄河中流では灌漑農業は井戸や地下水を利用して行われました。丘陵地帯に点在する村の中から都市がうまれ、文明が育っていきました。

この地域は内陸からひろがる草原地帯と東シナ海の沿岸にひろがる海浜地帯の文化が交わる場所に位置していました。農耕民、山岳民、海洋民、遊牧民、狩猟民など異質の文化の人びとが交わる交易の拠点として中国の古代文明ははじまりました。

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国家の支配拠点となった都市

古代文明は周辺の諸民族をまきこみながらひろがっていきました。やがて都市は権力の象徴となり、新しい時代の支配者は都市に住み、農村に税を課します。農村の人びとは都市に産物をおくり支配者たちの商売と豊かな生活を支えるための存在になっていきました。

近代になると新興の工業都市に労働力として人びとが農村から集められ都市に住むようになります。土地から切り離された人びとは帰るべき農村を失い、都市に住むようになったわけです。

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